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Pr.10 変わらない日々を送るのは不可能である

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 そして現在に至る。

 俺の隣でうつらうつらしている渡月。普段は元気でキャッキャしているのに、授業中になればいつもこんな感じ。これが理系の上位層に食い込んでいるとか、未だに信じ難い。

 さっきの時間の証明が終わって、今は英語の時間。この先生は当ててくることがないから、クラスの大半は惰眠を貪っている。俺の席からはその風景がよく見えて、なんだか面白い。

 こんな日々を過ごせたらどれだけ幸せなのだろう。起きたいときに起きて寝たいときに寝る。そんな日々が続いたらどれだけ楽なんだろう。

「(変わらない日々…か。)」

そう呟いてみると、また照明が頭に浮かんだ。

『変わらない日々が続く』を証明する。

[A]1日目に『変わらない日々が続く』とする。
  このとき 現状=変わらない日々 となり、
  等式は成り立つ。

[B]k日目に『変わらない日々が続く』と仮定する。
  このとき k日目の現状=変わらない日々 が成り立つ

 k+1日目のとき
 k日目から考えると、気温、気圧、湿度、そして人間の感情は常に変わっていくものであるから、k+1日目のとき、等式は成り立たない。

 よって変わらない日々は続かない。


 我ながらスマートにまとまった証明だ。

「次は何?」

証明している間に渡月が起きていて、俺のノートを覗き込み始めた。

 渡月もそうだ。俺が変わらない日々を過ごしていたのにも関わらず、俺が築き上げたスペースに入ってきて、ぐちゃぐちゃにかき混ぜていく。そして変わらない日々は崩壊して、こんな感じになってしまった。

「変わらない日々か…まぁ、そんなの面白くないしね。」

思ったより肯定的な意見だ。渡月のことだから、「変わらない日々には憧れてるんだ。」とか、「毎日楽しけりゃ変わらない日々でしょ。」とか言ってくると思ったのにな。

「何ジロジロ見てんの。私が素直に褒めるのはそんなに珍しいこと?しょーがないなぁ、もうちょっとしっかり褒めたげよっか。橘くんは~」

なんか聞いたらいけないような気がして、俺は黒板に目を向ける。授業内容が書かれたスライドを見て、それをノートに書いていく。

『Let's compliment the other person.』
(相手のことを褒めてみよう)

ん?

 ノートにそんなことが書いてある。しかも印字されている。つまりこれはペアワークの授業内容だ。

 俺は渡月のほうを見た。

「あっ、気づいた。そーだよ。橘くんが頑張って証明している間に授業は進んでて、こんなペアワークしろって。じゃあ褒めてくね。」

その後も褒められまくって、時間がきた。

「(あーあ。橘くんにも褒めて欲しかったんだけどな。)」

渡月はそんなことを言う。いや、絶対空耳だ。

 授業が終わって、今日は終礼もなく、俺はそそくさと教室を出た。でも、そこには渡月がいた。

「あっ橘くんもう帰るの?一緒にかーえろ!(棒)」

絶対待ち伏せしていた。俺がそそくさと出ると踏んで、先に教材を片付けて、カバンを持って外に出てた。絶対そうだ。

 駅までの道をそこそこのペースで歩く。今はとにかくこの歩くスピーカーを振り切らないと。

「ちょっと今日速くない?何か予定あるの?」
「………………」

渡月には悪いが全無視だ。今こいつと話し始めたら、いつまで経っても帰れなくなる気がする。それは今までのツケだと言うことも分かっている。今までさんざん無視してきて、でも、沢山話しかけてくれた。それは単純に嬉しいんだ。

 それでも。

 陰と陽は並んではいけないんだ。

 同じ世界を同じ視点で見てはいけない。影のように地面にへばりついて、壁にへばりついて、決して同じ土俵に立ってはいけない。だって一緒に落ちていくんだから。引きずり落としてしまうんだから。

 こんなことで渡月の今までの頑張りを、築き上げてきた地位を、俺一人の身勝手で無駄にしてはいけない。

 本当は話したい。こんなに俺に構ってくれる人、今までいなかった。

 初めて話しかけられたとき、少し嬉しかった。それと同時に申し訳なく思った自分が嫌になった。

 俺はさらにスピードを上げて駅を目指す。あと数百m。それだけ歩けば、俺はもう自由だ。

「ねぇ、ちょっと待ってよ。」

渡月は俺の手首を掴む。その手は小さく、そして温かい。ぎゅっと俺の手首を握ったその手は、なぜか震えていた。

「言いたくないことだったらいい。答えなくたっていい。苦しかったり悲しかったりすることかもしれない。私だって本当は相手のプライベートなところまで入り込みたくはない。でも、これだけは言わせて。どうして陰キャのフリをしているの?」

渡月は声を震わせて言う。思わず振り返って、その顔を見てしまった。潤んだ目、決意を決めた目。そのどちらにも見えた。いつも話しかけてくれたあの明るさはどこにも見えず、1人の強い少女がそこに立っていた。

 そのとき、変わらない日々が崩れていく音がした。
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