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6-5 建速勇人(2)
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行朝と話した後、朝雲の世話を終え、小夜の所に向かった。
鎌倉で宿所にしている屋敷の部屋で、小夜は和政と話し合っていた。他には侍女の朱雀がいる。
いつも通り和政は、小夜の戦い方について諫めているようだ。ただもう小言を言う気力も無くなっているのか、半ば諦めたような顔をしている。
旗本にも小夜の麾下全体にもかなりの犠牲が出ていたが、あの小夜の咄嗟の身を挺した動きが無ければ奥州軍全体の損害はけた外れに増えていたはずだ。和政もそれが分かっているので、強く言えないのだろう。
「あ、勇人。お疲れ様」
勇人の顔を見ると小夜は明るい調子で声を掛けて来た。戦場であれほどに果敢で熾烈な指揮をしたのと同じ人間とは思えないような陽気さだ。
勇人がやってくると同時に和政は口を閉じていた。本当は不毛な話を終える機を待っていたのかもしれない。
「あまり和政殿を困らせるなよ、小夜」
たまには和政の方の味方をしたくなり、勇人はそう言った。和政は特に表情は動かさない。
「困らせたい訳じゃないんだけどね。私が考えも無く無謀な事をしてる訳じゃないって事は勇人も和政も分かってくれてると思うけど」
「それは、まあ」
小夜は咄嗟の判断で目の前の戦況から戦場全体、さらに戦場の外側の事まで、様々な事を考えて決断している。その思考は自分も和政も、いや恐らく師行も含めた奥州軍にいる他の誰でも及ばないだろう。
その結果が自分の命を危険に晒す事なのだから、それを止めようとするのはこちら側の感情の問題でしかなかった。
「では、それがしはこれで。新しく旗本に上がった者達を見なければなりませんので」
和政は表情を見せないまま部屋から出て行った。ただ、声は半ば唸り声のようだった。
「やっぱり怒ってるかな?」
和政の姿が消えてから小夜の方が困ったような顔をして言った。
「怒ってはいるけど怒ってもどうしようもない事だとも分かってると思うよあの人は」
自分が考えている程度の事など、小夜も和政も分かっているだろう。それでも言わずにいられない時もある。
「旗本達がいる。そして和政と勇人がいる。それでも死ぬんだったら、そこまでだったと思うしかないよ」
「そこまでだったと思い切れるのなら、そもそも君を守るために必死になって戦わないんだよな」
「迷惑を掛けてる、とは思ってるよ」
欠けた旗本達は小夜の麾下の中からまた和政が選んで新しく上げられている。旗本は戦場で小夜の代わりに死ぬ事が務めで、退く事も許されず消耗が激しいが、それでも自分から進んで旗本に昇ろうとする者は多い。
高貴とされる血筋と立場への忠誠心か、小夜個人の人望か、武士らしい功名心か、あるいは単なる誇りなのか。旗本達が敢えて小夜のために命を投げ出そうとする理由まで勇人は考えようとは思わなかった。
戦場で一人一人が最後には自分の命をも捨てて戦おうとする理由は、最後は理屈で割り切れない部分にあるのだ。
だから和政や、あるいは自分が小夜に対して抱いている感情も、所詮感情だと容易く切り捨ててしまう事も出来ない。
「迷惑とは、僕は思ってないし和政殿も思ってないと思う」
厄介な女に惚れた。自分の場合はその一言で済むし、恐らく和政の方もそうだろう。
最も自分には小夜を前にしてそれを伝える資格はないし、かと言って和政と小夜の仲を取り持とうと思えるほどに大人にもなり切れなかった。つまる所これも今の所は自分一人の中で完結していればいい話だ。
ただ、そんな理由で戦場で勝利を妨げられ、挙句に斬られる斯波家長が、少しばかり気の毒ではあった。
「鬼丸国綱は使ってみてどうだった?」
