東大正高校新聞部シリーズ

場違い

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第4部 2点間の距離

4章 黒部さんと消えたメモ帳(5)

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HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL
CHAPTER1.10 TITLE:
『理想は無駄のない生き方である』

〇視点:渡良瀬秋華
〇同行者:小池咲
〇文化祭1日目・11時01分

「澪ちゃんとは付き合い始めてどれくらいなんでしたっけ?」

 初っ端から爆弾を投下すると、ヒロイン役の澪ちゃんと主人公役の神賀くんが真っ赤になってはにかんだ。

「はは。今日でさんびゃくろくじゅう……」
「言いふらさないの! ……明日が記念日です、とだけ」
『FOOOOOOO!!』

 あぁ。新聞部の仕事で、何度かステージに立って取材をするってことはあったけれど、こんなにギャラリーがいる中で舞台挨拶の手伝いをするのは初めてだ。
 ステージ上には、神賀くんを始めとする演者たちが舞台衣装で並び立ち、いつ私にマイクを向けられるか戦々恐々としている。
 黄色い歓声を飛ばす観客席を煽りつつ、カメラを小池ちゃんに任せ、質問を次々重ねていく。

「馴れ初めは!?」
「言っていい?」
「だめだって!」
「澪ちゃーん、照れなくてもいいじゃん! ていうか私知ってるし。言っていい?」
「もっとだめでしょ!?」
「ちぇー、じゃあ質問変えます。……今年のクリスマスはどう過ごされるおつもりで?」
「やりすぎです」

 手をわきわきさせ鼻息荒く質問すると、いきなり隣の小池ちゃんにハリセンでぶっ叩かれた。いつの間にこんなもの用意してたんだ、この子!
 カメラを私に押し付けてマイクを奪い取ると、小池ちゃんは私と立ち位置を交代した。

「えー、この色ボケに任せていたらいつまで経っても劇のことに触れられないので。インタビュアー交代でーす」
「マジ!? もっとディープな恋バナ聞こうよ! 聞きたいよねみんな!?」

 体育大会でも聞かなかったような大歓声が応えてくれる。コイツらほんましゃーない奴らやな。悪い奴らやな。

「ほら、これが民意だよ!」

 観客たちの盛り上がりをどかーんと見せつけるように小池ちゃんへ向き直ると、あろうことか、マイクに息をかけるように溜め息を吐かれてしまった。

「はぁー。何にも分かってないですね」
「な、何ですと?」
「こんなところで惚気話なんか聞かなくても、劇中で、嫌でもおふたりのラブラブシーンは見れます!」

 うおおおおおおっ!!
 私含め、観客全員がほとんど獣のような叫びを上げる。
 ラブラブシーン!? まじで!? 文化祭の演劇でそんなことまでやっちゃうの!? ABCD的にどこまで!?
 小池ちゃんにマイクを向けられた神賀くんが、頬をかきながら挨拶を述べる。

「ははは……ラブラブシーンはともかく、今回も、脚本からシナリオライター、大道具小道具裏方照明黒子とエキストラと役者も雑用も助っ人も今回出られなかったヤツも、全員一丸となって作った、渾身の出来です」
「見せ場はそういうシーンだけじゃないからね! みんなしっかり見てね! はいそこ、いつまでもヒューヒュー言わない!」

 その後、助演の人たちからも話を聞いて、20分あまりの舞台挨拶は無事終了。次の取材まではまだ時間があるので、私たちは空乃ちゃんが裏方の人たち中心に取材を行っている横で、舞台袖から演劇を鑑賞する。
 今回のタイトルは『鍵穴と無限のいろは坂』。書き割りの紅葉が美しい中、主人公とヒロインが下町で終わらない1日をループしていくという物語だ。演劇部のシナリオにしては珍しく、明確な悪女や不倫男などは出てこず、登場人物みんなが主人公みたいな、ハートフルな作品……という印象だ。

「ラブラブシーンまだなの?」
「あれ私の出任せですよ」
「えっ」

 クライマックス。4回目のループの最後、主演の神賀くんが、秋祭りの花火に向かって思い切り叫ぶ。

『俺は! もみじと一緒に明日を迎えたい!』
向陽こうようくん……』
『もみじと結婚したい! もみじと新婚旅行に行きたい! もみじと子供を育てたい! ……1日を繰り返してるだけじゃ叶わないんだよ! 未来を見せてくれよぉぉっ!!』

 ……未来、か。
 何度もループする1日の中で、主人公の向陽は、間違った選択を何度もやり直していた。前のループを喧嘩したまま終わってしまった友達と仲直りしたり、前のループを悲しませたまま終わってしまった幼なじみを励ましたり……。
 しかし、これは劇のお話。
 現実では、やり直しは……効かない。けっして、やり直せはしないのだ。

