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フェールの花-価値のない王子は完璧な王に愛される-
第5章・謝意 34 残酷な現実
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城の中は閑散としている。タペストリーや絵画などは一切なく、すれ違う使用人もいない。
静かで陰湿な雰囲気が漂っている。窓も小さく少ないうえに、全ての窓に格子が付けられている。
まるで監獄のような重々しさを感じる。壁で隠れるようにして、螺旋階段が見えた。
このまま進んでいいのか悩むクライスと違って、ポーリスは異様な城の雰囲気など気にもせず上へ上へと階段を上がっていく。
アラガスタの城に入った時と同じで、人はほとんどいないのに逃げるのは無理だと感じた。逃げ出しても、すぐに捕まってしまうだろう。
逃亡させないために、上に向かっているのではないかと疑ってしまいそうだ。
「もう、少しで、すから……」
たぶん声をかけられたのだと思うのだが、あまりにもポーリスが苦しそうで自らを鼓舞しているのかと思ってしまう。酸欠で倒れてしまうのではないかとすら思う。
螺旋階段を上りきると、ドアが一つだけある。ふらふらしながらも、ポーリスは平気でドアに近づく。
けれどクライスは足を止めていた。ぞっとする。
なぜこんな場所に案内するのか。ドアには外から閂がかけられるようになっている。
ふらふらになっているポーリスからなら、逃げられるかもしれない。階段を下りようかと悩んでいる間に、ドアが開く。
「あぁ、待っていたよ」
聞こえたのは、穏やかな父の声だった。下りるか悩んでいた足が、釘を打たれたように動かない。
「さぁ、こっちにおいで。疲れただろう」
謁見の間で激昂した父を見たのが最後だった。けれど今は微笑んでいる。
怒っている時より、恐怖を感じるのはなぜだろうか。じっと瞳を見ても、何を考えているのか全く読み取れない。
「どうしましたか? 王がお待ちですよ?」
どうぞどうぞとポーリスに道を譲られる。
「ポーリスよ、ご苦労だった。後で話そう」
「有難きお言葉です」
まるで道化のように深々と頭を下げたポーリスが、階段を下りていく音が響く。ザルドゥーク伯爵と呼ばず、ポーリスと名を呼んだことで二人の親密さがわかった気がする。
公式の場でなくても、王は滅多に名で呼ぶことはない。
「早くおいで」
部屋に消えていく姿を見て、意を決する。相手は王ではあるが、父なのだ。
ドアに近づくと、暖かい空気が流れて来る。すでに部屋の暖炉には火が入っている。
広すぎず、狭すぎず、過ごしやすそうな部屋ではあった。ちゃんと厚い絨毯が敷かれ、家具も美しい装飾が彫られた高価な品に見える。
大きなベッドには天蓋があり、深緑色のカーテンが付けられている。けれど窓にはやっぱり格子がある。
「何か飲むか?」
「いいえ、大丈夫です」
なぜか緊張して、声が硬くなっているのがわかる。
「随分と冷たい態度だな。怒っているのか?」
何かがおかしい。フェールにいる頃、父はこんなふうに話しかけてはこなかった。
ゆっくりと近づいて来た父に、抱きしめられる。家族の抱擁など、いつぶりだろうと思う。
セラスとの別れを思い出して、無事を確認したくなる。
「あの、クリースとセラ……」
「そんな者は存在しない!」
大きな声に体が震える。
「存在しないって……」
まさかクリースの死を悲しむあまり、おかしくなってしまったのだろうか。
「そうだろうクマラ、だからお前は生きているんだ」
呼ばれたのは、違う名だった。クリースが生まれた時になくなった母の名だ。
思わず思い切り突き飛ばしていた。手から離れた杖が絨毯の上に音もなく転がる。
「なぜ拒絶する!」
「僕は母上ではありません」
「何を言っているクマラ、お前はフェールの王妃であり、私の妻だろう」
じりじりと寄って来る姿は、父の形をした化け物を見ているようだ。逃げなければと思い杖を拾おうとすると、足を掴まれて転ばされる。
絨毯のおかげで痛みは緩和されたが、心臓が激しく鼓動しているのがわかる。リンクスが言った身を守れという言葉が何度も頭の中で流れる。
「なぜだ! お前はあの時も拒絶した!」
父が言うあの時がどの瞬間かわからない。ともかく気持ち悪い。
「左足を潰すだけじゃダメだったのか!」
信じられない言葉に頭が真っ白になった。
「何を……言っているんですか?」
「私の傍にいるように言ったのに、お前は生まれていないはずの弟のところに行こうとしただろう」
「止めてください」
何も聞きたくなくて、耳を塞ごうとする。けれど声は手を通り越して耳に入ってきてしまう。
「だから足を潰して、私から離れないようにした」
