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第三十四話  その二段論法が成り立つ理由(オレスティア視点)

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「侯爵邸に行ってみる?」

 頭上から降ってきた声に、ハッと顔を上げる。
 ルシアと目が合った。彼女の表情は、なんてことのないことを思いつきで口走った、そんな軽い調子だった。
 だからこそ、信じられない。

「今、なんて――」
「聞こえなかった? 侯爵邸に行ってみるかって訊いたのよ」

 聞き間違いではなかった。
 重ねられた言葉に、唖然と口を開く。

「――信じて、下さるんですか……?」

 こんな、荒唐無稽な話を。
 オレスティアには、自身の認知がある。自分の視点として、物事を見ている。
 そうでなければきっと、このような話を信じられなかったに違いない。
 だというのに、ルシアは信じてくれるのか。自分でも未だ、半信半疑であるというのに。

「スピリティス侯爵家の名前くらいは知ってるから」

  有名な家ではあろう、とは思う。伝説としての話だからすべてが事実ではない可能性もあるとはいえ、建国に関わった家柄だ。
 この国に住む者はもちろん、立ち寄っただけでも、歴史に多少の興味があれば知っていておかしくはない。
  ふと、ルシアの眉が歪む。

「疑って悪かったけど、ちょっと確認させてもらったのよ」

 歪んだ眉が申し訳なさの表れだとは、考えるまでもなかった。

「侯爵家の名前は知ってても、それだけだもの。冒険者として通り過ぎるだけのつもりだったから、国について詳しくないし」

 言い訳めいて続けるのは、罪悪感のせいだろうか。ちらりとこちらを見る目が、オレスティアの反応を気にしている。
 怒っていないか、気を悪くしていないか――そんな気遣いが感じられて、大丈夫、と言う代わりに頷いて見せた。

 実際、なにひとつ気に障ることなどない。疑うのも当然だと思うし、こうやって気遣いながら話してくれるだけでも充分だった。

「だからね、侯爵家にオレスティアってご令嬢がいるかどうかって訊いてきたの」

 先程席を外したときだろうか。だとしたら、戻ってくるのが早すぎる。
 ここは宿屋だろう。ならばいろんな旅人が立ち寄る。
 そのような人たちから各国の話を聞き、あるいは旅人に自国の話をするだろう宿屋の主が、侯爵令嬢の名前を知っていたのだとしてもおかしくはない。

 だが、それだけだ。オレスティアの話が真実かどうか探るためには、「名前だけ」などという不確かな情報だけではなく、もっと確信めいたものが必要なはず。
 それらを入手するには、ルシアが席を外していた時間はあまりにも短すぎた。

「そしたらいるっていうじゃないの。だったら信じるしかないわ」

 これ以上のことをどうやって説明すればいいのか。途方に暮れそうになったオレスティアの目の前で、ルシアは両手を軽く広げてあっけらかんと言ってのけた。

 あまりにも乱暴な二段論法に、言葉を失う。

 彼女は自分で、冒険者だと名乗った。そうであれば荒事に巻き込まれることもあるだろうし、人間の汚い所や詐欺を働くような者にも触れてきたのではないか。
 なのになぜ、あっさりとそう言い切ることができるのか。

「それ、だけで……?」
「だって、オレステスが侯爵令嬢の名前なんて知るわけないし。それが実在してるなら、真実ってことでしょ?」

 こくんと喉を鳴らし、意を決しての問いかけにも、ルシアは飄々とした調子を崩さない。

「それにね、オレステスがそんなウソつくわけない――とうか、そんなウソであたしを騙しても、なんのメリットもないから」

 だからとりあえずは信じてみる。

 肩を竦めた可愛い仕草だった。同時に浮かべられた微笑みにも、安堵させられる。
 これで当面はどうにかなりそうだ。
 そうホッとした瞬間、新たな問題に気づいてしまった。
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