東大正高校新聞部シリーズ

場違い

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第4部 2点間の距離

2章 小池さんと奇跡のシュートの謎

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 東大正高校の屋上から望む夜空は綺麗だが、ずっと見ていると、自分が定かでなくなるような気がした。
 だから下を見下ろした。バスケットゴールが設置されていないことを除けばなにひとつ文句のない綺麗な運動場には、これまた綺麗な、今年2作目が出た人気ゲームのキャラクターが、白線で描かれていた。美術部の作品らしい。
 綺麗な空、綺麗な地面。あまり綺麗とは言えない屋上からそれらを見上げ見下す私の心中は、現在ブタ小屋の如く散らかっており、綺麗とは程遠い。
 私が、ふっと息を吐くと、隣の空乃はクシャミをした。2人顔を見合わせて笑う。

 ふと、先ほどの前哨会の記憶が蘇る。


 ジュースを飲み終えた柿坂先輩が、懐かしさに顔を曇らせて--穏やかだが、どこか憂いのあるような笑みを浮かべて--、唐突に昔話を始めたのだった。

「去年までの新聞部には、記者bっていう名探偵がいたんだ」
「あ、例の『七不思議シリーズ』の記事を書いてた人ですよね。廃材祠の謎とか」

 七不思議シリーズ。
 今年入学してきたばかりの私たちはあまり知らないのだが、学校内で見つけた小さな謎や不思議なことを、記者bという謎の名探偵が解決し、その顛末をミステリ短編風に書いたシリーズのことだ。

「そうよ。でも、記者b……備後天音びんご あまね先輩が書いてたシリーズは、七不思議だけじゃなくてね。いろんな学年や、いろんな部活に出向いては、たくさんの生徒たちと友達になって、取材をした」
「先輩の記事には、この東大正高校の息遣いが、みんなの活気が宿っていた。だから俺たちは、新聞部の先輩たちが築いてきた繋がりの証として……」

 柿坂先輩は戸棚の方へ歩いていき、その中から、1つのスクラップブックを取り出した。
 その表紙には、『東大正高校新聞部シリーズ』と記されている。

「俺たちの新聞、『週刊タイセイ』の中でも、この学校をテーマにした記事だけをこの冊子に纏めているんだ」
「纏め始めたのは、ウチらの代が初めてなんだけどね。バックナンバーからコピーとって、切って貼り付けてさ」
「……かなり、分厚いですね」
「そろそろ2冊目にいくかな。今年のぶんも順々にスクラップしてあるからね」

 柿坂先輩は、私に、スクラップブックを差し出した。

「文化祭が終われば、俺たちは引退だ」

 心臓に、トゲが刺さった。
 刺さったようだった、と比喩表現で言うには、あまりにリアルな感触だった。本当に血が出て、失血状態になってしまうようなショックが襲う。

「受験勉強で忙しくなるからな。1年生にこんなこと言うのは荷が重いかもしれないけど、これからの新聞部を担うのは君たちだ」
「…………先輩」
「まだ文化祭も終わってないのに気が早いかもしれないけど。君たちには、これを受け継いでほしいんだ」
「これからも、新しいページにスクラップを増やしてさ。……んで、たまにはページを戻って、私たちのこと思い出してほしいの」

 渡良瀬先輩は、なんだかすでに泣きそうだった。
 当然、私も。空乃も。忍も。キヨも。下邨も……そして、スクラップブックの表紙を見つめるフリをして、下を向いて、こちらに顔を見せまいとしている柿坂先輩も……たぶん。

「………………」

 私は、差し出されたスクラップブックが怖かった。
 伝統が、責任が、そして、未来が。
 頼れる先輩2人のいない、数日先のこの部室が。
 これを受け取って、「任せてください」なんて言ってしまうと、すぐに先輩たちが過去のものになってしまうようで。スクラップブックの、糊付けされて皺の寄った、過去の記事のように。
 だから私は、眉を下げて、無理に笑った。

