フロイドの鍵

守 秀斗

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第2話:ゴミの収集場へ行く

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 修道女が女性専用部屋に入って来て、部屋のベッドに寝ている者たちに声をかけている。

「皆さん、消灯の時間です。申し訳ありませんが、部屋のランプを全て消しますのでご了承願います」

 壁にいくつか設置してあるランプを教会関係者が消していく。
 部屋がほぼ真っ暗になった。明かりと言えば、窓から外のガス灯からの光が入って来るくらいだ。
 ミルドレッドが上段に戻ろうとすると、老婆が彼女にお礼を言った。

「本当にありがとうね、お嬢さん」
「いえ、お気になさらずに」

 ミルドレッドにお礼を言った後、そのまま目を瞑ったお婆さんはまた眠りに入ったようだ。ミルドレッドは梯子を登って、ベッドの上段に横たわり、毛布をひっかぶる。しかし、すっかり目が覚めてしまった。うつらうつらとしながらも、そのままぼんやりと起きていた。ミルドレッドの両親は肺を病んで、相次いで亡くなった。兄弟姉妹はいないし、親戚とも疎遠だった。一家は暮らしていくのが精一杯で貯金などは全くなかった。家の中にあるもので売れるものは、全て売り払ったが、結局、家賃を払えなくなったため借家から追い出される羽目になった。二年前のことだった。ミルドレッドがまだ十三才の時だ。

 その後は日雇いの仕事でなんとか食いつないで過ごしている。お金があるときは小汚い安宿に泊ることもある。大勢の老若男女が狭い部屋に詰め込まれて座って眠る始末だ。しかし、屋根があるだけましで、時には野宿することも度々ある。しかし、夏ならともかく、こんな寒い日に野宿するのはつらい。下段で寝ているお婆さんも言っていたが、ミルドレッドもこの貧民休息所を作ってくれた教会には感謝している。
 
 しばらくして、ミルドレッドは髪の毛を革ひもで一本結びにすると、前髪の垂れた部分をさっきお婆さんからもらった髪留めでとめる。もう仕事に行くことにした。下段のお婆さんの様子を見ると、もうぐっすりと寝ているようだ。カバンを斜めがけにして、そっとベッドを抜け出し寝ている人たちの邪魔にならないようにミルドレッドは部屋を出て行く。音を立てないよう扉を開けると、部屋の外の廊下で椅子に座っている例の警備員に挨拶をした。

「今日は早朝に仕事があるので、あたしはもう退出します」
「……ああ、ご苦労さん。仕事頑張ってな……」

 警備員はミルドレッドの顔を見てそう言った。この警備員、少し眠たそうだなと彼女は思った。なるべく足音を立てないように階段を下りて、寝ている男性たちを起こさないよう注意しながら、ベッドの間を通り抜けて建物の玄関から外に出ると予想以上に寒い。ようやく太陽が昇り始めた時間だ。

 カバンから男物の黒いコートを取り出して、ジャケットの上からミルドレッドは羽織った。彼女には大きめなのだがこのコートはすでに亡くなった父の形見代わりで大切にしている。他に両親に関係するものと言えば、自分と両親の三人が一緒に映っている写真が入っているロケットだけだ。それは失くさないようにポケットに入れてある。彼女にとっては大切なものだ。その写真には自分と父と母が笑顔で写っている。

 白い息を吐きながら、しばらく歩くとゴミの収集場の広場が見えてきた。すでにもう数人の労働者が佇んでいるのが見える。若い男性から老人や中年女性、小さい子供までいる。ミルドレッドが早めに来たのは必要人数を超える前に労働者登録をしたかったからだ。

 ここでの仕事は『灰ひろい』だ。この広場にゴミ収集人が街を回って馬車で集めてきた石炭の灰や燃えがらなどを下ろす。それを日雇い労働者たちが、鉄のふるいにかけて分ける。粗い粒はレンガ製造業者に売られ、細い粒は肥料にされる。労働者たちはゴミをふるいにかける単純作業を一日続ける。この作業を続けていると腰が痛くなるが、こんな仕事でも無いよりはましだ。ミルドレッドが寒さに震えながら、貧民休息所でもらったパンを食べつつ業者が来るのを待っていると、金髪の男の子がやって来て声をかけられた。

