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第5章 地獄変

地獄の57丁目 境界線上の綱渡り

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 ケット・シーのノリオが仲間に加わってから、数週間たった。残暑を微かに感じさせながらも次第に人々の着込む服が厚めになったり長めになったりと、肌色大好きな世の男性達から徐々に覇気が失われていく季節となったのである。

 秋におセンチな気分になるのは夏にはしゃぎ過ぎた反動なのだろうか。だとしたら大してはしゃいだ記憶もないこの俺の心の空白に吹き込むスキマ風はどこから来るのだろうか。

 余談だが、阿久津が完全にベルの支配下に置かれてからというもの、我が経理部は平和そのものである。あまりの変貌ぶりに全員が表現は違えど、『阿久津は壊れた』と口を揃える。当のベルはと言うとしもべが増えて便利だぐらいにしか思っていないようで、少しずつ強制的に仕事を覚えさせたのである。上層部も実は阿久津を持て余していたのか、以前と違ってキチンと仕事をこなす様子に大層ご満足のようすだった。

 あ、因みに四半期決算は社員旅行前に無事乗り切りました。やはりチーム全体が成長したこと、ベルが普通に仕事が出来る事、阿久津が足を引っ張らなくなったことが大きいと言えるでしょう。なかでも成長著しいのは勿論この俺。伸びしろが違うんですね。何せ一年目は配属直後でアワアワしていたわけですから。

 アルカディア・ボックスはと言うと相変わらずマイナーチェンジを続けており、デボラ専用、キャラウェイさん専用の花壇が出来たり(魔花・魔草の種類もいくつか増えたようだ)、各種魔物の要望でそれぞれの故郷に環境を寄せてみたり、あるいはそのまま持ってきてみたり。とにかくやりたい放題だ。

 とはいえ、箱庭の特性として“空間を切り取った”というのは空間に結界を張って遮断したというのが正しそうで、生き物を除いた環境は全て元通りつながっている。そのおかげで川は流れているし、日は昇り、沈むのだ。

 え? 川の接続点に魚が詰まってそうだって? そこは我らが魔王様がうまい事やってくれているのだ。生物にとってそこは何もない空間で、A辺に差し掛かったと思ったらそこは対面のB辺なのだ。そういう風に時空を繋げているらしい。文理共に成績が中の下だった人間にこれ以上説明を求めてはいけない。魔王様がうまい事やっているのだ。

 そうそう、ドラメレク一派の活動について。

 特に無し。

 そう、地獄で禁忌キッズに出会って以降、全く音沙汰がない。この場合、音沙汰というか接触が無い方がお互いのための様な気がするが、目的が目的なだけに簡単にあきらめたとは思えず、却って派手な動きが無い分、不気味だったりする。

 そして、ヒクイドリの家族捜索。これが一番情報が動いたかもしれない。以前にデボラの家で話していた集団の名前は『堕悪ダーク』だと判明した。人間界で言えば夜中にパラリラやってそうな間抜けな名前だが、地獄で起きている不愉快な事件の大半に関わっているという噂もある。理念で言えば先代魔王の考えに近い集団だ。デボラは情報が出揃い次第、近いうちにお仕置きと言っていたが、その時はベルと共に再び地獄へ行くことになるだろう。

 ……不安だから防御面はしっかりサポートして欲しい。

 そして、今俺の置かれている状況だが、どういう訳かデボラが横に眠っている。俺の腕にしがみついたまま。ヒクイドリの報告を聞いた後、お互いの世界の酒とツマミを持ち寄り、酒盛りをしていたわけだが、次の日が土曜日という事もあり、つい深酒に溺れてしまったらしい。こうして長い時間をかけて現実逃避を試みたおかげで少し、状況が見えてきた。

 とりあえず事後ではない。多分。

只今の時刻は4時37分。喉はカラカラで頭はグルングルン。だが、これだけは確かめておかなくてはならない。

「デボラ、起きてるでしょ」

 寝ているはずのデボラの肩がピクリと動く。

「酒で潰れるとこ見た事ないしね」

 耐え切れずデボラの口角が少しヒクつく。

「かーっ!! 情けない奴め!!」
「隙あらばイチャつこうとするんじゃない!」
「酒に飲まれる方が悪い! 隙を見せずに好きを見せろ!」

 弄んで悪いが、なし崩しとはいかせんぞ!

 明日ちゃんとベルとローズに邪心を食ってもらおう。今の俺はきっと熟成肉エイジングビーフにでも見えるかもしれない。


 ☆☆☆


「姉さん、すいませんでした。今日も不死鳥フェニックスの手掛かりは得られませんでした」

 筋骨隆々の体中が傷跡だらけの男、拳は握れば小ぶりなスイカぐらいはありそうだ。しかし今その手は開かれ、地面に吸い付いている。同じく地面にこすりつけられた頭を冷徹に見下すのは細身の美しい女性。傍目から見れば力の差は歴然とした二人だが、実際の主従関係は全くと言っていいほど逆転していた。

「お前には少しばかりは期待しているんだけどねぇ。あんまり失望させないで欲しいねぇ」
「すいません……すいません……」

 男の周りには、死体が転がっていた。こちらもまた土下座している男ほどではないにしろ屈強な体を誇っていた、。男を形成していたそれぞれのパーツが立体パズルでも楽しんだかのように無造作にバラバラと散らばっていた。

 何か女の気に障る態度をとったのだろうか。或いは男の顔に虫でも止まったのだろうか。いや、ただ立っていただけかもしれない。とにかくその程度の理由で女が来訪するたびにジギタリスの周りには死体が転がるようになった。

「とにかくねぇ、マンドラゴラ、フェンリル、フェニックス。ここらの情報を持ってきた奴には私から礼の一つでも言ってやろうと思ってるくらいなんだ。本体を持ってきたなら頭を撫でてやったっていい」

 ジギタリスの手はブルブルと震えている。それは恐怖によるものか、それとも地獄屈指の犯罪集団の頭領であった自分が現在置かれている屈辱的な状況への怒りか。

「まあ、私としては何事も早いのが好きなんでねぇ。おっと、アレは困るがねぇ」
「か、必ずお望みの物を……」

 言い終わる前にジギタリスの頭はぐしゃりと地面にめり込んだ。

「一文字でもしゃべってる暇があったら早く探してくることだねぇ」

 ジギタリスは顔をあげると鼻から流れ出す血も気に留めず、逃げ出すように部屋から出ていった。

「全く……。焦らされるのも悪くないけどドラメレク様にお会いできないんじゃ乾く一方じゃないか……。乙女の肌には潤いが必要なんだからねぇ……」

 そう言うと女は部屋中に散乱した血を魔法で吸い上げ、球形に凝縮した。

「帰ってお風呂でも入るかねぇ。これはお肌のケアに使わせてもらうよ」

 女は干からびたバラバラのパーツに向かって手を振ると、魔法陣に乗り消えていった……。
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