「……まだ気が早いです。あと3日は、私たちの先輩でいてください」

 まだ、スクラップブックは受け取れない。
 先輩たちは、私たちを1人ずつ優しい目で見て、頷いた。
 「嬉しいこと言ってくれるじゃん」と、潤んだ声で言った渡良瀬先輩が、肩を抱いた。初めて新聞部の部室に来たとき、空乃に突然抱きついたときみたいに。

 先輩たちは、私の選択を、逃げだとは言わなかった。
 ……それでも、心臓のトゲは抜けない。


 さっきのことを思い出して、今までで一番深刻な溜め息を吐くと、その息は一瞬だけ白く濁って、夜の真っ黒な空に消えた。

「なんか深刻そうだね、咲」
「……まぁな」
「先輩たちの卒業のこと?」
「それだけじゃないけど、うん」

 そう、それだけじゃない。
 私にとって文化祭は、文化祭というだけでなく、先輩たちとの最後の活動というだけでもない。
 私は、文化祭中に……。

 夜風が強くなり、私の黒いカーディガンをはためかせた。スカートを抑えながら、空乃は小さく笑う。

「……ねぇ、覚えてる? 咲」

 ああ、覚えてるよ。
 空乃が何のことを言っているのか、先を聞かずとも、私には分かった。感情の乗りにくい顔を、つとめて微笑みに形作る。

「しつこい宗教勧誘を受けたな」
「不良女子にボディーブローを受けたね」

 同時に発せられた冗談に、お互い大袈裟に笑った。

「……ここで初めて、空乃に、新聞部に入るのを勧められたんだよな」
「咲ってば、新聞部はどうせつまらない記事しか書けないだとか、部活動なんてブラック部活ばっかりだとか、散々言ってたくせに。
 今じゃ誰より、新聞部を楽しんでるじゃない」
「さあな。そんな昔のこと覚えてないよ」
「昔……ね。そうだね、たった半年ほど前なのに、なんだかずっと前からこうしてるみたいだよね」

 やめてくれ。今そんな話されると、ホントに泣いてしまうじゃないか。
 この半年の思い出が、順々に掘り起こされる。追ってきた謎と、その答えと、色んな人の後悔や価値観がない交ぜになったものが、脳の内側から染み出すように。
 『虚構のパノラマ』事件。『告発状』事件。忍と行った交流会。キヨと前田さんの馴れ初め。祭りで出会った奈通ちゃんの事情。演劇部の劇の謎と、空乃の事情。
 ……そして何より、この屋上で空乃に出題されて初めて解いた、『廃材祠の謎』。

「というわけで、咲。ここらへんでもう一個謎を解いてみようか」
「え?」

 屋上の真ん中でバレリーナのようにくるりと一回転して、空乃は心底楽しそうに笑う。
 スカートのポケットから四つ折りにした紙を取り出して、空乃はそれを私の鼻先に突きつけた。

「半年前と同じように、私が過去の新聞から謎を出題します。咲は、半年前と同じようにそれを解いてみせてよ」
「……何回も言うけど、私は名探偵でも謎解き大好き人間でもないんだけど」
「まぁまぁ、ゲームみたいなものだよ。それに今回は、ちょっと趣向を変えてみようと思うんだ」
「趣向?」
「ウミガメのスープ、って知ってるかな」

 知っている。中学校の修学旅行のバスの中で、友達と遊んだっきりだけれど。
 ウミガメのスープとは、出題者から与えられたある状況を、出題者に質問を重ねることで詳細をつかみ、疑問の真相に近付く、という水平思考ゲームだ。

 たいてい、最初の問題文は、『男はレストランでウミガメのスープを飲んだ。料理長に、これは本当にウミガメのスープなんですね、と尋ねて、そうだと言われると、男は店を出て自殺した。何故か?』……などといった、突飛なものだ。
 解答者はそれを聞いて、出題者に質問を重ねていく。出題者はその質問に、YESかNOか、或いはYESNO(どちらでも成立するとか、とくに定めていないとか)で答える。
 『それは実際はウミガメのスープではなかった?』
 『NO。本物のウミガメを使ったスープである』
 『男は元から死ぬ運命にあった?』
 『YESNO』
 『男はウミガメのスープを飲んだから死んだ?』
 『YES。ミスリード注意』
 『ウミガメのスープの味は、男の想像と違ったものだった?』
 『YES! いい質問』
 と、このように。
 推理する上で大きなヒントとなり得る質問に対しては、いい質問などとコメントする。注釈を付けなければアンフェアであるという場合は、YESとNO以外に説明を入れる。
 なんか他にも、カメオとか白湯とか『エログロオカSFますか?』とか、わけのわからない専門用語があるらしいが。そんな詳しいことはよく分からない。