 『あの時、あぁしておけば』。
 そんなことを思わず、後悔なく、生きられたなら。

「咲ちゃん。明日、カッキーに告るんだっけ」
「今、その話しますか」
「応援してるよ。絶対、絶対に頑張るんだよ」
「……先輩?」

 妙に力のこもった声になってしまった。
 怪訝そうにこちらに顔を向ける咲ちゃんに、私は、なんでもないよと笑うことができなくて、そのまま話を続けてしまった。そんなつもりはなかったのに、言葉が、口から溢れ出す。

「……後悔しないようにするんだよ。やって後悔するのと、やらずに後悔するのって、どっちがいいと思う?」
「やります。後悔しなくちゃいけない結果は考えてません」
「らしい答えね。……あのね。『やる』のって、能動的なぶん、『やらない』のよりも後悔しやすいのよ」

 向陽ともみじが抱き合い、花火をバックに、BGMが流れ始める。今年の夏に公開されていた、花火をテーマにしたアニメ映画の主題歌だ。
 ……これだけ。これだけ言ったら、終わりにしよう。
 戸惑う咲ちゃんに向けて言っているようで、その実、自分に言い聞かせているようで。何がしたいのか分からなくて、自分がどの立場からものを言ってるのかも分からなくて、頭がこんがらがって、それでも、『言いたい事』だけが脳から転がり出てくる。

「人って、徒労が1番嫌いじゃん」
「…………」
「行動しなくて結果に結びつかないのは、当たり前、ダメージも少ない。でも、必死に必死にやってきて、頑張って、勇気を出して……それが結果に結びつかなかった時の気持ちって、たぶん、絶望だよ」

 ステージがとてつもない光量で満たされる。……向陽たちの世界の、『巻き戻し』が始まってしまったのだろう。
 この劇では、時間軸が何度もリセットされる。1つのループの中で得た信頼も、初めて出会った友達と育んだ友情も、何もかもが……前のループの事として、向陽ともみじ以外の人間の記憶からは完全に抹消される。いや、そんな事実は初めからなかったことにされてしまう。
 赤、青、黄色、緑。毒々しいまでにカラフルな光の柱が降り注ぎ、向陽たちの町の時間を、また1日前へと巻き戻す。

「……先輩がそんな話するなんて、意外です」
「あはは、ごめんね。何言ってんだろうね私、ゼントあるワカモノに」

 花火のシーンから流れ続けていたBGMは、Cメロに差し掛かっていた。光に包まれながら、今回もループを断ち切ることができなかったと、打ちひしがれる向陽。もみじに背を向けて、向陽は顔を覆い隠して泣き、喚く。

『どうせ、巻き戻ってなかったことになるのに……なんで、俺、こんな必死になって走り回ってたんだろうな。もみじにまで迷惑かけて……馬鹿みてぇだ』
『そんなことないよ……』

 もみじの発した、気休めにしかならない言葉に、向陽はキッと振り返る。涙で醜く歪んだ顔を彼女に晒し、やりきれない胸の内を叫ぶ。

『どこがだよ! 無駄だったじゃねぇか!
 巻き戻ったら、ワカバはまだお前と喧嘩したままで! キョウヤはまだ手術を怖がったままだ! 俺はあと何回酒屋のおっちゃんの犬が死ぬトコを見なくちゃいけないんだ!?』
『………………』
『どうせ全部なかったことになるなら! 俺たちの記憶もなかったことにしろよ!』
『向陽くんッ!』

 もみじの平手が、向陽の頬を打つ。パァンッ、と、絶妙なタイミングで効果音が挿入される。舞台袖から見ている限り、ホントに全力で叩いてるみたいだけど、絶対痛いだろうなぁ。
 BGMが止まり、何色もの光の柱も消え、真っ暗なステージにあるのは2人を小さく照らすスポットライトだけ。
 数秒間の無音。
 やがて流れ出した曲は、ドビュッシーの『月の光』だった。
 頬を張ったその手のひらで、もみじは向陽の背中をさすり、そして抱きしめた。

『そうだよ。なかったことになるのは辛いよ……。だけど、向陽に、私との……みんなとの思い出をなかったことにしていいなんて言われるのは……もっと辛い』
『……もみじ……』
『このまま時間が巻き戻っても、もし次のループでは向陽さえ記憶を保っていなかったとしても……私は、今回このループの今日の花火大会、すごく楽しかった。絶対に忘れない……』

