上 下
1 / 12
第一章 双星(小型浸透怪獣ギラル 突撃衝角怪獣ザンダ 近接火砲怪獣ガンガル 登場)

覚醒~あるいは寝て醒めたら、と言う導入ほど便利な物はない~

しおりを挟む
 目覚まし時計の音で目が覚めればそこは見知らぬ天井だった。
 見知らぬ、いや、そんなはずはない。ここは自分の職場である派出所、そのいつも使っている仮眠室だ。
 派出所、と言う某長寿コミックで散々耳に慣れ親しんだ言葉は正式名称としては実際にはかなり以前に使われなくなっていた、と知ってショックを受けたのはいつだったろうか。
 そんなどうでもいい事を考えながら天藤てんどうしょうは一度頬を叩いた。もう一年も務め、それなりに慣れ親しんだ職場に一瞬混乱したのはおかしな夢でも見ていたからだろうか。
 いや、違う。
 自分は天藤翔などと言うやたら格好いい名前ではないし、警察官になった覚えもない。
 正確には確かに自分がそう言う人間だと言う記憶はあるのだが、それとは相反するもう一つの自分の人生の記憶の方が強烈に「こちらが本物だ」と脳内で主張してくる。
 自分の名は西尾にしお和樹かずき。天藤翔には負けるがそんなに悪くない名前だと思う。三十五歳のごく普通の会社員だ。
 ひどく寝ぼけているのか。それともまだ夢の中なのか。そう思いながら西尾和樹はほとんど無意識に天藤翔の記憶に従って洗面所まで向かった。今時珍しいハンドルタイプの蛇口を捻って水を出し、顔を洗う。そしてそのまま正面の鏡を見直した。
 えらい爽やかなイケメンがそこにいた。
 どちらかと言えば寝起きのとぼけた表情でしかもパジャマ姿だと言うのに、それでも強い意思と穏やかさを併せ持って感じさせる大きな瞳を中心にした整った顔の上に、警官がこれで許されるのだろうかと言う豊かな茶髪が乗っている。
 しかし和樹が衝撃を受けたのはその顔が本来の自分とは似ても似つかない顔だったからと言う以上にその顔に見覚えがあったからだった。
 いや、顔だけではない。寝起きの昏迷から立ち直れば、天藤翔と言う名前の警察官を和樹の記憶の方もまた知っている、と思い出せる。
 ただそれは現実に存在する人間ではなく、和樹がかつて高校生の頃にプレイしていたゲームの登場人物としてだった。

「おいおいおい……なんだよこれ、何の冗談だよ……」

 口を開いてそう呟く。自分で聴く自分の声と他から聴く自分の声は聞こえ方が違うからはっきりとは言い切れないが、しかしそれでもそう呟く声もまた、ゲームに収録されていたキャラクターの声と同じ物に聞こえる気がした。
 頬をつねってみる。痛い。夢から醒める所か時間が経つ毎に意識がはっきりしていき、今自分が置かれている状況こそが現実なのだ、と言う認識が強まっていく。

「ゲームの中に入っちゃったのか?いや、正確にはゲームのキャラクターの中に入っちゃったのか……」

 そう呟きながら和樹は今歩いて来たルートをなぞるように布団まで戻るとそこに座り込んだ。
 知っている。自分は今の自分である天藤翔と言うキャラクターを知っている。
 和樹が高校一年生の頃に家庭用ゲーム機で発売されたシミュレーションゲーム「護星ごせい装甲そうこうスターブレイバー」の登場キャラだ。
 舞台は現代の地球、日本。そこに突如謎の異星人の手先として現れた巨大怪獣を相手に主人公がたまたま発掘された巨大ロボットに乗って戦うと言うありがちなストーリー。
 ステージごとに敵を倒しながら様々なミッションをこなして行くマップクリア型の疑似リアルタイム戦術シミュレーションだ。
 シリーズ化の企画もあったようだが売り上げが振るわなかったのか、会社の体力が尽きたのか、続編が出ずじまいだったため、謎の異星人が本当に謎のままだったり、回収されてない伏線がいくつもあったり、とストーリー上の難点はそこかしこにあったが、それでもゲーム自体は結構面白い。
 非常に強力だが一機しかおらず、巨大で進行ルートが限られ、移動手段も歩行しかできないスターブレイバーと、非力だが数がおり小回りも聞く自衛隊ユニットを上手く使い分けながら戦っていく事になる。
ステージの合間にはパイロットである高校生、天藤ゆうの視点での育成パートと恋愛シミュレーションパートも挟まれ、その二つの行動で戦闘パートでの難易度やストーリーも分岐する。
 そう、天藤勇。
 天藤翔と言うのはこの主人公の兄であり、彼が住む街の交番に勤務している警官なのである。
 主人公よりも五つ年上の二十三歳。
 勉強もスポーツも大抵の人間よりは上手くこなせ、性格は温厚篤実で正義感に溢れ無欲で優しくおまけに見ての通りルックスもイケメンだと言う完璧超人。
 主人公との関係も良好で、いつも年の離れた弟を気に掛け、時に導いて来たちょっと現実にいたら逆に嫌になりそうなぐらいの理想の兄貴なのだが……
 実はゲーム開始直後に死ぬ。
 突如として街に怪獣が現れる第一章、その冒頭も冒頭で避難しようとする主人公とその幼馴染であるメインヒロインの桜塚さくらづか雪奈ゆきなを庇い、人間サイズの怪獣と戦って相打ちに持ち込みあっけなく死ぬ。
 ストーリー分岐などは無く絶対に死ぬ。 
 そして後半敵になって復活するなどと言うお約束の展開もなく、そのまま死にっぱなしである。
 翔は発売前のゲーム雑誌(当時はまだネットでゲームの情報がほいほい得られる時代では無かったのだ)の記事などでもメインキャラクター扱いされており、説明書でも彼が死ぬ事は一切伏せられていたので、これは当時のプレイヤー達にも結構な騙し討ちだった。
 今と違って他プレイヤーの感想などほぼ口コミでしか聞けない時代な上に、マイナーメーカーのゲームで周りにやっている友人もいなかったのでリアルタイムの評判がどうだったかは和樹にも分からないが、後になってネットで調べてみた所ではやはりこのイベントは賛否両論扱いされている。
 まあメインキャラと見せ掛けたキャラをいきなり殺すと言う意外性を制作者が目指していたのは分かるし、恋愛シミュレーションの要素もあるのだからヒロイン候補を殺すよりはましな選択だっただろう。
 身近な肉親である翔の死は主人公が日常の平和な生活から人類の生存を賭けた戦いへと呑み込まれる転機の象徴になっており、後になってからも翔の人柄と死は主人公に大きな影響を与えている事が何度か示唆されるため、ストーリー的には意味のある死だったんじゃないだろうか、と和樹個人としては思っている。

「けど実際に自分がそれで死ぬ立場になってみるとふざけんなとしか言いようがないなこれ」

 頭を抱えながら和樹は呟いた。
 天藤翔の記憶があるとはいえ心は西尾和樹と言う別人格なのだ。
 あの聖人君子みたいな兄貴本人なら弟とその恋人候補を守るために躊躇なく命を投げ出すのかもしれないが、和樹は正直言って死にたくない。
 これがゲームのキャラクターへの憑依ならひょっとしたら翔が死んだ時点で和樹は現実に戻れるのかもしれないが、何の判断材料もない内にそれを試すのは博打過ぎる。
 となると何とかして取り敢えずは生き延びなくてはいけない。
しおりを挟む

処理中です...