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5-25 結城宗広
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行きは大軍での強行軍であったが、帰りもそうすると言う訳には当然行かなかった。
まとまった大軍であればあるほど、必要な兵糧が多くなるだけでなく、通る事の出来る道も限られてくる。そうなれば当然、行軍中はより狭い土地から集中して兵糧を得なければならなくなる。
幾度も大軍が往来した東海道は、もう民を飢えさせてしまう、と言う事を通り越して摘発する物が何も残っていないような状態になっているのが明らかだった。
征西軍を小分けにし、少しずつ兵糧を持たせ、進ませる道程を割り振りながら関東や陸奥に帰して行く、と言う事を宗広は行朝と協力しながらここ一月ほど続けていた。
顕家は油断するとその仕事も全て自分の手でやろうとしたが、何とか二人で仕事を取り上げていた。戦が終わってからも、顕家の日々は忙しい。
行朝は戦場での働きも中々の物だったが、それ以上にこう言った仕事で見せる手際に卓越した物があった。
まるで師行への当てつけのように戦嫌いを公言してはばからない男だが、案外それは本音なのかもしれなかった。
今は陸奥へと引き上げる最後の主だった軍勢である顕家の本隊を侍大将として検分している。そこには顕家自身と元服した六の宮も含まれていた。
帰路で鎌倉に入った斯波家長を始めとする足利方と戦う事を考えると、さすがに本隊に関しては一万を超える軍容になった。
親房は見送りに来ているだけだった。陸奥には帰らず、北畠の所領がある伊勢で、顕家の弟である顕信を鍛えながら兵を養う事にしたのだと言う。
親房は親房でまた、顕家とは別に一つの旗頭になり得る存在であった。顕家と敢えて別れる、と言う選択は兵を集めると言う視点で見れば正しいだろう。
それ以外にも、伊勢から京を軸とした中央の情勢を監視する、と言う意味があるのかもしれなかった。
朝廷と言う物が下から見えるほどに一枚岩でも無ければ華々しいだけの物でもないと言う事は、それなりに分かっているつもりだった。
久々に訪れた京の都では色々とうんざりするような事もあったが、それでも自分はまだましな方だ、と宗広は思っていた。関東で、そして陸奥で生まれ育ち、初めて京を訪れた身分の低い武士達の中には、頭の中で思い描いていた都や朝廷と現実のそれとの差に徐々に気付き、戸惑う者や幻滅する者も多くいた。
その現実を見詰める所から、真の忠義は始まる、と宗広は思っていた。自分の上に立つ者が無謬であると信じるのは、愚かな事だ。
帝と大塔宮との間の確執を間近で見ていたはずの親光が、死の前にその境地に辿り着けたのかどうかは今となっては分からなかった。
「主上との謁見はどうであった?宗広」
見送りの親房が馬を寄せて訊ねて来た。この自分と同年代の公家は、意外なほどに上手く馬を乗りこなす。
「それがしのような東夷には望外の名誉でございました」
自分程度の武士が帝に召されて直接その功を労われ、さらに太刀を賜うと言うのは確かに大きな栄誉であるはずだった。
その事についてどこか自分が醒めた感情を抱いているのは、自分が歳を取ったからか、息子である親光を失ったからか、それとも、やはり帝と顕家との間に生まれているらしい確執を感じてしまっているからか。
それならそれでもいい、と宗広は思っている。忠義を尽くす事に必ずしも熱い心が必要な訳でもない。
「ご子息の事は、残念であった」
「戦には、勝てたのです。勝ち戦で手柄を上げて、名を成し、死んだ。そう思っております」
「そう割り切れるのか」
「割り切るしかありますまい。武士が戦で死ぬ事に関しては」
親光の死に関しては顕家を始めとした様々な人間に様々な声を掛けられたが、宗広自身は自分に他者からの慰めの言葉が必要だとは思っていなかった。
一度だけ戦の前に勇人にその事に付いて尋ねた事があったが、それ以外の事は全て宗広自身の心の中で完結している。
「壮絶な物だな。武士の親の覚悟と言う物は」
「不安ですか。この先も戦をされる顕家様と離れられる事が」
