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第四十四話 「真」を得るということ
しおりを挟むこいつも、ここ一カ月でだいぶ変わったよな。
にこやかに手振りながら駆け寄ってくるアレクサンドルを見て思う。
変化に大きく影響したのはやはり、侯爵夫人が「オレスティア」に手を上げたシーンを見たときからか。
疎んでいる、蔑ろにしてはいても、直接的な暴力とは話が違う。翌日訪ねてきたアレクサンドルの顔は、神妙なものだった。
「――あんな風に叩かれたのは初めてですか……?」
幾度も口を開きかけては逡巡し、ようやく声にしたかと思えばこんな質問だったので呆れてしまった。
記憶喪失だっつってんだろ。
実際のところは違うのだが、そう言い張っているし、アレクサンドルもその認識でいるはずだ。記憶を失っている人間にこれまでのことを訊ねるなど、無意味にも程がある。
オレステスなら一刀両断で言い捨てるだろうが、オレスティアを演じなければならない。アレクサンドルよりもさらに神妙な面持ちを作り、そっと頭を振って見せた。
「わかりません、覚えていないので――けれど」
一旦区切り、意を決した風を装って続けた。
「手を振り上げたバエビア様の姿に、身が竦んでしまって。おそらく、体が恐怖を覚えていたのではないかと思います」
静かに告げた内容は、ウソではない。オレステスにとっては怖くもなんともなかったのに、体がびくりと反応していた。
「――ということはきっと……」
「そういうことでしょうね」
眉根を寄せたアレクサンドルの後を継ぐ形で首肯する。
訪れた沈黙は、さほど長いものではなかった。
「申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げられ、一瞬言葉を失った。
「別にあなたが暴力を振るったわけではないでしょう?」
悪いのはあのババアだ、と続けるのが得策ではないことくらいはわかる。だが、そうやって咄嗟に庇おうと思ってしまうほど、アレクサンドルの素直すぎる謝罪に面食らっていた。
オレスティアらしい言葉遣いを意識しながら、口を開く。
「いくら母子とはいえ、あなたとバエビア様は違う人間なのだし。あなたが謝って下さる必要は――」
「昨日のことだけではありません。まして、暴力のことだけというわけでも」
「――どういうことですか?」
「僕は、父上と母上の態度に疑問すら抱いていませんでした」
目を上げる勇気がないのか。視線を床に落としたまま、アレクサンドルはぽつぽつと語る。
「侯爵家の跡取りである僕と、女である姉さんとの扱いに差があるのは当然だし、そもそも望まれたことを果たせていないのは姉さんなのだから仕方がないのだと」
貴族ならそう考えてもおかしくはない。庶民の間でさえ男と女、男児と女児では扱いが違うのだから、とくに爵位が絡む関係としてはむしろ当然であろう。
「なにより、言い返しもせずに甘受しているのだからそれでいいのだろうと漠然と考えていた。――いや、考えてもいなかった。僕は姉さんに、興味すら抱いていなかったから」
キリ、と唇を噛む。
「でも、母上は父上に偽りを報告していた。これまでもそうだったのかもしれない。そして言い返しもせず、そう思ってたけど――僕も父上に対して、反論することもできなかった。だから――」
申し訳ありません。
再度口にして頭を下げるアレクサンドルの髪に、そっと手を伸ばす。
なんだ、いいヤツじゃねぇか。
悪いヤツじゃない、見どころはなくはない。その程度でしかないと思っていたアレクサンドルへの評価が、一気に好へと傾く。
我ながら単純だとも思うが、これがオレステスなのだから仕方ない。
真のない人間は、悪党より性質が悪いと思う気持ちに変わりはないが、アレクサンドルは今、その「真」を手に入れようとしていると見えた。
彼はまだ十六歳だ。これから変わっていける。
そして「オレスティア」にとっての味方になってくれるのではないかとほんの少し下心が浮いてしまい、わずかに自嘲した。
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