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使命

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 開かれた扉の先に居た人物にナタリーは驚きを露わにした。
 なぜここにクリスが?
 給仕の仕事以外では極力避けていた彼女を前にして動揺を隠せずにいたが、対するクリスは穏やかな表情で口を開いた。

「少しだけお話をさせて下さいますか?」
「……ッ」
「お願いします」
「頭を……上げて下さい、奥様」

 ゆっくりと身体を引いてクリスとその腕の中で眠るクラウディオを部屋に招き入れた。
 ドラウディオとクリス血を引くハーフエルフの男児。最も慕う当主の息子であるが、クリスは素直にこの子を認める事が出来ずにいた。

(……クラウディオ様)

 すやすやと寝息を立てる幼子を前にナタリーは口を結ぶと、部屋に入って辺りを見渡しているクリスに視線を移した。
 今更何の話をしようというのだ? この屋敷に仕え始めてそこそこの年月が過ぎた。もう屋敷のメイドとしての仕事は完璧にこなせているし、他の使用人達からも認められている。
 クリスと話した事もあったが、特に互いの深いところに触れない程度の距離感を取り続けていた。なのに今になってそこに踏み込んでくる意図が理解できないでいた。

「少し部屋を暖めますね。クラウディオ様は寝ておられるので私のベッドをお使い下さい」
「ありがとう。やはり貴女は本当に良く気配りが出来る方ですね……クリスさん」
「いえ、これが私の務めですので」

 淡々と言葉を切るが、ナタリーはクリスの表情が曇っている事に気付いた。

「そう言えばここに来た理由を伺ってませんでした。奥様、どの様なご用件でしょうか?」
「……貴女に、お願いがございます」
「私に、ですか?」

 神妙な面持ちで切り出したクリスだが、先程までの柔らかな笑顔が嘘の様に消えている。

「私は、この屋敷を出ようと思います。なので貴女にはこの子と……ドラウディオ様の支えとなって欲しいのです」
「え……?」

 寝耳に水だった。
 その口から発せられた言葉を理解できぬまま、ナタリーは戸惑いの中で佇むしか出来なかった。屋敷を出るだと? 馬鹿な、有り得ない。

「私の故郷は人の迫害から逃げおおせた魔族の集落でした。この話は知っているかも知れませんが、その集落は心無い人の手によって崩壊しーーーー生き残りは私だけになりました」
「……存じております。そこに手を差し伸べたのがドラウディオ様だと」
「ええ、その通りです」

 二人の馴れ初めは聞いていた。
 ドラウディオは魔族との確執を取り払う為に多方面に働きかけ続けたが、人間の根幹に根付いた魔族に対する遺恨は消えなかった。
 現に今でも魔族を忌み嫌う人間は多いーーーーナタリーもその一人だ。

「難しいですね。魔物の多くは人を襲います。その前提がある中から魔族の良し悪しを見極めるなんて絵空事でしょうから」
「……奥様」
「そしてーーーー状況はより悪い方へと向かっています」

 クリスは一枚の紙を取り出した。

「これは?」
「私の遠い血縁のエルフからの手紙です。私の集落が崩壊してしまい長らく連絡が途絶えておりました。そして届いたこの手紙にはこう綴っています」

 クリスは手紙の内容を要約して説明を始めた。
 大筋は人間の弾圧に対する魔族側の反乱、その片鱗が綴られていた。具体的な内容は記載されていなかったが、各地に散らばる知性の高い魔族を招集し王都を襲うというものだ。
 ナタリーは驚いたが、迫害され続けた者の末路は決まっているだろう。諦めるか牙を剥くか、この二択だ。
 人間と違い大多数の魔族には力がある。スキルボードの加護を持ってしても、知性の高い魔族なら人間に一矢報いるなど造作もない事だ。

「こんな事が起こればドラウディオ様が勧めていた和平の道は完全に閉ざされてしまいます。決して看過できるものではありません」
「しかし……奥様はどうされるおつもりで?」
「私がこの手紙に書かれた首謀者に会い、謀反を止める様に働き掛けます」
「!? それは無茶です!」

 思わず大きな声が出た。
 あれだけ毛嫌いしていた筈のクリスに対し、ナタリーは本気でその身を案じる言葉を発したのだ。

「ドラウディオ様には相談されたのですか?」
「いえ、これはあの方には言えません」
「なぜです、二人は夫婦で……家族なのでしょう!?」
「家族だからこそ、です」

 クリスはナタリーの手を取ると、ゆっくりと自らの手を重ねた。

「温かいですね、貴女の手は」
「なにをーーーー」
「この温もりを守る為……あの人が作ろうとしている未来の為に力添えをするのが私の役割なのです。守ってもらってばかりの弱い私が」
「……ッ」