「すんなりと手に馴染む。そして良く斬れる。刀は数打ちでいいと思ってたけど、やっぱり違うものだね」
「いくら何でも強くなり過ぎだ、と側で見てて思ったよ」
「たまたま、僕の持ってる強さが生きる機があの時戦場にあった。それだけの事だよ」
自分があの場にいなければ小夜が死んでいたかどうか、と言うのは微妙な所だった。すぐさま小夜が逃げを選べば、あるいはぎりぎりで行朝が間に合ったかもしれない。ただその場合、その先の戦がさらにどうなったかは分からなかった。
「家長君は…いや、斯波家長は死んだと思う?」
少し表情と言葉を厳しい物に変え、小夜が尋ねて来た。
「難しい所かな。あの場で死んではいなかったと思う。今生きているかどうかは、本人の運次第だろうな」
「そう」
「厄介な相手を殺し損ねた、とは思ってるよ」
「正直少し失敗したかな、とあの合戦の最中に思った。間違いなく斯波家長は師行さんと向き合っていたせいで強くなってる。もし生き延びていたら、次に戦う時はもっと強くなってるだろうね」
「あの騎馬隊には、目を奪われたよ。間違いなく、師行殿から学んだんだと僕も思った。奥州で師行殿に抑えさせていたのは、裏を返せば斯波家長を育てて上げたような物だったかな」
「囮に引っ掛かったのは、私の失敗でしか無いけどね」
「あれは誰にも見破れなかったと思う。一度きりの策を、思い切って出してきた。こっちが陸奥での戦いの様子を知っているのも予想して、罠に掛けて来たんだろうな」
今思い返せば、師行自身が伝えて来たのは斯波家長の騎馬隊に用心しろ、と言う事だけで、二千騎と言う数まで伝えて来たのは鷹丸の勝手な判断だった。最初から師行の忠告にだけ留意してその言葉の意味をもっと深く考えていれば、あるいは囮を見破れたのかもしれない。
とはいえ、小夜はその事で鷹丸を咎めたりはしないだろう。鷹丸は事実を伝えて来た。その報告を受けてどう判断するかは、小夜の責任だ。
「どうかしたかい?」
まだ小夜が何かを喉に詰まらせてるような顔をしている気がして、勇人はそう訊ねていた。
「何でもないよ」
「本当は、どこかで斯波家長にここで死んでほしくない、とも思ってるんじゃないかな」
ほとんどあてずっぽうのような物だったが勇人がそう言うと小夜は脱帽するような顔をして肩を竦めた。
「言葉にすればそう言う事になるかもね。必死で戦っていた皆に取っては裏切りになるかもしれないけど」
「何となく、僕にも気持ちは分かる、かな」
自分もあの戦の中、どこかで同じような感情を斯波家長に抱いていたのかもしれない。
まだ十五歳か十六歳のはずだ。小夜よりもさらに三つ若い。
普通であれば奥州管領として任せられている通常の務めを果たすだけでも非凡と言う言葉で済まされない能力だろう。それがここまでどうにか小夜や師行と渡り合い、戦い抜くだけでなく、日々成長し続けている。
末恐ろしいと思う一方で、数年後にはどんな人間になっているのか見てみたい、と言う感情と、そんな若者を今ここで死なせていいのかと言う感情がわずかに心の中にあった。
「そう言う巡り合わせだ、と思うしかないのは分かってるんだけどね」
この戦いではどちらか一方だけが正しくもう片方が間違っている、と言うような事は当然無い。勝者は敗者の側が持っていた正しさを押し潰して、そして押し潰した事を背負って前に進んで行かなくてはいけない、そんな戦いだ。
当の昔にそんな事は分かり切っているはずの小夜が敢えてそれでも斯波家長に関しては引っ掛かる物を感じるのは、単なる若さの問題か、斯波家長がそれだけ異質な存在だからか、あるいは一度だけとはいえ直接顔を合わせて語り合ったからか。
小夜は黙り込んでいる。その顔は強敵を相手に大勝を収めた指揮官の顔では無かった。
