王女殿下のヒットマン

マット岸田

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第十六話 電話

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 何かが皮膚を刺して来るような気配がした。

 誰かに見られている。そう感じ、私は咄嗟に身を低くすると屋上の扉から中に入った。

 最初から簡単に狙撃出来るような場所で身を晒してはいないが、世の中には想像も絶するような位置から当てて来るスナイパーもいる。

 電話が鳴ったのは、私が屋上から戻って来てすぐだった。
 二人で何かを話していたらしいソルヤとイーリスも電話の方に目をやる。

 受話器を取ると、訛りのある日本語が聞こえて来た。さほど若くもない男の声だ。

『キザキケイさんのお宅ですか?』

「ああ」

『こちらはエルヴァリ大使館の者です。そちらでお世話になっているソルヤ殿下の事でお話がありまして』

 通話をスピーカーに切り替える。

「本人に代わろうか?」

『そうですね。そちらの方が助かります』

 相手の口調は穏やかだった。あまり腹芸をやるつもりもないらしい。
 私はちらとソルヤの方を見た。ソルヤが頷くと私から受話器を受け取った。

「ソルヤです」

『エルヴァリ大使館の者です』

 相手はエルヴァリ語に切り替えた。

「あなたの立場の特殊さは理解しているつもりです。しかしエルヴァリの人間が仮にもこの私と交渉しようと言うのに自分の名前も正式な所属も名乗ろうとしないのですか」

 自分もエルヴァリ語でソルヤは言った。全く物怖じしていない態度だ。
 王女として交渉相手に指名されたのであれば、王女として応じる。そう言う事だろう。

『……これは、失礼致しました。エルヴァリ対外諜報局工作部第一課強行班の班長、イーロ・リュオマ大尉です』

「リュオマ大尉ですね。話を聞きましょう」

『単刀直入に。大人しく我々に身柄を預けて頂けませんか?ここまでの事は全て政変の混乱に伴う不幸な行き違いであり、我々には殿下の身を害する意思はありません』

「お父様が王宮で殺されたのも不幸な行き違いですか?現場で起こった事はともかくとして、王宮に兵を向けた時点で王室への反逆の意思があったと思われても仕方がないと思いますが」

『それも部下の独断が原因となった事故であった、とリュトゥコネン将軍は仰っています』

「あれが事故だと言うのであれば、まずその事故の原因を精査し、お父様の死の責任が誰にあったのかを明確にして処分と共に公式に発表すべきではありませんか?最低限それがなされない限り、クーデター政権内に王室への敵意があると言う疑いは晴れないでしょう」

 相手はしばらくの間沈黙した。

『交渉での解決が不可能であればどのような手段を用いてでも連れ戻すように、と言う命令を我々は受けています』

「次は脅しですかと言いたい所ですが、筋の通らない欺瞞で自己正当化を続けようとしない分、あなたはまだ誠実な様ですね、リュオマ大尉」

 ソルヤの口調はどこまでも堅く冷厳だった。それでいて、相手に対する敵意と言う物が感じられない。

 一見、感情を押し殺しているだけのようにも思えるが、恐らくそうではない。人の上に立つ者としての彼女の資質を素直に晒した結果がこれなのだろう。

「ソルヤも中々、底が見えませんね」

 イーリスが私の耳元でささやいた。

 電話の向こうの相手が息を吐いた。

『現実の問題として、我々は受けた命令を実行しなければなりません。この国で国際問題となりかねないような作戦行動を行う事も、エルヴァリに何の関係もない日本人を敢えて傷付けるような真似をする事も望んではいません。ここはエルヴァリのために折れて頂けませんか、殿下』

「それは強盗の理屈ですよ、リュオマ大尉。そもそもあなた方が過ちを犯さなければ済む話です。何故あなた達の犯罪行為の結果に対して私が道徳的責任を負わなくてはならないのですか。あなたがそれが自分の信じる大義にとって必要な事だと思うのなら、あなたの責任で罪を背負いなさい」