「まあ、人並みに」
「じゃあオッケーね。これから新聞記事の事件を、ウミガメのスープ形式で出題するから。咲は私に質問して答えて」
「……いちおう聞いとくけど空乃。あんた、あれこれ理由付けてウミガメのスープやりたいだけじゃないのか」
「YESNO。問題には関係ありません」
「コイツ……」
「質問は10個までね。それを越えたら咲の負けだからね」
「負け? なんか賭けるのか?」
「文化祭の屋台巡りの支払い、ってのは?」
「乗った」

 こうなったら本気出してやる。
 「うわあ、守銭奴がいる」とかほざく空乃に、早く問題を出せと急かす。

「では問題文を読み上げます」
「ばっちこい」
「去年、体育の授業でサッカーをしていたときのこと。
 試合中A君が打ったシュートは、ゴールに入り、クラスの全員から『奇跡のシュートだ』と称えられたらしいが、得点にはならなかったらしい。いったい、なぜ?」

 ……なるほど。
 何度か頭の中で問題文を咀嚼する。
 咀嚼していく中で、違和感として浮き彫りになる部分がひとつだけあった。短い問題文のなかで2度も使われている、『らしい』、という又聞きの意を表す3文字だ。

「『らしい』、ということは。この問題は、又聞きでなければ成立しない?」
「YES。さすが名探偵、のっけから良い質問だね」

 これで質問を1つ消費した。
 この問題は又聞きでなければ成立しない……つまり、実際にA君のシュートを見ていたら、そのゴールが得点にならなかったことは不思議でもなんでもないということだ。
 『ゴールした』のに、『得点にはならない』。
 どういう状況が考えられるだろうか……。

「問題の状況は、体育の授業でなければ成立しない?」
「NOだね。放課後に遊んでいる時でも、それを見た人は同じリアクションをするでしょうね」
「……体育の授業でサッカーをしていたけど、A君は、試合とは関係ないただの遊びでシュートを打ったから、得点としてカウントされなかった?」
「NO。試合に参加しているA君が、試合中に打ったものだよ」
「A君がオフサイドだったとか、反則をしたせいで得点が入らなかった?」
「……うーん、この場合は……YES、かな」

 空乃が深く言いよどんだ。

「フェアにするために言っておくと、いまのYESは、A君のゴールは一般的なサッカーのルール上、明らかに無効だという意味だよ」
「………………」

 これで質問は残り6個、か。
 しかし、私はこの時点で、かなり確信を掴めてきていた。

「……空乃。負けた方が文化祭の屋台巡りを全部奢るって話、いま負けを認めるならチャラにしてやるぞ」
「えっ、もう分かったの? たった4つだけの質問で?」
「あと2つか3つ質問したら、もう答えに辿り着くだろうな。で、どうする?」
「…………ぶ、武士に二言はないよ!」
「ちょっと迷ったな」
「うるさい! だいたい、そんな自信満々にしてるけど、ブラフじゃないとも言えないし」

 私がブラフなんて器用な真似、できるはずないだろうに。
 せっかくの私の慈悲を受け取らなかった空乃に、私は質問を続ける。

「質問5。そのとき、サッカーの授業は体育館で行われていた」
「う! ……YES、いい質問……」
「質問6。A君のシュートが入ったのは、ゴールはゴールでも、サッカーゴールではない」
「質問ならせめて疑問形にしてよ! YES良い質問だよもう!」

