34 / 34
エピローグ
真相からの始まり
しおりを挟む
「はぁー、なんか、すっごい疲れたぁ」
部屋に戻ると、胡桃は自分の意識が浮上するのを感じた。表に出た途端、虚脱感に襲われてベッドに飛び込む。
うつ伏せで呟くと、くすりと笑う声が聞こえた。
「でも、ま、これで一件落着だな」
「うん、そうだね」
返事を声にして、不意に違和感を覚える。
烈牙と交信しているときは、頭の奥から聞こえてくるが、今はもっと表面的だった。少なくとも、「中」からではない。
ベッドに腰かけ直し、辺りを見渡してみる。見えるのは普通に部屋の景色と、ふよふよ浮いている霊達――いたって、いつも通りだった。
気のせいかしら。
首を傾げる胡桃の真後ろで、聞き覚えのある声がした。
「どこ見てんだ。こっちだよ」
びくっ!
身を竦ませて、恐る恐る振り返る目に、姿がはっきり見える。
「その声――もしかして、烈くん……?」
「おう」
愕然と問いかけると、こともなげに頷いた。けれど、とてもではないが粗雑な言動からは、想像もできない容貌だった。
身長はきっと、低い。
座った状態だからはっきりとはしないが、悠哉や克海と比べると、見上げる角度が全く違っていた。百七十センチの弟、千秋よりもやや小さく見える。
いかにも戦士然としていたカエサリウスよりも、ずっと華奢だった。
だが太さはないけれど、鍛えられた見事な筋肉が、腕や脚を覆っている。
顔全体には、あどけない印象があった。
なのに口角はきりりと引き締まり、端が少し吊り上がった大きな目元は凛々しさを醸し出している。
無造作に刈り込んで、後ろだけを束ねた粗雑な髪型さえ、整った顔立ちを更に際立たせていた。
なにより特筆すべきは、その鮮やかな色彩。
透き通る白い肌、金糸を編み込んだような髪の毛。
大きな瞳は、太陽の輝きを思わせる琥珀色で、唇にはほんのりと淡い桜色が滲んで――
「な、なんだよ。なにまじまじと見てんだ」
「やだ――烈くん、すっごい可愛い」
アイドルでもこれほどの美少年はいない。
ぼうっと見惚れる先で、烈牙は瞬時に茹で上がった。
「バカッ、可愛いってなんだよ、せめてカッコいいって言いやがれっ」
「うん、カッコいいでも可愛いでも、どっちでもいい」
嘆息する頬に、気恥ずかしさと照れが見える。あぁもう、と辟易した半眼で、後ろ髪をバサバサと掻き回した。
そんな乱暴な仕草さえやけに似合っていて、やっぱり「可愛い」の方が強いかしら、と考え――ふと、気づく。
「でも烈くん、昔は鬼みたいって……」
容姿のせいでそう言われた、と言っていた気がする。だからこそ月龍をしのぐ大男、顔ももっといかつい人を想像していた。
けれど目前の烈牙は、鬼どころか天使だ。
「考えてもみろ。こんなナリで、どんな大男よりも怪力なんだぜ? 逆に怖ぇだろ」
ま、死ぬほど鍛えた努力の賜物だけどな。続けられて、納得する。
「それに、下手すりゃ流れ着いた異国人すら鬼呼ばわりされる時代だぜ? 純日本人のはずなのにこんな色してちゃ、そりゃあ奇異の目で見られるさ」
片眉を上げて、くすりと笑う。
「先天性白皮症――アルビノの方が通りがいいのか? よくわかんねぇけど、悠哉に聞いた。おれらの時代じゃ白子って言ってたけどな」
「でもアルビノって、もっと真っ白じゃない?」
以前、なにかでアルビノのモデルを見たことがある。肌も髪も真っ白で、人間離れした美しさはまるで、ファンタジーに出てくるエルフだった。
烈牙の場合、白人種の中であればきっと目立たない。
「保有してる色素の量で変わるんだと。おれは重度じゃなかったってことだな。たぶんおれ程度じゃ、本来は珍しくもないんだろうが、やっぱり時代のせいだろうな」
外国の人すら珍しい時代だから、かしら? 首を傾げて、続きを待つ。
「育つ前に殺すんだ」
「――っ!?」
「立派に迫害対象だからな。家の者皆に類が及ぶ。それを避けるためにな。まぁ体も丈夫じゃねぇし、放っといても死んじまうことも多いらしいが――育っちまったら、一生地下牢に閉じ込めるってのもよくあった話だ」
今とは違う時代の話だ。とはいえそのようなことが行われていたのかと思うと、悲しい。
「幸いおれは、兄者が村の長だったし、迷信なんざクソくらえって人だったから、普通の連中と同じで自由に動き回れたけどな」
けど、あれは本当に「幸い」だったのだろうか。
「それってどういう――」
「そういや蓮も、おれほどじゃねぇけどその傾向があったよな。淡い栗色……お前と同じくらいか」
ぽつんと呟かれた言葉の意味を問うよりも早く、烈牙が口にする。
遮るような不自然さが、気になった。
「だからだろうな。余計に勘違いしちまった。――お前が、おれだって」
「勘違いって……え、でも烈くんがあたしの前世じゃ」
「ンなわけねぇよ。だとしたらなんで、こうやって別々になってんだ」
確かに。指摘されるまで思い到らなかったのだから、呆れの表情に反論できなかった。
