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第九章
2.覚悟
しおりを挟むどうして、こんなに嫌いにさせるの?
問いかけは、嫌いだとの宣言に他ならなかった。
胡桃は蓮ではない。
だが混合して見えているはずの月龍には、酷な仕打ちだった。悲痛に、あるいは怒りに歪む顔を想像し――けれど、そこに浮かぶ表情に、驚かざるを得なかった。
笑っていたのだ。
眉のあたりには悲しげな色を残しながらも、口元には、嬉しそうにさえ見える笑みが刻まれていた。
「よかった」
安堵とも、恍惚とも受け取れる、ため息混じりの声だった。
「蓮は、そのようなことは言わなかった。おれを憎むようになっても――嫌いだとひとこと言ってくれれば別れてあげる、そう言っても、だ」
「怖かったから……でしょう?」
眉を顰めた胡桃に、怒りもせずに、そう、と目を細めて頷いた。
「だが君は違う。正直に、気持ちを伝えてくれる」
続けられた言葉が、痛い。
月龍はただ、聞きたかったのだ。たとえ拒絶されるのだとしても、蓮の本心を、彼女の口から。
これだけのことをやったのだから嫌われても仕方がないと、自覚はあったのだろう。嫌いのひとことで別れる覚悟もきっと、本心だ。
なのに蓮は、認めなかった。
当然だ。彼女は最後まで、嫌いにならなかった。まして別れたいと思っていなかったのに、認めるわけがない。
月龍はそれを、恐怖故と受け取った。本音を引き出そうと、我慢できなくなるほどに追いつめる。蓮は怒られるのが辛くて、心を閉ざす――
なんと悲しい悪循環か。
「だからきっと、うまくいく。――その男さえ、いなければ」
こちらへおいでと手を広げる月龍の顔は、期待と不安、双方入り混じったものだった。
確かに胡桃は、物怖じせずに発言できる。困ったとき、打開しようと自ら行動を起こすことができる。
だからたとえ、克海が月龍であったとしても――月龍と同じ言動を取ることがあっても、悪化の前に逃げられるだろう。
否、胡桃が相手ならば、月龍が壊れることはない。月龍が言うように、蒼龍である自分さえいなければ、二人は幸せになれるかもしれない。
胡桃の両手をそっと掴むと、左右に広げる。――しがみついていた彼女を、離れさせる。
不安そうに見上げてくる視線から逃れるように、月龍へと顔を向けた。
「あなたの言う通りだ」
「――っ!」
背後から、息を飲む気配が伝わってくる。悠哉に離された手が力を失い、パタリと落ちるのも。
胡桃は悲しむだろうか。それとも、見捨てられたと憤るか。
それでも、言わなければならなかった。
「この子は――胡桃ちゃんは、蓮とは違う。だから、蓮の生まれ変わりだからと求めるのは筋違いだ。まして、誰を選ぶか決めるのは、彼女だ」
月龍である克海を、まだ見ぬ亮の生まれ変わりを――否、過去生のしがらみを抜け、まったく違う誰かだとしても。
拗れさせたのが自分だからと、どうにかしなければならないと思うことこそ、おこがましかったのだ。
悠哉は蒼龍じゃない。
烈牙の口調を真似て言ってくれたのは、胡桃だった。わかったつもりでいたけれど、本当の意味で理解はできていなかった。
過去の愚かだった自分を、猛烈に後悔する。さらにまた、同じ過ちを犯すところだったとは。
後ろめたさと、罪悪感が消えることはない。けれど――
「あなたは、眠るべきだ」
感情論を除けば、答えは決まっていた。
「克海が思い出したというのなら、仕方がない。胡桃ちゃんに惚れたのが克海自身なら、それも当然の権利だ。けれどあなたの――月龍の意識で左右していいものじゃない」
だから、克海が影響を受けてしまわないうちに、奥深くで眠ってほしい。
重ねた願いを、月龍は莫迦なと一蹴した。
「ならばお前は、烈牙にも沈めというのか」
「そうだ」
月龍だから消えろと言っているのだろう。言外の声を、否定する。
愕然としたのは、月龍だけではない。背に隠れた胡桃からも、動揺が感じられた。
「烈が今、殻に閉じこもってしまったなら――奥深くで眠っているのなら、このまま起こす必要はない」
胡桃は未だ、心霊現象に悩まされてはいる。祖父宅にいる間はおそらく、解決は無理だ。
それでも、彼女が割と恐怖を感じずにいられるのは、烈牙の存在故だった。
悠哉としても、草薙の意識が残っているせいか、烈牙を頼りにしてしまうきらいがある。
けれど本来、彼はここに在るべき存在ではない。歪んだ形で具現しているのは、月龍と同じだ。
「でも……」
「考えてみてごらん。烈がなぜ、十五歳で具現化したのか。――それは彼が、その年で死んだからだ」
「――っ!」
「死に顔は安らかだったよ。裏を返せば、死ぬことでようやく解放されたんだ。彼にとっては、このまま眠らせてやった方がいいのかもしれない」
現れた以上、胡桃を守る義務がある。責任感の強さが、その心境へと追いやったのは、疑うべくもない。
そこにつけこみ、胡桃の保護だ術のサポートだと頼りにしたのは、悠哉だった。
背中にふと、重みを感じる。
視線だけで振り返ると、半泣きの胡桃が、再びシャツの裾を握っていた。
「ダメだよ、悠哉さん。だからこそ、悲しい思いを抱えたまま眠らせるなんて……」
「しかし――」
「待て」
ここに居ても、悲しさを払拭させてやれる保証はない。
月龍が目前にいるのだ。槐を思い出させ、むしろ絶望が濃くなるだけではないか。
