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第一話 野望編
16 マスターの役割
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穏やかな晴天に恵まれ、船は大海原を進む。代わり映えのない船内だが、夜はカイとの晩酌を、昼はロワメールの淹れたお茶に舌鼓を打ち、退屈な船旅もセツは案外楽しんでいるようだった。
「それにしても国王は、ずいぶんロワメールに甘いんだな」
セツは王子様手ずからのお茶を堪能しながら、アイスブルーの目をロワメールの隣に置かれた刀に注ぐ。
装飾の一切を排除した漆黒の鞘、鍔も柄も黒一色に塗り上げられ、この刀に飾りは不要、そう言わんばかりの職人の矜持が感じ取れた。唯一柄頭に浮き彫りされたラギ王家の紋のみが、王家への献上品であることを物語る。
「この刀を帯刀することが、今回ぼくが来る条件だったんです」
ロワメールは刀を手に取った。
ずっしりと重いが、手に馴染む。鍛え抜かれた鋼の刀身は、冷たく美しい。銘を『黒霧』という。
「抜くなよ? その鞘が魔力を封じ込めてる。鞘にさえ収まっていれば、俺でさえ魔剣とはわからない」
ロワメールが目を瞠り、改めて刀を見下ろす。
「魔力を封じ込める……? 一体どうやって?」
「さあ? 俺は魔道具に関しては門外漢だからな。どうやってかは分からないが」
魔道具とは、魔法使いや魔族の核である魔宝珠によって、魔力を付与された道具の総称である。魔法使いのローブや魔剣がそれにあたる。
日進月歩で進化し続ける魔道具は、数十年単位で眠りにつくセツの理解が追いつくものではなかった。
刀を見つめて何事かを考え込むロワメールはそっとして、セツはカイに話を振る。
「国宝の魔剣を持たせるくらい心配なのに、国王はよくロワメールが来るのを許可したな?」
話を聞く限り、国王はロワメールを殊の外可愛がっていた。
第二王子がわざわざ事件に介入する、表立った事情は説明されたけども。正直、それだけの理由で国王が認めたとは思えない。
「そうですねぇ……。陛下は案外、あっさり承諾なさいましたよ」
「へぇ」
「セツ様が絡む以上、ロワ様はなにがあっても諦めなかったでしょうし、それなら許してしまって、心の広い理解ある父親と思われた方が得だと考えられたんでしょうねぇ」
セツが思っていた理由と、なにか違う。
「最後まで反対されていたヒショウ様は、それはそれは素晴らしい笑顔で陛下に感謝されるロワ様を見て、歯噛みされてましたから」
「なんでそこで兄王子が……」
「あのお二方はロワ様に好かれたくて必死で、どちらがよりロワ様に好かれるか、競い合っておられるんですよ」
カイが見るところ、その勝負はセツの一人勝ちだ。
ロワメールが自身の手でお茶を淹れることに、カイは最初難色を示した。王侯貴族は、通常自らお茶を淹れたりしない。騎士家で育てられた王子と侮られぬよう、王族の威厳を身に付けてもらいたかったからだ。
しかし、ロワメールがお茶にこだわる理由を聞けば、なんてことはない。
セツがお茶好き、だからだ。
ロワメールの淹れるお茶は美味しいとセツに褒められてから、この美しい青年はせっせと茶道に勤しんでいるのである。
本人の知らぬところでぶっちぎりの勝者であるセツは、あまりの下らない勝負内容に肩を震わせて笑っている。
ひとしきり笑い続けた後、釘を刺すのを忘れなかった。
「俺はまたすぐ眠るからいいが、あんまり他の奴らには話すなよ」
王家の威信が地に落ちる。
自分は寝てしまえば、次に目覚めた時には代替わりしているから、と。
軽い調子で告げられた言葉に、ピクリ、とロワメールの肩が跳ね上がる。
「ロワメール……」
それを見咎め、セツは嘆息した。
「そんな顔をするな。俺が眠らなければいけない理由は、五年前に説明しただろう?」
「……マスターの仕事は、ちゃんと理解しています」
ロワメールは刀を握ったまま、瞼を落とした。長い睫毛が、微かに震えている。
マスターに与えられた役割は三つ。
一つ、裏切り者の魔法使いの処罰。