「その鈍いとこ、本当、蓮そっくりなんだけどな」
別人なんだもんな、とぼやくように言って、肩を竦める。
「たぶんおれ、死んだあと五百年間、自覚のないまま浮遊霊だったんだな。で、いつ頃か知らねぇけどここにたどり着いた。ここは居心地がいいからな。ついい座ってて、そこにお前が来た」
チラリと流された横目が、やけに艶っぽかった。
「お前は霊感が強い上に、波長が似てる。無意識に垂れ流してたおれの記憶なり感情なりを、受け止めちまいやがった。夢を見るって形でな。――そんなお前を、おれも見つけちまった」
思い当たる節は、あった。
初めて彼らの夢を見た夜、あまりに悲しげな少年に声をかけた。
そのとき彼は、確かに反応していたのだ。
烈牙は自分の感情に同調した胡桃を見つけ、自覚なく取り憑いた。波長や姿形が似ていたせいもあって、胡桃を転生後の自分と思いこんでしまったのだろう。
「実際、初めからおかしかったんだ。悠哉が、多重人格の場合、主人格と別人格は交信できないって言ってたのに、おれたちはあっさりできるようになった。それに、おれが身体を操ってるときの尋常じゃない腕力もな」
「別人格の場合は、あり得るんじゃないの?」
「どう考えても、お前の潜在能力以上だろ」
それにしたって異常だ。確かに悠哉もそう言っていた。
「昔から鬼に憑かれた人間は怪力になると相場が決まってる。――ったく、参るよな。生前、散々鬼呼ばわりされてたおれが、本当に鬼になっちまうなんてな」
「――鬼?」
「ああ。今の世じゃ、鬼って言ったら角が生えた巨人や異形を指すみたいだけどな。おれたちの時代じゃ、霊や魑魅魍魎、物の怪の類もすべて鬼って呼ばれてた。幽鬼って言葉もあるだろ」
だから今のおれってこった。
両手を広げるおどけた仕草が、なぜか物悲しい。
「で、おれはお前に取り憑いた。おれの気配に引き寄せられて、月龍まで来た。波長の近い克海を転生後の自分と思いこんで――ってわけさ」
「でも、烈くんは最後だからわかるけど、月龍はなんでだろ? 槐さんになるんじゃないのかな?」
「さてな。霊ってのは要するに精神体だからな。たぶんもっとも未練が強くて、この世に執着を残したヤツの姿になるんじゃねぇか?」
自分で言うのもなんだけどよ。つけ加える声と顔には、自嘲が見えた。
「とにかく、要するに今回の一連の事件、原因はおれだったってことさ。とんだお笑い草だぜ。元凶たるおれが、お前を守ってやってるつもりだったんだからな」
豪快な笑いはわざとらしくて、かける言葉も見つからなかった。
飄々とした様子を崩さないけれど、ずっと傍にいたからもう烈牙の性格はわかっている。きっと自責の念に駆られて、胸を痛めているに違いなかった。
烈牙の心情が気遣わしくて、ただ見上げているだけの視線を察したのか。
胡桃を振り返る目が、ちらりと笑う。
「それじゃあ、そろそろ行くわ」
「行くって……どこに?」
「自分の正体知っちまったからな。ここにゃいられねぇだろ」
「えっ、なんで?」
なにか問題があるのだろうか。
本気でわからなくて尋ねると、肺が空になるような深いため息を吐かれてしまった。
「お前は元々、霊感が強い。それが開花されたのは、越してくる前みたいに短時間じゃなくて、ここの磁場に長いこと触れたからだろう。もしかしたら波長が近いおれが、影響を与えちまった可能性もある。問題の種は、少ないにこしたことはねぇ」
「でも――」
「お前がおれの転生だったら、仕方ねぇから面倒事も諦めてくれって言うさ。けどお前は無関係なんだ。なのに巻き込んで、そうとわかってて、居座るわけにもいかんさ」
「だからって……」
「お前の、喉の傷」
否定を口にすることもできなかった。
烈牙の口の端に、痛々しい笑みが滲む。
「あれ、おれがやったのかもしれない」
「――!?」
続けられたのは、信じがたい台詞だった。
烈牙はいつも、味方をしてくれた。彼が胡桃を傷つけるなど、あり得ない。
愕然と瞠る胡桃の視線を遮るように、烈牙はすっと左腕を前に伸ばす。
肩の位置よりも少し高い所にある手を見上げる横顔につられて、胡桃も目を向けた。
「この腕、覚えがないか?」
烈牙の体格と比して、大きな手だった。白皙の肌、筋と血管が浮いた、逞しい手の甲。
なにもない空間で、ゆっくりと拳が握られる。
――まるで、目に見えない短刀を掴むように。
近づいてくるその手は、夢の中で喉を斬り裂いたのと同じ動作だった。
「――いや……っ!」
痛みを思い出し、咄嗟に顔を覆った。
蘇った恐怖に、体が震える。
ハッ、と短いため息のような、笑い声のようなものが聞こえた。
「あのときお前は、右手で首を押さえた。なのに、左手も血に濡れていた。理由はこれだ」
烈牙が過去を思い出しながら、胡桃の体を操った。
短刀はなかったけれど、爪で皮膚を切り裂いた――
怖いと思った。
それ以上に、悲しかった。
