背徳者  暴君と呼ばれた皇帝

月島 成生

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第十一章

勝利

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 ヴィンデクスは、ガリアの幾つかの部族を仲間に引き入れていた。
 ローマと陸続きのガリア地方が反旗を翻すのは、他の属領にとっての希望になるだろう。他の地でも次々と反乱に参加するはずだ。
 属州に見捨てられた皇帝を、元老院が見限るのは時間の問題だった。

 そう、ガルバは考えていた。
 またヴィンデクスの提案では、打倒ネロの暁には、次期皇帝としてガルバを立てるという計画になっている。

 今まで、そのような大それた野望を抱いたことはなかった。一地方総督の地位に、満足しているつもりだった。
 けれど全ての御膳立てを整えられ、目の前に並べられては欲も出る。

 何より、反逆をあらわにした途端、ネロのかつての親友――今では誰よりもネロを恨んでいるであろうオトを、仲間にすることができた。

 ――しかし、ガルバの運もこれまでだった。
 皇帝ネロがローマに帰還すると、元老院はガルバを国賊として糾弾したのである。

 おそらく、元老院は迷っていたはずだ。ガルバ、ネロ、どちらの味方をするべきか――どちらにつくことが、後々有利に働くか。
 そのような折、ネロは豪奢な衣装に身を包み、神々しい姿を市民に見せつけた。

 人気は衰えていても、ネロの容貌は美しいままだった。男でも惚れ惚れするような美貌を笑顔で飾り、民衆に皇帝の権力を主張したのだ。

 やはり、ネロは怜悧狡猾だった。ローマ市民の特性を、誰よりも理解している。地味で堅実なものより派手なもの、厳格さよりも破廉恥を好む民衆。
 皇帝万歳、ローマの守護神とネロを歓呼する市民を見れば、自ずと元老院の対応は決まっていた。

 ローマでの地位を固めたネロが、ガルバ討伐のために動くのも、時間の問題だった。
 甘かった。つくづくと、思う。ヴィンデクスの甘言に乗せられて、起った自分の、なんと愚かだった事か。

 ガリア国境を越えた、ヴェソンティオの要塞で、ローマ軍と反乱の思案者であるヴィンデクスの軍がぶつかったと聞く。
 けれどやはり、ローマ軍の世界最強を謳われた実力は伊達ではなかった。所詮ヴィンデクス如き素人の手に負えるものではない。
 戦いは、そう呼ぶことすら憚られる一方的なものだった。
 2万人のガリア兵が殺され、残りは逃亡した。軍を率いていたヴィンデクスは、絶望のあまり自殺したという。

 なんと、無責任な。

 思わずにはいられなかったけれど、死んだ男を責めるよりももっと、やるべきことがある。今後の身の振り方を、一刻も早く考えなければ。
 ローマからは国賊として訴えられ、新たにネロに戦いを挑もうにも、やっとの思いでかき集めた軍隊はほとんどをヴィンデクスに貸していた。
 それが失われた今となっては、手元に残るわずかばかりの兵士で、どうやって世界最強のローマ軍と戦えるというのか。

 ガルバを襲った絶望は、おそらくヴィンデクス以上だった。おとなしくしてさえいれば、地方総督として、余生を静かに暮らせたはずなのに。
 軽はずみな行動のせいで、安寧を失ってしまうとは。

 否、まだ決まったわけではない。ガルバは今年で73歳だった。余命幾許もない、とまでは言わないが、残された人生はさほど長くもないだろう。
 そこを強調して、なんとかネロに憐憫の情を抱かせることはできまいか。

 決して、不可能ではない。皇帝ネロの人気は、芳しくなかった。ここで自分に恩恵を出せば、慈悲深い皇帝として、また人気を取り戻すことができるのではないかと提案してみよう。
 慈悲を請う哀れな姿を見せて縋りつけば、あの誇りだけは人一倍高い皇帝はきっと、許しを与えるはずだ。

 考えつくが早いか、ガルバは謝罪の手紙をしたためるために机に向かった。

「ガルバ様! お喜び下さい、我らの勝利です!」

 無礼を叱責する間もなかった。嬉しげに上げられた声に、耳を疑う。

「――なに?」
「ですから、元老院や軍隊、ローマ市民さえもガルバ様、あなたを皇帝に推挙しているのです!」

 報告を、鵜呑みにするのは危険だった。
 しかし、伝えに来た使者はガルバも信用している男。彼が騙されている可能性はあるが、彼がガルバを騙すことはない。

 嬉々とした使者の顔を、呆然と見つめる。
 真実だとはっきりしたわけではない。甘言に乗ってローマに戻れば、待ち構えていたネロに捕まり、処刑されることもあり得た。

 けれど信じて進む以外、この絶望から抜け出す方法はない。

 ふと、机上にある書きかけの手紙に目を落とす。
 それを手に取ると、ぐっと握り潰した。

 神は私の味方だ――きっと。

 疑心を拭えぬまでも、ガルバはもう一度、冒険に身を投じる決意をした。
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