王女殿下のヒットマン

マット岸田

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第十八話 放免

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「班長のリュオマだ。これ以上交戦しても目標の達成は不可能どころか、部下の撤退すら困難だと判断した。交渉したい」

 さっき電話の向こうから聞こえた声が、玄関先から聞こえて来る。今度は日本語だった。

「交渉はさっき終わったのじゃありませんの事?」

 イーリスが皮肉げな口調で言う。

 玄関から男が入って来た。武器を捨て、両手を上げている。ガスマスクも外し、素顔を晒していた。
 髭を生やした精悍な男だ。三〇代の半ばか。表情は消している。

「ならば、我々の敗北を認める。投降するので部下達の命だけ保証してくれないか?」

「投降と言われても、俺達は軍人じゃないからな」

 倒れた相手の武器を回収しながら私は首を振った。

「素顔と所属と実名を晒してネットで今回の事件の告白動画でも流しましょうか。工作員としてはそれで再起不能になるでしょう」

「鈴木が頭を抱えるな。それはそれでいっその事面白いんだが」

 私はソルヤの方を見た。

「どうする、ソルヤ。愚かにも王女殿下の説得にも耳を貸さず、実力行使に踏み切った連中な訳だが」

 尋ねてみた。ソルヤがどう答えるかは、分かっている気がした。
 ソルヤが私とイーリスを交互に見る。私は頷き、イーリスは肩を竦めた。

「全員死刑……と言いたい所だけど」

 ソルヤは自分もマスクを外すと、リュオマと向き合った。

「私が語るべき事はもうさっき語ったよ。武器を捨てて、どこへなりとこのまま立ち去って。もし次があれば、その時は私も君達を殺す。彼らに殺してもらう。だからそれまでに良く調べて、良く考えて。今君達が受けている任務が、本当に私や彼らや君達の命を懸けるに足る価値がある物なのか。殺してもいい、殺されてもいい。もし迷い無くそう思って私の前に再び現れるのだとしたら、私はそれを尊重する」

 教え諭すような口調だった。

 リュオマがうなだれる。

 戦いで私とイーリスに負けただけでなく、他の様々な事で決定的にこの男はソルヤにも負けた。そしてそれを、認めている。
 少なくともこの男が、もうソルヤの敵として向かってくる事は無いだろう。

 それでも、私もイーリスも軍人ではなく犯罪者だ。敵は殺せる時に殺すのが当然の世界にずっと身を置いて来た。

 今ここで見逃した者達が、再び敵として向かって来るリスクをわずかでも考えれば、ここで殺すべきだ。それは間違いない。

 それなのにどうして私は敢えて敵を殺さないように戦っていたのか。何故今、ソルヤがこの連中を見逃そうとしている事に異論を唱えようと言う気がしないのか。

 リュオマと言う男の何かを変えたように、私の何かもソルヤに変えられている。恐らくイーリスもだ。

 最後に倒れたナイフ使いが、撥ねるようにして飛び起きた。

「止せ、トッリネン曹長」

 咄嗟に距離を取り、武器を探すナイフ使いを、リュオマが制する。
 状況を理解したのかナイフ使いは動きを止め、手を上げた。

「もう起きたのか。タフな奴だな」

 私も一度向けた拳銃を下げた。

「負傷者の手当てを許してもらえるだろうか?止血だけでもこの場でしたい」

 リュオマが聞いて来た。装甲が薄い部分を弾が貫通したようで、ナイフ使いの肩からは血が滲んでいる。

「好きにしろ」

 .357マグナム弾の銃創を受けてすぐ自力で動けるようになるのは驚きとしか言いようが無かった。

 リュオマに促され、ナイフ使いがボディアーマーを外すとヘルメットを取る。
 ボブカットの赤みがかった茶髪が出て来た。ソルヤとイーリスが驚いたように何度か瞬きする。

 女だと言う事は、戦っている最中に察しが付いていた。

 かなり若い。秀麗な顔立ちだったが、眼には何の色も浮かんでいなかった。
 南米では何度も見た、人を殺すように育てられた少年兵の眼だ。

 トッリネンと呼ばれた女はこちらにはそれ以上何の関心も示さず、何も言わないまま、簡単に傷の手当てを終える。

 他の者達も必要な物はその場で最低限の手当てを終え、銃器だけを置いて事務所から引き揚げて行った。
 誰も何も言わなかった。ただリュオマだけが出て行く時、ソルヤに対して頭を下げる。

