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2 相談

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 その手紙が届いた時、マクシミリアン・サイラス・クロムウェル子爵は不思議に思った。王太子殿下直属の部下として働く彼が遠方の視察より三日ぶりに屋敷に戻ると、その手紙は丁度タイミングよく手元に届いていた。



 差出人は、ルイーゼ・アリー・バークレー侯爵夫人。自身の友人のひとりであるヴィンセントの妻だ。

 二人の結婚式に参列したのはまだ記憶に新しい。確か結婚してからまだ一年も経っていないはずだ。

 ヴィンセント本人からでなく、その妻のルイーゼからの手紙であることを不思議に思いながらも中を検めると、相談があるので都合のつく日を教えてほしい、という内容だった。



 実を言えば、他家の貴族から『相談』を持ちかけられることは、マクシミリアンにとってそう珍しいことではない。

 王太子と同じ年に侯爵家の三男として生まれたマクシミリアンは、文武に優れた才能と実直な性格を買われ、王太子の側近として王宮で働いている。元々実家では三男という立場もあり、王立学園を卒業後は文官か武官として身を立てるつもりだったので、卒業間近に王太子から打診を受けた際には二つ返事で了承した。とはいえ、王太子の側近が爵位なしでは業務上差し障りがあるため、自身の父が複数持っていた爵位の内子爵位を賜り、現在はクロムウェル子爵を名乗っている。



 そんな王太子に直言出来る立場のマクシミリアンを利用して、王族に近づきたい者、邪な思いを抱く者、便宜を図ってもらいたい者が接触してくることは多々ある。





 けれど――と、マクシミリアンは結婚式の日に見たルイーゼの姿を思い浮かべた。



 友人であるヴィンセントの妻、ルイーゼとマクシミリアンは直接交流したことはないものの、その存在は以前から――ヴィンセントの婚約者になる前、ルイーゼが伯爵令嬢の頃からずっと知っていた。



 何しろ金糸のように輝くプラチナブロンドに、知性を感じさせるペリドットの瞳をしたルイーゼは、その圧倒的な美貌でデビュタントするやいなや、常に社交界で注目を浴びる存在だった。

 それにも関わらず、本人はあまり華やかな場が得意ではないらしく、並み居る男性からのアプローチも軒並みかわし、常に控えめな態度で壁の花に徹していた。

 その態度が余計に男達の情欲を煽り、未だに彼女に思いを募らせる者も多いと聞く。



 何を隠そうマクシミリアンも、当時密かに彼女に好意を抱いていた大勢の男の一人だった。

 それまで彼は、どんなに着飾った女を見ようが、豊満な身体を押し付けられようが、女という生き物に対して特別な感情を抱くことは無かった。誘われて相手をした女も何人かいたが、その誰にもついぞ心を動かされることは無かった。



 ルイーゼを初めて目にした日のことは、今でも思い出せる。マクシミリアンが王太子の側近として控えていた夜会にデビュタントで参加していた彼女は、一目で会場中の視線を奪った。無論、マクシミリアンの視線も。



 純白のドレスに身を包み、光が当たって輝くプラチナブロンドを揺らしながら歩くその姿は、言葉にし難い衝動と共に今でもマクシミリアンの心に深く焼き付いている。一目惚れというやつがあるなら、きっとあれをそう呼ぶのだろう。



 滅多に夜会に現れず、たまに姿を現しても男達をひらりひらりとかわすルイーゼは密かに、『幻の蝶』や『月下の妖精』と呼ばれていた。



 マクシミリアンはその後何度かルイーゼの姿を目にするも声を掛けるには至らず――ある時、王太子の他国への視察に同行し、暫くして戻って来た時には、彼女はマクシミリアンの友人であるヴィンセントの婚約者となっていた。



 そして、ヴィンセントの強い希望で婚約を結んで僅か半年後に婚姻を結んだ彼女と、結婚式にて初めて言葉を交わすに至ったのである。





 たった一度短い会話を交わしたことがあるだけの自分に、一体何の相談だろうか。

 彼女は決して、マクシミリアンを通して王族に何らかの便宜を図ってもらおうとするようなタイプではないように思える。

 だとすると、友人であるヴィンセントに関する相談だろうか。



 便箋からほのかに香る花の匂いに、妙に胸がざわつく。百合の透かし彫りが入った上品な便箋は、あの夜初めて目にしたルイーゼを彷彿とさせた。

 首を捻りながらも、了承の意と共に都合の良い日を書きつけ返信をすると、マクシミリアンはルイーゼの手紙をそっと引き出しにしまった。



 マクシミリアンとルイーゼが顔を合わせたのは、それから三日後のことだった。





***





「……すまない、もう一度言ってくれるかな?」



 ルイーゼの手紙を受け取って三日――マクシミリアンは貴族向けのカフェの一室でルイーゼと向き合っていた。当然個室に二人きりではまずいので、互いに従者を伴い、部屋の扉は僅かに開けてある。連れてきた互いの従者はそっと壁際に控えている。



