時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-21 建速勇人(6)

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 戦で家を焼け出された京の住人達が、仮小屋を作り、身を寄せ合うようにして寒さを凌いでいる。
 奥州軍に対しては小夜は洛中での火付けや略奪を厳しく禁じていたが、それでも戦をすれば民と呼ばれる人間達に被害が及ぶのは避けようも無かった。
 それはそう言う物だ、と割り切らなければ戦は出来ない。そして割り切る事が人として正しい事なのかどうかは、勇人には分からない。
 小夜と親房を待っている間、和政はずっと無言のまま直立していた。
 勇人の方も、こちらから話し掛ける事はしない。
 京での戦いで肩を並べて戦ったからと言って、それで和政と打ち解けられた訳では無かった。平時はほとんど無視されているような態度は、何も変わらない。
 ただそれは本当に平時だけで、小夜の護衛に関する事や、戦に関しては、いつのまにか互いに相手の力量を認めて、任せられる所を任せ合う、と言う事が出来るようになっていた。
 一見すると師行と似ているようなぶっきらぼうさにも思えたが、和政はそれともどこか違った。師行ほどに透徹した物ではなく、こちらに向けてくる視線にどこか敵意のような物が混ざっている。
 その敵意の奥にある物が何なのかも勇人は敢えて考えようとはしなかった。共に小夜を守る仲間だと言う事さえ確かなら、それでいい。
 内裏から小夜と親房の二人が出て来た。入って行く時も中々深刻な顔をしていたが、今はさらに表情に差す影の濃さが増している。
 小夜も親房もその場では何も言わず、勇人達を連れて京から出ると、馬でそのまま奥州軍の陣がある桂川へと移動し始めた。
 内裏を出た辺りから、勇人はわずかに妙な気配を感じ始めていた。新しく気配が現れたと言うよりは、以前は曖昧だった物が露骨な物に変わっていた。
 和政も周囲を警戒しているようだ。

「誰か付いて来ているか?」

「恐らく。奥州軍が京に入った頃からずっと遠巻きに見張っている気配はありましたが、それがはっきりとした物に変わりました」

 親房の問いに和政が答えた。
 今までは見張っていただけだったのが、それ以上の事、つまりは暗殺なども視野に入れた構えに切り替えた。そう言う事かも知れない。

「五辻宮の配下、かな」

「恐らくな。あのやり取りを通してあの男はわしらを主上に取っての敵だと思い定めたのだろう。全く迷惑な話じゃて」

 首をかしげる小夜に親房はのんびりとした口調で応じる。しかし顔色には疲労が滲み出ていた。
 それから親房は馬を進めながら勇人と和政にも内裏の中での帝とのやり取りをゆっくりと語り始めた。
 親房が一通り語り終える。
 和政は手綱を握ったまま僅かに唸るような声を出した。憤怒の感情を、必死に抑えている。それは分かった。和政にとっては、京での戦い、それだけでなく、小夜に従って陸奥に下向してからの全ての働きも、武士としての生き方その物も、否定されたかのような話だろう。
 勇人自身も、自分の心の中から出て来る感情的な否定の言葉を慎重に追い出そうとしていた。意図的にそうしなくてはいけない程に、異質な国体論を聞かされた、と言う気分だった。

「なるほど。それがいつか親房殿が仰っていた、世の乱れの根の正体、ですか」

 静かに口を開いた。親房が語っている間、小夜はじっと黙り、何かを考え込むような顔をしている。

「ああ。全く予想していなかった訳では無いが、いざ主上本人からはっきりぶつけられるとさすがに戸惑ってしまう物があったな。あれで全てを話された訳でも無かろうが」

「それで、二人はどう思われたのです、その理想を」

「狂っておられるな。しかしそれは単にあのお方がけた外れの英傑であるが故にわしらにはそう見えるだけなのかもしれん。本当に狂っておられるのか、そうでないのかは、実際にあの方の理想が実現するかどうか試して見ぬ限りは分からん。厄介な話じゃて」

「あの五辻宮と言う人の事は知ってたの?」

 小夜はようやく口を開くと、直接勇人の質問に答える事はせず、親房にそう訊ねた。

「先代の五辻宮が所領を失った後で時折その子を名乗って朝廷内に出入りしておったな。皇族の一人として主上に認められ、その元で昔から暗躍しておったようだが、倒幕の折にもほとんど表立った動きは見せなかった男だ。恐らく、主上の影の力の取りまとめ役である、と思う」

「大塔宮を足利に引き渡したのは、直接はあの人が」

「主上はある部分までは誠実に我らに話しておられた、とは思う。だがあの五辻宮に対しては絶対に気を許すな。あの男は恐らく今までも主上にとって邪魔な人間を暗殺する事を繰り返している。それが主上の考えでなくても、自分の判断でな」

「主上の理想は、理があると思ったし、私の心にも響いて来た。確かに一度この国を壊さなければだめかもしれない、と言う考えに傾くかもしれないほどに。ただ、何か違う、って言う違和感も拭いきれない。それはただ、大塔宮の事に対する反発から来てるのかもしれないけど」

