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8-7 斯波家長(2)

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 男はかなり遠い距離からこちらに気付いていたようで、静かに腰を上げると一礼する。
 確かに顔に見覚えはあった。しかしこんな男だったか、と一瞬思う程にその眼の印象は違った。戦場で見せた激しく鋭い光は、今はその片鱗さえ見えない。
 必要な時以外では自分を徹底して抑える事の出来る男なのだろう。半端に常に周りを威圧しているような人間よりも、そちらの方が往々にして手強い。

「戦場でお会いした以来ですね。建速勇人と申します」

 落ち着いた、静かな声だった。しかし良く通る。

「片瀬川で私の首を飛ばし掛けてくれたな。伊賀盛光から名は聞いている」

「その節は失礼しました」

「何、戦場での事だ。斬られたのは私が弱かったからに過ぎぬ。悔しいと言う思いはそれとは別にあるが」

 片瀬川の戦いの後、暇を見つけてはまた剣の鍛錬も繰り返した。あれから自分が強くなった、と言う自負はある。しかしそれでも目の前の男には遠く及ばないだろう。

「その後、宇都宮の戦場でお会いしましたか、お気付きでしたか?」

「私の騎馬隊がぶつかった百騎の先頭に、一際強い一騎がいた。あるいは、と思ったが、遠目であったが故、確信は無かったな」

「あの時は逆に、私が首を獲られかけました」

「最初から無理押しをするつもりはなかったから、北条時家の徒に妨げられた事自体は別に悔しいともあの時は思わなかった。しかしお主がいたのなら、今思えば惜しい事をしたな」

 家長は軽い口調で言った。建速勇人も冗談と受け取ったのか、声を立てずに笑う。

「盛光殿は、御壮健ですか?」

「鬱々としているよ、日々。しかし良く働いていてくれる。私のためにでも足利のためにでも無いだろうが」

 あの人らしい、と今度は勇人は小さく声に出して笑った。

「中に入ろう。今日も冷える。寺の中で湯でも飲みながら話したいと思う」

「人払いをお願いしたいのですが」

「それは案ずるな。ここにいるのは私の配下で白銀と言うが、この者に任せておけば良い」

 家長がそう言って促すと、勇人は警戒する様子も見せず東林寺の中に入った。
 東林寺で一室を借り、火鉢と湯を僧侶に所望すると、勇人と向かい合って座った。
 白銀が部下に人払いを命じ、自身は家長の横に立つ。
 まるでこれから旧い友と語るかのような雰囲気だった。しかし、敵である。見た限りではやはり武器は持っていないが、それでも白銀は微塵も警戒を解いていない。

「会って頂いた事、感謝します」

「単身で敵地に乗り込んで来た事は認める。だからまず会うだけは会おうと思った」

「陸奥守様からのお言葉を伝えに参りました」

「それも、聞くだけは聞こう」

 なるべく感情を込めないように、家長は返した。
 今この時に、陸奥守からの使者が自分を訪ねて来る、と言うのは常識的に考えて驚きしかない。
 しかしその一方で、心のどこかでそれを期待していた自分が確かにいた。

「此度の上洛で、家長様にお味方して頂きたい、と陸奥守様はお考えです」

「そう言う話であろうとは、思っていた。しかし私は、足利の一門に生まれ、数年来奥州軍と戦い続けて来た足利の武士だ。従って来た者の多くを陸奥守との戦で失ったし、また逆に陸奥守に従う多くの者を死なせた。その私に今更、どのような道理があって足利を裏切れと言うのか」

「今陸奥守様が敵としておられるのは足利ではありませぬ」

「では、何を敵としている?」

「この国の秩序を壊そうとしている意志、その物を。言葉を飾らず言ってしまえば、後醍醐帝と五辻宮を」

「後醍醐帝が企んでおられる事は、ある程度以上掴んでいるつもりだ。しかしそれがこの上洛とどう関係する?何か後醍醐帝の具体的な計画が見えているのか、陸奥守には」

「次の京の戦場で二人の帝が戦い、互いに相打つようにして死ぬ。そこから両朝の帝が互いに殺し合う連鎖が続く。それによって帝と朝廷の権威と言う物を徹底的に壊す事を目論んでおられます」

