時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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8-3 北畠小夜(3)

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 夜明け近くになった。
河の水は次第に引き始めて、見た限りでは川岸から渡れそうな箇所がいくつか見える。しかし本当に渡れるのかは実際の水量や、その年の雨季に河の地形が変化しているかどうかにも依るので、地元の住人に聞いてみてもはっきりとした事は言い切れない。
 ただ、次第に減水する河に、敵にはわずかながら動揺が見え出していた。川岸で迎え撃つのか、あるいはこちらの渡渉に合わせて川の中で戦いを決しようと言うのか、腰が定まっていない。
大将である上杉憲顕の優柔不断さが、軍勢にまで伝わっていた。
 渡渉すれば、それで勝てる。後はどう犠牲を出さずに渡るかだった。渡渉の最中に八万対八万のまともなぶつかり合いをすれば、例え押し切っても大きな犠牲を覚悟しなければならない。
 本陣に宗広、師行、行朝の三将に加えて正家を呼んだ。呼びはしなかったが、勇人も師行に従って来る。
 武蔵へと移動してからは勇人はずっと南部勢の方にいたので、まともに顔を見るのは半月振りだった。
 師行は一度軍勢を臨戦態勢に入れれば、後はこちらから本陣に呼んだ時を別として、ほぼどんな時でも自分の軍勢を離れる事は無い。勇人もそれに合わせてほとんどの時間を兵達の中で過ごしている。
相変わらず勇人の頬はこけていて鋭い表情だった。ただ眼の光は、驚くほど穏やかな物になっている。
また一つ、何かを乗り越えた。そう見えた。

「宗広。頼んでいた事は?」

長井ながい実永さねながが先陣を望んでおります。それと争うように、部井ぶい十郎、高木たかぎ三郎と申す者達も」

「先陣争いか」

「どうやら普段から先陣争いを繰り返している事でこの辺りでは名が知れた者達のようです。こちらの先陣争いに釣られる者が向こうにもおりましょう」

 不意に渡渉を始めれば、それに応じて敵にも抜け駆けの先陣争いを始めようとする者が出てくる。それを抑えて軍勢を纏められるほど、上杉憲顕の腰が定まっているとは思えなかった。むしろ大将の心の揺れように合わせて、敵の軍勢も割れるだろう。

「師行、敵の先陣争いの隙を突いて正面から騎馬で利根川を渡渉できるか?少数でいい」

「それがしの旗本だけであれば、まず」

「良し。長井、部井、高木らをまず競わせて渡渉させ、囮とする。そこで敵に隙が生じた所を師行が渡渉せよ。渡渉の位置は、師行に任せる。そこに正家が続き、師行が敵陣を崩した所を徒五千で確保せよ。その次は私の麾下と政長が指揮する南部の本隊。宗広と行朝は後方で主力を率い、左右に広がりながらそれぞれ敵を引き付けた後に私に続け。六の宮は宗広隊が守れ」

「最初に囮となる者達の、生還は期しがたいと存じますが」

 行朝が言った。

「敵を引き付ける囮の役目が第一であり、川を渡り切る必要はない事は良く伝えよ。敵と当たる事無く途中で引き返したとしても、囮の務めが十分に果たせていれば先陣の手柄として認める、と」

 例え途中で引き返そうとしても、川の中で犠牲を出さずに下がるのは難しいだろう。そして事前にどう言い含めた所で、実際に戦場に立てば多くの武士はそう簡単に後ろに下がる物ではない。
 そう分かっていても、小夜にはそう言う以上の事は出来なかった。行朝がさらに何か言いたそうな顔をしたが、口を閉じる。
 自分の一族に恩賞を残すため、あるいは一瞬の名誉のために命を捨てる武士達は数多くいる。自分も主上も、そう言った武士達を戦乱を生む元凶として否定しながら、それでも同時にその武士達を利用して自分の理想を成そうとしている。
 それ以上は考えなかった。もう戦は始まっているのだ。
 何が正しいかを考え続ければ、最後は戦えなくなる。
 勇人が自分をどんな眼で見ているか。それも少しだけ気になったが、眼を合わせる事はしなかった。
 日が昇るまでのわずかな時間で軍勢を配置し直した。長井隊の背後に宗広を、部井、高木隊の背後に行朝を付け、小夜の麾下は中央でわずかに下がる。見せ掛けの配置だが、敵もそれに応じて布陣を変えて来た。
 師行と正家には特に配置の指示はしなかった。戦場のどこにいるのかも、敢えて確かめはしない。あの二人であれば敵の乱れに乗じて臨機応変に動くはずだ。
 そして自分もそれに応じて続く自信が小夜にはあった。
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