 この程度なら、もしかしたら質問なしでも解けたかもな。

「解答。
 A君はサッカーの試合中シュートを打ったが、それはサッカーゴールではなく、バスケットゴールに入った。みんなはそれを面白がって『奇跡のシュート』だと称えたけれど、当然、サッカーの試合としては得点にならない」
「……本来、解説は出題者の役目なんだけど」
「ちょっとアンフェアな出題だな。体育館で行うサッカーは、フットサルと呼ばれるべきなんじゃないのか」
「正解したんだから文句言わないでよ。サッカーの授業は、雨の日は体育館でやるらしいよ。私たち女子だから関係ないけど」
「え、サッカーって男子だけのカリキュラムなのか」

 空乃は、ぶすっとして私に新聞を渡した。
 1年前の、2学期の週刊タイセイだ。文面に目を通す。

『我が校に伝わる七不思議を解明してゆく本シリーズ。今回は趣向を変えて、読者の皆様へ、弊部記者Bから挑戦状を贈らせて頂こう。
 体育の授業でサッカーをしていたときのこと。試合中A君が打ったシュートは、ゴールに入り、見ていた全員から『奇跡のシュートだ』と称えられたらしいが、得点にはならなかったらしい。いったい、なぜ?』

 ここから、空乃が私の質問に答えたときのような細かいヒントと状況説明が十数行に渡って行われた。種明かしを終えて、最後の締めの部分。

『それにしても、バスケットゴールに入るほどサッカーボールを高く蹴ることができるなんて、羨ましい限りだ。私のクラスでも、次回の体育ではサッカーの試合をするらしいので、せめてチームメイトの迷惑にならないほどには練習して臨みたいものである。
 (『記者B』と、走り書きしたような手書き文字)』

 署名だけ手書きなのはなんでだろう、という疑問は、空乃の大きなため息によってどこかに吹き飛ばされた。

「はあ……帰るときお金おろしとこ」
「はあ……明日朝飯抜いていこ」
「マジでやめて」

 いじけて、屋上の床に仰向けに寝転がる空乃。なんとはなしに、私もその隣に寝転がってみると、星空はさっきよりも一段と綺麗だった。
 不思議と、その輝きはさっきよりも身近に感じられた。
 1分だろうか、10分だろうか。無言の時間が流れて、空乃は、空に向けて手を伸ばした。空の、星に向けて……それとも、月に向けて。

「好きな本があるんだ。本ってほどのボリュームもないし、青空文庫で読んだに過ぎないんだけれど。……坂口安吾の、ピエロ伝道者」
「……空にある星を欲しいとか思ってるのか?」
「まさか。ピエロ伝道者は好きだけれど、考え方はぜんぜん違うよ。私は星に触りたいだけなんだ」
「触りたい?」

 空に伸ばした手を、そのままくるっとこちらに落とす。空乃の手は、私の髪を触った。屋上の床に、無造作に無数に枝分かれした小川の如く伸びる髪からは、暖かい感覚が伝わってきた。
 くすぐったいぞ、と笑って、私も空乃のサイドテールを触ろうとしたが、長い金色の尻尾は、向こう側に伸びていた。
 代わりに、私は空乃の横顔を見た。空の星を見つめる空乃の、読めない顔を。

「ピエロ伝道者の冒頭部分。国語でちょっとやったよね、覚えてる?」
「……多少は」

 私も空乃の真似をして、空に向けて手を伸ばす。
 ピエロ伝道者の冒頭部分を、空乃はかいつまんで話した。その声は、いつもうざったいほどに元気いっぱいな空乃らしくもなく、母親のように優しく読み聞かせるものだったから、私はますます、彼女の横顔を見つめずにはいられなかった。

「屋根の上で、星を叩き落として手に入れようと竹竿を振り回す男がいた。みんなはそれを笑った。『僕』もそれを笑う。
 だけど、笑いながらも『僕』は言うの。
 誰の心にだって、星を手に入れたいと願う気持ちはある。誰だって星を手に入れたくないわけではない。確かに星は欲しいけれど、決して届くわけがないのだから、諦めているというだけの話なんだってね」
「………………」
「ナンセンス文学のあり方について論じた文章らしいんだけど、正直私にとって、後半部分はどうでもよかった。文学とかサッパリだし」
「文章が独特だし、その時代の作家の個人名とか出てくるしな」
「この、星を手に入れようとする男の下りを読んでさ。私は思ったの。
 手に入れるとかいうのを通り越して、私は星になりたいの」

