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6-11 足利直義(3)

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 付いて来ようとした師直や旗本達を途中で止め、直義は一人で小屋に向けて馬を進めた。その直義の姿に足利軍の中からどよめきが起きたが、止めようとする者はいない。
 師直を始めとして、皆本当はこの戦が奇妙な物であった、と言う事を三刻の間肌で感じ続けていたのだろう。
 近付く直義に対しては矢などが飛んでくる気配はもう無かった。そもそももう一本の矢も残っていないのだろう。
 小屋の周りを囲む楠木の兵達が胡乱げな様子でこちらを見て来る。歳を取った兵達ばかりだった。若い兵は一人もいない。

「降伏の呼びかけであれば、帰られよ」

 兵の一人が言った。

「いや、降伏を勧めに参ったのではない。ただ正成殿と直接話したい。取り次いでくれぬか。足利直義が話をしに参ったと」

 そう応えるとその兵は少しだけ驚いたような顔をした後、しかし頷き、小屋までの道を開くように指示した。兵達の輪が少しだけ開く。
 ほんの少し前まで直義一人の首を狙って戦をしていたはずの兵達だが、戦を終えた後こうやって一人でやって来た自分を討ち取ろうとするとは直義はほとんど思っていなかった。
 もしそうでなくて自分の首を改めて取りに来るのであれば、それでもいい。それならそれで、分かる事はある。
 小屋の中は薄暗かった。正成と正季と言う直義でも顔を知っている二人の他、やはりほとんど年老いたと言ってしまえるような年齢の武士達が座り込んでいる。
 全員が血と泥にまみれていた。武器も具足も満足に身に付けている者はいない。
 正成以外の全員が、入って来た直義を見てやはり少し驚いたような顔をしている。しかし色めき立つ者はいなかった。そして正成は、まるで直義がやってくる事が分かっていたかのように、小さく頷いただけだった。
 久々に間近で見る正成は、戦での消耗は差し引いても、哀れになる程老け込み、体つきが小さくなっているように見えた。

「これは、直義殿。このような見苦しい様でお迎えする事になり申し訳ありません」

「お久し振りですな、正成殿」

「ええ。尊氏殿と直義殿が率いられる軍勢が六波羅を滅ぼし、凱旋される帝を京でお迎えしたのが遠い昔の事のように思われます」

「あれから、まだ二年も経っておりませんのにな」

 そう応えながら直義は正成達が開けてくれた小屋の一角に腰を下ろした。
 同じ戦いを戦ったはずなのに、自分は正成達と比べると遥かに小奇麗な姿のままだった。それが却って直義を惨めな気分にさせた。

「しかし、ここに来られる事を少し期待はしておりましたが、まさか一人で来られるとは。この正成は無論、他の兵達が独断で直義殿を害する事もあり得たでしょうに、そう言った事を恐れられなかったのですか」

「正成殿は一度戦が終わった後で自ら出向いて来た者の首を取るような真似などされないと思った。正成殿の兵達がその正成殿の意を汲まず勝手に動くような事をしない、とも。そしてもしそうでなくて、ここで死ぬのであればそれはそれでいいとも思えた」

「何故です?」

「今の戦、私は負けていたと思う。あれが戦と呼べるのであれば、ですが。私が死ななかったのは師直と旗本達がいたからで、それも後もう少し正成殿に余力があればそれでもやはり私は討ち取られていたでしょう。数万の軍勢を率いてわずか七百と戦い、退く事をしない、と言う小さな意地すら守れず馬までも失った。正成殿に理解してもらえるかどうか分かりませぬが、後は負けを認めて勝った者に自分の首を委ねるのが、武士としての矜持を護る私に残された唯一の方法なのです」

 直義がゆっくりそう言うと正成は穏やかな笑みを浮かべて頭を下げた。

「礼を申し上げます」

「何に?」

「我らの最後の戦の相手が立派な武士であると分かった。それだけでなく、その戦に我らが勝ったとまで言って頂いた。それで幾ばくかは救われた思いでございます」

「何のための戦であったのか、良ければ聞かせて頂けませぬか。正成殿であれば、もっと別の戦い方が出来たはずだ」

「買いかぶりでございますよ、それは。正成はただ主上の意に従って戦う一介の悪党でございます」

「事ここに至って、そのような韜晦とうかいはやめて頂けませぬか。先だっての京の戦で、兄尊氏はほとんど義貞に討ち取られていた。それが生き延びれたのは、義貞が敢えて兄を見逃したからだ。それだけでなく、義貞は光厳院を担ぐようにとすら尊氏に勧めたのです。私はあの時から、この戦には何か忌まわしい、まやかしのような物を感じている。兵達に命を捨てさせて戦を指揮する者として、私はそのまやかしを見極めたい」

