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第一章 燃え盛る憎悪の精神体

四話 慚愧

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「ナイアルラ様…?ご無事だったのですか!」

「おいおい、こんなことでいちいち驚いてくれるなよ可愛いエヴァ。言ったろう、彼がどう動くかは分かっていたと」



虚空より響く声は、確かに俺が潰した少年姿の魔神のそれだった。




「不幸中の幸いとして、彼が一発で潰してくれたものだから痛みらしい痛みは無かった……と、思うよ。まぁ死んじゃった時点でどう取り繕っても無駄だけどね」

「貴様、むしろそうさせたかったクチか」

「ご明察。いやはや、我らが邪神様は頭も聡明であらせられる」

「やかましい」



心にもないことをほざくその声は鬱陶しいこと極まりない。

死んだと言葉の上では言っているが、ではこの声はどこから出ているのか。ぐちゃぐちゃになった死体に目を凝らしてみるも、そこに特別な変化は見受けられなかった。

俺の疑問はすぐに解決される。ただしあまり良くない方向で。



────ぽん、と間抜けな音を立て、眼前には現れた。


人を遥かに凌駕する巨体となった今の俺から見なくとも、そいつはあまりにもちっぽけだった。

恐らく人の身の掌に収まる大きさの白銀色の毛玉。その表面、赤と黄に光る三つの瞳が俺を見つめている。ふよふよと漂うように俺の周りをハエか何かのように飛び回る。



「今度は虫か? は、そっちの方がいくらかは似合っているか」

「随分と辛辣だなぁ……元はと言えば、君が体を叩き潰すからじゃないか。いいけどね、織り込み済みだし」

「影武者、という訳か」

「いいや? ちゃーんと本物、その体は正真正銘【魔神ナイアルラ】としての体さ。今のこの姿は、魂の一部を分割して生み出した分霊……そうだね、生態としては【精霊】に近しい、と言っておこうか」

「────御大層な理屈はいい。で、なんだ。またぞろ潰されに出て来たのか、道化」



焔がちらついて見える。この身は随分と重く、熱い。正直ここにいるだけでも居心地が悪い。もしこいつが俺を苛立たせることが目的なのだとしたら、これ以上の出来は無いだろう。もともと勿体ぶりたがる質なのだろうが、いちいち回りくどくて不愉快だ。

毛玉は瞬きをしながら続ける。



「せっかちだねぇ……ま、いいや。君に贈り物を、とね」

「何だと?」

「ちょっとしたプレゼントだよ。今の君は依り代たる巨像の肉体を得たとはいえ、その存在は未だ不安定。この世界の存在の肉と血、もっと言えばその”魂”を取り込んで……完全に定着させる必要がある」

「…………」

「その点、欠けているとはいえ、魔神の魂ともなればこれ以上の供物は無いからねぇ。ふふふ、どうせこの世は滅ぶんだ、遠慮せず喰らうがいいさ────ご不満かな?」




俺の顔の傍まで漂ってくると、毛を束ねた触手で肉と血の塊を指す。当然の事であると、知人に土産物を進めるような気軽さで宣って見せた。

俺が言えた口ではないのだろうが、こいつは大概正気ではない。


確かに感情に任せて殺したのは俺だし、今でもこいつのことは気に入らない。微塵も罪悪感は無い。無いが……この全て計算づくであるからと、己の身ですら簡単に放り投げるこの精神は、どうにも理解しがたい所がある。

世界を救ってほしい。邪神となって災厄を振りまいてほしい。そもそも前提からして正気の沙汰ではない。魔族とは、魔王とは、それを束ねる魔神ともなればそれこそが正道なのかもしれないが……何をそこまでと思わせるほどの歪んだ決意を感じる。




「【魂喰い】だよ、元の世界で似たようなことをやってただろう? 確か、殺した者の血を取り込み己の力へと変換する……だったっけ。今の君でもできるはずさ、そういう風にその躰はできているのだから」

「……わからんな」

「やり方がかい? ふーん、そういうこともあるか。こっちじゃ弱い魔族でも当たり前にできる事なんだけど……あ、抵抗があるかな? ははは、大丈夫だよぜーんぜん気にしてないから。むしろこうなるために君の前に出て来たんだぜ?」


「そういうことではない……わからんのは貴様らだ。何の得があってこんなことをしている」



ナイアルラの言葉には、えも言われぬ不可思議な甘い響きがある。別にそれにほだされたわけではない。むしろそれ故にひっかかる。



「……理由かぁ。そうだね、転生者が絡んでいると言ったはずだけどね。困ってるんだよねぇ」

「それと俺に何の関係がある」

「おや、君は今も憎んでいる筈だろう、彼らを。今の彼らがここで何をしているか知っているかい?」

「……」

「異界の異物の分際で、我が物顔で支配者面をしているのさ。何せ今の神々は実に人間贔屓な奴等でね……事あるごとに異世界から魂を引っ張ってきては【スキル】とかいう力を与え、それじゃ気が乗らないとあればそこらの人間の運命を弄って英雄に仕立て上げる────はっきり言ってバランスを欠いている。今の世は歪すぎるんだよ」