胡桃にとっては「怖い夢」でしかないけれど、烈牙にとってはそれこそが現実だったのだから。
「まったく自覚がなかったとはいえ、お前を傷つけてた。これから先、また同じことが起きないとは限らねぇ」
だから出て行くというのか。
あてもなく、ただ辛い想いを抱えたまま彷徨い続けると。
「でもそれは、自我がなかった頃だから――今はもう、大丈夫よ」
「どうかな。悪霊っているだろ。おれだっていつ、そうなるかわからねぇ」
「だから、大丈夫。これからちゃんと、術のお勉強するから」
今までよりももっと、ずっと真剣に。
は? と問い返してくる怪訝顔に、にっこり笑って見せた。
「もし、万が一烈くんが暴走したって、あたしがちゃんと調伏してあげる。誰かに迷惑かける前に、あたしが止めてあげる。だから――」
「バーカ。それじゃお前に迷惑かけるのは変わらねぇだろ」
わかんねぇ女だな。ひとこと呟いて、苦笑する。
そしてとても霊体とは思えないくらいリアルに、よっと声をかけてベッドから腰を上げた。
このまま、去るつもりだ。
思った瞬間、覚悟を決めた。
五大明王の名と、転法輪印――真言。
意図に気づかないはずもなく、烈牙はまともに顔色を変えた。
「バカお前、金縛呪って――!」
最後の九字を切った刹那、空気がびりびりと震えた。
全身を襲う圧力を、気力でねじ伏せる。一度実感したから、要領はわかっていた。失敗はないはずだ。
否、仮に失敗してもいいと思っていた。そうしたらきっと、烈牙が術の暴走を止めてくれる。
烈牙が、胡桃を見捨てて逃げることは、絶対にない。
「捕まえちゃった」
立ち上がり、伸ばした手で烈牙の腕を掴む。
「烈くん、自分勝手よ。あたしの気持ち、まったく考えてない」
「お前の気持ち?」
「烈くんがこのままいなくなったら、ずーっと心配しちゃうもの。ちゃんと成仏できたかな、どっかで悲しんでないかなって」
「ンなの、お前が気にすることじゃねぇ。おれのことなんかさっさと忘れて――」
「忘れられるわけないでしょ!」
胡桃にしては珍しく、声を荒げる。瞬間、物理的ではない「力」が強まった。
烈牙の眉が歪むのを見て、いけない、と調節する。決して、彼を苦しめたいわけではない。
「伊達に取り憑かれてたわけじゃないもん。すっかり感情移入しちゃってる。とても他人とは思えないし、そうだ、烈くん、責任取ってよ!」
「責任?」
「だってあたし、烈くんのせいで力、開花させちゃったんでしょ?」
「そりゃあきっかけだったろうとは思うが……でもな、お前くらい強けりゃ、遅かれ早かれ覚醒したんじゃねぇか?」
「だったらそもそも、なぁんにも気に病む必要ないよ!」
言い訳じみた発言に、言質を取ったとばかりに畳みかける。
「烈くんのせいじゃなかった。だとすればあたしがただ、なんとかしなきゃいけない問題だったってこと。でもあたしはまだまだ、一人前じゃない。烈くん、そんなあたしを見捨てて行っちゃうの? あたしのことなんか、どうでもいい?」
「ばか、ンなはず――」
「あたしは烈くん好きだよ」
我慢できなかった涙が、頬を伝うのを感じていた。
「大好きだよ、烈くん。迷惑かけられたなんて、全然思ってない。だからここにいて――心配なんか、させないで」
またぽろりと、涙が溢れた。
まっすぐに胡桃を見つめ返す烈牙の、複雑な表情が見える。戸惑いと驚愕、そしてわずかに喜色が浮いていると見えたのは、願望だろうか。
「――へっ」
やがて視線をそらし、俯いた横顔が笑声を洩らす。気まずそうに胡桃を見て、小さく笑った。
「だから言ったろ。おれの顔見たら、お前が惚れちまうってさ」
照れ隠しのための、冗談だった。わかるから、くすりと笑ってそうだねと応える。
俯き、溢れた涙を拭ったとき、ふわりと抱きしめられた。
「――ありがと、な」
耳元で囁きかけてくる声に、涙の成分があった。
泣き顔、見られたくないのかな。微笑ましく思いながら、そっと烈牙の背中に手を回す。
不思議だった。
霊体でも温かい。生きている人間と、変わらなかった。
「けど、脅しながらの告白って、お前どんだけ……」
くっくっと喉を鳴らしながら、烈牙がやんわりと身を離す。見つめてくれる眼差しが温かくて、胡桃も微笑み返した。
「術を解いてくれ、胡桃」
「いや!」
少し首を傾げて笑う烈牙に、反射的に返す。
伝わったと思っていた。烈牙の気持ちも理解できたと思っていたのに、自惚れに過ぎなかったのか。
「頼むぜ、ほんと」
ぎゅっと縋りつくと、苦笑された。
「この、術に捕まってるっての、けっこう痛いんだぜ? もう逃げたりしねぇからさ」
「え、ごめん!」
痛い、の単語に、術を解くのと同時に手を離したのは、無意識だった。
そのあとでようやく、逃げないと約束してくれたことに気づく。
「じゃあ、ここに?」
「おう。お前の言う通り、役に立つ可能性もある。他人とは思えないのも、おれも一緒だ。波長が似てるってことは感性も似てる。まさかとは思うが、おれ達の二の轍を踏まねぇように、見張っといてやるよ」
