上 下
30 / 147
第一話 野望編

29 王家の計略

しおりを挟む
 氷の浮かんだお茶が、冷たく爽やかに喉を潤す。伯爵家が愛用の茶葉だけに甘露だ。
「やっぱりロワメールの淹れるお茶が美味いな」
 しみじみとセツが呟き、二人してホッとひと息つく。

 ロワメールの手の中で、カラカラと氷が鳴った。掌が冷たい。

「セツ。順を追って話します」
 ロワメールは、ひとつ深呼吸をする。
(ここからが、勝負どころだ)
 アイスブルーの目に先を促され、腹をくくった。

「ぼく達は、ウルソン伯を宮の一員に迎えたいと思っています」
「わざわざ敵対勢力の人間をか?」
 セツが幾分呆れた。セツには権力争いは奇々怪々らしい。
 宮はロワメールの宮殿、そこの一員に加えるとは側近を意味する。

 目をかけている甥が、敵陣営の王子に召し抱えられたら、侯爵はどんな顔をするか。
 ーー見ものですよね。
 ニッコリと笑い、こんな底意地の悪い作戦を考えたのは、もちろん側近筆頭である。

 だがなにも侯爵への当てつけで、ウルソン伯爵を引き抜くのではない。
「ウルソン伯は元々ぼくに好意的でしたし、なにより優秀ですから」
 あの見た目と性格で、見誤ってはいけない。
 今回の代替わりのごたつきに乗じた横領も、ウルソン伯爵が療養中のベッドで見抜き、騎士隊が証拠を発見したのだ。
 数字に強く、領地統治の能力も高い。その政治手腕は天性のものだ。だが、父の偉大さに萎縮し、自分に自信が持てない。
 それが、王子宮のアルマン・キャトル・ウルソンへの評価だ。

 それに、伯父と甥の間には修復困難な亀裂が入っていた。
 気が弱く自分を過小評価しているウルソン伯爵は、自分にも他人にも厳しいプラト侯爵におびえている。そんなウルソン伯爵には、伯父との物理的心理的距離が必要だ。

「なるほど。それでロワメールは伯爵を懐柔してたわけか」
「人聞きの悪い」
 王子は思わず苦笑う。

「ですが現在、横領殺人を疑われ、宮廷で微妙な位置に立たされています」
「それでお前が無実を証明して、ついでに伯爵の伯父に恩を売るわけか?」
 一石二鳥である。

「ウルソン伯の件で、プラト侯の勢力が削がれるのは阻止したい。それは、陛下のお考えでもあります」
 皇八島において、ラギ王家は絶対不可侵だ。しかし、貴族達は一枚岩ではない。貴族の均衡が崩れ、一勢力に権力が傾くのを防ぐのもまた、王家の役目だった。

 それに実は、ロワメールはプラト侯爵を嫌ってはいない。ロワメールを溺愛する国王や王太子さえも、侯爵の排斥は望んでいなかった。
 プラト侯爵が反第二王子を掲げるのは、王家への強すぎる忠誠心の裏返しだからである。プラト侯爵はロワメールという前例を作り、第二、第三のロワメールがーー出自の怪しい御子が現れ、ラギ王家の血を汚すことを恐れているのだ。

「ウルソン伯の潔白を証明する為に、犯人には公の場で証言してもらう必要があります」
「……それは、生きたまま捕えるということか?」
「そうです」

 裏切り者には死を。
 その絶対の掟に、ロワメールは逆らえと言っている。

「このこと、ギルドには?」
「すみません。話していません」
 真っ向からギルドの掟に刃向かう要請が、通るとは思えなかった。
 だから、セツに賭けたのだ。

「証言させて、その後どうする?」
「法の下で裁きを受けさせます」
 セツは腕を組み、目を閉じた。

 しばし、沈黙が続く。

 ロワメールはその間、息を殺すように静寂を守った。
 マスターに、大きな決断を強いているのだ。簡単に答えが聞けるとは思っていなかった。

 氷が溶け、カラン、と湯呑みの中で音を立てる。長い熟考の後、アイスブルーの目が開かれた。

「……いいだろう」

 短い、けれど、重いその一言に、ロワメールの肩からほっと力が抜ける。
(これで、ぼくの望みが叶う足がかりを手に入れた!)
 この決定は大きな一歩だ。

 ロワメールは逸る気持ちを、グッと拳を握って抑え込む。
「大人しく確保されるとは思えないので、その際はーー」
 そこで、ロワメールは気が付いた。セツが、鋭い眼差しを窓の外に向けている。

「セツ?」
 ガタリと音を鳴らし、セツが立ち上がる。

「一緒に来るんだろう?」
「……はい!」
 差し出された手に、ロワメールは刀を握った。

 事態が動いたのだ。


「いいな、ロワメール。大人しくしてるんだぞ」
「わかっています」
「俺の後ろから出るな」
「はい」
「危ない真似は絶対にするな。俺の言うことはちゃんと聞いて……」