「もう陸奥でわしがあやつの側におって出来る事はそう多くはない、と頭では分かっておっても、どうしてもな。未だに子を戦に送り出す覚悟と言う物が固まっておらぬらしい」
顕家を例外とすれば親房は宗広が今まで出会った公家の中では異色と言っていいほどに武士の事を理解している人物ではあった。
それでも、公家は公家のように考えるし、武士は武士のように考える物だ。それはどちらが正しいと言う事ではなく、生まれも生き方もやるべき事も違う人間達だと言う事だった。
「顕家はこの先陸奥で、お主のような者達を通してこの国における武士の在り様、と言う物をまた改めて見詰め直して何かしらの答えを出すと思う。わしの代わりに顕家を頼むぞ」
「それがし如きが親房様の代わりなど畏れ多い事ですが、歳を取った物には歳を取った物にしか分からぬ事がございますからな」
「そう言う事だ」
親房は最後に笑うと顕家と六の宮がいる方へ馬を向けて行った。
宗広も少しだけ間を開けると顕家の麾下達の方へ向かった。
旗本達の中に混ざっている勇人はすぐに見つかった。最初に会った時と比べれば、驚くほどたくましくなっていた。体つきだけでなく、目にも気力が満ちている。
ただ、今はどこか物思いに沈んだ目をしていた。
「何を考えている、勇人?」
声を掛けると驚いたような顔をしてこちらを向いた。
「いえ、結局この征西では、自分は何も出来なかった、と」
「自分が戦で何か為せる、と思っている辺り、若いな。悪い事ではないが」
「僕は」
何かを言いかけて勇人は飲み込んだ。
一人で楠木正成に会いに行った、と言う事は聞いていた。そこで正成と何を話したのかは、宗広は知らない。
ただ正成は奥州軍より一足早く軍勢を纏めて河内に帰っていた。そしてその直前に新田義貞を討ち、尊氏と和睦すべし、と言う上奏を帝にしたと言う。
無論その上奏はほとんど黙殺された。真面目に受け取られていれば正成は腹を切らざるを得なかっただろう。
「戦と言うのは、結局人を自分の思うように動かそうとする事だ、とわしは思っている。敵味方双方をな。そして人を自分の思うように動かす事は、戦に限らず難しい。人も世もままならぬものだ、と思った方が気楽だぞ」
「物事は何か大きな所で決まり、人一人の力では、何も出来ないのではないか。最近、そう思う事はあります。ですがそれを認めたくはないとも」
「わしにはお主が先の時代から来た、と言う事にどういう意味があるのかは未だに分からんし、分かろうとする気も無い。ただ、お主が抱えておる葛藤は、この時代を生きようとする者が多かれ少なかれ抱えている葛藤と本当はそう変わらぬのではないか、と言う気はするな」
「そうでしょうか」
親光もまた、自分一人では何も出来ない事に確かに絶望はしていただろう。そして絶望しながらも、最後までそれを認めようとはしていなかった。
宗広はそう思ったが、そこまで勇人に語ろうとは思っていなかった。死んだ息子の胸中は、自分一人で推し量っていればいい。
「まあ、また陸奥で考えてみよ。一人で考える事も無い。今のお主には、もう胸中を明かして語れる者が何人もいよう」
そう言って宗広は腰に佩いていた太刀を勇人へと差し出した。
「これは?」
「主上から賜った鬼丸国綱だ。お主が使ってみよ」
「天下の名剣ではないですか。しかも主上から賜った物を」
「何、太刀など戦で使ってこそよ。その辺りは主上も良く心得ておられよう。下手が使えばたちまち駄目になるが、今のお主ならそれなりに長持ちしよう」
「僕など」
「親光が生きておれば親光に渡したのだ」
そう言うと、それで何かを察したのか、勇人は黙って頷き、太刀を受け取った。
「親光はお主とさほど変わらぬ歳であった。ここでお主と引き合わせるのが楽しみであったよ」
言っても詮の無い事だった。それでも勇人はやはり黙って頷いた。
「帰るか、陸奥へ」
「はい」
帰る、と言う言葉が勇人相手にも自然に出ていた。勇人も、陸奥で帰りを待っている人間が何人かはいるはずだ。
本隊が進み始めた。陸奥から来た者の内、帰れなかった者達がどれほどいたのか、と束の間宗広は考えた。
気付けば勇人は顕家に馬を寄せ、何かを語り合っていた。
