73 / 78
第十一章
勝利
しおりを挟む
ヴィンデクスは、ガリアの幾つかの部族を仲間に引き入れていた。
ローマと陸続きのガリア地方が反旗を翻すのは、他の属領にとっての希望になるだろう。他の地でも次々と反乱に参加するはずだ。
属州に見捨てられた皇帝を、元老院が見限るのは時間の問題だった。
そう、ガルバは考えていた。
またヴィンデクスの提案では、打倒ネロの暁には、次期皇帝としてガルバを立てるという計画になっている。
今まで、そのような大それた野望を抱いたことはなかった。一地方総督の地位に、満足しているつもりだった。
けれど全ての御膳立てを整えられ、目の前に並べられては欲も出る。
何より、反逆をあらわにした途端、ネロのかつての親友――今では誰よりもネロを恨んでいるであろうオトを、仲間にすることができた。
――しかし、ガルバの運もこれまでだった。
皇帝ネロがローマに帰還すると、元老院はガルバを国賊として糾弾したのである。
おそらく、元老院は迷っていたはずだ。ガルバ、ネロ、どちらの味方をするべきか――どちらにつくことが、後々有利に働くか。
そのような折、ネロは豪奢な衣装に身を包み、神々しい姿を市民に見せつけた。
人気は衰えていても、ネロの容貌は美しいままだった。男でも惚れ惚れするような美貌を笑顔で飾り、民衆に皇帝の権力を主張したのだ。
やはり、ネロは怜悧狡猾だった。ローマ市民の特性を、誰よりも理解している。地味で堅実なものより派手なもの、厳格さよりも破廉恥を好む民衆。
皇帝万歳、ローマの守護神とネロを歓呼する市民を見れば、自ずと元老院の対応は決まっていた。
ローマでの地位を固めたネロが、ガルバ討伐のために動くのも、時間の問題だった。
甘かった。つくづくと、思う。ヴィンデクスの甘言に乗せられて、起った自分の、なんと愚かだった事か。
ガリア国境を越えた、ヴェソンティオの要塞で、ローマ軍と反乱の思案者であるヴィンデクスの軍がぶつかったと聞く。
けれどやはり、ローマ軍の世界最強を謳われた実力は伊達ではなかった。所詮ヴィンデクス如き素人の手に負えるものではない。
戦いは、そう呼ぶことすら憚られる一方的なものだった。
2万人のガリア兵が殺され、残りは逃亡した。軍を率いていたヴィンデクスは、絶望のあまり自殺したという。
なんと、無責任な。
思わずにはいられなかったけれど、死んだ男を責めるよりももっと、やるべきことがある。今後の身の振り方を、一刻も早く考えなければ。
ローマからは国賊として訴えられ、新たにネロに戦いを挑もうにも、やっとの思いでかき集めた軍隊はほとんどをヴィンデクスに貸していた。
それが失われた今となっては、手元に残るわずかばかりの兵士で、どうやって世界最強のローマ軍と戦えるというのか。
ガルバを襲った絶望は、おそらくヴィンデクス以上だった。おとなしくしてさえいれば、地方総督として、余生を静かに暮らせたはずなのに。
軽はずみな行動のせいで、安寧を失ってしまうとは。
否、まだ決まったわけではない。ガルバは今年で73歳だった。余命幾許もない、とまでは言わないが、残された人生はさほど長くもないだろう。
そこを強調して、なんとかネロに憐憫の情を抱かせることはできまいか。
決して、不可能ではない。皇帝ネロの人気は、芳しくなかった。ここで自分に恩恵を出せば、慈悲深い皇帝として、また人気を取り戻すことができるのではないかと提案してみよう。
慈悲を請う哀れな姿を見せて縋りつけば、あの誇りだけは人一倍高い皇帝はきっと、許しを与えるはずだ。
考えつくが早いか、ガルバは謝罪の手紙をしたためるために机に向かった。
「ガルバ様! お喜び下さい、我らの勝利です!」
無礼を叱責する間もなかった。嬉しげに上げられた声に、耳を疑う。
「――なに?」
「ですから、元老院や軍隊、ローマ市民さえもガルバ様、あなたを皇帝に推挙しているのです!」
報告を、鵜呑みにするのは危険だった。
しかし、伝えに来た使者はガルバも信用している男。彼が騙されている可能性はあるが、彼がガルバを騙すことはない。
嬉々とした使者の顔を、呆然と見つめる。
真実だとはっきりしたわけではない。甘言に乗ってローマに戻れば、待ち構えていたネロに捕まり、処刑されることもあり得た。
けれど信じて進む以外、この絶望から抜け出す方法はない。
ふと、机上にある書きかけの手紙に目を落とす。
それを手に取ると、ぐっと握り潰した。
神は私の味方だ――きっと。
疑心を拭えぬまでも、ガルバはもう一度、冒険に身を投じる決意をした。
ローマと陸続きのガリア地方が反旗を翻すのは、他の属領にとっての希望になるだろう。他の地でも次々と反乱に参加するはずだ。
属州に見捨てられた皇帝を、元老院が見限るのは時間の問題だった。
そう、ガルバは考えていた。
またヴィンデクスの提案では、打倒ネロの暁には、次期皇帝としてガルバを立てるという計画になっている。
今まで、そのような大それた野望を抱いたことはなかった。一地方総督の地位に、満足しているつもりだった。
けれど全ての御膳立てを整えられ、目の前に並べられては欲も出る。
何より、反逆をあらわにした途端、ネロのかつての親友――今では誰よりもネロを恨んでいるであろうオトを、仲間にすることができた。
――しかし、ガルバの運もこれまでだった。
皇帝ネロがローマに帰還すると、元老院はガルバを国賊として糾弾したのである。
おそらく、元老院は迷っていたはずだ。ガルバ、ネロ、どちらの味方をするべきか――どちらにつくことが、後々有利に働くか。
そのような折、ネロは豪奢な衣装に身を包み、神々しい姿を市民に見せつけた。
人気は衰えていても、ネロの容貌は美しいままだった。男でも惚れ惚れするような美貌を笑顔で飾り、民衆に皇帝の権力を主張したのだ。
やはり、ネロは怜悧狡猾だった。ローマ市民の特性を、誰よりも理解している。地味で堅実なものより派手なもの、厳格さよりも破廉恥を好む民衆。
皇帝万歳、ローマの守護神とネロを歓呼する市民を見れば、自ずと元老院の対応は決まっていた。
ローマでの地位を固めたネロが、ガルバ討伐のために動くのも、時間の問題だった。
甘かった。つくづくと、思う。ヴィンデクスの甘言に乗せられて、起った自分の、なんと愚かだった事か。
ガリア国境を越えた、ヴェソンティオの要塞で、ローマ軍と反乱の思案者であるヴィンデクスの軍がぶつかったと聞く。
けれどやはり、ローマ軍の世界最強を謳われた実力は伊達ではなかった。所詮ヴィンデクス如き素人の手に負えるものではない。
戦いは、そう呼ぶことすら憚られる一方的なものだった。
2万人のガリア兵が殺され、残りは逃亡した。軍を率いていたヴィンデクスは、絶望のあまり自殺したという。
なんと、無責任な。
思わずにはいられなかったけれど、死んだ男を責めるよりももっと、やるべきことがある。今後の身の振り方を、一刻も早く考えなければ。
ローマからは国賊として訴えられ、新たにネロに戦いを挑もうにも、やっとの思いでかき集めた軍隊はほとんどをヴィンデクスに貸していた。
それが失われた今となっては、手元に残るわずかばかりの兵士で、どうやって世界最強のローマ軍と戦えるというのか。
ガルバを襲った絶望は、おそらくヴィンデクス以上だった。おとなしくしてさえいれば、地方総督として、余生を静かに暮らせたはずなのに。
軽はずみな行動のせいで、安寧を失ってしまうとは。
否、まだ決まったわけではない。ガルバは今年で73歳だった。余命幾許もない、とまでは言わないが、残された人生はさほど長くもないだろう。
