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7-2 北畠小夜

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 多賀国府に戻ってからも、小さな叛乱を潰す作業に小夜は忙殺されていた。
 師行と和政は無論、時家もわずかな兵で見事な働きを見せていたが、それでも小夜自身が出陣しなくては手が回らない程に陸奥は乱れ切っている。
 自分が西にいる間、師行が徹底して叛乱を力で押さえ付けて来た反動が出た向きもあった。師行では無理でも、自分相手ならまだ妥協が引き出せると思っている者もいるのかもしれない。
 実際に兵を挙げた者は容赦なく討つ、と言う姿勢は小夜も変わらなかった。ただそれに至らず、何かしら不満を抱いて訴えて来る者に関しては出来得る限り丁寧に対処していく。
 親政の混乱と征西とで陸奥全体に掛けている負担は相当な物で、叛乱を起こしている武士達の側にもそれなりに理はあるのだ、
 疲弊しきった陸奥を立て直すためには、今はなるべく大きな戦をしたくは無かった。ただここで下手に弱腰の姿勢を見せれば、足利に心を寄せている武士達が勢い付くのも目に見えている。
 京の情勢は、親房を通して細かく入って来ている。宮方はやはり京を正面から守る事は出来ず、帝は叡山に逃れるとそこを拠点に反撃を始めている。
 京の地でやはり足利の軍勢は兵糧に苦労しているようだが、楠木正成も自分もいない宮方の軍勢ではそれに乗じた反撃も覚束ず、千種忠顕、名和長年と言った鎌倉幕府との戦いで功を挙げた武将達の戦死の報が次々と入って来ていた。
 半年前の自分であれば、自分がそこにいない事をどれほど歯がゆく思っただろうか、と小夜は思った。あるいはどうにかして軍勢を出し、陸奥を捨てる覚悟で無謀な再征西を試みる事すらしようとしたかもしれない。
 今はどこか醒めた思いで、京の情勢を見詰めている自分がいた。あれほどに必死な思いで兵を死なせながら長駆し、尊氏を討とうと戦ったのが夢のようだ。
 自分の心の中から志と言う物が消えた訳では無かった。この国を太平の世にしたい、と言う思いは消えていない。ただ今は、その志のための道が見えなくなっている。
 尊氏が光厳上皇の院宣を手に入れ錦旗を掲げた事には、陸奥の多くの武士が衝撃を受け、憤っていた。光厳上皇の弟である豊仁親王が次の帝として擁立される事がすでに決まっている、と言う噂も流れていて、京での帝の身を深く案じている者もいる。
 実際には帝は、二つの朝廷を作る事によってこの戦を終わらせない名分を得たのだと言う事が、離れて京を見ている小夜には分かった。
 この先、足利が何をしようともそこには今の帝を無視して別の帝を立てたと言う負い目が付いて回る。光厳上皇を立てた事で帝の親政を否定するだけでなく、今の帝の帝位をも否定してしまったからだ。逆に帝は例え足利に追い詰められてどんな条件で講和を結ぼうとも、正当な皇位の回復を名分として再び旗を上げる事が出来る。
 帝の親政のため、と帝の身と正当な皇位のため、では大義としての重さはまるで違うのだ。
 そんな情勢の中で、帝は自分がどう動く事を期待しているのか。再び上洛し、帝の元でこの国の覇権を掛けて尊氏と雌雄を決する事か。あるいは陸奥の地で六の宮を新たな帝として推戴し、独立した別の勢力を作る事か。
 そして自分はどの道を選べば流す血と奪う命に相応しいだけの事を成し遂げられるのか。
 陸奥で自分に従う武士達は、迷う事無く小夜が命じる仕事を懸命にこなしている。自分だけが、何をすべきなのか見失っている、と小夜は思った。

「陸奥守様、少しご報告したい事が」

 小さな叛乱の討伐から戻って来た時家が、この男にしては珍しく戸惑い気味な顔をしてやって来た。

「お耳に入れるべきか正直な所迷ったのですか」

「どうした、時家。珍しい事だな」

「戦が終わった後、それがしに忍び達が接触して参りました。北条時行殿からの使いだと」

「ほう」

 北条時行は今も関東の何処かに潜んでいると思われていた。目立った動きは見せていないが、斯波家長の敗戦に乗じて少しずつ勢力を伸ばしてもいるようだ。
 各地に北条氏の残党が残る中、その嫡流と言う存在には今でもそれなりに重みはあり、敵として見れば決して無視は出来ない名前ではある。