 ロワメールはセツの後を追い、庭を走った。敷地に張り巡らせた感知魔法が侵入者を捉えたのだ。セツの居場所を教える為の網に、裏切り者はまんまと引っかかったのである。

 ウルソン伯爵には、家人も含め、庭に出ないよう言ってある。その際、襲撃者を伯爵家敷地内で迎え撃つ許可は取っていた。
 ウルソン伯爵は、領民や市街地に被害が出ない方が良いと、快諾してくれている。

 ーー万が一庭が壊れたら、修繕費はギルドに請求してくれ。
 セツとしては見事な庭を壊す気はないが、念の為である。
 ーーお気になさらず。全力で戦ってください。
 ーー俺が全力を出したら、コウサ全壊じゃ済まないぞ?
 ーーえ!?
 破壊の規模が想像より遥かに大きく、ウルソン伯爵は青ざめたが、もちろんセツは全力など出す気はない。裏切り者の討伐くらい、セツにとっては片手間の仕事だ。

「魔剣も抜くんじゃないぞ」
 屋敷を出てからずっと、セツの注意は途切れることなく続いている。心配してくれているのはわかるのだが、後から後から出てくる注意事項につい苦笑が漏れてしまった。
 それを見咎め、セツが叱責する。
「ロワメール! 聞いているのか!?」
「聞いてます」
 しおらしく返事をしたが、セツは胡乱げに注意を繰り返す。
「本当にわかっているのか? 魔獣の時みたいに、飛び出すんじゃないぞ?」
「大丈夫です」
 たぶん、と内心で付け足した。
(裏切り者の出方次第だ)

 カイの当地での調査により、裏切りレナエル及び婚約者アシルにセツと繋がりはないことは判明している。
 目的がなにかわからないが、裏切り者の狙いはセツだ。

 ロワメールも気を引き締め直し、魔剣『黒霧』を握る。
 二人は木陰から、陽の降り注ぐ芝生の広場へと躍り出た。

 セツとロワメールは、眩しさに一瞬目を細める。
 目の前には緑の芝生が広がり、抜けるよう青い空には白い雲と……黒いローブの女が浮かんでいた。



 ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽

 2024/12/06、加筆修正しました。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

異世界で生きていく。

モネ
ファンタジー
目が覚めたら異世界。 素敵な女神様と出会い、魔力があったから選ばれた主人公。 魔法と調合スキルを使って成長していく。 小さな可愛い生き物と旅をしながら新しい世界で生きていく。 旅の中で出会う人々、訪れる土地で色々な経験をしていく。 3/8申し訳ありません。 章の編集をしました。

転生したら貴族の息子の友人A(庶民)になりました。

ファンタジー
〈あらすじ〉 信号無視で突っ込んできたトラックに轢かれそうになった子どもを助けて代わりに轢かれた俺。 目が覚めると、そこは異世界!? あぁ、よくあるやつか。 食堂兼居酒屋を営む両親の元に転生した俺は、庶民なのに、領主の息子、つまりは貴族の坊ちゃんと関わることに…… 面倒ごとは御免なんだが。 魔力量“だけ”チートな主人公が、店を手伝いながら、学校で学びながら、冒険もしながら、領主の息子をからかいつつ(オイ)、のんびり(できたらいいな)ライフを満喫するお話。 誤字脱字の訂正、感想、などなど、お待ちしております。 やんわり決まってるけど、大体行き当たりばったりです。

異世界八険伝

AW
ファンタジー
これは単なる異世界転移小説ではない!感涙を求める人へ贈るファンタジーだ! 突然、異世界召喚された僕は、12歳銀髪碧眼の美少女勇者に。13歳のお姫様、14歳の美少女メイド、11歳のエルフっ娘……可愛い仲間たち【挿絵あり】と一緒に世界を救う旅に出る!笑いあり、感動ありの王道冒険物語をどうぞお楽しみあれ!

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

【完結】聖女にはなりません。平凡に生きます!

暮田呉子
ファンタジー
この世界で、ただ平凡に、自由に、人生を謳歌したい! 政略結婚から三年──。夫に見向きもされず、屋敷の中で虐げられてきたマリアーナは夫の子を身籠ったという女性に水を掛けられて前世を思い出す。そうだ、前世は慎ましくも充実した人生を送った。それなら現世も平凡で幸せな人生を送ろう、と強く決意するのだった。

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

双子の姉は『勇者』ですが、弟の僕は『聖女』です。

ミアキス
ファンタジー
僕の名前はエレオノール。双子の姉はレオノーラ。 7歳の〖職業鑑定〗の日。 姉は『勇者』に、男の僕は何故か『聖女』になっていた。 何で男の僕が『聖女』っ!! 教会の神官様も驚いて倒れちゃったのに!! 姉さんは「よっし!勇者だー!!」って、大はしゃぎ。 聖剣エメルディアを手に、今日も叫びながら魔物退治に出かけてく。 「商売繁盛、ササもってこーい!!」って、叫びながら……。 姉は異世界転生したらしい。 僕は姉いわく、神様の配慮で、姉の記憶を必要な時に共有できるようにされてるらしい。 そんなことより、僕の職業変えてくださいっ!! 残念創造神の被害を被った少年の物語が始まる……。

処理中です...