時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-5 北畠小夜(2)

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 新田勢の方は敗走する敵を追跡中だった。
 勝ちの勢いに乗った軍勢を迅速にまとめるのは難しい。新田義貞にそれが出来るのか。ましてや間も無く日が沈む、複雑に入り組んだ京である。

「影太郎」

 短く名を呼んだ。ここに、と背後から声がする。兵の中に紛れ込んでいたらしい。

「新田の軍を追え。義貞の位置を確かめ続けよ」

 はっ、と短い返答だけを残し、影太郎の気配は消えた。

「何か懸念が?」

 勇人が尋ねてきた。さすがに初めての合戦で緊張し、余計な力も入ったのか疲れた顔をしているが、小夜が思っていたよりはやはりずっと平然としている。

「義貞一人が討たれれば我が方は負ける。念のためだ」

 戻って来た和政に、余力のある騎馬をまとめておくように命じた。残りの兵は一旦休ませる。小夜も休むように宗広が言って来たが、本陣でじっと待っていた。
 夜半になり、新田勢が逆襲を受け敗走中、と注進が届いた。敵の追撃を無秩序に続け、分散したままで夜営に入ろうとした所で義貞の本陣が集中して狙われたらしい。
 詳しい状況は影太郎の部下が伝えてきたが、小夜は最初の注進が届くと同時に備えさせておいた騎馬隊に出陣の命を出していた。動けるのは比較的馬が元気な三百騎ほどだ。

「顕家様自ら向かわれるのですか」

 和政が馬を並べながら尋ねて来る。

「私の旗本はまだ余力がある。動かぬ訳には行くまい」

 しかし、と和政が言いつのろうとしたが、小夜はそれ以上聞かなかった。今は迷っている暇はない。
 進む先で忍び達が灯りを使って騎馬を誘導した。闇の中喧騒が伝わってくる。馬に乗り、必死に駆ける武士の一団が見えてきた。新田義貞。少数の供回りを連れて敵に追われている。しかしどちらの方向に味方がいるかも分かっていないようだ。

「義貞、私の配下を案内に付ける。そのまま駆けよ」

 正面に現れた小夜を敵かと思い、狼狽の表情を見せた義貞に影太郎の部下を付け、そのまますれ違うように駆けさせた。それを追う敵。正面からぶつからず、騎馬隊を左右に分けて先頭をやり過ごすと左右から挟み撃った。右は和政が、左は小夜が旗本を率いて先頭に立った。剣を抜く。
 敵が乱れる。そのまま合流し、一度真ん中を断ち割った。義貞を追っていたのは五百騎ほど。夜に義貞の本陣を真っ直ぐに付いて来ただけあって、質はかなりいい。一度断ち割れたのは不意を突いたからであって、疲労の残るこちらの騎馬隊ではまともに相手は出来なかった。
 断ち割った後でまた二つに分かれ、敵を追い抜くように左右を駆ける。敵も二つに分かれて追って来た。百五十ずつを二百五十が追う。小夜は旗本の五十騎だけを率い、反転した。和政には特に指示は出していないが、恐らく同じようにするはずだ。
 側面からぶつかる。数が少なければ少ないほど、兵一人一人の力の差は強く出る。二百五十を突破できる。そう思った時、不意に目の前が真っ暗になった。一瞬で視界は元に戻る。その時は落馬しかけていた。
 何が起こったのか。それを理解する前に馬一頭分遅れた自分に敵の騎馬が殺到していた。刃。届く。そう思った時、月明かりに照らされた一騎が馬首を返していた。自分を庇うように後ろに付く。勇人。
まるでいつかの林の戦いの時と同じように、盾になろうとしている。そう見えた。
 勇人が剣を抜いた。向かって来ていた先頭の騎馬三騎が、ほぼ同時に落馬した。一振りで一人を倒している。それでほんの束の間、小夜と向かって来ていた敵の間に空隙が出来た。
 強くなり過ぎだ、と小夜は思った。
 雄叫びを上げながら和政が突っ込んでくる。周囲にいるのは二十騎程か。わずかに遅れて旗本も反転してくる。和政が先頭になって敵の騎馬を突破した。旗本には何騎か犠牲が出ている。勇人はぴったりと小夜に付いている。一瞬のぶつかり合いの間にさらに数騎を倒していた。
 背後で矢が風を切る音がいくつもした。それに合わせて追って来ようとした敵の騎馬が倒れている。
 本陣に戻ると同時に、和政に詰め寄られた。滅多に無い事だが、自分を相手に本気で怒っている。和政は顔を真っ赤にして怒鳴りかけ、それから大きく息を吐くと小夜の両肩を痛いほどに強く掴んだ。

「ご自重ください。せめて夜、兵達と同じ時間は休まれるように」

 怒気を押し殺し和政は静かに言った。ここ数日、昼は行軍を続け、夜もほとんど眠らず執務を行っていた。馬上で一瞬気を失ったのはそのせいか。

「分かった。気を付けよう」

 自分の体の事が分かっていなかったのは、言い訳の仕様も無かった。自分一人が落馬しかけたせいで、旗本を何人か死なせたのだ。戦の高揚は、限界を見誤らせる。
 勇人は何も言わなかった。ただ落馬しかけた小夜の身を心配し、怪我が無かった事にほっとしているようだ。
 背後に影太郎が来ていた。

「最後に敵の騎馬を攻撃したのはどこの軍だ?」

「楠木です。建物の影や屋根の上などに少数の兵が」

 影太郎は短く答えた。正成も小夜と同じ事を危惧していた、と言う事だろう。確認するまでも無い事だった、と言う気もした。ひょっとしたら義貞だけでなく小夜の身も心配されていたのかもしれない。
 勇人がいなければ和政が突っ込んでくるのが間に合っていたかどうか、微妙な所だった。
 義貞自身は派手に敗走し、何人か重臣が討たれていた物の、本陣以外には大きな攻撃はなかったため、新田勢は翌朝には持ち直していた。
 それからしばらくの間、両軍は兵が集まるのを待ちながらの小競り合いを繰り返した。こちら側で集まる多くの武士はやはり義貞の元に馳せ参じている。
 武士と言うのは不思議な存在だった。日和見を決め込んでいた者、一度の負けに逃げ出した者が、こちらが優勢と見ると集まってくる。そんな者などあてに出来る訳が無い、と小夜は思うのだが、戦場ではその者達が時に命を惜しまず戦うのだ。
 武士は死ぬのが怖い訳ではなく、土地も子も名も残さず死ぬのが怖いのです、とはかつて宗広が言った事だった。
 二十六日になり、足利方が大きく動き始めた。賀茂河原に全軍の陣を動かしつつあると言う。
 決戦の機が来た、と小夜は思った。
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