二つ、次代のマスターの育成。
そして三つ、魔族の王、魔主による襲撃があった際の防衛、撃退である。
どれも、マスターでなければ務まらない重大な役目だった。
一つ目は、マスターが魔法使い殺しと呼ばれる所以。
二つ目の、次代を育てることもまた、マスターにしかできないことである。
呪文の詠唱を必要とする一般の魔法使いと、無詠唱で全属性の魔法を使いこなすマスターでは、魔法の発動方法からして違うからだ。
そして三つ目が、マスターが氷室で眠り続ける、なによりの理由であった。
魔族には下位種の魔獣と、上位種の魔者が存在する。
魔獣と魔者の違い、それは魔力量の違いが一番大きい。
そして魔獣は姿形が動物に似ているのに対し、魔者の姿は人間と酷似している。美しい姿に美しい色彩を纏い、強大な魔力と、永遠に近い命を持つ。
魔獣ならば、騎士でも戦えた。倒せずとも退けることができた。そして魔剣があれば屠れもする。
だが、魔者は違った。魔法使いの中でほんの一握りの一級魔法使いにしか倒せないのだ。しかも、その戦いは命懸けのものだった。
そして、その魔者の上に君臨するのが魔主である。
魔族を支配する、八人の魔族の王達――。
皇八島にある八つの大島、カイエ、ホクト、トウカ、ユフ、キキ、ユーゴ、ヨコク、ココノエ。この島々で、それぞれの魔主が玉座に着く。
魔主の強さは、魔者とは桁違いだ。もし魔主が人間を襲えば、皇八島は滅亡の危機にすら瀕する。だからこそ、魔主と同等の力を持つマスターの存在が必要不可欠なのだ。
「『カイエの白い悪夢』、あれは伝説でも作り話でもない。実際にあった史実だ」
千年以上も昔、最北の島カイエで魔主が魔族を率い、人間を虐殺したのだ。
当時のマスターがからくも魔主を退けるも、カイエの住民、魔法使いに数多の死者が出た。
その魔主は、白く長い髪を持っていた。それ故その惨劇は『カイエの白い悪夢』と呼ばれ、現代にも語り継がれている。
悪夢の再来を阻止するには、マスター不在は防がねばならなかった。
(そんなこと、嫌ってくらいわかってる)
五年前から、何度も繰り返し思い出したマスターの役割。
忘れられるわけがない。
重い……重すぎる、マスターの責務。
ロワメールは刀を握りしめ、ギュッと唇を噛みしめた。
「それにしても国王は、ずいぶんロワメールに甘いんだな」
セツは王子様手ずからのお茶を堪能しながら、アイスブルーの目をロワメールの隣に置かれた刀に注ぐ。
装飾の一切を排除した漆黒の鞘、鍔も柄も黒一色に塗り上げられ、この刀に飾りは不要、そう言わんばかりの職人の矜持が感じ取れた。唯一柄頭に浮き彫りされたラギ王家の紋のみが、王家への献上品であることを物語る。
「この刀を帯刀することが、今回ぼくが来る条件だったんです」
ロワメールは刀を手に取った。
ずっしりと重いが、手に馴染む。鍛え抜かれた鋼の刀身は、冷たく美しい。銘を『黒霧』という。
「抜くなよ? その鞘が魔力を封じ込めてる。鞘にさえ収まっていれば、俺でさえ魔剣とはわからない」
ロワメールが目を瞠り、改めて刀を見下ろす。
「魔力を封じ込める……? 一体どうやって?」
「さあ? 俺は魔道具に関しては門外漢だからな。どうやってかは分からないが」
魔道具とは、魔法使いや魔族の核である魔宝珠によって、魔力を付与された道具の総称である。魔法使いのローブや魔剣がそれにあたる。
日進月歩で進化し続ける魔道具は、数十年単位で眠りにつくセツの理解が追いつくものではなかった。
刀を見つめて何事かを考え込むロワメールはそっとして、セツはカイに話を振る。
「国宝の魔剣を持たせるくらい心配なのに、国王はよくロワメールが来るのを許可したな?」
話を聞く限り、国王はロワメールを殊の外可愛がっていた。
第二王子がわざわざ事件に介入する、表立った事情は説明されたけども。正直、それだけの理由で国王が認めたとは思えない。
「そうですねぇ……。陛下は案外、あっさり承諾なさいましたよ」
「へぇ」
「セツ様が絡む以上、ロワ様はなにがあっても諦めなかったでしょうし、それなら許してしまって、心の広い理解ある父親と思われた方が得だと考えられたんでしょうねぇ」
