47 / 147
第二話 ギルド本部編
2ー6 花と緑と少年と
しおりを挟む
司との話し合いは、毎日あるわけではない。
なので、ロワールはもっぱらセツにくっついて日々を過ごしていた。
司との協議以外では、キヨウからの書類に目を通し、サインをする。後は、領主モンターニュ侯爵の晩餐に顔を出したり、シノン近郊在住貴族と面会したりが、王子としての公務だった。
セツも起きたからといって、マスターとして、毎日仕事に勤しむでもない。
掃除と洗濯と買い物をし、食事を作り、たまにロワメールの剣の稽古の相手をしてくれる他は、ギルドの書庫から借りた書物を読み耽っている。眠っていた間の社会情勢と、発表された魔法論文の把握らしい。
ロワメールもセツの同伴で自由に書庫へ出入りできるのをいいことに、ここぞとばかりに資料を読み漁っていた。ロワメールにとって、内部資料に好きなだけ目を通せるこの機会は、ギルドの性質を知る絶好の好機である。
結果として、二人はソファに座って日がな一日を過していた。
多忙なのはカイだけである。朝、侯爵邸からセツ家に出勤しロワメールの補佐をするのだが、キヨウとの書類のやり取りは領庁で行う為、出たり入ったりの繰り返し。また貴族との面会の調整もカイが一手に担い、もちろん面会時の随伴もカイの役目である。
目の回る忙しさの中、夕飯だけはのんびりとセツの手料理に舌鼓を打つ、そんな生活だった。
当初、貴族のカイには自分の料理は口にあわないのではないか、とセツは心配したものだ。セツは必要に迫られて料理を覚えたが、作れるのは家庭料理である。
「無理しなくていいぞ」
初めてカイが夕飯を食べる時、セツは念を押した。
しかし大貴族らしからぬタレ目の青年は、平然と市井の料理屋ののれんをくぐったように、セツの料理も綺麗に平らげ、あまつさえおかわりまで要求したのである。
「美味しゅうございました」
カイは満足気だった。どうやら自分専用の茶碗があるのが嬉しかったらしい。
この日も夕飯を一緒に食べてから、カイは侯爵の屋敷に戻っていった。
セツが居間のソファで足を伸ばし、寛いだ姿勢で本を読んでいると、ロワメールが風呂から上がってきた。
ローテーブルを挟み、向かい側のソファでゴクゴクと水を飲む。
「ロワメール、また髪が濡れたままだぞ。この部屋は涼しいから、風邪引くって言ってるだろう」
「だって、お風呂上がり暑くって」
セツが手を伸ばせば、ロワメールの髪から瞬時に余分な水分が拭い去られる。
「ありがとうー」
セツが一度魔法で髪を乾かしてやったら、味を占めたらしい。セツもセツで、小言を言いながらもこうして毎晩乾かしてやっているので、どっちもどっちである。
「髪、まだ伸ばすのか?」
「うーん、どうかな」
兄の勧めで伸ばした髪は、背の半ばまである。宮廷での地盤がほぼ固まった現在、母の面影を再現する必要はなかった。
「しかし、まっこと銀の髪よの」
「………」
「ああ、綺麗な髪だな」
「お主も伸ばしてみたらどうじゃ」
「……っ」
「冗談言うな」
ひゅっ、と悲鳴の代わりに息が漏れた。
何故、セツは気付かないのか。書物に視線を落とし、普段とかわらず会話を交わして。
ロワメールが、セツ、と声にならぬ声で、名付け親を呼ぶ。
風呂を上がったばかりだというのに、全身から冷や汗が吹き出した。目一杯、色違いの双眸が見開かれる。
ふわり、と視界の端で、鮮やかな緑色の髪が揺れた。
眼球のみを動かして視野を広げれば、緑の髪に緑の瞳の少年が宙に胡座をかき、ロワメールの斜め後ろに浮いている。
いつ、どうやって、そこに現れたのか。
「……花」
視線を戻せば、セツが額を押さえて低く呻いていた。
なにが起きているのか。なにが起こったのか。
ロワメールにわかることは、ただひとつ。
肌で感じた。
本能が警鐘を鳴らした。
圧倒的な存在感は威圧感を伴い、ロワメールに少年の正体を知らしめる。
実際に遭遇したことはない。しかし、わかる。この少年はーー。
(魔者……!)
細い手が銀の髪を一房すくい上げ、ハラハラと背にこぼす。
「わしを前に、騒ぎ立てず逃げもせずとは、肝が座っておるの」
少年は目を細め、ロワメールの顔を正面から覗き込んだ。
綺麗な少年だった。
この世に完璧な美しさというものが存在するなら、まさにこの少年こそがそうだった。
「ロワメール、大丈夫だ。落ち着け。そいつは一応敵じゃない」
「一応とはなんじゃ」
顔色を失う青年をセツは安心させようとするが、ロワメールは現実が処理しきれず、理解が追いつかない。
「花! マスター以外の前には出るなと言っただろう!」
魔剣も手元にない今、どう対処すればいいのか。
ロワメールは頭が真っ白だった。
けれど、セツは魔者と普通に会話をしている。
(相手は魔者なのに。なんで? どうして?)