「時行殿はそれがしを通して陸奥守様、延いては朝廷に接触して勅免を得たいと考えているようです」

 どこか苦い物を混ぜた声で時家が言った。
 時家は北条家の中での様々な軋轢の末に、自分の納得が行く戦をするために北条である事を捨てた武士だった。北条家の嫡男で、若年の従弟でもある時行に対しては複雑な感情を持っている。
 北条一族として戦うのであれば、どこまでも朝廷と足利の双方を敵にして戦い抜け、と思っているのかもしれない。
 その一方で今だ十歳ほどの時行を見限って来た、と言う事に対する負い目も当然あるだろう。

「それで、どのような返事を?」

「刀を振るって追い返そうかとも思いましたが、ひとまず陸奥守様にはお伝えする、と答えました。微妙に引っ掛かる物を感じました故」

「引っ掛かる物?」

「異常に腕の立つ忍び達、と見ました。以前それがしが時行殿の元にいた頃には、本人も周りの者も忍びを使う事など思いも至らぬような武士達でございましたのに、一体この短い間にどこであれほど優れた忍び達を味方に付けたのだろうかと」

 慎重に言葉を選ぶように時家が答えた。

「いささか分かりにくいな、時家。確証は無くても良い、お前の感じた所をもう少し深く申して見よ」

「恐れ入ります。使者としてやって来た忍び達にそれ以上の意思のような物を感じました。あれは忍びを名乗っており、忍びのような動きをしておりましたが、恐らくそれとは別の物です」

「そうか」

「思い当たる物がおありですか」

「ああ。この戦乱の中で謀略の根は深いな。私が思った以上に」

 帝が北条時行の周囲にも自分の影の力を及ぼしている、と言う事だろう。時行自身には人を集める影響力はあってもそれを活かせる才覚のある家臣がいない。周囲に人を送り込んで操り、手駒とするのであれば打って付けの相手だった。
 しかし自分の皇子達だけに飽き足らず、時勢に振り回され続けた幼い北条の遺児すら自分の理想の天下のための道具にするのか。
 それを考えても無駄な相手だった。天下のためにやらなくてはやらない事だから、やる。あの帝に取っては、ただそれだけだろう。

「時家、お前は武士としての誇りを守れる戦をするために北条を捨てここに来たな」

「はい」

「仮に、だが。もし天下のためにお前に武士の誇りを捨てて再び北条に戻って欲しい、と頼んだらその時はやってくれるだろうか?」

「天下のために、ですか」

 小夜の言葉に時家はどこか皮肉げな笑みを浮かべた。何に対しての皮肉なのかは分からない。

「その時は自分の運命の数奇さと滑稽さをあざ笑うでしょうが、それでも陸奥守様のご命令であれば否応も無く」

「そうか」

 まだ具体的な策が浮かんでいる訳では無かった。ただ帝が手段を選ばないなら、こちらも出来得る限りの想定をしなくてはならない。

「いずれ主だった者を皆集めて私から全てを話す時が来ると思う。それまでは今回の事もお前の胸の内にだけに留めておいてほしい」

「はい」

 時家が短く答え頭を下げた。時家は師行と同じで必要以上に物事を尋ねたりはしない武士だった。ただ尋ねないだけで、頭の中では常に様々な事を考えてもいる。
 思えば時家も本人の言う通り数奇な運命の男だった。何かほんの少しだけでも違えば、天下の武士達に号令を掛けていてもおかしくはない家柄と才覚の持ち主である。それが自分の元で名も恩賞も求めず、わずか五百の兵で小さな戦をする事だけに徹している。
 そんな男がもっとも武士らしい武士の一人でもある、と言う所に、この国の歪みが垣間見える気もした。
 時家が去り、入れ替わるように師行と共に叛乱の討伐に出ていた勇人が尋ねて来た。
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