頭が良過ぎて、どんな言葉を掛けたらいいか分からない。小夜は楠木正成を相手にしてそんな風に感じていたようだが、自分から見れば小夜もそうだ、と勇人は思った。
鎌倉で宿所にしている屋敷の部屋で、小夜は和政と話し合っていた。他には侍女の朱雀がいる。
いつも通り和政は、小夜の戦い方について諫めているようだ。ただもう小言を言う気力も無くなっているのか、半ば諦めたような顔をしている。
旗本にも小夜の麾下全体にもかなりの犠牲が出ていたが、あの小夜の咄嗟の身を挺した動きが無ければ奥州軍全体の損害はけた外れに増えていたはずだ。和政もそれが分かっているので、強く言えないのだろう。
「あ、勇人。お疲れ様」
勇人の顔を見ると小夜は明るい調子で声を掛けて来た。戦場であれほどに果敢で熾烈な指揮をしたのと同じ人間とは思えないような陽気さだ。
勇人がやってくると同時に和政は口を閉じていた。本当は不毛な話を終える機を待っていたのかもしれない。
「あまり和政殿を困らせるなよ、小夜」
たまには和政の方の味方をしたくなり、勇人はそう言った。和政は特に表情は動かさない。
「困らせたい訳じゃないんだけどね。私が考えも無く無謀な事をしてる訳じゃないって事は勇人も和政も分かってくれてると思うけど」
「それは、まあ」
小夜は咄嗟の判断で目の前の戦況から戦場全体、さらに戦場の外側の事まで、様々な事を考えて決断している。その思考は自分も和政も、いや恐らく師行も含めた奥州軍にいる他の誰でも及ばないだろう。
その結果が自分の命を危険に晒す事なのだから、それを止めようとするのはこちら側の感情の問題でしかなかった。
「では、それがしはこれで。新しく旗本に上がった者達を見なければなりませんので」
和政は表情を見せないまま部屋から出て行った。ただ、声は半ば唸り声のようだった。
「やっぱり怒ってるかな?」
和政の姿が消えてから小夜の方が困ったような顔をして言った。
「怒ってはいるけど怒ってもどうしようもない事だとも分かってると思うよあの人は」
自分が考えている程度の事など、小夜も和政も分かっているだろう。それでも言わずにいられない時もある。
「旗本達がいる。そして和政と勇人がいる。それでも死ぬんだったら、そこまでだったと思うしかないよ」
「そこまでだったと思い切れるのなら、そもそも君を守るために必死になって戦わないんだよな」
「迷惑を掛けてる、とは思ってるよ」
欠けた旗本達は小夜の麾下の中からまた和政が選んで新しく上げられている。旗本は戦場で小夜の代わりに死ぬ事が務めで、退く事も許されず消耗が激しいが、それでも自分から進んで旗本に昇ろうとする者は多い。
高貴とされる血筋と立場への忠誠心か、小夜個人の人望か、武士らしい功名心か、あるいは単なる誇りなのか。旗本達が敢えて小夜のために命を投げ出そうとする理由まで勇人は考えようとは思わなかった。
戦場で一人一人が最後には自分の命をも捨てて戦おうとする理由は、最後は理屈で割り切れない部分にあるのだ。
だから和政や、あるいは自分が小夜に対して抱いている感情も、所詮感情だと容易く切り捨ててしまう事も出来ない。
「迷惑とは、僕は思ってないし和政殿も思ってないと思う」
厄介な女に惚れた。自分の場合はその一言で済むし、恐らく和政の方もそうだろう。
最も自分には小夜を前にしてそれを伝える資格はないし、かと言って和政と小夜の仲を取り持とうと思えるほどに大人にもなり切れなかった。つまる所これも今の所は自分一人の中で完結していればいい話だ。
ただ、そんな理由で戦場で勝利を妨げられ、挙句に斬られる斯波家長が、少しばかり気の毒ではあった。
「鬼丸国綱は使ってみてどうだった?」
「すんなりと手に馴染む。そして良く斬れる。刀は数打ちでいいと思ってたけど、やっぱり違うものだね」
「いくら何でも強くなり過ぎだ、と側で見てて思ったよ」