『私は、道徳の問題ではなく現実の話をしているのです。抵抗をされても結果は変わらず、ただ無益な犠牲が増え、祖国の名を貶めるだけだ、と。我々が何者であるか、知っておられない訳ではないでしょう』

 その言葉に、ソルヤは初めてこちらを見た。
 鉄の支配者のような表情を作っていた顔。そこに、こちらをすがるような色が宿る。

 私は小さく頷いた。

「仕方ありませんねえ」

 イーリスも首を横に振った後ほほ笑む。

「何だ、結局やるのか。まだちゃんと雇われてもないだろう」

「友人を助けるのに金は取りませんわ。必要経費以上はね」

 それを見てソルヤは深く頷いた。

「私にもこの国で私を守ると約束してくれた人達がいます。私はその人達に自分の命運を託すと決めました。ですからあなた達の無法に抵抗する事を無駄とは思いません」

『キザキと言う男の情報はこちらでも掴んでいます。遠い異国の縁もゆかりもない犯罪者の事を、本気で信用されるのですか?』

「少なくとも―――クーデターを起こしてお父様を殺したリュトゥコネン将軍の政権に与し、そしてその大義を自分で十分に信じる事も出来ないままに、ただ命令であるからと言う理由だけで、私を追い回すだけでなく他国で国際法にすら反する罪を犯そうとするあなた達よりは―――」

 ソルヤは一度言葉を切り、少し目を閉じるとそこから少なくとも私には始めて見せるような怒りの表情を作った。

「この遠い異国で縁もゆかりもない私に手を差し伸べてくれた人達を信用するに決まっているでしょう!恥を知れ、このマヌケ!」

 最後の言葉の勢いと共にソルヤは受話器を叩き付けるように切った。

「エルヴァリの社会科教科書に載りそうな“マヌケ”でしたわね」

 イーリスが口笛を吹くと楽しそうに笑った。

 ソルヤは赤い顔をして肩で息をしている。溜め込んでいた様々な鬱憤を一言で吐き出した。そんな様子だった。
 私は黙ってコーヒーを淹れるとソルヤに差し出した。

「……ごめん、勢い任せでとんでもない事言っちゃった。説得すれば、あるいは止められたかもしれないのに」

 我に返ったようにソルヤがバツの悪そうな顔をする。

「あそこまで言われて恥じ入らないような相手なら、どれだけ言葉で説得しても無駄だろう」

 そう言って私は部屋に置いてあったアタッシュケースからガスマスクを二つ取り出すと一つを自分の顔に着け、もう一つをソルヤに投げる。

「来るの?彼ら」

「来る。マヌケではあっても最後通告からわざわざ時間を空けてこちらに準備を整えさせるほどではあるまいさ。電話が掛かって来た時点で、突入は秒読みだろう」

 この事務所であれば周囲は他は夜に人がいなくなる会社施設ばかりで、大きな騒ぎになる可能性は低い。敵に多少なりとも理性や常識が残っていれば無駄な犠牲を少しでも抑えるためにも今ここで仕掛けるだろう。

「ソルヤ、後防弾ベストと以前買ったワタクシとお揃いのコートも」

 イーリス自身も防弾ベストとコートを着込み、さらに金髪のウィッグを付けてからガスマスクを被った。

 ウィッグの下から黒髪が覗いてはいるが、それでも二人で同じコートを着てさらにガスマスクまで被ると、一瞬では判別が付かない。

「用意のいい事だな」

 アウトレットに行った時に揃いのコートまで買っていたとは、気付いていなかった。

「利用できる物は王女であろうと利用させて頂きますわよ、ワタクシは」

 コルトパイソンを抜き、シリンダーを回転させると弾を確認する。そして目を閉じる。

 銃を構えると、感覚が研ぎ澄まされてくる。建物を通して、私達に向けられる敵意が、伝わって来る気がした。

 目を開ける。

「来るぞ」

 敵意が形になる。
 ガラスが割れる音がした。
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