魂喰らいの魔女

ザシガワラ

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-Chapter1- 寄る辺なき少女とロックバンド

03

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降り立った廊下には三つ並びのドアがあった。
真ん中のドアを前にして、呼び鈴を鳴らさずにそれを開ける。ふわっと馨しい香りが漂ってきた。
このところ忙殺の日々でしばらく訪れていなかったコニーの家だったが、そう言えば彼女は熱心なアロママニアだった。
世界中からネットショッピングで取り寄せたというアロマは実に数百種類にまで及ぶらしく、毎日のように切り替えても一年ぽっちでは制覇出来ないバリエーションの中から、様々な薫香を楽しむことが出来る。
なのでこうして彼女の家を訪れると、毎回知らない誰かの家に来たみたいになって妙にそわそわとしてしまう。
だが今度の香りは、嗅ぐだけで気持ちが少し和らぐ印象があった。
これがこの前取り寄せたという日本の線香というものだろうか。
ゆっくりとその香りに浸っていたいところだが、今はそれどころではない。
玄関を抜け、廊下を抜け、リビングへ入る。そこには三人の男性と、誘拐犯と、誘拐犯に頬を強引に擦り寄せられている被害者。
そうやってコニーが一心不乱にラヴィを愛でているもので、三人の男性たちは「いきなりなんなんだ」とでも言いたげに、終始困惑とした様子でそれを見守っていた。
このままでは埒があかないだろうから、なるたけやんわりと誘拐犯を諭してやる。
「コニー、あんまりその子を困らせてやるなよぉ」
「あ・・・ごっめん!いきなり拉致られて怖かったよね。えーっと、そうだ、名前は・・・?」
「ぁぅ・・・ら、ラヴィ・・・です・・・」
先程の全力疾走のせいか、いつの間にかコニーの酔いはすっかりと覚めているようだった。
ラヴィの方も当初より愛玩されることに慣れてしまったようで、ことの他落ち着いた様子で名乗ることが出来た。
堰を切ったように男性たちが思い思い騒ぎ始める。
「おいおいおい、いきなりなんだってんだ。訳が分からねぇ。コニーにノアっ!説明しやがれ!」
「ふむ。見た所ストリートチルドレンのようだな」
「・・・・・・」
各々から注がれる好奇の目から耐えるように、直立不動でぎゅっとドレスを握り締めるラヴィ。
震えを無理くり押し殺している様子が、却って怯えっぷりを強調している。
ロボットのようなぎこちなさでこちらを一瞥したその瞳は、今にも泣き出してしまいそうだ。
「いきなりで驚いたよな。じゃあ俺から一人ずつ紹介しとくよ」
「う・・・うん・・・っ」
「まず、一番年喰っててどっしりしてるオッサンが、俺たちのリーダーでベースのブラッドレイ。いつも静かでいかめしいナリではあるが、そうそうの事じゃ怒らねぇから心配しなくていいぞ」
リーダーのブラッドレイはダークブラウンのオールバックに無精髭が特徴的なクールガイだ。
四人のメンバーを全員集めた立役者であり、バンドが活動していく上での行動指針を決め、交渉役もといあらゆる窓口役をも買って出てくれる。
それ故に元々リーダーというものを決めていなかったデスマーチにおいて、今や実質的なリーダーとなってしまった。
「よろしく頼む。ラヴィ」
ブラッドレイは突然の見知らぬ少女来訪という状況でさえ、誰より早く受け入れてくれているようだった。
最年長故の余裕のなせる技かもしれないが、どうやら包容力もあるらしい。
彼が纏うそこはかとない頼れる雰囲気も、人に警戒を抱かせない秘密だろう。
自分ががバンドに誘われた時だって、初対面にも関わらず「この人であるなら」という理由の無い安心感があった。
「よろしくっ・・・です」