それが更に混乱に拍車をかけた。
「しかし、この子は銀の子供であろう?」
「銀の? 確かにロワメールは王族だが……」
耳慣れない言い様を、セツは訝る。そんなセツの反応に、少年は顎に指を当て考え込んだ。
「……なるほど。そういうことか」
フワフワと宙に漂う少年は放置し、セツは腰を浮かして腕を伸ばした。そっとロワメールの頬に触れる。
「ロワメール、大丈夫だ」
セツはゆっくりと、安心させるように囁く。
「落ち着け。危険はない」
ロワメールが見つめる先で、セツは大きく頷いた。
「驚かしてすまない。まさか姿を現すとは思ってなくて、お前に話していなかった」
少年は頬杖をつきながら、面白そうにロワメールとセツを眺めていた。
「こいつに害意はない。敵じゃない。それは俺が受け合う」
「セツ、でも……」
ああ、とセツは首肯する。ロワメールの言いたいことはわかっていた。
セツはできるだけ穏やかに聞こえるように、言葉を続ける。
どう言ったところで、ロワメールの衝撃はかわらぬだろうが。
「こいつは花緑青。このユフの魔主だ」
なので、ロワールはもっぱらセツにくっついて日々を過ごしていた。
司との協議以外では、キヨウからの書類に目を通し、サインをする。後は、領主モンターニュ侯爵の晩餐に顔を出したり、シノン近郊在住貴族と面会したりが、王子としての公務だった。
セツも起きたからといって、マスターとして、毎日仕事に勤しむでもない。
掃除と洗濯と買い物をし、食事を作り、たまにロワメールの剣の稽古の相手をしてくれる他は、ギルドの書庫から借りた書物を読み耽っている。眠っていた間の社会情勢と、発表された魔法論文の把握らしい。
ロワメールもセツの同伴で自由に書庫へ出入りできるのをいいことに、ここぞとばかりに資料を読み漁っていた。ロワメールにとって、内部資料に好きなだけ目を通せるこの機会は、ギルドの性質を知る絶好の好機である。
結果として、二人はソファに座って日がな一日を過していた。
多忙なのはカイだけである。朝、侯爵邸からセツ家に出勤しロワメールの補佐をするのだが、キヨウとの書類のやり取りは領庁で行う為、出たり入ったりの繰り返し。また貴族との面会の調整もカイが一手に担い、もちろん面会時の随伴もカイの役目である。
目の回る忙しさの中、夕飯だけはのんびりとセツの手料理に舌鼓を打つ、そんな生活だった。
当初、貴族のカイには自分の料理は口にあわないのではないか、とセツは心配したものだ。セツは必要に迫られて料理を覚えたが、作れるのは家庭料理である。
「無理しなくていいぞ」
初めてカイが夕飯を食べる時、セツは念を押した。
しかし大貴族らしからぬタレ目の青年は、平然と市井の料理屋ののれんをくぐったように、セツの料理も綺麗に平らげ、あまつさえおかわりまで要求したのである。
「美味しゅうございました」
カイは満足気だった。どうやら自分専用の茶碗があるのが嬉しかったらしい。
この日も夕飯を一緒に食べてから、カイは侯爵の屋敷に戻っていった。
セツが居間のソファで足を伸ばし、寛いだ姿勢で本を読んでいると、ロワメールが風呂から上がってきた。
ローテーブルを挟み、向かい側のソファでゴクゴクと水を飲む。
「ロワメール、また髪が濡れたままだぞ。この部屋は涼しいから、風邪引くって言ってるだろう」
「だって、お風呂上がり暑くって」
セツが手を伸ばせば、ロワメールの髪から瞬時に余分な水分が拭い去られる。
「ありがとうー」
セツが一度魔法で髪を乾かしてやったら、味を占めたらしい。セツもセツで、小言を言いながらもこうして毎晩乾かしてやっているので、どっちもどっちである。
「髪、まだ伸ばすのか?」
「うーん、どうかな」
兄の勧めで伸ばした髪は、背の半ばまである。宮廷での地盤がほぼ固まった現在、母の面影を再現する必要はなかった。
「しかし、まっこと銀の髪よの」
「………」
「ああ、綺麗な髪だな」
「お主も伸ばしてみたらどうじゃ」
「……っ」
「冗談言うな」
ひゅっ、と悲鳴の代わりに息が漏れた。
何故、セツは気付かないのか。書物に視線を落とし、普段とかわらず会話を交わして。
ロワメールが、セツ、と声にならぬ声で、名付け親を呼ぶ。
風呂を上がったばかりだというのに、全身から冷や汗が吹き出した。目一杯、色違いの双眸が見開かれる。
ふわり、と視界の端で、鮮やかな緑色の髪が揺れた。
眼球のみを動かして視野を広げれば、緑の髪に緑の瞳の少年が宙に胡座をかき、ロワメールの斜め後ろに浮いている。
いつ、どうやって、そこに現れたのか。
「……花」
視線を戻せば、セツが額を押さえて低く呻いていた。
なにが起きているのか。なにが起こったのか。
ロワメールにわかることは、ただひとつ。
肌で感じた。
本能が警鐘を鳴らした。
圧倒的な存在感は威圧感を伴い、ロワメールに少年の正体を知らしめる。
実際に遭遇したことはない。しかし、わかる。この少年はーー。
(魔者……!)