 人間に虐げられて尚、そんな言葉が出てくるのか。
 それだけドラウディオを信頼し、人間を信頼しているのだろう。彼が窮地を救ったからだけでは無い。そんな二人が培ってきたであろう関係が、有り有りと色濃くナタリーの目に写った。

「クリス様も……とても優しい温もりがあります。私はーーーーいえ、普通はそんな風に考えられません」
「これからです。ドラウディオ様が目指す未来はきっと叶う。種族は違えど分かり合える日が来るのだと」
「…………」

 ナタリーは押し黙り、手から伝わるクリスの温かさを噛み締めた。
 私は馬鹿だ。こんなに暖かな笑みを浮かべる人をエルフだからと見下していた。ドラウディオ様の隣に相応しくないと決めつけていた。

「明日、私はこの屋敷を出ます。だからどうか、夫とこの子ーーーークラウディオをよろしくお願いします」
「クリス、様……」

 それだけ言い残し、クリスはクラウディオを抱いて部屋を後にした。
 残されたナタリーはこれまでの話を必死に整理しようとするが、それは叶わず頭を抱えた。
 このままクリスを送り出していいのだろうか? いやダメだ、奮起した魔族達の争いを止めるなど無謀そのものーーーー死にに行く様なものだ。
 いやしかし、それ以外に方法はあるのか? 仮にドラウディオに話を持ち掛けたとして、この状況が好転する確率は低いだろう。
 自分はどうしたらいい、彼女を止める事でーーーードラウディオを突き動かしたとしてどう未来が変わる?

(…………ッ)

 そしてふと、ナタリーの胸に黒い感情が湧き起こった。

「このまま黙っていれば、クリス様の代わりに私がドラウディオ様の隣に居られる……?」



 ◆



「ーーーーそして私の母親は見事にクリス様の後釜に収まり、十年後に私を産んだのさ」

 淡々と話を進めたリナリー。
 ルルベル家の事情を聞いたオルクスと莉緒は互いに顔を見合わせてみるが、想像していたより複雑な話に言葉を詰まらせるしか無かった。

「因みに私が生まれたって事はクリス様の消息についても察してくれるよね。結果的に魔族の反乱は起きなかったけれどクリス様の安否は不明のまま。私の愚かな母が父様に進言していれば、きっとこうはならなかったに違いないだろうね」
「……俺達からは、その……何と言っていいか」
「そういうリアクションも織り込み済みだよ。そこでオルクスくん、依頼という形を取ったけれど今回の件について話を戻すよ。君に頼みたい事があるんだ」

 表情を切り替えると、リナリーはテーブルに大陸の地図を広げ、その一部を指し続ける。

「ちょっとしたツテから仕入れた情報によると、かつてクリス様が向かったという場所が此処にあるらしい。ここが今どうなっているかは分からないけれど、良くない噂がチラホラと耳に入ってくるんだ」
「噂?」
「……とあるハーフエルフが仕切る裏ギルドが存在するってね」
「ハーフエルフ……まさか!?」
「可能性としては低いと思いたい。けれど、クリス様が失踪した場所でハーフエルフと聞くと嫌な予感しかしないんだ」
「クラウディオさんが……関係していると?」
「だから私はその線を消すために君に依頼したいんだ。本当なら私が直接出向きたいが、いかんせん騎士団全体の状況が悪すぎる。魔神討伐で崩壊した戦線の立て直しで私自身が動けないんだ」

 カルロスの容態もあるが、何より副団長という肩書きがリナリーの後ろ髪を引いていた。

「裏ギルドとなれば危険なのは承知だよ。だからこそSランク冒険者かつプレジールという信頼の厚いギルドに依頼を送ったんだ」

 頭を下げるリナリー。それに対し、オルクスは数秒の沈黙を置いて首を縦に振った。

「クラウディオさんに関係する話なら……可能性であったとしても俺は受けたいと思う」
「!? 本当かオルクスくん」
「……何も無かった俺に剣を教えてくれたのはあの人だ。感謝する間も無いまま別れる事になって、ずっと後悔していた」

 立ち上がり、燐天に視線を結ぶとオルクスは自らに言い聞かせる様に続ける。

「仮に裏ギルドの話がクラウディオさんに関係していようと、今がどうであろうと俺はあの人に会いに行く」
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