「で、もう一人のギターにして最年少。うちの天才ギタリスト少年のキース!年は確か今年で十四だったっけな?歳が近いもん同士ラヴィも仲良くしやすいかもな」
「の、ノアは買いかぶり過ぎだよぉ。それに今年で十五だよ」
「ん、すまんすまん。だがギターの腕はホント間違いないと思うぜ。キースも優しい奴だから、お兄ちゃんだと思って気軽に接してやってくれな」
「お兄ちゃん・・・じゃあ・・・キースお兄ちゃんて呼んだらいいのかな・・・?」
ラヴィが気遣わしげに問う。途端、何故かキースの顔が赤面した。
唇を引き結んで耐えているような素振りから、その呼ばれ方に抵抗だとかむず痒さを感じている風に見える。
キースはラヴィが自己紹介をする直前の時にも、同じ顔を一瞬だけ見せていた。
普段は物静かで大人しい彼なのだが、ラヴィの姿を認めてからはただならぬ雰囲気が隠しきれていないように見える。
そしてそれはラヴィが口を開く度に顕著に感じた。
「じ、実のお兄ちゃんじゃないんだからさ・・・ふ、普通に、キース、でいいよ」
「わかった・・・キースくん、て呼ぶね?」
「ああ・・・う、うん。それでオーケー・・・」
左目を覆うアッシュグレーの前髪が小刻みに揺れ、柔和な表情を印象づける猫のような丸く大きな瞳がラヴィへ向けられる。
上目遣いにラヴィがそれを見つめ返すと、キースの赤面がさらに真っ赤になって、再びぷいっとそっぽを向いてしまう。
さながらアッシュグレーのウィッグを被ったトマトのようで少し滑稽だった。
「キース。言っとくがロリコンはダメだぞ」
「ばっ!・・・僕はまだ十五なんだよ!?それにロリコンでも無いっ!」
「なにムキになってんだよ。今日のお前おもしれぇなー」
「ノアが揶揄からかうか・ら・だっ!」
「青春だな」
「ちがっ・・・そんなんじゃないってばっ」
少年はトマトになったままで、俺の“冗談爆撃”を決死に否定し続けた。
真面目で物静かがウリのキースがここまで取り乱すのは極めて珍しい。
どれだけ否定したところでトマトはトマトのままだったから、全て図星なのは言うまでもない。
原因となった当の本人はよく状況が呑み込めていないのか、俺達の会話の外で疑問符を浮かべながらきょとんとしていた。
「ノア、それぐらいにしといてやれ」
ブラッドレイの鶴の一声で、エスカレートしていた俺の口はたちまちに塞がれてしまう。やんちゃな息子を諭す親のような声色には、威圧的で嫌な感じは微塵も無い。
キースも爆撃が止んでほっとしたらしく、気がつくと平常心を取り戻していつもの彼に戻っていた。
彼へのお詫びもそこそこに、俺はメンバー紹介を再開することにした。
「で、そこの威張りちらしてる仏頂面がドラマーのハリー」
「仏頂面・・・・・・」
「なっ、テメェもっぺん言ってみろノア!てか、俺の紹介だけ悪意あんだろっ!」
「まーでも事実だからなー」
メタルミュージシャンに憧れて背中まで伸ばしたというキースのブロンドヘアーは、手入れが整っているのか女性並みに艶やかだ。
一方その額には猛々しく吠える獅子が刺繍されたバンダナをしているが、白目の割合が大きい目とツンとした鼻立ちは絵本に出てくる悪い魔女を想起させ、なんとも統一感に欠く風貌をしている。
「大体なんなんだテメェは。バンドの華々しいメジャーデビューを祝うためのパーティには出ねぇわ、バンドだけの二次会にすら大幅に遅刻しやがって。てか、そのガキはだれだよ!?」
「ストリートチルドレンだ。公園で拾ったり例の野犬に襲われそうになってたところを保護してやった」
断定した訳では無いが、下手に勘繰られるリスクを思うとストリートチルドレンで通した方がいい気がした。
「野犬て・・・あの人襲うってやつのこと?ラヴィちゃん大丈夫!?怪我無かった?」