そう言えば親房は何も言わなかったが、親房が側にいない間、あの二人の仲に付いても自分が色々と目を配っていなければならないのか、と宗広は思った。
まとまった大軍であればあるほど、必要な兵糧が多くなるだけでなく、通る事の出来る道も限られてくる。そうなれば当然、行軍中はより狭い土地から集中して兵糧を得なければならなくなる。
幾度も大軍が往来した東海道は、もう民を飢えさせてしまう、と言う事を通り越して摘発する物が何も残っていないような状態になっているのが明らかだった。
征西軍を小分けにし、少しずつ兵糧を持たせ、進ませる道程を割り振りながら関東や陸奥に帰して行く、と言う事を宗広は行朝と協力しながらここ一月ほど続けていた。
顕家は油断するとその仕事も全て自分の手でやろうとしたが、何とか二人で仕事を取り上げていた。戦が終わってからも、顕家の日々は忙しい。
行朝は戦場での働きも中々の物だったが、それ以上にこう言った仕事で見せる手際に卓越した物があった。
まるで師行への当てつけのように戦嫌いを公言してはばからない男だが、案外それは本音なのかもしれなかった。
今は陸奥へと引き上げる最後の主だった軍勢である顕家の本隊を侍大将として検分している。そこには顕家自身と元服した六の宮も含まれていた。
帰路で鎌倉に入った斯波家長を始めとする足利方と戦う事を考えると、さすがに本隊に関しては一万を超える軍容になった。
親房は見送りに来ているだけだった。陸奥には帰らず、北畠の所領がある伊勢で、顕家の弟である顕信を鍛えながら兵を養う事にしたのだと言う。
親房は親房でまた、顕家とは別に一つの旗頭になり得る存在であった。顕家と敢えて別れる、と言う選択は兵を集めると言う視点で見れば正しいだろう。
それ以外にも、伊勢から京を軸とした中央の情勢を監視する、と言う意味があるのかもしれなかった。
朝廷と言う物が下から見えるほどに一枚岩でも無ければ華々しいだけの物でもないと言う事は、それなりに分かっているつもりだった。
久々に訪れた京の都では色々とうんざりするような事もあったが、それでも自分はまだましな方だ、と宗広は思っていた。関東で、そして陸奥で生まれ育ち、初めて京を訪れた身分の低い武士達の中には、頭の中で思い描いていた都や朝廷と現実のそれとの差に徐々に気付き、戸惑う者や幻滅する者も多くいた。
その現実を見詰める所から、真の忠義は始まる、と宗広は思っていた。自分の上に立つ者が無謬であると信じるのは、愚かな事だ。
帝と大塔宮との間の確執を間近で見ていたはずの親光が、死の前にその境地に辿り着けたのかどうかは今となっては分からなかった。
「主上との謁見はどうであった?宗広」
見送りの親房が馬を寄せて訊ねて来た。この自分と同年代の公家は、意外なほどに上手く馬を乗りこなす。
「それがしのような東夷には望外の名誉でございました」
自分程度の武士が帝に召されて直接その功を労われ、さらに太刀を賜うと言うのは確かに大きな栄誉であるはずだった。
その事についてどこか自分が醒めた感情を抱いているのは、自分が歳を取ったからか、息子である親光を失ったからか、それとも、やはり帝と顕家との間に生まれているらしい確執を感じてしまっているからか。
それならそれでもいい、と宗広は思っている。忠義を尽くす事に必ずしも熱い心が必要な訳でもない。
「ご子息の事は、残念であった」
「戦には、勝てたのです。勝ち戦で手柄を上げて、名を成し、死んだ。そう思っております」
「そう割り切れるのか」
「割り切るしかありますまい。武士が戦で死ぬ事に関しては」
親光の死に関しては顕家を始めとした様々な人間に様々な声を掛けられたが、宗広自身は自分に他者からの慰めの言葉が必要だとは思っていなかった。
一度だけ戦の前に勇人にその事に付いて尋ねた事があったが、それ以外の事は全て宗広自身の心の中で完結している。
「壮絶な物だな。武士の親の覚悟と言う物は」
「不安ですか。この先も戦をされる顕家様と離れられる事が」
「もう陸奥でわしがあやつの側におって出来る事はそう多くはない、と頭では分かっておっても、どうしてもな。未だに子を戦に送り出す覚悟と言う物が固まっておらぬらしい」
