背徳者  暴君と呼ばれた皇帝

月島 成生

文字の大きさ
上 下
33 / 78
第六章

懐妊

しおりを挟む
 翌日、執務室のルキウスを訪ねてきたのは、昨日オクタヴィアを診た医師だった。
 悪い予感が、背骨を駆け下りる。やはり彼女の病気が、重篤なものだったのではないかと、心臓が悲鳴を上げた。

 だが、それも一瞬だった。医師の顔が晴れやかなのを見れば、とても悪い知らせとは思えない。
 腕に抱えられた花束を見て、ああ、とルキウスも笑顔になる。見舞いのために、来てくれたのだろう。
 幼い頃からオクタヴィアの主治医であるから、皇帝への追従ではなく、本当に彼女を心配してくれているだろうことを思えば嬉しくなる。

「わざわざすまない。妻も喜ぶだろう」

 花束を受け取るルキウスに、医師の顔に刻まれる笑みが深くなる。

「他の贈り物は今、用意しておりますが……取り急ぎ、お祝いを申し上げたくて」

 祝い、と言ったか。
 ふと、ルキウスは眉を顰める。
 オクタヴィアの体調が崩れたことを喜ぶはずもなく、まして祝いの品まで用意するなどどう考えてもおかしな話だ。
 怪訝な表情に気付かないのか、医師は笑顔のままに続ける。

「この度は皇后様のご懐妊、おめでとうございます」

 時が、止まった。

 風景から、色彩が消え失せる。
 目を大きく見開いたまま、自分の耳を疑った。

 オクタヴィアが、妊娠した。

 ありえない。自分は一度も、彼女を抱いたことなどなかった。
 否、仮に二人の間に性的な交わりがあったとしても、女同士で子が宿ることはない。
 だとしたら、可能性は一つだけだった。

 ――オクタヴィアの、裏切り。

 鈍器で殴られたような衝撃だった。頭の芯がズキリと痛み、眩暈がする。

「――ありがとう。私も、とても喜んでいる」

 目の前が真っ白に染まり、遠のきそうになる意識の中、辛うじて微笑みを刻むことができたのは、我ながら大した自制心だったと思う。

「だがなぜ、すぐに報告をくれなかった?」

 診察は昨日だった。今日、二度目の診断をして確定したわけでもないだろう。
 だとすれば、即座に報告して然るべき内容だった。

 医師は、少し困ったような笑みになる。

「オクタヴィア様が、皇帝にはご自分からお伝えしたい、とおっしゃっておられたので……初子の妊娠ですから、お気持ちもわかりますので」

 なるほど、そう言われれば医師としては待つのは当然だった。だから伝わったであろう翌日に、こうして祝いに来たのだ。

「――そうか、気遣い感謝する」
「妊婦というのは、何かにつけて心細く感じるものです。できれば早くお戻りになって、お傍についていて下さると、オクタヴィア様もお心強いかと」
「もちろんだ。仕事が終わり次第、すぐに帰るつもりでいる。妻と――腹の子どもの元へ」

 自分では笑顔で言ったつもりだが、うまく表情を作ることができていただろうか。
 礼を残して立ち去る後ろ姿を見送るルキウスの、心臓はまるで、打ち鳴らす早鐘のようだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

夕映え~武田勝頼の妻~

橘 ゆず
歴史・時代
天正十年(1582年)。 甲斐の国、天目山。 織田・徳川連合軍による甲州征伐によって新府を追われた武田勝頼は、起死回生をはかってわずかな家臣とともに岩殿城を目指していた。 そのかたわらには、五年前に相模の北条家から嫁いできた継室、十九歳の佐奈姫の姿があった。 武田勝頼公と、18歳年下の正室、北条夫人の最期の数日を描いたお話です。 コバルトの短編小説大賞「もう一歩」の作品です。

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

ナポレオンの妊活・立会い出産・子育て

せりもも
歴史・時代
帝国の皇子に必要なのは、高貴なる青き血。40歳を過ぎた皇帝ナポレオンは、早急に子宮と結婚する必要があった。だがその前に、彼は、既婚者だった……。ローマ王(ナポレオン2世 ライヒシュタット公)の両親の結婚から、彼がウィーンへ幽閉されるまでを、史実に忠実に描きます。 カクヨムから、一部転載

【完結】女神は推考する

仲 奈華 (nakanaka)
歴史・時代
父や夫、兄弟を相次いで失った太后は途方にくれた。 直系の男子が相次いて死亡し、残っているのは幼い皇子か血筋が遠いものしかいない。 強欲な叔父から持ち掛けられたのは、女である私が即位するというものだった。 まだ幼い息子を想い決心する。子孫の為、夫の為、家の為私の役目を果たさなければならない。 今までは子供を産む事が役割だった。だけど、これからは亡き夫に変わり、残された私が守る必要がある。 これは、大王となる私の守る為の物語。 額田部姫(ヌカタベヒメ) 主人公。母が蘇我一族。皇女。 穴穂部皇子(アナホベノミコ) 主人公の従弟。 他田皇子(オサダノオオジ) 皇太子。主人公より16歳年上。後の大王。 広姫(ヒロヒメ) 他田皇子の正妻。他田皇子との間に3人の子供がいる。 彦人皇子(ヒコヒトノミコ) 他田大王と広姫の嫡子。 大兄皇子(オオエノミコ) 主人公の同母兄。 厩戸皇子(ウマヤドノミコ) 大兄皇子の嫡子。主人公の甥。 ※飛鳥時代、推古天皇が主人公の小説です。 ※歴史的に年齢が分かっていない人物については、推定年齢を記載しています。※異母兄弟についての明記をさけ、母方の親類表記にしています。 ※名前については、できるだけ本名を記載するようにしています。(馴染みが無い呼び方かもしれません。) ※史実や事実と異なる表現があります。 ※主人公が大王になった後の話を、第2部として追加する可能性があります。その時は完結→連載へ設定変更いたします。  

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

処理中です...