「しまったな」

 静かになった所で適当に腰を下ろし、私は呟いた。出血のせいかかなり体が重い。

「部屋の修理費の請求はエルヴァリ大使館にでいいのか、聞きそびれた」

「わ、私が払うよ……どっちみち元は同じ税金だし……じゃなくて!キザキ!キザキも傷の手当てをしないと!」

 ソルヤが私に飛びつくように駆け寄ると、服を脱がせようとする。しかしシャツが血で張り付いて上手く行かない。
 と言うか痛い。

「税金で買った武器で建物を壊し、税金で修理する。究極の浪費と言う奴ですわね……どうせボロボロですし、シャツは切ってしまいますよ」

 イーリスがそう言いながら落ちていたナイフを拾うと、器用にざっくり私のシャツを切り裂き、体から剥した。

「あの時のお返しにワタクシが縫って上げましょうか、と言いたい所ですが、縫うほどの傷はありませんわね。これなら圧迫止血で十分かしら……ソルヤ、そっちの棚に救急箱があるのでそれを」

「うん」

 イーリスが指示を出し、二人で手早く私の傷の手当てを始める。二人がかりで深そうな物から順番にガーゼ越しに手で押さえ、血を止める、と言う作業がしばらく続いた。

 私は火の着いていないシガリロを咥えたまま、二人に自分の体を任せていた。

「しかしまあ器用な男ですわね。あれだけ斬られて全て浅手で済んでいるとは」

「割と危なかったがな。ナイフ使いとしては、そうはいないレベルだった」

「実戦経験もロクに無い小国の特殊部隊、と舐めていましたが、とんでもないのを抱えていましたわね。あれ、狙われたのがワタクシでしたら多分最初の一撃で死んでいましたよ。なんちゅー女ですか。しかも美人」

「向こうもお前にだけは言われたくないだろうな」

 まさか連中もこの日本でデザートイーグルを撃って来る女と出くわすとは思っていなかっただろう。

「やだ、美人とか照れますわ」

「そっちじゃない」

 私の二の腕の傷に手を当てていたソルヤが、そのまま自分の額もそこに押し当てて来た。泣いているようだ。

「髪が血で汚れるぞ」

「ごめんね、キザキ。私のせいでここまで怪我もさせて、私は何も出来なくて」

「馴れているさ。それに、何も出来なかったなんて事は無い。お前が銃の弾を込め直して渡してくれなければ死んでいたよ」

「だけど」

「泣くのはいい。だがこれぐらいの事で自分が守られている事の意味を疑うなよ。それこそ俺は、お前を守るためには殺してもいいし殺されてもいい、と迷い無く思っているんだからな」

 ソルヤは何か言おうとしたが、言葉にならないようでその姿勢のまま泣きじゃくった。

「また泣かせていますね」

「俺のせいか?これは」

「ええ。キザキのせいです。もう少し優しくして差し上げなさい」

 イーリスは言い切ると、私の傷口を巻き終わった包帯越しにパン、と叩いた。ひとまず手当ては終わったようだ。

 ソルヤは離れようとはしない。

「しっかしいくら大使館がバックに付いているとは言え、ARX160を六丁も良くもこの国に持ち込んだ物ですわね。非常識が過ぎますわ」

 ソファーの上に並べたライフルをイーリスがいじる。

「それもお前が言うな武器商人」

「いくらワタクシでも軍用フルオート火器の密輸はそう簡単には出来ませんわ」

「この国に戻って来てすぐの仕事で、お前が売り捌いたAK-47に殺されかけたのは忘れてないからな」

「ワタクシに相談もなくそんなヤバいの相手の仕事を勝手に受けるのが悪いんでしょう。売った武器の流れはちゃんと把握してるんですから」

 イーリスが澄まして答えた。
 その件以降、私が仕事する時は事前にイーリスから情報を買う事にしたのは事実である。
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