鼻の頭を指先でカリカリ掻くのは、照れているからか。
言葉を聞く限りでは、大丈夫に思う。
けれど不安に駆られて、重ねて問いかけた。
「えっと、あたしが素敵な人と幸せになるまではずっと、いてくれるってこと?」
「いやぁ、それは約束できねぇな」
だったらあえてそのような人を探さない、というのも手だ。
小賢しく考えたのが伝わってしまったか、烈牙の返事は曖昧だった。
けれど、ニッと刻まれたいたずらな笑顔に、暗さはない。
「だって、それよりも先におれが成仏するかもしれねぇだろ」
胡桃が幸せになるのが先か、烈牙が成仏するのが先か。
前向きな競争は、たとえどちらが勝っても負けても、嬉しいことに変わりない。
「――つぅわけだ。悪ぃな、月龍」
うんうんと、喜びに幾度も首肯していた胡桃から顔を背け、烈牙が苦く笑った。
え、と視線を追った先に、すっと月龍の姿が浮かび上がる。
しかつめらしい顔つきだけれど、気まずそうな雰囲気が漂っていた。
思わず、ムッとしてしまう。
「ずっと、隠れて見てたの?」
「いや――」
「おれが待たせてたんだ」
狼狽える月龍に代わり、烈牙が肩を竦める。
「さっきまでのおれかよ。月龍ってだけで拒絶反応しやがって」
ガリガリと頭を掻く困惑の仕草より、言葉の方が気にかかった。かたんと首を傾げる。
「待たせてたって?」
「こんな変則的に会ったのも運命だと思ってよ。一緒にいりゃ、またなんか動きがあるかもしれねぇし。旅は道連れってな」
なるほど、二人は「またな」と言い交わしていた。あれは「いずれ会うそのときに」ではなく、本当に「またあとで」との意味だったのか。
それを受けて、うーんと悩む。
「二人っきりでいたかった? もしかしてあたし、ラブラブの邪魔しちゃったのかな」
「語弊のある言い方すんな。気色悪い」
ぶるりと大仰に身を震わせて、続けた。
「胡桃の言うことも一理あるし、なにより約束したから。おれはここにいる。だから――」
「わかっている」
眉間にしわを寄せた表情ながらも、月龍にもう、狂気は見えない。静かな笑みを滲ませた唇が、ゆっくりと開かれた。
「今度は本当の――別れだな」
はぁぁぁぁぁ。
ひとりで出て行く。
覚悟のひとことだったのはわかる。
わかるけれど、烈牙と胡桃のため息が、盛大に重なった。
「お前、こいつのことわかってねぇよな」
「ホント」
首を振り振り、呆れる烈牙に、胡桃も腰に手を当てて同意した。
「一人も二人も一緒。月龍と烈くん、2人まとめて面倒見てあげる」
あえて偉そうに言ったのは、きっと彼らはその方が罪悪感を覚えずにすむはずだから。
烈牙はすっかり慣れているからくっくっと笑っているが、月龍は「えっ、いや……」などとまだ戸惑った様子である。
もう決まったことだと示すために、追い打ちをかけた。
「あ、でも月龍はずっとお部屋に一緒って言うのはちょっと。遠からず近からずってとこにいてほしいな?」
部屋にうろうろしてる浮遊霊と変わらないとはいえ、悠哉とよく似た顔を四六時中見ているのは落ち着かない。着替えなども、平気でできるとは思えなかった。
月龍が一瞬、傷ついた顔をした気もするが、気づかなかったふりをする。
現れたときと同様、すっと姿がかき消えた。けれど気配は近くにあるので、もう慌てることはない。
「蓮もお前くらいサバサバしてりゃ、あいつともうまくいったかもな」
くすりと笑った烈牙の気配が、姿と共に薄くなる。
「れ、烈くん?」
(ここにいる)
月龍が姿を消すのとは違う感じに、わずかに焦りが生じるもすぐに納得した。
月龍は外にいる。だが烈牙は中にいる。だから気配が一瞬、途絶えたように感じられたのだ。
ほっと息を吐いて、おかしくなった。
(取り憑かれてるのを自覚して安心するっているのも、おかしなお話)
(違いねぇな)
感想に、ははっと笑う声が、いつも通り自分の内から聞こえた。
ふと、視界の端に見えた窓と、外の天気の良さにつられて、窓際へと進む。オレンジ色に輝く夕日が、とても綺麗だった。
窓を開けると、さわさわと心地よい音と感触がある。
一陣の風に、ふわりと髪が舞った。
部屋に戻ると、胡桃は自分の意識が浮上するのを感じた。表に出た途端、虚脱感に襲われてベッドに飛び込む。
うつ伏せで呟くと、くすりと笑う声が聞こえた。
「でも、ま、これで一件落着だな」
「うん、そうだね」
返事を声にして、不意に違和感を覚える。
烈牙と交信しているときは、頭の奥から聞こえてくるが、今はもっと表面的だった。少なくとも、「中」からではない。
ベッドに腰かけ直し、辺りを見渡してみる。見えるのは普通に部屋の景色と、ふよふよ浮いている霊達――いたって、いつも通りだった。
気のせいかしら。
首を傾げる胡桃の真後ろで、聞き覚えのある声がした。
「どこ見てんだ。こっちだよ」
びくっ!