そこを強調して、なんとかネロに憐憫の情を抱かせることはできまいか。
決して、不可能ではない。皇帝ネロの人気は、芳しくなかった。ここで自分に恩恵を出せば、慈悲深い皇帝として、また人気を取り戻すことができるのではないかと提案してみよう。
慈悲を請う哀れな姿を見せて縋りつけば、あの誇りだけは人一倍高い皇帝はきっと、許しを与えるはずだ。
考えつくが早いか、ガルバは謝罪の手紙をしたためるために机に向かった。
「ガルバ様! お喜び下さい、我らの勝利です!」
無礼を叱責する間もなかった。嬉しげに上げられた声に、耳を疑う。
「――なに?」
「ですから、元老院や軍隊、ローマ市民さえもガルバ様、あなたを皇帝に推挙しているのです!」
報告を、鵜呑みにするのは危険だった。
しかし、伝えに来た使者はガルバも信用している男。彼が騙されている可能性はあるが、彼がガルバを騙すことはない。
嬉々とした使者の顔を、呆然と見つめる。
真実だとはっきりしたわけではない。甘言に乗ってローマに戻れば、待ち構えていたネロに捕まり、処刑されることもあり得た。
けれど信じて進む以外、この絶望から抜け出す方法はない。
ふと、机上にある書きかけの手紙に目を落とす。
それを手に取ると、ぐっと握り潰した。
神は私の味方だ――きっと。
疑心を拭えぬまでも、ガルバはもう一度、冒険に身を投じる決意をした。
0
お気に入りに追加
9
あなたにおすすめの小説
夕映え~武田勝頼の妻~
橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。
甲斐の国、天目山。
織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。
そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。
武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。
コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。
枢軸国
よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年
第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。
主人公はソフィア シュナイダー
彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。
生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う
偉大なる第三帝国に栄光あれ!
Sieg Heil(勝利万歳!)
西涼女侠伝
水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超
舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。
役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。
家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。
ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。
荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。
主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。
三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)
涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。
ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て
せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。
カクヨムから、一部転載
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜
雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。
そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。
これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。
主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美
※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。
※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。
※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。
【完結】女神は推考する
仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。
直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。
強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。
まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。
今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。
これは、大王となる私の守る為の物語。
額田部姫(ヌカタベヒメ)
主人公。母が蘇我一族。皇女。
穴穂部皇子(アナホベノミコ)
主人公の従弟。
他田皇子(オサダノオオジ)
皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。
広姫(ヒロヒメ)
他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。
彦人皇子(ヒコヒトノミコ)
他田大王と広姫の嫡子。
大兄皇子(オオエノミコ)
主人公の同母兄。
厩戸皇子(ウマヤドノミコ)
大兄皇子の嫡子。主人公の甥。
※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。
※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。
※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。)
※史実や事実と異なる表現があります。
※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/history.png?id=c54a38c2a36c3510c993)
土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる