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第八章
背徳
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「――どう、とは」
覚悟を決めたルキウスの問いかけへの返答は、ガイウスらしくもない愚鈍なものだった。
ごくりと喉を鳴らした音が、静寂の中に響く。
「公表するか、と訊いている。私を、皇帝から罪人へと引きずり落とす好機だ」
オクタヴィアを死に追いやったルキウスを、ガイウスが心の底で憎んでいる可能性はある。
こうやって補佐に回るのも、ひとえにオクタヴィアが望んでいたからに過ぎないのではないか。
合法的に葬り去る機会を得れば、動かないとは限らない。
「――もし」
ガイウスが、ぽつりと呟く。
「もし、私が――」
俯いていたガイウスが、ほんの一瞬目を上げた。睨みつけるルキウスと、視線が絡んだ瞬間、狼狽を示すようにまた俯く。
その、らしくもない怯弱な様が、神経を逆撫でた。
「あなたが、なんだ」
「――いえ……」
「口にできないと言うのなら、私が続けてやろう。私が告発すると言ったら、あなたはどうする、と逆に問いたかったのだろう?」
「そのようなことは――!」
「答えは簡単だ。そのようなことはさせない。たとえ、あなたを殺すことになっても、だ」
苛立ちが口にさせたのは、できもしない脅し文句だった。
できるはずがない。愛しいオクタヴィアをさえ嫉妬で追いつめる程に想った相手に死を賜るなど。
「――ふふっ」
視線を合わせることすら恐れていたのではないのか。
唖然とした表情を晒したかと思うと、ガイウスは急に含み笑いを洩らす。
怪訝に眉を顰めたルキウスに対して、失礼、と口元を手で覆った。
「たしかに、私はあなたに問いかけようとしていた。けれどやはり、問うまでもなかったようだ。今の、あなたの言葉がすべてを物語っている」
眉根を寄せた、寂しげな笑み。
ゆっくりと開かれた口が発したのは、心なしか震えた声だった。
「もし私があなたのために命を落としたとして、それ程までに想って下さいますか、と。――答えは、否だ。ブリタニクス様や――オクタヴィア様には、到底勝てない。お二人の犠牲の上にある皇帝の地位を守るためなら、私を殺すと仰るのだから」
くすりと笑う声が、続く。
言葉は、決して難しくない。なのに、何が言いたいのか理解できなかった。
――したく、なかった。
「皇帝、私は――」
ガイウスの手が、こちらに向かって伸ばされてくる。
「私は、あなたが好きです」
続けられたのは、熱っぽい囁き。
抱きすくめられて、ただただ唖然とする。
驚きの後、次に浮いたのは恐怖を越えた、憤りだった。
「莫迦なことを」
吐き捨てると同時、ガイウスの腕を力いっぱいに振り払う。
「私が女だと知ったのは、たった今ではないか。ふざけているのか。それとも、私を愚弄するつもりか」
「違います! 私は、ずっと以前から――」
「あり得ない。あなたは男に興味はないはずだ。そのあなたが私に懸想など、考えられない」
「ですが、本当に――」
「そうか」
弁明は、偽りの臭いがした。そうとしか、思えなかった。
――吐き気がする。
「わかった。私を女と知り、侮った。その上で欲情でもしたのか」
見損なった。心の底からの嫌悪感は、ガイウスに対し、そして自分自身へと向けられていた。
オトと違い、ガイウスはそのような劣情とは無縁だと考えていた。なのに、人の弱みにつけこみ、自らの欲を満たそうとするとは。
このような男のために、大切なオクタヴィアを苦しめてしまったのか。
愛しい彼女を、死なせてしまったのか。
何より、それを見抜けなかった自分の愚かさが、腹立たしい。
「――やはり皇帝にとって私は、その程度の男と思われているのですね」
反論、なのだろうか。ガイウスは激高しない。悲しげに眉を歪ませ、それにもまして辛そうな笑みが口元を飾る。
「確かに私は、同性愛を嫌っていました。――だからこそ、辛かった。己が嫌うその感情を、敬愛すべき皇帝に抱いているのだと思えば……罪悪感と、自己譴責に苛まれていました」
俯くと、長い睫毛が震えているのが見えた。
闇夜の中でも輝く琥珀の瞳が、陰る。その様が、ガイウスの心痛を言葉以上に物語っているようだった。
「あなたが行ったオクタヴィア様への非道に対する憤りは、本当です。憎しみすら抱いたことも、否定しません。――憎む傍ら、どこかで安堵していました。背徳的な感情を、ようやく捨てることができた、と。けれど――」
唇から零れ落ちた溜め息は、目に見えるかと思う程重かった。
「けれどオクタヴィア様が――亡くなれられて。アウグスタ様に接する姿に……以前と同じ、いえ、それ以上に、惹かれていました」
ずっと、辛かった。
付け加えて上げられたガイウスの目は、真摯なものだった。
「あなたを、お慕い申し上げております。――ようやく、認められる」
今にも泣き出しそうな微笑みに見つめられて、ルキウスはただ、黙る。
出会った時から、二年の時が過ぎた。
憎しみとの間に揺らぎながらも、決して消えなかった想いが今、成就しようとしている。望んでも手に入らぬと諦めていたものが、すぐ手の届くところにある。
けれど、喜ぶ気にはなれない。嬉しさよりも、罪悪感の方が強かった。
今日はオクタヴィアが亡くなってまだ、一年目の命日だった。彼女への償いが何一つできていない中、自分一人が幸せになれるはずもない。
否、オクタヴィアはずっと、ルキウスの幸せを願ってくれていた。それこそが自分の幸せだと、言ってくれていたではないか。
あまりにも身勝手な解釈が浮かぶ。自分本位の考えだと理解できる程度にはまだ、理性が残っていた。
ガイウスは、そっとルキウスの手を握りしめる。身が竦むも、もう振りほどくこともできなかった。
「ご安心ください。私は、誰にもあなたの秘密は話さない。たとえ、あなたに私の想いが届かなくても――代償に何かを求めることもしない」
誓います、と続けられるまでもない。ガイウスならば確かに、そうするだろう。言葉や暴力で奪い取るような男ではない。
問題はもはや、ガイウスの上にではなく、ルキウスにあった。
「けれど――」
「信用はできませんか?」
何を言うでもなく、言い訳に近い状態で口にした否定の接続詞に、ガイウスは穏やかに笑う。
「当然だ。ことは重大事、あなたの名誉や命を脅かすものなのだから。――だから」
小さく微笑みを浮かべたまま、ガイウスは躊躇いも見せずに口を開く。
「お望みであれば、私の、この命を捧げます」
ハッと、息を飲んだ。
オクタヴィアがかつて、口にした言葉を思い出す。一度の情けを受けられたのなら、好きなように処断してくれて構わない、と。
あの時からずっと、彼女はルキウスを愛してくれた。そして言葉通り、ルキウスのために死んでしまった。
ガイウスもまた、同じことをしようと言うのか。
「――嫌だ」
言葉と共に、涙が落ちる。
落ちた滴が、ガイウスの手を濡らした。
「――皇帝?」
「皆、私のために死ぬと言う。――何故、私を置いて行こうとする……?」
もう、堪えきれなかった。涙も、嗚咽も、想いも零れ出していく。
「何故誰も、私のために生きるとは言ってくれないのか」
ルキウスのせいで、ブリタニクスは殺された。
オクタヴィアが自ら命を絶ったのも、ルキウスのためにという理由だった。
ガイウスも、秘密を守るために死んでも構わないと言う。
――ルキウスは誰の死も望んでいないのに。
共に生きる、そう言ってくれる人は――いない。
ガイウスの手を振り払い、両手で顔を覆った。
こうやって泣くことを教えてくれたのは、オクタヴィアだった。
思い出せばなお、辛くなる。
「皇帝――」
こくんと、ガイウスが喉を鳴らすのが聞こえた。
「そのような言葉を聞いては、私は――自惚れてしまう」
自惚れではない、それが真実なのだと口にできるほど、厚顔にはなれなかった。罪の意識が、胸をぎりぎりと締め付ける。
ルキウスの頬に当てられたガイウスの手が、熱い。
顔を上げると、複雑な表情が見て取れた。心痛と戸惑い、躊躇いと、そして――高揚と。
ガイウスの顔が近づいてきて、唇が重なる。
幾度となくくり返した、オクタヴィアとの口づけとは異なる感触に、身が竦む。
想い人と心を通わせることができて、喜ぶべきなのだろう。幸せと感じなければならないのだろう。
けれどそれ以上に、重苦しい気持ちを払拭できなかった。
抵抗の意思がないことが伝わったのかもしれない。次第にガイウスの口づけが熱を帯びていく。
頬を、髪を撫でていた手が背中に回り、抱き上げられた瞬間に、彼の望みを悟った。
「嫌だ」
寝台に横たえられ、体重を預けてくるガイウスの胸を押し返そうとした。力強い腕の中で、必死で身をよじって逃げようとする。
「頼む、今日は――今日だけは、やめてくれ」
想いが通じた以上、いずれは彼を受け入れる日がくるかもしれない。
けれど今日は、オクタヴィアの命日だ。それもまだ、一年しか経っていない。
なのに、その日に彼女と眠った寝台で他の男と寝るなど。
「――皇帝」
抗う手は、ガイウスに易々と押さえつけられる。
「あなたが欲しい。他でもない、今、この時に」
耳元に、囁きと共に熱い吐息が吹き込まれた。
ガイウスの気持ちが、見えた気がした。
おそらくは――オクタヴィアへの、嫉妬。
彼女はもう、この世にいない。ルキウスを巡って、争うことは不可能だった。
けれど、ルキウスの中からオクタヴィアが消えることは、決してない。
ガイウスがオクタヴィアに勝てるとしたら、唯一、ルキウスの躰を支配することだけだった。
それも、オクタヴィアの命日であるこの日に。
ガイウスはきっと、無理強いはしない。泣き喚くまでもなく、嫌だと訴えれば手を止めるだろう。
――諦めと共に。
拒絶されたことだけが、ガイウスの中で真実となる。
信用されていないなどと思われたらまた、ルキウスのために死のうなどと言い出すのではないか。
もう、一人にはなりたくない。
「――わかった」
一言だけで答えて、目を天井へと向ける。そこにオクタヴィアと、彼女の信じた神の姿を見たような気が、した。
ああ、とルキウスは喉の奥で呻く。
私は、罪を重ねる。
閉じた瞳から、涙が流れ落ちていった。
覚悟を決めたルキウスの問いかけへの返答は、ガイウスらしくもない愚鈍なものだった。
ごくりと喉を鳴らした音が、静寂の中に響く。
「公表するか、と訊いている。私を、皇帝から罪人へと引きずり落とす好機だ」
オクタヴィアを死に追いやったルキウスを、ガイウスが心の底で憎んでいる可能性はある。
こうやって補佐に回るのも、ひとえにオクタヴィアが望んでいたからに過ぎないのではないか。
合法的に葬り去る機会を得れば、動かないとは限らない。
「――もし」
ガイウスが、ぽつりと呟く。
「もし、私が――」
俯いていたガイウスが、ほんの一瞬目を上げた。睨みつけるルキウスと、視線が絡んだ瞬間、狼狽を示すようにまた俯く。
その、らしくもない怯弱な様が、神経を逆撫でた。
「あなたが、なんだ」
「――いえ……」
「口にできないと言うのなら、私が続けてやろう。私が告発すると言ったら、あなたはどうする、と逆に問いたかったのだろう?」
「そのようなことは――!」
「答えは簡単だ。そのようなことはさせない。たとえ、あなたを殺すことになっても、だ」
苛立ちが口にさせたのは、できもしない脅し文句だった。
できるはずがない。愛しいオクタヴィアをさえ嫉妬で追いつめる程に想った相手に死を賜るなど。
「――ふふっ」
視線を合わせることすら恐れていたのではないのか。
唖然とした表情を晒したかと思うと、ガイウスは急に含み笑いを洩らす。
怪訝に眉を顰めたルキウスに対して、失礼、と口元を手で覆った。
「たしかに、私はあなたに問いかけようとしていた。けれどやはり、問うまでもなかったようだ。今の、あなたの言葉がすべてを物語っている」
眉根を寄せた、寂しげな笑み。
ゆっくりと開かれた口が発したのは、心なしか震えた声だった。
「もし私があなたのために命を落としたとして、それ程までに想って下さいますか、と。――答えは、否だ。ブリタニクス様や――オクタヴィア様には、到底勝てない。お二人の犠牲の上にある皇帝の地位を守るためなら、私を殺すと仰るのだから」
くすりと笑う声が、続く。
言葉は、決して難しくない。なのに、何が言いたいのか理解できなかった。
――したく、なかった。
「皇帝、私は――」
ガイウスの手が、こちらに向かって伸ばされてくる。
「私は、あなたが好きです」
続けられたのは、熱っぽい囁き。
抱きすくめられて、ただただ唖然とする。
驚きの後、次に浮いたのは恐怖を越えた、憤りだった。
「莫迦なことを」
吐き捨てると同時、ガイウスの腕を力いっぱいに振り払う。
「私が女だと知ったのは、たった今ではないか。ふざけているのか。それとも、私を愚弄するつもりか」
「違います! 私は、ずっと以前から――」
「あり得ない。あなたは男に興味はないはずだ。そのあなたが私に懸想など、考えられない」
「ですが、本当に――」
「そうか」
弁明は、偽りの臭いがした。そうとしか、思えなかった。
――吐き気がする。
「わかった。私を女と知り、侮った。その上で欲情でもしたのか」
見損なった。心の底からの嫌悪感は、ガイウスに対し、そして自分自身へと向けられていた。
オトと違い、ガイウスはそのような劣情とは無縁だと考えていた。なのに、人の弱みにつけこみ、自らの欲を満たそうとするとは。
このような男のために、大切なオクタヴィアを苦しめてしまったのか。
愛しい彼女を、死なせてしまったのか。
何より、それを見抜けなかった自分の愚かさが、腹立たしい。
「――やはり皇帝にとって私は、その程度の男と思われているのですね」
反論、なのだろうか。ガイウスは激高しない。悲しげに眉を歪ませ、それにもまして辛そうな笑みが口元を飾る。
「確かに私は、同性愛を嫌っていました。――だからこそ、辛かった。己が嫌うその感情を、敬愛すべき皇帝に抱いているのだと思えば……罪悪感と、自己譴責に苛まれていました」
俯くと、長い睫毛が震えているのが見えた。
闇夜の中でも輝く琥珀の瞳が、陰る。その様が、ガイウスの心痛を言葉以上に物語っているようだった。
「あなたが行ったオクタヴィア様への非道に対する憤りは、本当です。憎しみすら抱いたことも、否定しません。――憎む傍ら、どこかで安堵していました。背徳的な感情を、ようやく捨てることができた、と。けれど――」
唇から零れ落ちた溜め息は、目に見えるかと思う程重かった。
「けれどオクタヴィア様が――亡くなれられて。アウグスタ様に接する姿に……以前と同じ、いえ、それ以上に、惹かれていました」
ずっと、辛かった。
付け加えて上げられたガイウスの目は、真摯なものだった。
「あなたを、お慕い申し上げております。――ようやく、認められる」
今にも泣き出しそうな微笑みに見つめられて、ルキウスはただ、黙る。
出会った時から、二年の時が過ぎた。
憎しみとの間に揺らぎながらも、決して消えなかった想いが今、成就しようとしている。望んでも手に入らぬと諦めていたものが、すぐ手の届くところにある。
けれど、喜ぶ気にはなれない。嬉しさよりも、罪悪感の方が強かった。
今日はオクタヴィアが亡くなってまだ、一年目の命日だった。彼女への償いが何一つできていない中、自分一人が幸せになれるはずもない。
否、オクタヴィアはずっと、ルキウスの幸せを願ってくれていた。それこそが自分の幸せだと、言ってくれていたではないか。
あまりにも身勝手な解釈が浮かぶ。自分本位の考えだと理解できる程度にはまだ、理性が残っていた。
ガイウスは、そっとルキウスの手を握りしめる。身が竦むも、もう振りほどくこともできなかった。
「ご安心ください。私は、誰にもあなたの秘密は話さない。たとえ、あなたに私の想いが届かなくても――代償に何かを求めることもしない」
誓います、と続けられるまでもない。ガイウスならば確かに、そうするだろう。言葉や暴力で奪い取るような男ではない。
問題はもはや、ガイウスの上にではなく、ルキウスにあった。
「けれど――」
「信用はできませんか?」
何を言うでもなく、言い訳に近い状態で口にした否定の接続詞に、ガイウスは穏やかに笑う。
「当然だ。ことは重大事、あなたの名誉や命を脅かすものなのだから。――だから」
小さく微笑みを浮かべたまま、ガイウスは躊躇いも見せずに口を開く。
「お望みであれば、私の、この命を捧げます」
ハッと、息を飲んだ。
オクタヴィアがかつて、口にした言葉を思い出す。一度の情けを受けられたのなら、好きなように処断してくれて構わない、と。
あの時からずっと、彼女はルキウスを愛してくれた。そして言葉通り、ルキウスのために死んでしまった。
ガイウスもまた、同じことをしようと言うのか。
「――嫌だ」
言葉と共に、涙が落ちる。
落ちた滴が、ガイウスの手を濡らした。
「――皇帝?」
「皆、私のために死ぬと言う。――何故、私を置いて行こうとする……?」
もう、堪えきれなかった。涙も、嗚咽も、想いも零れ出していく。
「何故誰も、私のために生きるとは言ってくれないのか」
ルキウスのせいで、ブリタニクスは殺された。
オクタヴィアが自ら命を絶ったのも、ルキウスのためにという理由だった。
ガイウスも、秘密を守るために死んでも構わないと言う。
――ルキウスは誰の死も望んでいないのに。
共に生きる、そう言ってくれる人は――いない。
ガイウスの手を振り払い、両手で顔を覆った。
こうやって泣くことを教えてくれたのは、オクタヴィアだった。
思い出せばなお、辛くなる。
「皇帝――」
こくんと、ガイウスが喉を鳴らすのが聞こえた。
「そのような言葉を聞いては、私は――自惚れてしまう」
自惚れではない、それが真実なのだと口にできるほど、厚顔にはなれなかった。罪の意識が、胸をぎりぎりと締め付ける。
ルキウスの頬に当てられたガイウスの手が、熱い。
顔を上げると、複雑な表情が見て取れた。心痛と戸惑い、躊躇いと、そして――高揚と。
ガイウスの顔が近づいてきて、唇が重なる。
幾度となくくり返した、オクタヴィアとの口づけとは異なる感触に、身が竦む。
想い人と心を通わせることができて、喜ぶべきなのだろう。幸せと感じなければならないのだろう。
けれどそれ以上に、重苦しい気持ちを払拭できなかった。
抵抗の意思がないことが伝わったのかもしれない。次第にガイウスの口づけが熱を帯びていく。
頬を、髪を撫でていた手が背中に回り、抱き上げられた瞬間に、彼の望みを悟った。
「嫌だ」
寝台に横たえられ、体重を預けてくるガイウスの胸を押し返そうとした。力強い腕の中で、必死で身をよじって逃げようとする。
「頼む、今日は――今日だけは、やめてくれ」
想いが通じた以上、いずれは彼を受け入れる日がくるかもしれない。
けれど今日は、オクタヴィアの命日だ。それもまだ、一年しか経っていない。
なのに、その日に彼女と眠った寝台で他の男と寝るなど。
「――皇帝」
抗う手は、ガイウスに易々と押さえつけられる。
「あなたが欲しい。他でもない、今、この時に」
耳元に、囁きと共に熱い吐息が吹き込まれた。
ガイウスの気持ちが、見えた気がした。
おそらくは――オクタヴィアへの、嫉妬。
彼女はもう、この世にいない。ルキウスを巡って、争うことは不可能だった。
けれど、ルキウスの中からオクタヴィアが消えることは、決してない。
ガイウスがオクタヴィアに勝てるとしたら、唯一、ルキウスの躰を支配することだけだった。
それも、オクタヴィアの命日であるこの日に。
ガイウスはきっと、無理強いはしない。泣き喚くまでもなく、嫌だと訴えれば手を止めるだろう。
――諦めと共に。
拒絶されたことだけが、ガイウスの中で真実となる。
信用されていないなどと思われたらまた、ルキウスのために死のうなどと言い出すのではないか。
もう、一人にはなりたくない。
「――わかった」
一言だけで答えて、目を天井へと向ける。そこにオクタヴィアと、彼女の信じた神の姿を見たような気が、した。
ああ、とルキウスは喉の奥で呻く。
私は、罪を重ねる。
閉じた瞳から、涙が流れ落ちていった。
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