 小夜はそこまで言って宙に目をやった。

「武士である和政と、この時代の者ではない勇人。お前達はそれぞれ今の話を聞いてどう感じた?」

 今度は親房の方がそう訊ねて来た。

「それがしは主上の理想がどうあろうと顕家様のお心に従って戦うだけであります」

 勇人が返答を考えている内に和政は即答していた。小夜や親房に媚びへつらっている訳では無く、この男は実際にそれ以外に答える言葉を持たないのだろう。

「どんな不満があろうともそれを押し殺して自分を主の手足だと思い定められる、大義や理想や志は全て小夜が考えてくれる。新田義貞もそうだろうが、ここまで徹底出来ればいっそ清々しい物だな」

「不満など」

 和政は首を振ったが、その表情には分かりやすく不満の色が滲み出ていて、少し勇人は噴き出してしまっていた。新田義貞と一緒にされるのは不本意だ、と言う事かも知れない。

「何がおかしい」

「いえ、何も」

 静かに睨んで来た和政を相手に勇人は笑いを収めた。そのやり取りがおかしかったのか、今度は小夜の方が噴き出す。和政は憮然とした表情を作って横を向いたが、それで場の重苦しかった空気がわずかに和んだ。

「僕の正直な考えを言わせてもらえれば」

 小夜が笑いを収めるのを待って勇人は口を開いた。

「国が進む方向としては主上の武士や公家の支配を止めると言う理想は大きな所では正しいと思います。ただ、それを今敢えて無理矢理に実現しようとすべき事なのかどうかは分かりません」

 帝は戦を弄んでいる。自分自身も命懸けで戦った身としてそんな憤りも無い訳ではなかったが、今はそれを語っても仕方がなかった。

「それはお主がこの先の歴史を知っているが故の答えか、勇人」

「どうでしょう。少なくとも僕はこの先、三百年ほどの不安定な時代と戦国時代を経て一応は平和な世の中が二百五十年ほどは来る事と、五百年ほどは外国からの侵略が無い事を知ってはいますけど、この世界のこの国が本当に同じ歴史を辿るかどうかは分かりませんし、仮にそうなるにしても僕が知っている歴史の方がいい歴史だと言い切る事も出来ませんね」

「結局はやってみなければ分からない、か」

「仮に主上が間違っていれば無駄な戦を続けた挙句にこの国の秩序が芯から壊れた、と言う事になりますからね。政を行う人間が他人の命や生活を危険な賭けに賭けて失敗するのは無為である事よりも悪いでしょう。ただ、それで全てが否定出来るなら世を変えるために戦をする事は全て間違っていると言う事にもなってしまいます」

「そう、それは私も同じなんだよね」

 小夜がまた宙を見ながら呟くように言った。

「自分はまき散らした死と不幸に見合っただけの何かを成し遂げられるのか。主上は間違いなく自分ならそれが出来る、と信じてる。それは私が大義を掲げて戦をして来た事と本質的には何も変わらないのかもしれない」

「もしそこに違いがあるのならそれは君が自分で見極めるしかないと思う。主上が正しいのかどうか。もし間違っているなら、何が正しい道なのか」

「私が自分で、か」

「そこはお前の器量、と言う物だな、小夜。見極められるのはお前しかおるまい」

「私の器量、かあ。お父さんも勇人も難しい事を言うね」

「わし個人の思いとしてはこんな面倒な事さっさと全て放り出して北畠顕家でもなくなってしまって誰かの嫁になって早く孫の顔を見せろ、としか言えんからな。お前が自分で答えを決めるしかあるまいて」

 苦笑しながら親房が言った。笑うと浮かぶその顔の皺の数は勇人が初めて会った時よりも確実に増えている。歳を感じさせない壮健さの持ち主だが、それでも陸奥から京への強行軍と、京に入ってからの朝廷での様々な気苦労が心身に響いているのかもしれない。
 嫁がどうこうと言う話は取り敢えずは気にしない事にした。

「ごめんね、苦労を掛けて」

「いや、わしも主上の理想とやらに若干気圧されたのかもしれんな。主上が言っておられた事の中で一つ間違いなく正しいと思える事がある。わしもお前も確かにあまりに多くを持って生まれ過ぎた、と言う事だ。わしはそれを長らく無駄にしてきたが、お前は自分がそうする事を許さなかった。だからわしにはお前の生き方で何かを言う資格は無いのだろう」

 親房はやはり力なく笑ったままだった。その表情には哀しみと諦めと優しさが入り混じっているようで、勇人は胸を衝かれた。小夜もその顔を見ているのがいたたまれなくなったのか、親房から目を逸らす。

「そんな顔をするな。お前が一人で背負う事にした物は途方もなく重いかも知れんが、それを命懸けで支えようとする者達がお前の周囲に入る。それだけでわしは相当に気が楽じゃよ」

「それでも、ごめん」

 この父娘はどちらも物が見え過ぎる。それなのに人間としての根本の所ではどうしても分かり合えず、双方が負い目を感じている。
 互いにこれほど相手を大切に思っていると言うのに、その父娘の在り様はもどかしく、悲しい物に勇人には感じられた。
 それも世が乱れているせいだろう。平和な世の中なら、親房は卓越した宰相として名を残し、そして小夜はただの一人の公家の娘として生きたはずだ。
 奥州軍の陣営が、見えて来た。
 背後から遠巻きにしてくる気配は、少しずつ薄くなっている。
 小夜が京に近付けば、また狙い始めるだろう、と勇人は思った。
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