「たまたま、僕の持ってる強さが生きる機があの時戦場にあった。それだけの事だよ」
自分があの場にいなければ小夜が死んでいたかどうか、と言うのは微妙な所だった。すぐさま小夜が逃げを選べば、あるいはぎりぎりで行朝が間に合ったかもしれない。ただその場合、その先の戦がさらにどうなったかは分からなかった。
「家長君は…いや、斯波家長は死んだと思う?」
少し表情と言葉を厳しい物に変え、小夜が尋ねて来た。
「難しい所かな。あの場で死んではいなかったと思う。今生きているかどうかは、本人の運次第だろうな」
「そう」
「厄介な相手を殺し損ねた、とは思ってるよ」
「正直少し失敗したかな、とあの合戦の最中に思った。間違いなく斯波家長は師行さんと向き合っていたせいで強くなってる。もし生き延びていたら、次に戦う時はもっと強くなってるだろうね」
「あの騎馬隊には、目を奪われたよ。間違いなく、師行殿から学んだんだと僕も思った。奥州で師行殿に抑えさせていたのは、裏を返せば斯波家長を育てて上げたような物だったかな」
「囮に引っ掛かったのは、私の失敗でしか無いけどね」
「あれは誰にも見破れなかったと思う。一度きりの策を、思い切って出してきた。こっちが陸奥での戦いの様子を知っているのも予想して、罠に掛けて来たんだろうな」
今思い返せば、師行自身が伝えて来たのは斯波家長の騎馬隊に用心しろ、と言う事だけで、二千騎と言う数まで伝えて来たのは鷹丸の勝手な判断だった。最初から師行の忠告にだけ留意してその言葉の意味をもっと深く考えていれば、あるいは囮を見破れたのかもしれない。
とはいえ、小夜はその事で鷹丸を咎めたりはしないだろう。鷹丸は事実を伝えて来た。その報告を受けてどう判断するかは、小夜の責任だ。
「どうかしたかい?」
まだ小夜が何かを喉に詰まらせてるような顔をしている気がして、勇人はそう訊ねていた。
「何でもないよ」
「本当は、どこかで斯波家長にここで死んでほしくない、とも思ってるんじゃないかな」
ほとんどあてずっぽうのような物だったが勇人がそう言うと小夜は脱帽するような顔をして肩を竦めた。
「言葉にすればそう言う事になるかもね。必死で戦っていた皆に取っては裏切りになるかもしれないけど」
「何となく、僕にも気持ちは分かる、かな」
自分もあの戦の中、どこかで同じような感情を斯波家長に抱いていたのかもしれない。
まだ十五歳か十六歳のはずだ。小夜よりもさらに三つ若い。
普通であれば奥州管領として任せられている通常の務めを果たすだけでも非凡と言う言葉で済まされない能力だろう。それがここまでどうにか小夜や師行と渡り合い、戦い抜くだけでなく、日々成長し続けている。
末恐ろしいと思う一方で、数年後にはどんな人間になっているのか見てみたい、と言う感情と、そんな若者を今ここで死なせていいのかと言う感情がわずかに心の中にあった。
「そう言う巡り合わせだ、と思うしかないのは分かってるんだけどね」
この戦いではどちらか一方だけが正しくもう片方が間違っている、と言うような事は当然無い。勝者は敗者の側が持っていた正しさを押し潰して、そして押し潰した事を背負って前に進んで行かなくてはいけない、そんな戦いだ。
当の昔にそんな事は分かり切っているはずの小夜が敢えてそれでも斯波家長に関しては引っ掛かる物を感じるのは、単なる若さの問題か、斯波家長がそれだけ異質な存在だからか、あるいは一度だけとはいえ直接顔を合わせて語り合ったからか。
小夜は黙り込んでいる。その顔は強敵を相手に大勝を収めた指揮官の顔では無かった。
頭が良過ぎて、どんな言葉を掛けたらいいか分からない。小夜は楠木正成を相手にしてそんな風に感じていたようだが、自分から見れば小夜もそうだ、と勇人は思った。
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