曰く、この世は【人間種】が列強種として名を連ねて久しい状態らしい。
【転生者】、及び強大な力を備えた英雄たちが人間種の守護者となり、あろうことか他種族を圧倒するにまで至っている。
古来より魔族と敵対してきた人間種────増長した英雄達が行きつく先は、殲滅と撲滅。




「別にそれが自然の定めであるなら受け入れるんだけどさぁ、今のコレは違うんだよ。それに魔族だけじゃない、歪みの皺寄せは他の種族にも出てきている。こちらが正義であると謳うつもりは毛頭ないけれどね、間違ってるものは間違ってるんだよ」

「なるほどな……だが」

「まだ引っかかるかい?」

「何故俺がそれに従う必要がある? 旧世界がどうとか言っていたがな、それでも俺には預かり知らぬことだ。貴様らがどうなろうと知ったことではない」



理屈は分かった。確かに俺の中にある焔の行き先が転生者やそれを導く神々に在ることは認める。

だが、それだけだ。そもそも俺の全ては既に終わったもの。当然ながらこいつら魔族などに何の思い入れも憐みも持ち合わせていない。哀れだとは思わなくも無いが、しかしそれまでだ。


────そんな俺の考えを見透かしていたかのように、毛玉の瞳がすっと細められる。



「理由ならあるさ────愛だよ」

「──────は?」

「おぉ、おっかない。でも本当の事さ。君も薄々感づいているんだろう? ”彼女”の事に」

「何だと……?」



今まで俺達がやり取りをしている間、空気を読み控えていた彼女、魔王の娘エヴァ。

できた女だ。あまりに都合がいい、そして哀れな者。だがそんな境遇とは関係ない所でまた、心がざわつく。


あまりに突拍子の無いナイアルラの言葉に思わずああ返したものの。しかし、どこかでそれが分かっていたのかもしれない。




「彼女はね、旧世界の残滓の成れの果て────かつて君が愛したなんだよ」

「な……ん、それは……」

「分からないことは無いだろ、ぼくもこんなことが無ければ今回の事は思いつかなかったさ。しかしどうだい? 哀れな事だと思わないか? 君が見放したなら、彼女はまた……残酷な運命に淘汰されることになる」



解らない筈があろうか。

否、仔細は理解できない、この摩耗した魂では。こびりつくように、慚愧にたえぬ苦い思いが残っているだけ。


今の俺のこの熱、常に腹の底で揺らめく怒りの炎。その根源は憎悪であると自覚している。


だが、その一翼を担うのは…………信じられないことに、滑稽なことに、今の俺には最も遠い概念であるところの「愛」に他ならないのかもしれない。




「────脅しか、それは」

「事実さ。あと、これは珍しく本心から言うんだけどね……ぼくもちょっとね、彼女には気を使いたいところがあるのさ」

「……ナイアルラ、様?」

「聞き流しなさい、エヴァ。恥ずかしいじゃないか」



何を考えているのかは未だに分からない。そんな輩に何もかも握られ、踊らされているのかと思うと実に不愉快だ。不本意極まりない。

気に入らない。視界が燃え上がるほどに憤っている。だが……




「……女、エヴァと言ったな」

「は、我らが主。なんなりと」

「ならば答えろ。お前は、俺に何を望む」

「それは──」

「命じてやる。忠誠だの何だのは捨て、お前の私情だけでモノを言え」

「っ……」



ナイアルラ。確かにお前は魔神だろうよ。

愛を盾に、愛を枷に。敵にならず味方のままで、従属という形を崩さぬまま、利をこちらに委ねたままで……しかし、全て術中ということか。




「話せ。真意を」

「私は、私は……」

「話せ」

「……では、恐れながら」


エヴァは服従を示す姿勢を改めてとり、しかしこちらをしかと見上げて、言葉を紡ぐ。




「どうか、どうかお救いくださいませ。我々を、この現世を」



それは正しく、純粋無垢なる祈りの発露。ここにあるのは、始まりの信仰に他ならない。



「ナイアルラ様が仰る通り……いえ、言うまでもなく、この世界は歪んでいます。我が一族が滅びに向かうのは、我らが無力からではなく、均衡を見誤った神々の愚行の皺寄せ。元より我等魔族、神の加護より遠い所にあると自負しておりますが……」

「ごめんねぇ、でもこう見えてぼくも神座に名を連ねてた時もあったんだよ?」

「存じ上げております……であれば、貴方様こそが我等の最期の希望。この世をあるべき姿に、我らをあるべき彼方へと導けるのは……貴方様をおいて他にありません」



瞳が視る。同じだ、色が、揺らぎが。




「お救いくださいませ、貴方様のそのお力で。貴方様は、それができるお力をお持ちの筈でございます」





燃ゆる。


さしあたり、答えは得たと見える。不本意なのは変わらないが……だが、是非も無いと呑み込まざるをえない。
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