「真面目な方だ、直義殿は。今の世では武士はその真面目さで損をする事も多いでしょうに」

「正成殿」

「いや、失礼。少し外に出ましょうか」

 正成はそう言って直義を小屋の外に促した。他に続いて出て来る者はいない。
 血の匂いが籠った小屋の中とは違い、夕暮れが近付いた外では海からの潮風が吹いて戦の気配を運び去ろうとしていた。小屋を守るように囲む楠木の残りの兵達は、静かに何かの時を待っているかのように控えている。

「何のための戦、と言われましたが」

 正成は西日を避けるように小屋の日差しの下に体を落ち着け、口を開いた。

「では直義殿は、何のために戦われたのでしょうか、この戦」

「それは無論、京を再び取り、足利の幕府を朝廷に認めさせるためです」

「しかし尊氏殿は光厳上皇を擁立されてしまった。そのためこの戦は今の帝が尊氏殿の幕府を認めるかどうか、と言う戦ではなく、持明院統と大覚寺統、どちらから帝が立つか、と言う戦になってしまっております。今の帝が退位を肯ぜられると、直義殿はお思いですか?」

「いえ」

「では、京を取った後、帝を害されるおつもりですか」

「この直義、天下のためであればどのような汚名を受ける事も厭いませぬが、それでも決して越えてはならぬ一線は弁えております」

 帝を害する、と言うのはもはや不忠かどうか、と言う問題ではなかった。この国を根本の所で支えている目に見えない国の形、と言う物を破壊しかねない行為だ。
 幕府も征夷大将軍も、最後は帝と言う存在が土台として据えられたこの国の形の中での権威に過ぎない。例え今の帝と足利が対立関係にあるとはいえ、帝たる者を害すると言うのは、その土台を自分で覆すような物だった。
 権威は、力だけではどうしても侵しきれない物であるから権威なのだ。一度その一線を越え、帝が武士の都合によって殺す事が出来る存在になってしまえば、九十五代続いたこの国の帝と言う存在の価値が無くなってしまう。
 幕府や征夷大将軍が、その代わりを務める事は出来ないだろう。平時はともかく、乱世になれば力を持って変わろう、と言う物が必ず出て来る。その先に訪れるのは、最早何をもってして勝ちとするのかも定まらない終わりなき混沌の戦ではないか。

「光厳上皇を擁立する事の意味は分かっておりました。しかしあの折の我らはまず何よりも戦に勝って生き残る事を目指さなくてはなりませんでした。この先、そのせいでどれほどに苦しく長い戦いを続ける事になっても、帝を害する事だけは、決して足利は致しませぬ」

「大塔宮は殺したのに、ですか」

 正成の目に、わずかに鋭い光が宿った。直義は気圧される思いがしたが、それをどうにか振り払った。

「足利に取って大塔宮があそこでもし主上が本気で大塔宮を守ろうとされたのであれば、私が大塔宮を斬らせる事も無かったでしょう。今思えばあれも、主上が足利を利用して大塔宮を除かれたように思えます」

「それは、確かに」

「大塔宮の事で、私を恨んでおいでですか」

「いえ、結局は直義殿の言われる通りでしょう。それがしもまた本気で大塔宮を救おうとするのであればもっと色々な手段はあったのです。それが主上の意図をはばかってぎりぎりまで動く事が出来なかったのですから」

 ほとんど枯れた木々のような情動の無さを感じさせる様子の正成だったが、大塔宮の事に付いて語る時だけは、直義にもはっきりとした悔恨の情がその表情と声から伝わって来ていた。

「話が逸れました、な。大塔宮の事も無関係ではないのですが」

「話して頂けるのですか?主上と、正成殿の真意を」

「直義殿が真の所ではやはりこの国と民の事を一心に考えるお方だ、と思えましたからな。本当は墓の下まで持って行くつもりでしたが、誰かに託してみるのも良い。北畠亜相や陸奥守様にも語らなかった話ですが」

「あの二人にも」

「最初に申しますが、これを聞く事でとてつもなく重い物を直義殿が背負う事なるやもしれませぬ。それがしがこれを直義殿に話すのは、少しばかり大塔宮を斬らせた方に対するやり切れぬ想いの意趣返しもあるかも知れませぬ。北畠亜相や陸奥守様に背負わせたくなかった物を、直義殿に背負わせてしまおう、と」

「構いません」

 謀略の中で大塔宮を直接斬り、そして最後は疲れ切ってへし折れたかのように死んでいった淵辺義博の事を思い返しながら直義は頷いていた。
 皇子を手に掛けさせた時点で、自分はどんな闇でも背負う覚悟をしたのだ。それは目に見える戦とは別の戦を戦い続けると言う覚悟でもあった。

「それでは」

 正成が幾ばくかの間を開け、話し始めた。
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