身を竦ませて、恐る恐る振り返る目に、姿がはっきり見える。
「その声――もしかして、烈くん……?」
「おう」
愕然と問いかけると、こともなげに頷いた。けれど、とてもではないが粗雑な言動からは、想像もできない容貌だった。
身長はきっと、低い。
座った状態だからはっきりとはしないが、悠哉や克海と比べると、見上げる角度が全く違っていた。百七十センチの弟、千秋よりもやや小さく見える。
いかにも戦士然としていたカエサリウスよりも、ずっと華奢だった。
だが太さはないけれど、鍛えられた見事な筋肉が、腕や脚を覆っている。
顔全体には、あどけない印象があった。
なのに口角はきりりと引き締まり、端が少し吊り上がった大きな目元は凛々しさを醸し出している。
無造作に刈り込んで、後ろだけを束ねた粗雑な髪型さえ、整った顔立ちを更に際立たせていた。
なにより特筆すべきは、その鮮やかな色彩。
透き通る白い肌、金糸を編み込んだような髪の毛。
大きな瞳は、太陽の輝きを思わせる琥珀色で、唇にはほんのりと淡い桜色が滲んで――
「な、なんだよ。なにまじまじと見てんだ」
「やだ――烈くん、すっごい可愛い」
アイドルでもこれほどの美少年はいない。
ぼうっと見惚れる先で、烈牙は瞬時に茹で上がった。
「バカッ、可愛いってなんだよ、せめてカッコいいって言いやがれっ」
「うん、カッコいいでも可愛いでも、どっちでもいい」
嘆息する頬に、気恥ずかしさと照れが見える。あぁもう、と辟易した半眼で、後ろ髪をバサバサと掻き回した。
そんな乱暴な仕草さえやけに似合っていて、やっぱり「可愛い」の方が強いかしら、と考え――ふと、気づく。
「でも烈くん、昔は鬼みたいって……」
容姿のせいでそう言われた、と言っていた気がする。だからこそ月龍をしのぐ大男、顔ももっといかつい人を想像していた。
けれど目前の烈牙は、鬼どころか天使だ。
「考えてもみろ。こんなナリで、どんな大男よりも怪力なんだぜ? 逆に怖ぇだろ」
ま、死ぬほど鍛えた努力の賜物だけどな。続けられて、納得する。
「それに、下手すりゃ流れ着いた異国人すら鬼呼ばわりされる時代だぜ? 純日本人のはずなのにこんな色してちゃ、そりゃあ奇異の目で見られるさ」
片眉を上げて、くすりと笑う。
「先天性白皮症――アルビノの方が通りがいいのか? よくわかんねぇけど、悠哉に聞いた。おれらの時代じゃ白子って言ってたけどな」
「でもアルビノって、もっと真っ白じゃない?」
以前、なにかでアルビノのモデルを見たことがある。肌も髪も真っ白で、人間離れした美しさはまるで、ファンタジーに出てくるエルフだった。
烈牙の場合、白人種の中であればきっと目立たない。
「保有してる色素の量で変わるんだと。おれは重度じゃなかったってことだな。たぶんおれ程度じゃ、本来は珍しくもないんだろうが、やっぱり時代のせいだろうな」
外国の人すら珍しい時代だから、かしら? 首を傾げて、続きを待つ。
「育つ前に殺すんだ」
「――っ!?」
「立派に迫害対象だからな。家の者皆に類が及ぶ。それを避けるためにな。まぁ体も丈夫じゃねぇし、放っといても死んじまうことも多いらしいが――育っちまったら、一生地下牢に閉じ込めるってのもよくあった話だ」
今とは違う時代の話だ。とはいえそのようなことが行われていたのかと思うと、悲しい。
「幸いおれは、兄者が村の長だったし、迷信なんざクソくらえって人だったから、普通の連中と同じで自由に動き回れたけどな」
けど、あれは本当に「幸い」だったのだろうか。
「それってどういう――」
「そういや蓮も、おれほどじゃねぇけどその傾向があったよな。淡い栗色……お前と同じくらいか」
ぽつんと呟かれた言葉の意味を問うよりも早く、烈牙が口にする。
遮るような不自然さが、気になった。
「だからだろうな。余計に勘違いしちまった。――お前が、おれだって」
「勘違いって……え、でも烈くんがあたしの前世じゃ」
「ンなわけねぇよ。だとしたらなんで、こうやって別々になってんだ」
確かに。指摘されるまで思い到らなかったのだから、呆れの表情に反論できなかった。
「その鈍いとこ、本当、蓮そっくりなんだけどな」
別人なんだもんな、とぼやくように言って、肩を竦める。
「たぶんおれ、死んだあと五百年間、自覚のないまま浮遊霊だったんだな。で、いつ頃か知らねぇけどここにたどり着いた。ここは居心地がいいからな。ついい座ってて、そこにお前が来た」
チラリと流された横目が、やけに艶っぽかった。
「お前は霊感が強い上に、波長が似てる。無意識に垂れ流してたおれの記憶なり感情なりを、受け止めちまいやがった。夢を見るって形でな。――そんなお前を、おれも見つけちまった」
思い当たる節は、あった。
初めて彼らの夢を見た夜、あまりに悲しげな少年に声をかけた。
そのとき彼は、確かに反応していたのだ。
烈牙は自分の感情に同調した胡桃を見つけ、自覚なく取り憑いた。波長や姿形が似ていたせいもあって、胡桃を転生後の自分と思いこんでしまったのだろう。
「実際、初めからおかしかったんだ。悠哉が、多重人格の場合、主人格と別人格は交信できないって言ってたのに、おれたちはあっさりできるようになった。それに、おれが身体を操ってるときの尋常じゃない腕力もな」
「別人格の場合は、あり得るんじゃないの?」
「どう考えても、お前の潜在能力以上だろ」
それにしたって異常だ。確かに悠哉もそう言っていた。
「昔から鬼に憑かれた人間は怪力になると相場が決まってる。――ったく、参るよな。生前、散々鬼呼ばわりされてたおれが、本当に鬼になっちまうなんてな」
「――鬼?」
「ああ。今の世じゃ、鬼って言ったら角が生えた巨人や異形を指すみたいだけどな。おれたちの時代じゃ、霊や魑魅魍魎、物の怪の類もすべて鬼って呼ばれてた。幽鬼って言葉もあるだろ」
だから今のおれってこった。
