銀杖のティスタ

３ 魔術師に弟子入り

　あれから１週間。

　僕はティスタ先生から教えてもらった住所へと足を運んで、その場所で魔術の練習をする事になっていた。

　スマートフォンの地図アプリを使って目的地へと向かうけれど、周囲には古びたビルばかりが建っていて、とても魔術師が住まう場所とは思えないような場所だった。

「ここでいいんだよなぁ……？」

　ティスタ先生から教えてもらった住所に到着すると、目の前には周囲の建物と比べても一層古く見える３階建ての小さなビル。その２階にティスタ先生の仕事場があるのだという。

　ビル内の薄暗い階段を昇って２階へ行くと、年季を感じさせる事務所への扉があった。扉には「便利屋 宝生」という文字。

（便利屋……？）

　ティスタ先生が何の仕事をしているのかは聞いていなかったけれど、もしかして魔術を活かした街の便利屋さんをしているのかもしれない。外に看板も無い目立たない場所、今でも経営しているのだろうか。

　まるで廃墟のようなビル内、その中の経営しているかもわからない事務所の扉を恐る恐るノックする。……しばらく待ったけれど、返事は無い。

　もう一度ノックをして、僕は扉の向こうへと声を掛けてみる。

「すみません、誰かいらっしゃいますか？」

　返事は無かった。もしかして誰もいないのだろうか。僕は周囲に誰もいない事を確認した後、扉に耳を当てて室内の様子を探った。

　僕は半魔族なので、人間よりも遥かに高い聴力を持っている。僕のように「耳長族」だとか「エルフ」なんて呼ばれていた魔族の血が混ざっていると、聴力などの五感だけではなく「第六感」なんて呼ばれている感覚も発達している。

　エルフの血が流れているとはいっても、瞳の色が翡翠、肌は白いだけ。全てのエルフが人間の創作物の中にあるような長くて尖った耳をしているわけではない。それは人間が勝手に想像したエルフの姿だ。

　純血の魔族も半魔族も、一部を除いて人間と同じような身体付きをしている事が多い。

　普段は役に立たないどころか迷惑に感じてしまうような敏感な聴力を使って、室内の音をじっくりと聞いてみる。

『……うぅ……ぅ……』

　聞こえてくるのは誰かの息遣い、そして苦しそうな呻き声――その声の主が先日話したティスタ先生である事はすぐにわかった。

「あの、大丈夫ですか？　何かあったんでしょうか」

　心配になって大きな声で扉の向こうへと話し掛けるけれど返事は無い。試しにドアノブを捻ってみると、鍵が掛かっていなかった。一瞬迷ったけれど、あんな苦し気な女性の声を聞いて放っておくわけにもいかない。僕は意を決して扉を開ける。

「すみません、入ります。失礼しま――」

　扉を開けると、目の前にソファーがあった。白いブラウスに紺のロングスカート姿の銀髪の女性が真っ青な顔をして寝転がっている。ティスタ先生だ。

「先生、大丈夫ですか？　先生……！」

　体調が悪いのではないかと思って駆け寄ると、足元に何かがたくさん転がっている事に気付く。……大量のビール缶とチューハイ缶だった。

「お、お水、ください……頭、痛いぃ～……」

　今にも泣いてしまいそうな表情で僕に縋り付いてくるティスタ先生を見て、僕は少しだけ後悔しそうになった。もしかしたら、師事する人を間違えたかもしれないと――。



　……………



「申し訳ありませんでした。二日酔いの薬まで買ってきてもらっちゃって」

「い、いえ……」

　薬局で買ってきた薬を飲んだ後、しばらくしてようやく体調が良くなったティスタ先生は、床に転がる大量の空き缶をゴミ袋に向けて放り投げていく。

　パチンコでお金をスッたり、お酒の飲み過ぎでぶっ倒れる――今のところ、ちょっとダメな大人という印象が強い。

　それでも、最初出会った時のようにいじめっ子から僕を救ってくれた姿は脳裏に焼き付いて離れない。彼女が優秀な魔術師である事は間違いないのだ。

「さて、片付けも終わったところで……トーヤ君。魔術の練習を始めましょう。そこに座ってください」

　ティスタ先生はそう言って僕にソファーへと座らせた後、目の前にあるローテーブルの上に水の入ったコップを用意した。

「まず事前に確認しておきますが、キミは魔術を使った経験はありますか？」

「いえ、一度もありません」

「では、自分の身体に魔力がある事は自覚していますか？」

「はい。自分が半魔族である事は両親から聞いていたので、何となく」

　上手く言い表せないけれど、自分の身体の中に「使っていない部分がある」という感覚が昔からある。これが魔力なのだろうと僕は解釈していた。

「なるほど。魔力の存在を自覚できているなら、きっと大丈夫でしょう。魔力の放出の仕方は本能的に理解できるはずです。私があなたに教えるのは、魔力の基本である「操作」、それらが出来たら様々な応用の仕方を教えます」
　
　テーブルを挟んで向かいにあるソファーに座ったティスタ先生は「まずはお手本を見せます」と言って、コップの中にある水を指差しながら説明を始めた。

「魔力を扱う基本から始めましょう。このコップの中にある水を魔力で操作します。見ていてくださいね」

　ティスタ先生はコップの中の水に向けて指を差しながら円を描くように指先をクルリと回す。すると、コップの中の水が球状になってふわふわと宙に浮き始めた。

「水というのは、生物にとっては身近なものなのでとても操作がしやすいのです。初心者はここから。魔術師を志す者なら、誰もが通ってきた道です。キミも出来るように頑張りましょうね」

　ティスタ先生は宙に浮かぶ水の珠を様々な形に変えていく。宙を泳ぐ魚、羽ばたく水鳥、水の剣――思わず見惚れてしまうような光景だった。

「う、わぁ……すごい……」

　こうして魔術を使う様子を間近で見せてもらったのは、自分の親以外では先生が初めて。自分もこんな美しいものを作り出せるようになれるかもしれないと考えるだけで、やる気が漲ってくる。

　当初の目的である「魔力を使った護身術を学ぶ」という目的を忘れるくらい、ティスタ先生の魔術は美しかった。

「やってみます！」

　やる気たっぷりの僕に向けて、ティスタ先生は優しく笑い掛けてくれた。私生活はちょっとだらしないようだけれど、やっぱり先生は凄い魔術師なんだとわかって僕は嬉しかった。彼女に魔術を教われば、今までの弱い自分に決別できると確信したから。