 マクシミリアンの向いには、シンプルだが一目で上質と分かる菫色のドレスに身を包んだルイーゼが微笑んでいた。

 透き通るような白い肌に、薄く引いた紅が美しい。菫の花の妖精のようだ、と柄にもなく思ったが、どうしてかそれを口に出すことが出来ず、もごもごと挨拶代わりの褒め言葉を贈る。



 貴族の男性が女性に会う際は一言褒めてから会話を始める、というマナーが、マクシミリアンは苦手だった。そんなマクシミリアンに気を悪くした風もなく、ルイーゼは終始おっとりした笑みを浮かべている。



 挨拶もそこそこにルイーゼから『相談』を持ちかけられたマクシミリアンは、予想の斜め上どころか遥か上空を行くルイーゼの提案に目を白黒させ――最終的に自分の聞き間違えに違いないと結論づけ、もう一度聞き返した。

 ルイーゼはそんなマクシミリアンをじっと見つめていたが、淑女らしいゆったりとした優雅な所作で紅茶を飲むと、アメジストの瞳をきらきら輝かせながら言った。



「ええ、ですから私、クロムウェル卿に情事のお相手をお願いしたく思いましたの」

「ぶはっ」



 聞き間違いではなかったようだ。



「まあ、大丈夫ですか」



 ひとまず落ち着こうと飲んだ紅茶が器官に入って咽るマクシミリアンの背中を、ルイーゼが近づいてきてそっと擦る。触れた手の感触や温度が妙に生生しく感じられて、マクシミリアンは赤面した。



「だ、だだ大丈夫だ。大丈夫だから座ってくれ、ルイーゼ嬢……いや、バークレー侯爵夫人と呼ぶべきか」



 混乱するマクシミリアンとは対照的に、ルイーゼがふふふと笑いながら席に戻る。その所作は今しがた目の前でとんでもない提案をしたとは思えない程、完璧な淑女そのものだった。



「私のことはルイーゼと呼んでいただいて構いませんわ」

「そう、か……。では、私のことはマックスと」

「まぁ、愛称でお呼びしてもよろしいのですか?」

「ああ、構わない。仲のいい連中はみんなそう呼んでいる」

「それは、私とも仲良くしていただけるということかしら。そうなら嬉しいわ」



 すっかりルイーゼのペースにはめられたマクシミリアンを、ルイーゼはにこにこと見つめている。年齢より若くみえる、その可憐な姿はとても既婚者には見えない。



 ルイーゼの左手で光る、友人ヴィンセントと同じ瞳の色をしたエメラルドの指輪を複雑な面持ちで見つめながら、マクシミリアンは状況を整理することにした。

「その、ちょっと整理したいのだが。ルイーゼ様、君は――」

「様、は不要ですわ」

「あ、ああ……わかった。ル、ルイーゼ。君はよりにもよって君の友人と浮気したヴィンセントへの当てつけに、その、私と……つ、付き合いたいということかな?」

「当てつけ……?いいえ、違いますわ。私は旦那様が私に教えようとしている『愛』を理解したいだけですの」

「それは……どういうことなんだい?すまないが、私には意味がわからない」



 マクシミリアンの心の中は不実なヴィンセントに対する憤りと、それに対する奇妙な態度のルイーゼへの疑問符でいっぱいだった。



「結婚する前、愛が何たるかを知らない私に、旦那様は言いましたの。『生涯かけて愛を教える』と。そして今回のことも、旦那様が私に『愛』を教えるための行動のようなのです。だから私、それに報いようと思うのですわ」



 そう言って、計四十五回の情事――何故四十五回なのかの生々しい説明は先程受けた――をマクシミリアンに申し込むことにしたのだ、とルイーゼは笑った。



 浮気されたから浮気する。



 要はそういうことかと思っていたが、目の前のルイーゼには決して当てつけに違う男と関係を持って復讐してやろう、というような様子もない。

 だからこそ、その笑顔の裏に筆舌に尽くしがたい危うさを孕んでいるように思え、マクシミリアンは喉を詰まらせた。



「マックス様……不躾なお願いであることは承知しています。お嫌でしたら、断っていただいて構いません」



 ふと見ると、すっかり冷めた紅茶に視線を落とし、眉を下げたルイーゼがいた。

 まるで雨の日に棄てられた子犬のようで、思わず頭を撫でてやりたくなる。



「もし……もし私が断ったら、貴方はどうするのですか」

「そうですね、私としてはマックス様にお願い出来れば、と思っていたので残念ですが、他のお方を探そうと思います。ああ、それか、どなたか良い方をご存じでしょうか。出来ればマックス様のように、旦那様と昔から友好のある方で、決まったお相手のいない方であれば。何しろ私とメリッサは幼馴染でしたから」



 ――ヴィンセントの知っている男なら、誰でも良いとでも言うのか?



 ルイーゼの言葉を聞いた瞬間、身体の芯が、かっと熱くなるのを感じた。

 気づいた時には、口に出していた。

「いいえ、その必要はありません。私がお相手しましょう」と。





 それから、どうやって屋敷まで帰ったのか、マクシミリアンは殆ど覚えていない。分かるのは一週間後にもう一度、ルイーゼと約束したことだけ。


 その夜、瞼を閉じる度ルイーゼの微笑みが思い出されて、マクシミリアンは中々眠れなかった。

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