両手を広げるおどけた仕草が、なぜか物悲しい。
「で、おれはお前に取り憑いた。おれの気配に引き寄せられて、月龍まで来た。波長の近い克海を転生後の自分と思いこんで――ってわけさ」
「でも、烈くんは最後だからわかるけど、月龍はなんでだろ? 槐さんになるんじゃないのかな?」
「さてな。霊ってのは要するに精神体だからな。たぶんもっとも未練が強くて、この世に執着を残したヤツの姿になるんじゃねぇか?」
自分で言うのもなんだけどよ。つけ加える声と顔には、自嘲が見えた。
「とにかく、要するに今回の一連の事件、原因はおれだったってことさ。とんだお笑い草だぜ。元凶たるおれが、お前を守ってやってるつもりだったんだからな」
豪快な笑いはわざとらしくて、かける言葉も見つからなかった。
飄々とした様子を崩さないけれど、ずっと傍にいたからもう烈牙の性格はわかっている。きっと自責の念に駆られて、胸を痛めているに違いなかった。
烈牙の心情が気遣わしくて、ただ見上げているだけの視線を察したのか。
胡桃を振り返る目が、ちらりと笑う。
「それじゃあ、そろそろ行くわ」
「行くって……どこに?」
「自分の正体知っちまったからな。ここにゃいられねぇだろ」
「えっ、なんで?」
なにか問題があるのだろうか。
本気でわからなくて尋ねると、肺が空になるような深いため息を吐かれてしまった。
「お前は元々、霊感が強い。それが開花されたのは、越してくる前みたいに短時間じゃなくて、ここの磁場に長いこと触れたからだろう。もしかしたら波長が近いおれが、影響を与えちまった可能性もある。問題の種は、少ないにこしたことはねぇ」
「でも――」
「お前がおれの転生だったら、仕方ねぇから面倒事も諦めてくれって言うさ。けどお前は無関係なんだ。なのに巻き込んで、そうとわかってて、居座るわけにもいかんさ」
「だからって……」
「お前の、喉の傷」
否定を口にすることもできなかった。
烈牙の口の端に、痛々しい笑みが滲む。
「あれ、おれがやったのかもしれない」
「――!?」
続けられたのは、信じがたい台詞だった。
烈牙はいつも、味方をしてくれた。彼が胡桃を傷つけるなど、あり得ない。
愕然と瞠る胡桃の視線を遮るように、烈牙はすっと左腕を前に伸ばす。
肩の位置よりも少し高い所にある手を見上げる横顔につられて、胡桃も目を向けた。
「この腕、覚えがないか?」
烈牙の体格と比して、大きな手だった。白皙の肌、筋と血管が浮いた、逞しい手の甲。
なにもない空間で、ゆっくりと拳が握られる。
――まるで、目に見えない短刀を掴むように。
近づいてくるその手は、夢の中で喉を斬り裂いたのと同じ動作だった。
「――いや……っ!」
痛みを思い出し、咄嗟に顔を覆った。
蘇った恐怖に、体が震える。
ハッ、と短いため息のような、笑い声のようなものが聞こえた。
「あのときお前は、右手で首を押さえた。なのに、左手も血に濡れていた。理由はこれだ」
烈牙が過去を思い出しながら、胡桃の体を操った。
短刀はなかったけれど、爪で皮膚を切り裂いた――
怖いと思った。
それ以上に、悲しかった。
胡桃にとっては「怖い夢」でしかないけれど、烈牙にとってはそれこそが現実だったのだから。
「まったく自覚がなかったとはいえ、お前を傷つけてた。これから先、また同じことが起きないとは限らねぇ」
だから出て行くというのか。
あてもなく、ただ辛い想いを抱えたまま彷徨い続けると。
「でもそれは、自我がなかった頃だから――今はもう、大丈夫よ」
「どうかな。悪霊っているだろ。おれだっていつ、そうなるかわからねぇ」
「だから、大丈夫。これからちゃんと、術のお勉強するから」
今までよりももっと、ずっと真剣に。
は? と問い返してくる怪訝顔に、にっこり笑って見せた。
「もし、万が一烈くんが暴走したって、あたしがちゃんと調伏してあげる。誰かに迷惑かける前に、あたしが止めてあげる。だから――」
「バーカ。それじゃお前に迷惑かけるのは変わらねぇだろ」
わかんねぇ女だな。ひとこと呟いて、苦笑する。
そしてとても霊体とは思えないくらいリアルに、よっと声をかけてベッドから腰を上げた。
このまま、去るつもりだ。
思った瞬間、覚悟を決めた。
五大明王の名と、転法輪印――真言。
意図に気づかないはずもなく、烈牙はまともに顔色を変えた。
「バカお前、金縛呪って――!」
最後の九字を切った刹那、空気がびりびりと震えた。
全身を襲う圧力を、気力でねじ伏せる。一度実感したから、要領はわかっていた。失敗はないはずだ。
否、仮に失敗してもいいと思っていた。そうしたらきっと、烈牙が術の暴走を止めてくれる。
烈牙が、胡桃を見捨てて逃げることは、絶対にない。
「捕まえちゃった」
立ち上がり、伸ばした手で烈牙の腕を掴む。
「烈くん、自分勝手よ。あたしの気持ち、まったく考えてない」
「お前の気持ち?」
「烈くんがこのままいなくなったら、ずーっと心配しちゃうもの。ちゃんと成仏できたかな、どっかで悲しんでないかなって」
「ンなの、お前が気にすることじゃねぇ。おれのことなんかさっさと忘れて――」
「忘れられるわけないでしょ!」
胡桃にしては珍しく、声を荒げる。瞬間、物理的ではない「力」が強まった。
烈牙の眉が歪むのを見て、いけない、と調節する。決して、彼を苦しめたいわけではない。
「伊達に取り憑かれてたわけじゃないもん。すっかり感情移入しちゃってる。とても他人とは思えないし、そうだ、烈くん、責任取ってよ!」
「責任?」
「だってあたし、烈くんのせいで力、開花させちゃったんでしょ?」
「そりゃあきっかけだったろうとは思うが……でもな、お前くらい強けりゃ、遅かれ早かれ覚醒したんじゃねぇか?」
「だったらそもそも、なぁんにも気に病む必要ないよ!」
言い訳じみた発言に、言質を取ったとばかりに畳みかける。