 …………。

 私は、私の背中に触れてくる咲ちゃんの顔を、見れないでいた。

「失敗するかもしれません。合理的じゃないかもしれません。めちゃくちゃ落ち込むかもしれません。もう二度と恋なんてしないと思うかもしれません。
 けど、私は……」

 最後の花火が打ちあがり、咲く。
 それは確かに……奇跡的に……脳裏にいつまでも消えずに残る、『私が生まれて初めて見た花火』だった。オレンジの、激しい大輪だった。

『だから、私はその時、したいことをする。するべきことをするの』

 私は、まだ、その花火が少し怖いらしい。

「今は、今やりたいことをやりたいんです」
『それが無駄になることから、目を背けてでもね』

 もみじの、『したいこと』。
 特大花火と光の柱をバックに、唇を重ね合わせた2人に、観客からは大きな拍手と歓声が送られた。

 物語のその後は、劇中で語られることはなかった。



〇視点:黒部空乃
〇同行者:小池咲
〇文化祭1日目・11時42分

 吹奏楽部の野外リハーサルは中止になった。どうやら、生徒会や実行委員との間でひと悶着あったようだ。代わりとして吹奏楽部員数名が楽器を構えている写真を撮ったところで、私と咲の午前の仕事はなくなった。
 体育館から出てきた咲に劇の感想を聞く暇もなく、私は咲に駆け寄ると、スマホの画面を見せた。

「空乃? どうかした?」
「……さっき、メモ帳を探しに行った時さ。実行委員に曽布川さんがいたから、もし落とし物としてメモ帳が届いたら、ラインしてって約束してたの」
「アレとライン交換したのか!?」
「そ、そういうこと言ってる場合じゃないのよ! とにかく見て!」

 曽布川さんとのライン画面に、1件のメッセージと、1枚の写真。

 メッセージは『見つかったぞ』。
 そして、写真には……曽布川さんの手が、私が持っているのと同じ、『すけすけランタン』の手帳を持っていた。
 そして、その表紙には……サインペンで、大きく、『黒部空乃』と書かれていた。

「え……空乃、あんたの持ってる手帳って」
「言うまでもなく、咲に見つけてもらったコレ1つだけだよ。それに、名前も書いてない。だからこの写真に写ってるのって、明らかな偽物なんだよ」
「……どういうことだ?」
「曽布川さんのイタズラ……なのかな」
「せっかく探してやったのに失礼な奴だなクソガキ」

 心臓が止まりかける。いつの間にか、私たちの背後に曽布川さんが立っていた。
 その手には、写真と同じように手帳が握られている。……偽物の、サインの入った手帳が。

「非番になったから、食品バザーを冷やかしついでにお前を探してきてやったというのに……」
「そ、それはありがとうございます。でも」
「聞いていた。偽物らしいな」
「さらっと盗み聞きを自白すんな」

 手帳をくるくる弄びながら、曽布川さんは左上に目線を持っていった。普通の人がこの仕草をしたら、何か思い出そうとしているんだろうな、としか思わないけれど、この人がこの仕草をすると、何か嘘をつく予備動作にしか見えない。まぁ、嘘をつくのに予備動作を必要とするような人ではないんだろうけれど。
 咲の表情を窺う。すでにこの事態に対して思考を始めているようで、スマホを取り出し、素早い指さばきでメモ帳にずらっと書き出している。

「……これを曽布川さんに届けた人は?」
「おそらく部外者だ。キャップを被っていて、顔がよく見えなかったが、声からして女だろう。俺を見て、妙に馴れ馴れしく声をかけてきた」

 曽布川さんによればその女性は、「君は実行委員だね? 落とし物を拾ったよ」とだけ言って、手帳を渡すと、声をかける暇もなくすぐどこかへ行ってしまったのだという。

「……思えば、部外者が何故俺のことが実行委員だと分かったのかも疑問だ。非番だから腕章は外しているし……」
「その人は、空乃の名前を知っていて、空乃がメモ帳を無くしたことを知っていて、曽布川さんが実行委員だということも知っていた。そして……空乃にメッセージを送るために、この手帳を曽布川さんに届けた」
「メッセージ?」

 咲は曽布川さんから手帳を奪い取ると、おもむろにページを繰った。

「その人は、空乃の手帳と同じものをわざわざ用意して、曽布川さんを通してこの手帳が空乃のもとへ届くようにしたんだ。つまり、この手帳には何らかのメッセージが書かれている可能性が高い」
「私に……?」
「空乃に対してか、あるいは……」

 ページを繰る咲の指が止まる。
 手帳の中ほど、ちょうど真ん中あたりのページには、強くて雑な走り書きが為されていた。

「……これは」
「嘘……マジで……?」

 『記者Bは今、この学校にいる』

 それが、『増えた手帳』に書かれていた、謎の人物からのメッセージだった。

HIGASHITAISEI HIGHSCHOOL FESTIVAL
CHAPTER1.11 TITLE:
『黒部さんと増えたメモ帳』

END
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