「ミルドレッド、おはよう」

 知り合いのアレックスだった。十五才で、年齢は同じだが背は彼女よりやや低い。

「おはよう、アレックス。あんたも『灰ひろい』にきたの」
「そうだよ。今日は煙突掃除が休みでね」

 アレックスは普段は煙突掃除などをしている少年だ。いつも石炭の煤で真っ黒な顔をしている。他にもいろんな仕事をしているらしく、ミルドレッドと知り合ったのは、この『灰ひろい』の現場だ。

「しかし、今日は寒いなあ。今年は冬が来るのが早いね」

 アレックスが白い息を両手にかけて擦ったりしている。

「寒いって言いながら、あんた、シャツ一枚しか着てないじゃない。風邪ひくよ。大丈夫なの」
「いやあ、煙突掃除って狭いとこで汗だくになって仕事するから、こんな格好が慣れちゃったんだよ」

 アレックスがにこにこと笑って答えた。アレックスの両手両足はかなり太い。煙突掃除というのは、狭い煙突の中を両手両足で踏ん張って登っていくようだからかなり筋肉がついているようだ。そんな会話をしているとゴミ回収業者の担当者が走ってこちらにやってきた。なんだか申し訳なさそうな顔をして、集まっている人たちに呼びかけた。

「ゴミ収集車の車輪が折れちゃってさあ。おまけに馬もなんだか調子が悪いんだ。それで今日はゴミの収集が出来そうもないんだよ。だから『灰ひろい』の方も中止だ。すまない。他の業者のとこへ行くか、また明日来てくれないか」

 その言葉を聞いて、せっかく早起きして来たのにとミルドレッドはがっかりした。他のゴミ収集所に行こうかと思ったが、今から行っても、もう必要な労働者の定員は超えているだろう。意気消沈しているミルドレッドにアレックスが声をかけてきた。

「まあ、こんな日もあるさ。俺は近くの川の下水道の排水口で鉄くずでも探すよ。ミルドレッドはどうすんの。一緒に鉄くず探しのどぶさらいでもするかい」

 アレックスに誘われたが、こんなに寒いのに、冷たくて臭い川には入りたくはない。産業革命とやらで、すっかり川は工場からの廃水で汚れてしまい、住んでいる住民たちも生活排水を平気で川に流しているので、いつも悪臭が漂っている。その汚い川に流れ込む下水には、鉄片など金属製のクズ、銀の食器、釘、ボルト、その他にも硬貨などが混じっていることがある。その中から目ぼしいものを拾って、鉄くず屋に持って行くといくばくかのお金にはなる。しかし、早起きしたうえ、昨夜はよく眠れなかったので、ミルドレッドは少し休みたくなった。どこかで、短い時間でも横になりたい。

「悪いけど、あたしは、一旦、教会が管理している貧民休息所の建物に戻ることにするわ。少しは休ませてくれると思うの」
「そうか、わかったよ。じゃあ、また明日、仕事を頑張ろうぜ!」

 にこにこ笑いながら、走って立ち去っていくアレックスを見て、前向きで元気な奴だなあとミルドレッドは思った。貧民休息所を目指しながらポケットの中を探ってお金を取り出して枚数を数えた。もし、休息所が入れてくれなかったらどこかの安宿にでも泊まるしかない。あまりお金は使いたくはないが、野宿して凍え死ぬよりはましだろう。

 ミルドレッドが休息所の近くまで戻ると黒い外観の馬車が停まっているのが見えた。警察専用の頑丈な馬車のようだ。何か事件でも起きたのかと思い、ミルドレッドは休息所の中に入った。一階の大部屋に警官たちが宿泊していた人たちを並ばせていろいろと尋問しているようだ。入口付近に立っていた知り合いの修道女にミルドレッドは聞いた。

「どうして警察が来たんです。何か起きたんですか。また女性専用部屋にろくでもない男でも侵入したんですか」
「人が殺されたんですよ。お年寄りのお婆さんです。後、警備の方も殺されたんですよ」

 修道女がすこし青ざめた顔で教えてくれた。あの強そうな警備員を殺すなんて、強盗だろうか、そして、もしかして、殺されたお年寄りのお婆さんって、昨夜、自分が水をあげた人かなあとミルドレッドが考えていると警官に尋問されていたひとりの女に指差された。

「あいつよ、あいつが犯人よ!」
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