「烈くんのせいじゃなかった。だとすればあたしがただ、なんとかしなきゃいけない問題だったってこと。でもあたしはまだまだ、一人前じゃない。烈くん、そんなあたしを見捨てて行っちゃうの? あたしのことなんか、どうでもいい?」
「ばか、ンなはず――」
「あたしは烈くん好きだよ」
我慢できなかった涙が、頬を伝うのを感じていた。
「大好きだよ、烈くん。迷惑かけられたなんて、全然思ってない。だからここにいて――心配なんか、させないで」
またぽろりと、涙が溢れた。
まっすぐに胡桃を見つめ返す烈牙の、複雑な表情が見える。戸惑いと驚愕、そしてわずかに喜色が浮いていると見えたのは、願望だろうか。
「――へっ」
やがて視線をそらし、俯いた横顔が笑声を洩らす。気まずそうに胡桃を見て、小さく笑った。
「だから言ったろ。おれの顔見たら、お前が惚れちまうってさ」
照れ隠しのための、冗談だった。わかるから、くすりと笑ってそうだねと応える。
俯き、溢れた涙を拭ったとき、ふわりと抱きしめられた。
「――ありがと、な」
耳元で囁きかけてくる声に、涙の成分があった。
泣き顔、見られたくないのかな。微笑ましく思いながら、そっと烈牙の背中に手を回す。
不思議だった。
霊体でも温かい。生きている人間と、変わらなかった。
「けど、脅しながらの告白って、お前どんだけ……」
くっくっと喉を鳴らしながら、烈牙がやんわりと身を離す。見つめてくれる眼差しが温かくて、胡桃も微笑み返した。
「術を解いてくれ、胡桃」
「いや!」
少し首を傾げて笑う烈牙に、反射的に返す。
伝わったと思っていた。烈牙の気持ちも理解できたと思っていたのに、自惚れに過ぎなかったのか。
「頼むぜ、ほんと」
ぎゅっと縋りつくと、苦笑された。
「この、術に捕まってるっての、けっこう痛いんだぜ? もう逃げたりしねぇからさ」
「え、ごめん!」
痛い、の単語に、術を解くのと同時に手を離したのは、無意識だった。
そのあとでようやく、逃げないと約束してくれたことに気づく。
「じゃあ、ここに?」
「おう。お前の言う通り、役に立つ可能性もある。他人とは思えないのも、おれも一緒だ。波長が似てるってことは感性も似てる。まさかとは思うが、おれ達の二の轍を踏まねぇように、見張っといてやるよ」
鼻の頭を指先でカリカリ掻くのは、照れているからか。
言葉を聞く限りでは、大丈夫に思う。
けれど不安に駆られて、重ねて問いかけた。
「えっと、あたしが素敵な人と幸せになるまではずっと、いてくれるってこと?」
「いやぁ、それは約束できねぇな」
だったらあえてそのような人を探さない、というのも手だ。
小賢しく考えたのが伝わってしまったか、烈牙の返事は曖昧だった。
けれど、ニッと刻まれたいたずらな笑顔に、暗さはない。
「だって、それよりも先におれが成仏するかもしれねぇだろ」
胡桃が幸せになるのが先か、烈牙が成仏するのが先か。
前向きな競争は、たとえどちらが勝っても負けても、嬉しいことに変わりない。
「――つぅわけだ。悪ぃな、月龍」
うんうんと、喜びに幾度も首肯していた胡桃から顔を背け、烈牙が苦く笑った。
え、と視線を追った先に、すっと月龍の姿が浮かび上がる。
しかつめらしい顔つきだけれど、気まずそうな雰囲気が漂っていた。
思わず、ムッとしてしまう。
「ずっと、隠れて見てたの?」
「いや――」
「おれが待たせてたんだ」
狼狽える月龍に代わり、烈牙が肩を竦める。
「さっきまでのおれかよ。月龍ってだけで拒絶反応しやがって」
ガリガリと頭を掻く困惑の仕草より、言葉の方が気にかかった。かたんと首を傾げる。
「待たせてたって?」
「こんな変則的に会ったのも運命だと思ってよ。一緒にいりゃ、またなんか動きがあるかもしれねぇし。旅は道連れってな」
なるほど、二人は「またな」と言い交わしていた。あれは「いずれ会うそのときに」ではなく、本当に「またあとで」との意味だったのか。
それを受けて、うーんと悩む。
「二人っきりでいたかった? もしかしてあたし、ラブラブの邪魔しちゃったのかな」
「語弊のある言い方すんな。気色悪い」
ぶるりと大仰に身を震わせて、続けた。
「胡桃の言うことも一理あるし、なにより約束したから。おれはここにいる。だから――」
「わかっている」
眉間にしわを寄せた表情ながらも、月龍にもう、狂気は見えない。静かな笑みを滲ませた唇が、ゆっくりと開かれた。
「今度は本当の――別れだな」
はぁぁぁぁぁ。
ひとりで出て行く。
覚悟のひとことだったのはわかる。
わかるけれど、烈牙と胡桃のため息が、盛大に重なった。
「お前、こいつのことわかってねぇよな」
「ホント」
首を振り振り、呆れる烈牙に、胡桃も腰に手を当てて同意した。
「一人も二人も一緒。月龍と烈くん、2人まとめて面倒見てあげる」
あえて偉そうに言ったのは、きっと彼らはその方が罪悪感を覚えずにすむはずだから。
烈牙はすっかり慣れているからくっくっと笑っているが、月龍は「えっ、いや……」などとまだ戸惑った様子である。
もう決まったことだと示すために、追い打ちをかけた。
「あ、でも月龍はずっとお部屋に一緒って言うのはちょっと。遠からず近からずってとこにいてほしいな?」
部屋にうろうろしてる浮遊霊と変わらないとはいえ、悠哉とよく似た顔を四六時中見ているのは落ち着かない。着替えなども、平気でできるとは思えなかった。
月龍が一瞬、傷ついた顔をした気もするが、気づかなかったふりをする。
現れたときと同様、すっと姿がかき消えた。けれど気配は近くにあるので、もう慌てることはない。
「蓮もお前くらいサバサバしてりゃ、あいつともうまくいったかもな」
くすりと笑った烈牙の気配が、姿と共に薄くなる。
「れ、烈くん?」
(ここにいる)
月龍が姿を消すのとは違う感じに、わずかに焦りが生じるもすぐに納得した。
月龍は外にいる。だが烈牙は中にいる。だから気配が一瞬、途絶えたように感じられたのだ。
ほっと息を吐いて、おかしくなった。
(取り憑かれてるのを自覚して安心するっているのも、おかしなお話)
(違いねぇな)
感想に、ははっと笑う声が、いつも通り自分の内から聞こえた。
ふと、視界の端に見えた窓と、外の天気の良さにつられて、窓際へと進む。オレンジ色に輝く夕日が、とても綺麗だった。
窓を開けると、さわさわと心地よい音と感触がある。
一陣の風に、ふわりと髪が舞った。
0
お気に入りに追加
7
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
百合系サキュバス達に一目惚れされた
釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。
文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。
そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。
工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。
むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。
“特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。
工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。
兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。
工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。
スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。
二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。
零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。
かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。
ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。
この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
化想操術師の日常
茶野森かのこ
キャラ文芸
たった一つの線で、世界が変わる。
化想操術師という仕事がある。
一般的には知られていないが、化想は誰にでも起きる可能性のある現象で、悲しみや苦しみが心に抱えきれなくなった時、人は無意識の内に化想と呼ばれるものを体の外に生み出してしまう。それは、空間や物や生き物と、その人の心を占めるものである為、様々だ。
化想操術師とは、頭の中に思い描いたものを、その指先を通して、現実に生み出す事が出来る力を持つ人達の事。本来なら無意識でしか出せない化想を、意識的に操る事が出来た。
クズミ化想社は、そんな化想に苦しむ人々に寄り添い、救う仕事をしている。
社長である九頭見志乃歩は、自身も化想を扱いながら、化想患者限定でカウンセラーをしている。
社員は自身を含めて四名。
九頭見野雪という少年は、化想を生み出す能力に長けていた。志乃歩の養子に入っている。
常に無表情であるが、それは感情を失わせるような過去があったからだ。それでも、志乃歩との出会いによって、その心はいつも誰かに寄り添おうとしている、優しい少年だ。
他に、志乃歩の秘書でもある黒兎、口は悪いが料理の腕前はピカイチの姫子、野雪が生み出した巨大な犬の化想のシロ。彼らは、山の中にある洋館で、賑やかに共同生活を送っていた。
その洋館に、新たな住人が加わった。
記憶を失った少女、たま子。化想が扱える彼女は、記憶が戻るまでの間、野雪達と共に過ごす事となった。
だが、記憶を失くしたたま子には、ある目的があった。
たま子はクズミ化想社の一人として、志乃歩や野雪と共に、化想を出してしまった人々の様々な思いに触れていく。
壊れた友情で海に閉じこもる少年、自分への後悔に復讐に走る女性、絵を描く度に化想を出してしまう少年。
化想操術の古い歴史を持つ、阿木之亥という家の人々、重ねた野雪の過去、初めて出来た好きなもの、焦がれた自由、犠牲にしても守らなきゃいけないもの。
野雪とたま子、化想を取り巻く彼らのお話です。
パラダイス・ロスト
真波馨
ミステリー
架空都市K県でスーツケースに詰められた男の遺体が発見される。殺された男は、県警公安課のエスだった――K県警公安第三課に所属する公安警察官・新宮時也を主人公とした警察小説の第一作目。
※旧作『パラダイス・ロスト』を加筆修正した作品です。大幅な内容の変更はなく、一部設定が変更されています。旧作版は〈小説家になろう〉〈カクヨム〉にのみ掲載しています。
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ようこそ猫カフェ『ネコまっしぐランド』〜我々はネコ娘である〜
根上真気
キャラ文芸
日常系ドタバタ☆ネコ娘コメディ!!猫好きの大学二年生=猫実好和は、ひょんなことから猫カフェでバイトすることに。しかしそこは...ネコ娘達が働く猫カフェだった!猫カフェを舞台に可愛いネコ娘達が大活躍する?プロットなし!一体物語はどうなるのか?作者もわからない!!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる