時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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8-6 斯波家長

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 家長は、少なくとも表向きは落ち着き払っていた。
 鎌倉に集まった武士達も、気を昂らせている者は多いが、全体としてはそれほど動揺はしていない。
 勇んで出陣して行った上杉憲顕が利根川で大した足止めも出来ずに負けて戻って来た時も、勝敗は時の運であると言い切り、型通りの労いの言葉を掛けてそのまま鎌倉の守備へと回した。
 実際の所、名のある大将が討たれた訳でも無ければ兵の犠牲が多く出た訳でも無く、大軍同士のぶつかり合いではあっても大きな負けでは無かった。利根川をほとんど無傷で渡らせた、と言うのは大きく見えるかも知れないが、それもこちらが利根川を最初から堅く守る気でいれば、の話だ。
 本当に利根川で勝負を掛けるつもりなら、家長自身が出陣している。
 利根川を絶対の防衛線にしないと決めたのには色々な理由があったが、一つには陸奥守の上洛に同調して鎌倉を伺う北条と新田の軍勢が気に掛かったからだった。
 北条時行は箱根で二万、新田義興は入間川で今は三万を超える軍勢を集めていた。
 数自体はたいした物ではない。足止めのために軍勢を割いたとしても、まだ兵力では余裕を持って陸奥守と対する事は出来る。
 しかし家長はその二人の軍勢、特に北条時行の側から言いようのない不気味な物を感じていた。
 白銀を通してその内情の異常さは早くから伝わって来ていたが、それ以上に、こうして実際に軍勢が鎌倉に向けて布陣すると、何か戦人の本能のような物に対して訴え掛けて来る異質さがある。
 軍議はそれほど開かなかった。開いても何かを決めるためと言うよりも、武将達を安心させるため、と言う意味合いが強い。
 自分が若過ぎる程に若い大将だ、と言う事も時には役に立った。若い自分が見た目だけでも落ち着いていれば、年長の者達も意地のような物で自分の落ち着きを取り戻そうとするのだ。
 もちろん内心は家長も平然となどしていなかった。鎌倉付近、関東全域、そして陸奥を含む日本全域の情勢を常に耳に入れ、陸奥守の上洛軍がどう動くか、それとどう戦うべきか、と言う事を、暇さえあれば政所の居室で考え続けている。
 守るだけであれば、難しい事では無かった。数の利を活かし、ただ鎌倉を堅く固めればいい。相手は寄り合いの遠征軍である。兵糧も移動しなければいずれは尽きる。そして奥州軍が動けなければ、呼応すべき各地の武士達も勢いを失う。
 守り続けるだけの戦、と言うのはある意味で危険でもあるが、家長はここまで時間を掛けて鎌倉でそれが出来るだけの下地を整えて来たのだ。上杉憲顕の出陣を敢えて黙認して負けを重ねさせているのも、自分を政敵と見做している武士達を引き締めるためであった。
 もちろん、実際にそれであの南部師行と、それを擁する陸奥守北畠顕家を止められるのかは、やってみなければ最後には分からない。しかしどう守るのかが最善かは、分かっている。
 鎌倉を守った先に何があるのか。未だにそれが見えていないから、家長は考え続けていた。
 後醍醐帝の影の力に関しては、白銀が調べている以外に、直義配下の忍び達が暗闘を重ねつつ調べた情報も、かなり入って来ていた。
 朝廷側の勢力だけでなく、足利方の武士達にも密かに賛同している者達がいる。後醍醐帝は双方の勢力の武士達を操り、この合戦を引き起こしていた。
 それに思いを巡らすと、自分が傀儡師によって操られる人形になったような居心地の悪い気分に家長はなった。
 北条時行と新田義興は、ほぼ確実に傀儡である。陸奥守もまた傀儡人形としてこの上洛軍を起こしたのか。あるいは傀儡師の糸を振り切って自らの意思で何かを成すために出て来たのか。
 そして武士の棟梁である尊氏は、このまま後醍醐帝の傀儡になるつもりなのか、あるいはやはりそれをどこかで振り切って、自分の理想に従って天下を収めようとするのか。
 直義とは赤と青を通して定期的に連絡を取り合っているが、尊氏に関してはほとんど何も言ってこない。そこからは直義の孤独と諦めのような物が伝わって来ていた。
 ここで鎌倉を守り、陸奥守の上洛を止めたら、京の情勢は、そして天下の情勢はどう動くのか。上洛を止める事が、本当に足利による泰平の世に繋がるのか。
 今さら迷うな、と家長は何度も自分に言い聞かせていた。
 自分の役目は、鎌倉を守り、関東を守る事である。そうして戦で功績を積む事で天下を取った足利一族の中で確固たる地位を築き、自分の理想とする政を行えるようになるのが、自分の夢だったはずだ。
 戦に負ければ、全てが潰える。そして迷いながら戦えば、負けに繋がる。例えどんな曖昧な戦の中にいるとしても、戦である以上それは確固たる事実のはずだった。
 人の気配がした。

「白銀か」

「家長様。お話ししたい事が」

 板戸越しにそう言う白銀の声には、少し戸惑ったような響きがあった。

「何だ?何か大きな問題があったのか?」

「家長様に会いたい、と私に繋ぎを付けて来た者がいます。正確には赤殿を通して私に、ですが」

「何者だ?」

「陸奥守様の使いで、建速勇人と名乗っています」

「何だと」

 聞き覚えのある名前だった。片瀬川の戦いの時に瀬戸際まで追い込んだ陸奥守を守り、自分を斬った男。素性の知れない、南部師行に鍛えられた男だと伊賀盛光から聞かされていた。

「あの男が、陸奥守からの使いだと」

「今、東林寺の前で待っています」

「胆が据わり過ぎているのか何も考えていないのかどちらだ、それは」

 呆れて家長は声に出した。戦時とは言え、鎌倉への人の出入りは別に制限されていない。むしろ人足や商人などの出入りは活発になっており、紛れて入り込むのは容易いだろう。
しかし東林寺と言えば鎌倉の武家屋敷の真正面だった。敵地のど真ん中に乗り込んで来た事になる。白銀が戸惑うのも無理はない。

「必要であれば忍び達だけで捕える手筈を整えますが」

「いや、そこまで来たと言うのなら、まずは会おう。それに捕えようとして容易く捕えられる相手でもあるまい」

「見た所、武器は持っていませんがお気を付け下さい。並みの手練れではありません」

「良く知っているよ、それは」

 無意識の内に首と肩の間に残った傷を撫でながら、家長は言った。
 それでも今更、陸奥守が自分の暗殺など試みるとは思っていなかった。そんな相手ではない、と言う事は、ここ数年戦う内で、わかり過ぎる程に分かっている。

「念のため私以外にも何人か護衛をお付けします」

「任せる」

 戸板を開けて外に出るとわずかに雨が降っていた。ひどく寒く感じる。雪になるのかもしれない。
 歩き出すと、それまで声だけであった白銀が姿を現し横に付いて来た。他に何人かが影のように自分について来ている気配がするが、姿は見えない。
 鎌倉の政所を出ると、鶴岡八幡宮を回って東林寺へと抜けた。編み笠を被り、寺の濡れ縁に腰掛けている若い男がいた。
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