細い手が銀の髪を一房すくい上げ、ハラハラと背にこぼす。
「わしを前に、騒ぎ立てず逃げもせずとは、肝が座っておるの」
少年は目を細め、ロワメールの顔を正面から覗き込んだ。
綺麗な少年だった。
この世に完璧な美しさというものが存在するなら、まさにこの少年こそがそうだった。
「ロワメール、大丈夫だ。落ち着け。そいつは一応敵じゃない」
「一応とはなんじゃ」
顔色を失う青年をセツは安心させようとするが、ロワメールは現実が処理しきれず、理解が追いつかない。
「花! マスター以外の前には出るなと言っただろう!」
魔剣も手元にない今、どう対処すればいいのか。
ロワメールは頭が真っ白だった。
けれど、セツは魔者と普通に会話をしている。
(相手は魔者なのに。なんで? どうして?)
それが更に混乱に拍車をかけた。
「しかし、この子は銀の子供であろう?」
「銀の? 確かにロワメールは王族だが……」
耳慣れない言い様を、セツは訝る。そんなセツの反応に、少年は顎に指を当て考え込んだ。
「……なるほど。そういうことか」
フワフワと宙に漂う少年は放置し、セツは腰を浮かして腕を伸ばした。そっとロワメールの頬に触れる。
「ロワメール、大丈夫だ」
セツはゆっくりと、安心させるように囁く。
「落ち着け。危険はない」
ロワメールが見つめる先で、セツは大きく頷いた。
「驚かしてすまない。まさか姿を現すとは思ってなくて、お前に話していなかった」
少年は頬杖をつきながら、面白そうにロワメールとセツを眺めていた。
「こいつに害意はない。敵じゃない。それは俺が受け合う」
「セツ、でも……」
ああ、とセツは首肯する。ロワメールの言いたいことはわかっていた。
セツはできるだけ穏やかに聞こえるように、言葉を続ける。
どう言ったところで、ロワメールの衝撃はかわらぬだろうが。
「こいつは花緑青。このユフの魔主だ」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
異世界で生きていく。
モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。
素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。
魔法と調合スキルを使って成長していく。
小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。
旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。
3/8申し訳ありません。
章の編集をしました。
転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。
襲
ファンタジー
〈あらすじ〉
信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。
目が覚めると、そこは異世界!?
あぁ、よくあるやつか。
食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに……
面倒ごとは御免なんだが。
魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。
誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。
やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。
異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた
りゅう
ファンタジー
異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。
いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。
その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。
異世界無宿
ゆきねる
ファンタジー
運転席から見た景色は、異世界だった。
アクション映画への憧れを捨て切れない男、和泉 俊介。
映画の影響で筋トレしてみたり、休日にエアガンを弄りつつ映画を観るのが楽しみな男。
訳あって車を購入する事になった時、偶然通りかかったお店にて運命の出会いをする。
一目惚れで購入した車の納車日。
エンジンをかけて前方に目をやった時、そこは知らない景色(異世界)が広がっていた…
神様の道楽で異世界転移をさせられた男は、愛車の持つ特別な能力を頼りに異世界を駆け抜ける。
アクション有り!
ロマンス控えめ!
ご都合主義展開あり!
ノリと勢いで物語を書いてますので、B級映画を観るような感覚で楽しんでいただければ幸いです。
不定期投稿になります。
投稿する際の時間は11:30(24h表記)となります。
【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!
暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい!
政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
家庭菜園物語
コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。
その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。
異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。
大工スキルを授かった貧乏貴族の養子の四男だけど、どうやら大工スキルは伝説の全能スキルだったようです
飼猫タマ
ファンタジー
田舎貴族の四男のヨナン・グラスホッパーは、貧乏貴族の養子。義理の兄弟達は、全員戦闘系のレアスキル持ちなのに、ヨナンだけ貴族では有り得ない生産スキルの大工スキル。まあ、養子だから仕方が無いんだけど。
だがしかし、タダの生産スキルだと思ってた大工スキルは、じつは超絶物凄いスキルだったのだ。その物凄スキルで、生産しまくって超絶金持ちに。そして、婚約者も出来て幸せ絶頂の時に嵌められて、人生ドン底に。だが、ヨナンは、有り得ない逆転の一手を持っていたのだ。しかも、その有り得ない一手を、本人が全く覚えてなかったのはお約束。
勿論、ヨナンを嵌めた奴らは、全員、ザマー百裂拳で100倍返し!
そんなお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる