時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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5-2 建速勇人(2)

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 翌日、鎌倉攻めが始まった。敵は一万に満たない程で、鎌倉の手前に布陣している。鎌倉は三方が丘陵に囲まれ、残る一方は海に面した要害だが、敵はやはりそこに籠って無理に死守する気は無いようだ。
 もっとも敵が籠れば、小夜は無理に鎌倉を落とそうとはせず、抑えの兵力だけ残して鎌倉を迂回するだろう。
 小夜の指揮は早く、迷いが無かった。全軍を動かすつもりも無いようだ。和政が騎馬の先頭に立ち、敵の一部を崩していく。和政が崩した所に宗広と行朝の主力が入れ替わり立ち代わりに攻め立てた。それを何度か繰り返す内に、敵はじりじりと後退し始める。束の間の騎馬の激しい攻撃で崩した所をゆっくりと徒で保持すると言う圧迫するような攻め方だが、敵は鎌倉の方へと逃げ込む事になってその先の逃げ場を失う事を嫌っているのか、後退するごとに徐々に陣形が歪み、窮屈になって来ている。
 そして側面に対応するのが困難なほどに陣形が歪んだ時、次は和政が側面に回り込み深く突っ込む。それで敵は総崩れになった。さほど深く追い討つ事も無く、小夜は軍をまとめて鎌倉へと進ませる。

「お見事でございました」

 周囲に兵がいるので、勇人は堅い言葉使いで小夜に話しかけた。小夜は今は陵王の面を被っている。

「元々、腰の定まっていない敵だった。数もこちらの方が多い。勝ちの内にも入らぬよ。犠牲を出す事も時間を掛ける事も許されぬ」

 小夜も素っ気ない言葉で答える。この程度の戦は彼女にとっては何でもない事なのかもしれない。
 鎌倉へと進む途中で、打ち捨てられた兵の死体の間近を通る。親房が後方から六の宮の乗った輿を軍の先頭に進め、六の宮を連れ出してその死体を見せていた。六の宮は蒼白な顔をしながら目を覆おうとしたが、親房に何かを諭され、堪えるように目を見開いてその姿を目に焼き付けている。
 小夜はその様子をちらと見ただけで特に何も言わなかった。面を付けているので、表情は伺い知れない。
 酷な事だが、六の宮を将来の帝に育てようと思うなら、戦の悲惨さを教える事も必要なのだろう、と勇人は思った。この戦で、六の宮よりもっと苦しんでいる幼い子どもも農民の中にはいるのだ。それと比べれば戦の渦中にいるとはいえ、六の宮は恵まれている。
 鎌倉に入ったのは夕刻だった。まるで奥州軍が鎌倉を取るのを待っていたかのように武士達が合流してくるが、小夜はここで留まって兵を集める、と言うつもりはないようで、翌朝にはまたすぐ出発する、と全軍に命じた。
 鎌倉に蓄えられていた兵糧は当然ながらもう残っておらず、夜の間にも余力のある兵達が周囲に散っては、兵糧の摘発を行っていた。
 小夜は、鎌倉の屋敷の一つを宿所にしていた。六の宮は疲れ切ったように早くに眠ったが、小夜は遅くまで起きている。集まって来た武士達から出された書状を検め、軍勢に組み入れているようだが、面を外し、蝋燭の明かりに照らされるその顔には疲労が滲んでいる。
 勇人の他には朱雀が側に控えている。後は和政が外で警固の指揮を執っているだろう。
 大丈夫かい、と声を掛けようとした時、部屋の外に立つ気配に気付いた。もっとも、危険な気配ではない。むしろ自分がそこにいる事をわざと教えている気配だった。小夜もそれに気付いたのか顔を上げた。

「京で戦が始まりました。足利軍は軍勢を分け、東と南から進軍しております」

 聞いた事の無い声だったが、忍びだろうと勇人は思った。まだ主だった忍びの中で引き合わされていない者も何人もいる。

「味方は?」

「楠木、新田、千種、名和、それに結城親光殿の軍勢が各地に配され、押し合っております」

「中に入って、影太郎。見て来た限りでいいから敵味方の配置を地図に記して教えてほしい」

「はっ」

 音も無く男が一人入ってくる。さほど若そうにも見えない小柄な男だ。男は勇人の方を見て軽く一礼した。

「建速勇人殿ですな。お初にお目に掛かります。陸奥守様の下で忍び頭を務めさせて頂いている影太郎と申します」

「左近から、名前だけは」

 そう言って勇人もわずかに頭を下げた。挨拶はそれで終わり、影太郎が京周辺の地図に軍勢の配置を書き込みながら小夜に現地の情勢を語り始める。瀬田、宇治、淀と言う勇人にも聞き覚えのある地名が影太郎の口から出て来た後、小夜は諦めてように小さく首を横に振った。

「やっぱり長くはもたないね。直に四国中国からも足利に同心した武士が来る。多分山崎に赤松勢や細川勢が進んで来るんじゃないかな。そうなったら京はすぐ落ちると思う」

「恐らくは」

「親光君は何か言ってた?」

「負ける事は避けられないが、その後も何としてでも時間を稼いで見せる、と。京が落ち、主上が叡山に入られてからが勝負になると思われているようでした」

「そう。思い詰めないといいけど」

「主上の命とは言え、ご自分が大塔宮を捕らえた事が今の事態を招いたと、酷く悔やんでおられました」

「宗広さんにもその事を伝えて、もし親光君に伝えたい言葉があるような何とか伝えて上げて。何か嫌な予感がする」

「はっ」

「頼んでおいた準備の方は?」

「ご命令通り愛知川で配下の者が出来得る限りの船と兵糧を探し、集めておりまする。万全とは申しませぬが、十日から半月の後には何とか軍勢に琵琶湖を三日で渡らせる準備は整うかと」

「ありがとう。もうあの辺りも敵地だろうに良くやってくれたね」

「いえ、以前から陸奥守様のご指示の通り手はずを整えておいたが故でございます。ご慧眼に感服したしました」

「京では他の忍びの動きは?」

「楠木の忍びが戦場で、足利直義殿の配下と思われる者達が朝廷で動いております。それと」

 そこまで言って一旦影太郎は言葉を切った。

「どうしたの?」

「ここに来て、朝廷の中で他に妙な動きをする者が出ています」

 影太郎は曖昧な物の言い方をした。戸惑ったように小夜が首を傾げる。

「出ようか?」

 何か外には洩らせない話になるのかと思い、勇人は口を挟んだ。朱雀も居心地の悪そうな顔をしている。

「ううん、大丈夫。続けて、影太郎。主上の影の力って事?」

「恐らくは、あの者達です。探りましょうか?」

 そう言われ、小夜は一瞬だけ迷うように目を閉じ、それから首を横に振った。

「ここに来てそれがまた動き出してる目的は気にはなるけど、朝廷の中の動きを今無理に探るのは危険だと思う。今は外側から見てるだけでいい」

「僭越でございました」

「軍は十日で愛知川に着く事を目指す。ぎりぎりになると思うけど今はとにかくそれまでに渡河の準備を整えていて欲しいかな。それと折を見て奥州軍の到着を味方に知らせて欲しい」

「はっ」

 影太郎は頭を下げ、勇人と朱雀にも一礼すると出て行った。残った小夜は考え込むようにして目を地図に落としている。

「また厄介事かい?」

「どうだろう。正直今はあまり気持ちを割きたくない、と言うのが本音かな」

「早めに休んだ方がいいよ。考えるのは昼間、馬の上でも少しは出来るだろ」

「昼間は、ずっと兵を見ながら別の事を考えてるから」

「何を?」

「語りかける言葉。略奪させて、命がけで京まで駆けさせるために兵に語り掛ける言葉」

「そっか。でも、早く休んだ方がいいとは思う」

 それ以上は何も言わなかった。指揮官としての小夜の強さを信じるしかない。
 小夜は小さく頷いた。
 翌朝、小夜は軍勢を日が昇ると同時に集めた。

「皆、この先我が軍を阻むものは京への七百里の道のみだ。力の限り駆けよ。此度の戦こそ御国の在り方を決するものだ。途中で倒れて死ぬ者も出よう。行く先々で飢えた民から糧食を奪い、恨まれもしよう。それら全てを戦だと思え。逆賊足利尊氏を討ち、主上の大恩に応えるは今ぞ。御国をあるべき姿に戻すは今ぞ。北の大地より京に乗り込み、子々孫々にまで伝えられる武名を残すは今ぞ」

 軍の方々から声が上がった。小夜が馬にまたがり、軍の先頭に立って駆け始める。
 陵王の面の下のその表情は、伺えなかった。
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