貴族たちに見せるのも、メイドと仲良くするのも許さないと叫んでいる。
「だがお前があまりにも悲しむから、従者を一人だけ付けることを許してやっただろう」
逃げないといけない。ここにいてはいけない。
フェールを出た時、襲ってきたのはフェールの近衛騎士で間違えなかった。父が襲わせたのだ。
クリースがなぜ自分をアラガスタに行かせようとしたのかも、はっきりとわかった。クリースは気づいていたのだ。
すでに父である王がおかしくなっていると。父とコールを天秤にかけて、コールの方を選んでくれたのだ。
そして事実を知ってしまったら、苦しむこともわかっていたのだろう。実際に苦しくて、どうしていいかわからない。
ずっと無価値な存在だと思っていたが、存在すらしていなかった。父の中では、クライスなど存在しない。
「クリースは……」
「止めろ! あの男はもう死んでいる。やっとお前の無念を晴らしてやったんだ」
「クリースはあなたの息子です」
「違う! あれは呪われた子だ! 断じて私の子ではない」
血走った目が怖くてしょうがない。
「あぁ、クマラ……これからはここで二人、穏やかに暮らせばいい」
「嫌です」
コールのところに帰りたい。ここには絶対にいたくない。
這ってでもドアから出ようとすると、腕を掴まれて引き戻される。
「逃げるとどうなるか忘れたか? 左足だけではダメだったか?」
言いながら、右足をゆっくり撫でられて気持ち悪くなる。
「父上、離してください。僕はクライスです」
大きな声で助けを呼びたいのに、声が震えてかすれてしまう。頭では何とかしないとと思っているのに、恐怖で体に力が入らない。
「……コール様、助けて」
とっさにコールの名を呼んでいた。目の前の父が激昂していくのがわかる。
「いま、誰の名を呼んだ!」
本当に右足をダメにされてしまうと思った時、ポーリスが駆け込んでくる。
「お、王よ! 助けて、くだ……さい」
さっきよりもさらに呼吸が荒くなっている。
「邪魔をするな!」
「し、しかし……侵入者が……」
眉間にシワを寄せたまま、父がポーリスと部屋から出て行くのが見える。ドアが閉まる音が大きく響いて、さらに閂がおろされる音が響く。
急激に襲ってきた吐き気に、我慢できずに絨毯を汚してしまう。助かったと思うのと一緒に、逃げることができないという事実が襲ってくる。
格子のある窓からは、また鷹が見える。外で見た鷹だろうか。
立ち上がることもできないまま、自分とは正反対の場所にいる鷹をただ見ていた。
静かで陰湿な雰囲気が漂っている。窓も小さく少ないうえに、全ての窓に格子が付けられている。
まるで監獄のような重々しさを感じる。壁で隠れるようにして、螺旋階段が見えた。
このまま進んでいいのか悩むクライスと違って、ポーリスは異様な城の雰囲気など気にもせず上へ上へと階段を上がっていく。
アラガスタの城に入った時と同じで、人はほとんどいないのに逃げるのは無理だと感じた。逃げ出しても、すぐに捕まってしまうだろう。
逃亡させないために、上に向かっているのではないかと疑ってしまいそうだ。
「もう、少しで、すから……」
たぶん声をかけられたのだと思うのだが、あまりにもポーリスが苦しそうで自らを鼓舞しているのかと思ってしまう。酸欠で倒れてしまうのではないかとすら思う。
螺旋階段を上りきると、ドアが一つだけある。ふらふらしながらも、ポーリスは平気でドアに近づく。
けれどクライスは足を止めていた。ぞっとする。
なぜこんな場所に案内するのか。ドアには外から閂がかけられるようになっている。
ふらふらになっているポーリスからなら、逃げられるかもしれない。階段を下りようかと悩んでいる間に、ドアが開く。
「あぁ、待っていたよ」
聞こえたのは、穏やかな父の声だった。下りるか悩んでいた足が、釘を打たれたように動かない。
「さぁ、こっちにおいで。疲れただろう」
謁見の間で激昂した父を見たのが最後だった。けれど今は微笑んでいる。
怒っている時より、恐怖を感じるのはなぜだろうか。じっと瞳を見ても、何を考えているのか全く読み取れない。
「どうしましたか? 王がお待ちですよ?」
どうぞどうぞとポーリスに道を譲られる。
「ポーリスよ、ご苦労だった。後で話そう」
「有難きお言葉です」
まるで道化のように深々と頭を下げたポーリスが、階段を下りていく音が響く。ザルドゥーク伯爵と呼ばず、ポーリスと名を呼んだことで二人の親密さがわかった気がする。
公式の場でなくても、王は滅多に名で呼ぶことはない。
「早くおいで」
部屋に消えていく姿を見て、意を決する。相手は王ではあるが、父なのだ。
ドアに近づくと、暖かい空気が流れて来る。すでに部屋の暖炉には火が入っている。
広すぎず、狭すぎず、過ごしやすそうな部屋ではあった。ちゃんと厚い絨毯が敷かれ、家具も美しい装飾が彫られた高価な品に見える。
大きなベッドには天蓋があり、深緑色のカーテンが付けられている。けれど窓にはやっぱり格子がある。
「何か飲むか?」
「いいえ、大丈夫です」
なぜか緊張して、声が硬くなっているのがわかる。
「随分と冷たい態度だな。怒っているのか?」
何かがおかしい。フェールにいる頃、父はこんなふうに話しかけてはこなかった。
ゆっくりと近づいて来た父に、抱きしめられる。家族の抱擁など、いつぶりだろうと思う。
セラスとの別れを思い出して、無事を確認したくなる。
「あの、クリースとセラ……」
「そんな者は存在しない!」
大きな声に体が震える。
「存在しないって……」
まさかクリースの死を悲しむあまり、おかしくなってしまったのだろうか。
「そうだろうクマラ、だからお前は生きているんだ」
呼ばれたのは、違う名だった。クリースが生まれた時になくなった母の名だ。
思わず思い切り突き飛ばしていた。手から離れた杖が絨毯の上に音もなく転がる。
「なぜ拒絶する!」
「僕は母上ではありません」
「何を言っているクマラ、お前はフェールの王妃であり、私の妻だろう」
じりじりと寄って来る姿は、父の形をした化け物を見ているようだ。逃げなければと思い杖を拾おうとすると、足を掴まれて転ばされる。
絨毯のおかげで痛みは緩和されたが、心臓が激しく鼓動しているのがわかる。リンクスが言った身を守れという言葉が何度も頭の中で流れる。
「なぜだ! お前はあの時も拒絶した!」
父が言うあの時がどの瞬間かわからない。ともかく気持ち悪い。
「左足を潰すだけじゃダメだったのか!」
信じられない言葉に頭が真っ白になった。
「何を……言っているんですか?」
「私の傍にいるように言ったのに、お前は生まれていないはずの弟のところに行こうとしただろう」
「止めてください」
何も聞きたくなくて、耳を塞ごうとする。けれど声は手を通り越して耳に入ってきてしまう。
「だから足を潰して、私から離れないようにした」
貴族たちに見せるのも、メイドと仲良くするのも許さないと叫んでいる。
「だがお前があまりにも悲しむから、従者を一人だけ付けることを許してやっただろう」
逃げないといけない。ここにいてはいけない。
フェールを出た時、襲ってきたのはフェールの近衛騎士で間違えなかった。父が襲わせたのだ。
クリースがなぜ自分をアラガスタに行かせようとしたのかも、はっきりとわかった。クリースは気づいていたのだ。
すでに父である王がおかしくなっていると。父とコールを天秤にかけて、コールの方を選んでくれたのだ。
そして事実を知ってしまったら、苦しむこともわかっていたのだろう。実際に苦しくて、どうしていいかわからない。
ずっと無価値な存在だと思っていたが、存在すらしていなかった。父の中では、クライスなど存在しない。
「クリースは……」
「止めろ! あの男はもう死んでいる。やっとお前の無念を晴らしてやったんだ」
「クリースはあなたの息子です」
「違う! あれは呪われた子だ! 断じて私の子ではない」
血走った目が怖くてしょうがない。
「あぁ、クマラ……これからはここで二人、穏やかに暮らせばいい」
「嫌です」
コールのところに帰りたい。ここには絶対にいたくない。
這ってでもドアから出ようとすると、腕を掴まれて引き戻される。
「逃げるとどうなるか忘れたか? 左足だけではダメだったか?」
言いながら、右足をゆっくり撫でられて気持ち悪くなる。
「父上、離してください。僕はクライスです」
大きな声で助けを呼びたいのに、声が震えてかすれてしまう。頭では何とかしないとと思っているのに、恐怖で体に力が入らない。
「……コール様、助けて」
とっさにコールの名を呼んでいた。目の前の父が激昂していくのがわかる。
「いま、誰の名を呼んだ!」
本当に右足をダメにされてしまうと思った時、ポーリスが駆け込んでくる。
「お、王よ! 助けて、くだ……さい」
さっきよりもさらに呼吸が荒くなっている。
「邪魔をするな!」
「し、しかし……侵入者が……」
眉間にシワを寄せたまま、父がポーリスと部屋から出て行くのが見える。ドアが閉まる音が大きく響いて、さらに閂がおろされる音が響く。
急激に襲ってきた吐き気に、我慢できずに絨毯を汚してしまう。助かったと思うのと一緒に、逃げることができないという事実が襲ってくる。
格子のある窓からは、また鷹が見える。外で見た鷹だろうか。
立ち上がることもできないまま、自分とは正反対の場所にいる鷹をただ見ていた。
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