踊り場の女

守 秀斗

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踊り場の女

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 真夏の夜中。熱帯夜。
 会社員の京野弘美はマンションの非常階段の踊り場へ行く。

 弘美の部屋はこの十五階建てマンションの十四階にある。
 そして、弘美の部屋の目の前に非常階段への入口がある。

 少し、階段を上がると踊り場。
 弘美は真夏なのにロングコートを着ている。

 踊り場の壁の高さは、弘美の胸あたりくらいだ。
 広さは二メートル四方くらい。

 このマンションの非常階段からは、隣のマンションの壁しか見えない。
 つまり、ほとんど死角と言っていい場所だ。

 弘美はコートを脱いだ。
 コートの下は何も着ていない。
 ハイヒールの靴を履いているだけだ。

 踊り場で裸になる。
 この解放感。

 仕事のストレスが解消される。
 今、弘美は二十七才。いろいろと重要な仕事も任されるようになった。

 ある日、突然思い立って自分の部屋で裸になり、コート一枚で外に出た。
 そして、踊り場に行ってコートを脱いだ。

 野外で全裸。すごく気持ちがいい。
 そして、興奮した。

 その時は一分くらいですぐに自分の部屋に帰った。
 ただ、その興奮が忘れられなかった。

 何度も繰り返した。
 ストレスも消えて仕事も順調だ。

 但し、夏にしかできないのが残念。
 冬だと風邪をひいてしまう。

 それに、この借家マンションは築五十年。
 だいぶあちこち故障している。

 弘美も、家賃が安いのでまだ住んでいるがそろそろ引っ越そうかと思っている。
 かなり古くなったので住民がいなくなって空き室も増えた。
 
 ただ、そのおかげで住民が少なくなり、こんな踊り場で裸になるなんてことも出来る。
 最近、弘美もだいぶ大胆になり三十分も裸のままになっている場合もある。

 三脚台を買って、スマホで自分の裸を撮影したりした。
 ものすごく気持ちがいい。

 部屋に戻って、それを見て興奮したりする。
 まだ、充分スタイルは維持している。顔も美人の部類だ。

 最近はかなりセクシーなポーズをとるようになった。
 今日もいろんなポーズをとる。
 すっかりいい気分になった弘美。

 そこへ、突然、上の階から人影が見えた。
 焦る弘美。

「弘美、今日もやってるの」

 その男は声をかけてきた。

「なんだ、あなたなの。びっくりさせないでよ」

 声をかけてきたのは、渡辺一郎。
 職業は医者。最上階に住んでいる。

 実は、去年、弘美が踊り場で裸でいるところを下から階段で上がってきた一郎に見られてしまったのだ。驚いた弘美は焦ってコートを着ようとして転んでしまい、膝にちょっとしたケガをしてしまった。

 そこを介抱してくれたのが一郎だった。
 なんで階段で上がってきたのかと言うと、エレベーターが故障して、途中の階で緊急停止したので仕方なくそこから上がってきたのだった。

 弘美は恥ずかしくして仕方がなかったのだが、一郎は非常に紳士的に対応してくれた。
 ケガの応急手当もしてくれた。

 そこから二人の交際が始まった。
 なにがきっかけで男女の出会いがあるかわからないなあと弘美はその時思った。

 今、裸なのだが、彼の前なので平気。
 いや、もっと見てほしいと弘美は思った。

 そんな弘美に一郎が言った。

「それにしても、このマンションってかなり古くなったよね。そろそろ引っ越しを考えているんだけど。それで、弘美とも相談したいんだ」

 相談って、つまり一緒に暮らすってことかしらと弘美が考えていると一郎から小さい箱を渡された。
 中を開けると指輪が入っていた。

「弘美、僕と結婚してくれないか」

 突然、プロポーズされたんでびっくりする弘美。
 しかし、交際は順調だったので予感はしていた。

 彼は医者。高給取り。断るわけがない。
 それに、自分のこんな趣味も理解してくれてるし。

 ただ、少しすねてみた。

「こんな非常階段の踊り場でプロポーズって、おまけに私、裸なのに」
「いやあ、本当は高級レストランとか、または、どこか夜景のきれいな場所とか考えていたんだけど、ここって弘美と初めて会った場所だから、印象に残るかなあと思ってさ」

 なんとなく、子供っぽい人だなあと弘美は思った。
 けど、まあ、いいか。

「で、ご返事の方は……弘美さん」
「あ、もちろん、こちらこそよろしくお願いいたします。一郎さん」

 すごく嬉しそうな顔をする一郎。

 そんな時、急に雨が降ってきた。
 こんな熱帯夜に珍しい。ゲリラ豪雨。

 あっという間に弘美はぐしょ濡れになった。

 一郎がコートを裸の弘美に着せる。

「じゃあ、僕の部屋へ行こうか、弘美」
「はい」

 弘美は顔を少し赤くしてうなずいた。

 急に雨が降ってきたので、少し肌寒い。
 しかし、弘美はこれからのことを期待して身体はむしろ熱くなっていくのであった……。

〔END〕
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