まるで実の母親であるかのようにラヴィの全身を肌までくまなくコニーは確認する。
熱の篭った眼差しからして、ラヴィの事を真剣に心配しているのがわかる。
しかし俺の方の心配はしてないあたり、俺に対しては冷たいんだかそうじゃないんだかよくわからない奴だ。どうか後者であれ、と願うばかりだ。
というかコニーの怪我の確認はだんだんと度を越え始め、仕舞いには明らかに怪我していない場所までもベタベタと触り始めた。
表情もどこかうっとりとしているし、ある瞬間からのコニーはもはやスキンシップがしたいだけの女になっていた。
されるがままで困り顔なラヴィと心底楽しそうなコニーを他所に、ハリーは応える。
「ストリートチルドレンなら、放っとくか警察にでも任せりゃいいだろ。メジャーデビューを祝うことよりも重要な事だとは到底思えねぇが?なぁブラッドレイ?」
「確かにここへ連れてくるのが正解では無いだろう。しかしノアは何も考えずに行動する奴じゃあない。何か事情が、あったんだな?」
ブラッドレイはあらゆる可能性を考慮して選んだ言葉を紡いでいるようだった。
彼が頭ごなしに叱りつけるようなタイプではないと言うのを、長い付き合いで俺は知っている。
「こいつは怯えていたんだ。それは犬をやり過ごした後でもしばらく続いていた。ちょっとしたお節介で気分転換にならないかなって、考えたんだ・・・」
「妹に似ていたから」と言う理由の方は言えなかった。亡くなった妹にまだ固執しているみたいに思われるのは、俺が一時期のどん底から立ち直るまでの間を黙して待ってくれていたメンバーに失礼だと思った。
「そうか」と零したブラッドレイはハリーを一瞥し、「今日ぐらいは許してやろう」とおぼしき同意をアイコンタクトで求めた。
ハリーはバツが悪そうに「打ち上げが終わったら帰してやれよ」と言って、テーブルの缶ビールを一気飲みした。ひとまずはラヴィもこの場に居合わせてよい許可を得ることが出来たようで、俺とコニーはお互いに胸を撫で下ろした。
誰もラヴィの打ち上げ参加に異を唱えなくなると、六人の詰まったリビングルームは早朝の湖面のように妙な静けさに包まれてしまった。
「・・・テレビでもつけましょ」
耐えかねたコニーが先陣を切って沈黙を打ち破ろうとリモコンに手を伸ばした。
テレビが映し出したのは毎晩放映されているニュース番組で、この所ロンドン中を騒がせているもう一つの“とある事件”について報じている最中だった。
新聞やこういった報道においては、俺たちが遭遇したあの『野犬騒ぎ』と『連続人間消失事件』の二つは連日のように取り上げられており、イギリス市民の関心を集めている。
映像がスタジオに切り替わると、コメンテーターとして呼ばれた犯罪評論家の老紳士が、連続人間消失事件について己の考えを発信する。
『もし、この不可解極まる怪事件が人の手によって引き起こされているのであれば、犯人は直ちに自首していただきたい。罪のない人々がある日突然にいなくなる、そうして残された家族達は明日をどのように生きていけば言いか想像したことがありますか?消えた家族がかけがえのないパートナーであり、生きる指標そのものという人も居る筈だ。事件の犯人は残された人々の未来をも悪戯に奪い続けていると言えるのではないでしょうか?自首をして、どうかこれまでの愚行を悔いて欲しい。罪は軽くはならないだろうが、早ければ早いほど、人としての尊厳を少しでも失わずには済むだろう』
犯人に対して迫真のメッセージを送るコメンテーターの映像はその場の全員を釘付けにして、コニーの機転も虚しく、結局元の沈黙のひとときを作り出してしまった。
次に画面が切り替わるまで、俺たちはずっとそうしていた。
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