顕家を例外とすれば親房は宗広が今まで出会った公家の中では異色と言っていいほどに武士の事を理解している人物ではあった。
それでも、公家は公家のように考えるし、武士は武士のように考える物だ。それはどちらが正しいと言う事ではなく、生まれも生き方もやるべき事も違う人間達だと言う事だった。
「顕家はこの先陸奥で、お主のような者達を通してこの国における武士の在り様、と言う物をまた改めて見詰め直して何かしらの答えを出すと思う。わしの代わりに顕家を頼むぞ」
「それがし如きが親房様の代わりなど畏れ多い事ですが、歳を取った物には歳を取った物にしか分からぬ事がございますからな」
「そう言う事だ」
親房は最後に笑うと顕家と六の宮がいる方へ馬を向けて行った。
宗広も少しだけ間を開けると顕家の麾下達の方へ向かった。
旗本達の中に混ざっている勇人はすぐに見つかった。最初に会った時と比べれば、驚くほどたくましくなっていた。体つきだけでなく、目にも気力が満ちている。
ただ、今はどこか物思いに沈んだ目をしていた。
「何を考えている、勇人?」
声を掛けると驚いたような顔をしてこちらを向いた。
「いえ、結局この征西では、自分は何も出来なかった、と」
「自分が戦で何か為せる、と思っている辺り、若いな。悪い事ではないが」
「僕は」
何かを言いかけて勇人は飲み込んだ。
一人で楠木正成に会いに行った、と言う事は聞いていた。そこで正成と何を話したのかは、宗広は知らない。
ただ正成は奥州軍より一足早く軍勢を纏めて河内に帰っていた。そしてその直前に新田義貞を討ち、尊氏と和睦すべし、と言う上奏を帝にしたと言う。
無論その上奏はほとんど黙殺された。真面目に受け取られていれば正成は腹を切らざるを得なかっただろう。
「戦と言うのは、結局人を自分の思うように動かそうとする事だ、とわしは思っている。敵味方双方をな。そして人を自分の思うように動かす事は、戦に限らず難しい。人も世もままならぬものだ、と思った方が気楽だぞ」
「物事は何か大きな所で決まり、人一人の力では、何も出来ないのではないか。最近、そう思う事はあります。ですがそれを認めたくはないとも」
「わしにはお主が先の時代から来た、と言う事にどういう意味があるのかは未だに分からんし、分かろうとする気も無い。ただ、お主が抱えておる葛藤は、この時代を生きようとする者が多かれ少なかれ抱えている葛藤と本当はそう変わらぬのではないか、と言う気はするな」
「そうでしょうか」
親光もまた、自分一人では何も出来ない事に確かに絶望はしていただろう。そして絶望しながらも、最後までそれを認めようとはしていなかった。
宗広はそう思ったが、そこまで勇人に語ろうとは思っていなかった。死んだ息子の胸中は、自分一人で推し量っていればいい。
「まあ、また陸奥で考えてみよ。一人で考える事も無い。今のお主には、もう胸中を明かして語れる者が何人もいよう」
そう言って宗広は腰に佩いていた太刀を勇人へと差し出した。
「これは?」
「主上から賜った鬼丸国綱だ。お主が使ってみよ」
「天下の名剣ではないですか。しかも主上から賜った物を」
「何、太刀など戦で使ってこそよ。その辺りは主上も良く心得ておられよう。下手が使えばたちまち駄目になるが、今のお主ならそれなりに長持ちしよう」
「僕など」
「親光が生きておれば親光に渡したのだ」
そう言うと、それで何かを察したのか、勇人は黙って頷き、太刀を受け取った。
「親光はお主とさほど変わらぬ歳であった。ここでお主と引き合わせるのが楽しみであったよ」
言っても詮の無い事だった。それでも勇人はやはり黙って頷いた。
「帰るか、陸奥へ」
「はい」
帰る、と言う言葉が勇人相手にも自然に出ていた。勇人も、陸奥で帰りを待っている人間が何人かはいるはずだ。
本隊が進み始めた。陸奥から来た者の内、帰れなかった者達がどれほどいたのか、と束の間宗広は考えた。
気付けば勇人は顕家に馬を寄せ、何かを語り合っていた。
そう言えば親房は何も言わなかったが、親房が側にいない間、あの二人の仲に付いても自分が色々と目を配っていなければならないのか、と宗広は思った。
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