「なるほどな」

 言われてみれば、ありそうな事ではあった。

「陸奥守様はこの上洛でその計画を止めると同時に五辻宮とその配下達を討ち、後醍醐帝の力を奪う事を本当の目的とされておられます。そして出来る事なら自分が関白か太政大臣になり、足利と和睦して二つに分かれた朝廷を統一しよう、とも」

「それが目的であるから鎌倉は素通りさせよ、それだけでなく足を引っ張る事になるであろう北条時行と新田義興の軍勢だけをここで足止めせよ、と言う事か」

「はい。北条時行と新田義興の軍勢がここで合流してしまえば、奥州軍は独自に動く事がほとんど不可能になります」

「随分と、都合のいい話ではあるな。国のあるべき形に関しては、かつて多賀国府で陸奥守と拝謁した時、互いに本音で語り合ったと思っている。陸奥守は帝と朝廷を中心にした国を作るべきだと考えており、私は征夷大将軍と幕府を中心にした国を作るべきだと考えているのが分かったからこそ、我らはここまで戦ったはずだ。それが今になって、従っていたはずの後醍醐帝を敵とするから私に力を貸せと言うのか」

「確かに、都合のいい話ではありますね」

「私が、その様な話に応じると思っているのか?」

「応じられないかもしれない、とも思っています。互いに抱いている理想が違う。陸奥守様と家長様が同等の英傑であるが故に、それでお二人が対立されるのは仕方がない事でしょう。しかし、足利一族としての身分に囚われているが故に応じられないのであれば、それは許されない事です」

「何故だ?」

「家長様、お尋ねします。仮に足利の武士として鎌倉で奥州軍と戦い、陸奥守様を破ったとして、その戦の先に家長様が目指しておられる物は本当にあるのですか?」

「全く臆する事無く、良く正面からそう訊ねられる物だ」

 家長は少し唇を歪めながら答えた。

「戦は政のためにするためで、そしてそもそもの政が間違っていればその戦は無意味です。残念ながら陸奥守様は今までそのような状況におられた、と言う事は認めざるを得ません。そして無礼ながら、家長様もまた。間違っているのはお二人ではなく、朝廷と足利でしょうが」

 戦に勝って、その後どうするのか。帝と朝廷と言う土台が無くなった後で、征夷大将軍と幕府が代わりに国の根幹になれるのか。朝廷を二つに割る事を肯じた尊氏の元で、自分は真にこの国の民のための政が出来るのか。
 勇人に訊ねられる前から、家長自身が既に心の中でそんな疑問を抱いていたのは、否定しようも無かった。ここに来ての陸奥守の変遷に何かを言えば、それはそのまま家長にも帰ってくる皮肉になる。

「だが、逆に陸奥守と私が組んだ所で、その戦の先に何がある。見ている国の形が違うのは、結局変わらぬのではないか」

「陸奥守様が、京を中心にして西を抑えられる。その間に、家長様は鎌倉を中心に関東を抑えられる。奥州は陸奥守様がおられずとも、関東からの介入が無ければ数年は静かに治まります。後は陸奥守様と家長様がそれぞれ公家と武士の立場から和睦を唱えられれば、それでひとまず天下は収まるのではありませぬか」

「容易く、言ってくれる。だがまあ、それは出来るとしよう。しかし、その先は?この国に根深くある、武士達、そして民達の不満はどうなる。それは、上に立つ者が抑え付けようとするだけでは、収まらぬ」

「政の力で、抑えられれば良い。陸奥守様と家長様がそれぞれ理想とする政を行われ、武士と公家、どちらがより多くの力を持てば本当にこの国が良くなるのか、ゆっくり決められれば良い。我らは結局、政がどうあるべきか、と言う事で争っていたのですから」

「絵空事だな、それは。夢のような物でもある」

「戦は最後は夢を追ってする物です。戦でしか成し得ない困難な物に届こうとしてこそ、戦をする事が許されると言ってもいい」

「知った風な事を、語るではないか」

「この何年か、戦とは何か、と言う事に付いては主に南部師行殿に嫌という程教え込まれましたから」

 勇人がにこりと笑った。
 家長は自分の椀に注がれた湯を飲み干した。
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