 文章を読んでそこから何を感じ取るかは自由であると思うし、国語の問題に明確な正解があるなんて思っちゃいないけれど、それにしたって、空乃がピエロ伝道者から感じ取ったそれは、正解からは最も遠いものであると思った。
 ……ピエロ伝道者はその後、こう続く。
 星を落とそうとする滑稽な男に、無理に悲しみや感動を見出そうとするのはかえって下品な行為であると。笑いとは、ただ純粋に笑いというだけのものであり、無理に笑いを悲しみなどに変換して芸術に昇華させるのは悪趣味と言わざるを得ない、と。
 空乃のこの感想は、だから、限りなく不正解である。
 滑稽である男を笑うでもなく、自分と重ねて共感する。坂口安吾のきらった『笑いを他のものに変換して美化する』という行為そのものだ。
 それを咎める気も、おかしいと笑う気も、さらさらないけれど。

「この半年間、中学時代の自分を変えたくて、必死に『星』になろうとしてきた。うまくなり切れないことが分かったら、せめて、できるだけ『星』に近付こうとしたんだけどね」
「……今のあんたは、十分『星』だよ」
「ありがとう。でも、私から見ればね、咲」

 空を見上げていた横顔が、ゆっくりとこっちに傾いた。ニコ、と悪戯っぽく笑った顔で、鼻のてっぺんをつつかれた。

「友達も多くて、恋もしていて、才能もあって、やりたい事ややらないといけない事には努力も惜しまない。それでも流されずに自分を持ってる咲って、一番星だよ」
「…………恥ずかしい、やめろ」
「あはは」

 今度はこっちが顔を逸らして空を見上げた。

「でも、そっか。咲が言うのなら、私もやっと星になれたのかな」
「きっとな」
「じゃあ、私と咲はアレだね、織姫と彦星だね。私が織姫かな」
「は? 織姫は私で彦星は柿坂先輩に決まってるだろ。デネブにでも行ってろ」
「酷い! 薄情者! 天の川で溺れ死ね!」

 親友って呼んでる相手に『天の川で溺れ死ね』とか言えるあんたの方が薄情者だ。
 馬鹿なやり取りに、どちらともなく笑いだして転がる。
 万人に笑われた竹竿を振り回す男だって、私たちみたいな馬鹿のことは容赦なしに笑い飛ばすのだろう。阿呆で滑稽で脳が足りないと。

「ははは……じゃあ明後日、彦星様を手に入れられるように頑張らないとね」
「………………」
「あはは! もう、この話になったらすぐ顔赤くする!」
「うっさい、もう遅いし帰るぞ!」
「はいはい」

 朱に染まった顔を撫でて、私は俯く。
 目を閉じれば、すぐに柿坂先輩の顔が浮かんだ。

 文化祭は3日間に渡って開催される。
 そして、文科系部活動の殆どは、3年生が文化祭で引退することになっている。新聞部も例に漏れない。
 今回の予定では、新聞部の主な仕事は2日目で終了し、3日目はほとんどオフ、各自自由に文化祭を巡ってよいということになっている。

 だから……私は。
 2日目の終わりに、柿坂先輩に告白する。
 そして、「明日、最後の文化祭を一緒に歩いてくれませんか」と言うのだ。

 固く決意したはずなのに、決行日が近づいてくると、想像するたびにどうしても恥ずかしくなって、顔が熱くなる。
 内装の用意が間に合っていないらしく、9時まで残って活動を行うらしい2年のクラスにちょっかいをかけつつ、階段を降りる。自転車に乗って、校門を出る。
 当たり前にいつもやっていることが、今日はなんだか、ぎこちなかった。
 頭がぼうっとしていて、そこからのことはあんまり覚えてないけれど。

「じゃあねベガ様」

 別れ際にそんなセリフを吐きやがった空乃を、自転車で追いかけて肩パンしたことだけは覚えている。
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