セツが思っていた理由と、なにか違う。
「最後まで反対されていたヒショウ様は、それはそれは素晴らしい笑顔で陛下に感謝されるロワ様を見て、歯噛みされてましたから」
「なんでそこで兄王子が……」
「あのお二方はロワ様に好かれたくて必死で、どちらがよりロワ様に好かれるか、競い合っておられるんですよ」
カイが見るところ、その勝負はセツの一人勝ちだ。
ロワメールが自身の手でお茶を淹れることに、カイは最初難色を示した。王侯貴族は、通常自らお茶を淹れたりしない。騎士家で育てられた王子と侮られぬよう、王族の威厳を身に付けてもらいたかったからだ。
しかし、ロワメールがお茶にこだわる理由を聞けば、なんてことはない。
セツがお茶好き、だからだ。
ロワメールの淹れるお茶は美味しいとセツに褒められてから、この美しい青年はせっせと茶道に勤しんでいるのである。
本人の知らぬところでぶっちぎりの勝者であるセツは、あまりの下らない勝負内容に肩を震わせて笑っている。
ひとしきり笑い続けた後、釘を刺すのを忘れなかった。
「俺はまたすぐ眠るからいいが、あんまり他の奴らには話すなよ」
王家の威信が地に落ちる。
自分は寝てしまえば、次に目覚めた時には代替わりしているから、と。
軽い調子で告げられた言葉に、ピクリ、とロワメールの肩が跳ね上がる。
「ロワメール……」
それを見咎め、セツは嘆息した。
「そんな顔をするな。俺が眠らなければいけない理由は、五年前に説明しただろう?」
「……マスターの仕事は、ちゃんと理解しています」
ロワメールは刀を握ったまま、瞼を落とした。長い睫毛が、微かに震えている。
マスターに与えられた役割は三つ。
一つ、裏切り者の魔法使いの処罰。
二つ、次代のマスターの育成。
そして三つ、魔族の王、魔主による襲撃があった際の防衛、撃退である。
どれも、マスターでなければ務まらない重大な役目だった。
一つ目は、マスターが魔法使い殺しと呼ばれる所以。
二つ目の、次代を育てることもまた、マスターにしかできないことである。
呪文の詠唱を必要とする一般の魔法使いと、無詠唱で全属性の魔法を使いこなすマスターでは、魔法の発動方法からして違うからだ。
そして三つ目が、マスターが氷室で眠り続ける、なによりの理由であった。
魔族には下位種の魔獣と、上位種の魔者が存在する。
魔獣と魔者の違い、それは魔力量の違いが一番大きい。
そして魔獣は姿形が動物に似ているのに対し、魔者の姿は人間と酷似している。美しい姿に美しい色彩を纏い、強大な魔力と、永遠に近い命を持つ。
魔獣ならば、騎士でも戦えた。倒せずとも退けることができた。そして魔剣があれば屠れもする。
だが、魔者は違った。魔法使いの中でほんの一握りの一級魔法使いにしか倒せないのだ。しかも、その戦いは命懸けのものだった。
そして、その魔者の上に君臨するのが魔主である。
魔族を支配する、八人の魔族の王達――。
皇八島にある八つの大島、カイエ、ホクト、トウカ、ユフ、キキ、ユーゴ、ヨコク、ココノエ。この島々で、それぞれの魔主が玉座に着く。
魔主の強さは、魔者とは桁違いだ。もし魔主が人間を襲えば、皇八島は滅亡の危機にすら瀕する。だからこそ、魔主と同等の力を持つマスターの存在が必要不可欠なのだ。
「『カイエの白い悪夢』、あれは伝説でも作り話でもない。実際にあった史実だ」
千年以上も昔、最北の島カイエで魔主が魔族を率い、人間を虐殺したのだ。
当時のマスターがからくも魔主を退けるも、カイエの住民、魔法使いに数多の死者が出た。
その魔主は、白く長い髪を持っていた。それ故その惨劇は『カイエの白い悪夢』と呼ばれ、現代にも語り継がれている。
悪夢の再来を阻止するには、マスター不在は防がねばならなかった。
(そんなこと、嫌ってくらいわかってる)
五年前から、何度も繰り返し思い出したマスターの役割。
忘れられるわけがない。
重い……重すぎる、マスターの責務。
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