続けかけた悠哉を遮ったのは、月龍だった。
「どういうことだ。烈が、十五で……死んだ?」
口元を押さえ、半ば俯いた瞳が左右に揺れていた。動揺を顕わにする様子に、そうか、と気付く。
槐が先に死んだから、月龍は烈牙の最期を知らないのだ。
「織姫と一緒になったのではないか……幸せになれと、槐は願ったはずだ」
織姫は、烈牙にとって主の奥方で、初恋の人だった。織姫もまた、立場上表に出すことはできなかったが、烈牙を想っていたのは間違いない。
槐が命を落とした時、主上は既に他界していた。織姫と烈牙を妨げるものは、なくなっていた。
槐らしい、と思う。
自分が死んだ後、他の女と一緒でもいい、烈牙に幸せをと願ったのだろう。
もしかしたら、知らない方がいいのかもしれない。おそらく、槐には衝撃が強すぎる。
――だが、「月龍」は知った方がいい。
「烈は――」
「黙れ」
口にしかけた説明は、短いひとことに遮られた。
「お前には聞かない。聞いても、信じることはできない」
どれだけお前の嘘に振り回されたことか。言外の責めに、反論はできなかった。
「烈を出してくれ」
悠哉に対するよりは、語気が多少、柔らかい。とはいえ低い声には、充分に威圧的な重みがあった。
ぴくりと、胡桃の指先が震えた。
怖いのだろう。月龍ほどではなくとも、克海も体格はいい。大柄な男が剣呑な表情でにじり寄ってくれば、逃げ腰になるのも無理はなかった。
「――逃げるのか」
一歩、足を踏み出した月龍の声が、さらに低くなる。
「おれが、怖いか」
また、普通に話すことさえできないのか。
「蓮も、烈も――君も」
ならば、仕方がない。
吐き捨てられた声には、狂気の片鱗が見えた。
歩みを止めないままに、胸の前で指を組み合わせる。
「オンソンバニソンバ・バサラウンバッタ、オンソンバニ――……」
口の中で小さく呟かれたのは、降三世明王の呪句。力で抑えなければ従わないモノを調伏するときの術だ。
奥に沈みこんだ烈牙に圧力をかけ、言うことを聞かせる――否、胡桃に苦痛を与えることで、表に引きずり出すつもりだろうか。
いずれにせよ、冗談ではない。
同じ忍びの里で育った仲間だ。呪も体術も修めた槐が、真言を唱えられるのはわかる。口ぶりから、槐の記憶が月龍にあることもわかっていた。
烈牙の例を見れば、克海よりも腕力が増していることも予測できる。
槐の知識で呪を操る、月龍の腕節を持つ男など、厄介にもほどがあった。
しかも狂気の欠片を纏っているともなれば、尚更だ。
「待ってくれ、月――」
ともかく術を完成せるわけにはいかない。
距離を取らせるため、後ろ手に胡桃を側方に軽く突き飛ばし、月龍へと向き合った。
「――っ!?」
手印を止めようと、腕に掴みかかる。
瞬間、奇妙な感覚が駆け抜けた。ぴりりと痺れたような、肌の表面を炎に撫でられたような、刺激。
それでも、弾かれそうになった手に力を込めて、月龍の手首を掴み――
彼はその手を、払っただけのはずだ。
なのに気がつくと、悠哉の体は壁際まで吹き飛ばされていた。
異常だった。
先ほどのはただの腕力ではなかった。まだ術は完成していなかったのに、確かに呪力を感じた。
「悠哉さん……っ」
「大丈夫」
壁に打ちつけられ、倒れ込む悠哉の元に、胡桃が駆け寄ってくる。悲鳴にも似た声と、泣き出しそうな顔が、心配を物語っていた。
「――昔にも見た場面だ」
目を細め、口の端をつり上げた、笑顔にも見える表情だった。けれど瞳の奥、暗い憤りが蠢いている。
覚えがあった。
蓮の同情を買って気を引こうと、あえて煽って殴らせたことがある。蓮の目に、月龍が悪者に移るよう仕向けた。
ああ、本当に月龍なんだな。
共有する記憶に、痛みを覚える。
同時に、強い違和感もあった。酷く憎み合ったけれど、最後には和解できたはずだ。
なのに目前の月龍からは、蒼龍への嫌悪しか感じられない。
――否。
疑問はそれだけではない。止めることはできたが、あのままであればきっと、術は発動していた。克海の身体にもかかわらず、だ。
槐には能力があった。月龍にもおそらく、素養があった。
けれど克海からはまったく、「力」は感じられない。
逆に、蓮や烈牙は物の怪に好かれやすい体質でありながら、「力」はなかった。なのに、胡桃にはある。
浮かんだのは、ひとつの可能性だった。
そう考えると、すべての辻褄が合う。パズルのピースが、ぴたりとはまる。
ならば、打開するにはこの方法しかない。
「――また、その目だ」
悠哉にすがる姿勢になっていた胡桃を、見下ろす。愛憎入り混じった、複雑な声と表情だった。
「乱暴したいわけではない。なのにそうやって怯えるから――逃げるから、力を振るうしかなくなる」
暴力を振るわせるのは、お前だ。
蓮を責めるときに使っていた論理は、自分への言い訳だったのかもしれない。
屈みこんだ胡桃の肩に、手をかける。蓮にしたのと同じように彼女を殴るのか、あるいは術で内に眠る烈牙を引きずり出すつもりか。
させるわけには、いかない。
「――急叱律令叱動心!」
注意が悠哉から逸れていたのが幸いした。素早く「力ある言葉」を紡ぎ、月龍の肩に向けて右手を翳す。
淡く輝く光が克海の身体を包み込み――
そして。
ひとつの影が抜け出したのが、見えた。
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