時の果ての朝~異説太平記~

マット岸田

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4-8 建速勇人(3)

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 その日の内に手紙を一つ書くと左近に頼んで伊賀盛光へ言付け、勇人は朝雲の背にまたがって出発した。夜になり、途中の村で宿を取り、朝を迎えた所で左近が合流してくる。

「言付けて来た」

「早いな。馬でも片道で二日ぐらいは掛かるはずだけど」

「俺達は陸奥のあちこちに替え馬を用意してあるし、夜通し進む」

「成程」

「俺達忍びを、得体の知れない技を使うと嫌う連中もいるけど、俺達はただ他の人間がしないような備えを、目に見えにくい所でいつもしてるだけなんだ。それがある時急に表に出て来る」

「分かる気がするよ、それは」

 左近は特に用心深く注意深い男だった。それが忍びとしての生き方の本質なのかもしれない。

「それで、わざわざ合流して姿を見せて来た、と言う事は盛光殿の方に何か問題があったのかい?」

「会う、と言う言質は取れなかったけど、盛光殿自身は特に問題はない。ただ、周りに少し妙な気配があった。だから念のため、さ。影からの護衛だと思ってくれ」

「妙な気配?」

「忍びかどうか、微妙な所だったな。盛光殿の配下ではないと思う」

 こちらが盛光が離れるか不安を感じているように、あちら側も盛光を引き込めるかどうか不安を感じている、と言うだろうか。
 自分に護衛など、とも思ったが口には出さなかった。勇人自身がどう思っていようと、今の自分の立場は陸奥守である北畠顕家の臣下であり、その使いだ。

「そう言えば、ちあめは?」

「別にいつも一緒にいる訳じゃないさ。大仕事の時以外は別に動いてる事がほとんどだよ。ちあめはあいつの好きにさせておいた方がいい仕事をするし、な」

「逆に仕事の無い時は、一緒にいるのかい?」

「まあ、それはそうだな。最近は仕事の無い時と言うのがあまり無いけれど」

 勇人の指摘に、左近は少し考えた後頷いた。少しばかり揶揄も込めたつもりだったが、表情は特に動かない。
 師行の元で鍛えられ、一度実戦で人を斬ってから、何となく目の前の人間がどれほど強いか少しずつ分かるようになって来ていた。
 ちあめは驚くほどに強い、と今になってみれば分かる。左近からは、そこまでの強い気配は感じない。
 気が付けば左近は音もなく姿を消した。
 村で宿を借りた家の人間にわずかに銭を渡し、勇人は朝雲を進めた。馬に乗る事には慣れ始めているし、朝雲も勇人に慣れ始めているように思う。
 昼頃に、開けた、小さな土地に付いた。粗末な小屋が一つ立っている。
 今年の春先に伊達行朝から預けられ、数か月を過ごした土地だった。
 勇人と五郎が離れる時には小さな野菜が収穫できるほどに肥えた土地にはなっていたが、今はもう見た目は荒れた土地に戻っている。
 しばらくそこで待っていれば、一頭の馬が人を乗せて歩を進めてきた。

「待たせたか、勇人」

 伊賀盛光はいつかと同じように、馬を杭に繋ぎ、自分の足で歩いてくる。

「お久しぶりです。盛光殿」

 伊賀盛光の顔は以前に会った時よりも、さらに翳が差した表情になっていた。そして、頬もこけている。

「このような場所に呼び出して済みません」

「いや。この場所で無ければ、会う気すら起きなかったかもしれん。勇人もそれが分かっていたから、ここを指定したのだろう?」

「それは、その通りですね」

 盛光以外に、人がやってくる気配はなかった。

「ここには、結局作物は育ったのか?」

「多少は、小さな野菜が。思っていたよりも、ずっと小さな野菜でしたよ。しかもほとんどが、動物に食い荒らされてしまいました。本当に生きて行くために畑を耕している人間の目から見れば、子どもの遊びのような物、だったでしょうね」

「それでも、農民の暮らしを少しでも知ると言うのは、悪い事ではないと思う。それを知らぬ者が、多過ぎるからな」

「機会があれば、またここで土を耕してみたい、と思っています」

「それで、それがしに何の用だ?」

「陸奥守様が、盛光殿に会って来いと」

「ほう」

「このまま、盛光殿を足利方に走らせたくない。そうお考えのようですね」

 勇人がそう言っても、盛光の表情は大きくは動かなかった。ただ、視線を落とし、冬の始まりの枯れかけた雑草に目をやる。

「それがしが、足利方に付くと思われているのか、陸奥守様は」

「疑念、と言うような物ではありませんね。盛光殿がこの場でこの先も朝廷と陸奥守様に忠誠を尽くす、と私を通してでも言い切って下されれば、陸奥守様はそれだけで盛光殿を信じられるでしょう。ですが、盛光殿は恐らく本心でも偽りでも、そうは言われない、と言う事をあの方は分かっておられます」

「そこまで分かっておられるなら、何のためにお主をそれがしの元に遣わされたのだ、陸奥守様は」

「あの方の個人的な我儘でしょう、それは。盛光殿が敵になるのならなるで、出来る限りの事はしたい、と言う。かと言って私などを遣わされても、出来る事は何も思い浮かびませんが」

「我儘、か。それがし如きが、あの方にそこまでお心を砕いて頂いているのは勿体ないと言う言葉では済まされぬな」

 盛光はそう言いながら、半ば柵に寄り掛かるように腰を下ろした。

「それがしは、遠征軍には加われぬ。此度の遠征は、陸奥の民を苦しめ、天下を乱す所業にしか思えぬ。それだけでなく、陸奥守様の御身に取っても、良い事とは思えぬのだ」

「では足利に付かれますか?」

「そこまでは、まだ思い切れぬ。それで陸奥守様が遠征を思い止まって下さるのなら、そうするかもしれぬ」

「そこまで言われるなら、何故いっそその言葉を陸奥守様にぶつけて遠征を止めようとされなかったのです?」

「陸奥守様は陸奥守様でまた、間違いなく正しい。それは今まであの方の下で働いて来た事で、十分すぎる程に分かっている。ただ、恐らくそれがしの正しさは小さく、あの方の正しさは大きい、と言うだけの事なのだろう。それは、言葉を重ねた所でどうにかなる物では無いと思う」

「そうですね」

 もしその人間の正しさが何を為せたかによって後の歴史によって決められるものなら、小夜は間違っていて、伊賀盛光が正しいと言う事を、勇人は結果から知っている。だが、今ここでこうして実際に生きている人間の正しさと言う物は、そんな事で決められる物では無いだろう。

「陸奥守様が公家ではなく、斯波家長殿のように足利から奥州を収めるために派遣された武士であったならば。無礼とは思いつつ、そんな事ばかり考えてしまう」

「それこそ、考えても詮の無い事です。それに、公家である事、朝廷の臣である事が、あの方を北畠顕家と言う一人の人間にたらしめている事も、否定は出来ないでしょう」

「それは、そうだな。確かにそうだ」

 盛光は力無く首を振った。

「今、斯波家長殿の名前を出されましたが、陸奥守様の代わりに斯波家長殿に奥州の地を託そう、とは考えられなかったのですか?」

「あの御仁も、ひとかどの人物であろうとは思う。朝廷のために働くよりは、足利の作る幕府のために働きたい、と思うのも正直な所だ。だが、それがしはいくつもの夢を追えるほど器用ではない。それがしの夢は、陸奥守様にいつまでもこの地を治め続けて頂く事、ただ一つだ」

「心底、不器用な方だ。何も考えず、どちらかに全てを託してただ戦をする方が、ずっと楽でしょうに」

「お主は、どう考えているのだ、本当の所」

「あなたとほとんど同じ考えですよ。それでも私は陸奥守様に従いたいと思っていますが」

「羨ましいな。それがしは、そうは行かん。陸奥守様が好きだと言う理由だけで、自分が信じ切れぬ大義のために、一族郎党を戦に駆り出す事になるからな」

「武士と言うのは、色々と不自由な生き方ですね。それが武士の強さにもなるのでしょうが」

「お主は、結局の所武士では無いのか?」

「違います」

 首を横に振り、答えた。

「そうか。忍びとも思えん。無論公家でもない。身分も分からぬ不思議な男だったが、それでもお主になら斬られてもいい、と言う気分になっているな」

「斬られてもいい?」

「久々に会ったが、あの時とは比べ物にならないほどに腕を上げているな。一目見た瞬間に、とても勝てぬと分かった」

 盛光は翳の差した、しかし穏やかな顔のままで言う。

「斬りはしませんよ。私の独断であなたを斬れる訳がない。それに、私もあなたの事は嫌いではないのです」

「そうか。ならばそれがしはこの先、何をしてでも陸奥守様をこの地にお留めしようとすると思う。例えその結果、あの方と戦をする事になってでも」

「そう陸奥守様にお伝えします。盛光殿のご覚悟も、それで伝わるでしょう」

「頼もう」

「私は、陸奥守様と共に戦いたいと思います。ただ、私からも一つお願いが」

「何だろうか?」

「私も最後の所では、陸奥守様の意を無視して、ただあの方に生きて頂くために動く事になると思います。もし私が盛光殿に何かを頼む事があるとすれば、その時はそれは陸奥守様のお命のためだと思い、力を貸して頂きたい」

 盛光が視線を上げた。真っ直ぐな目でこちらをしばし見て来る。一瞬だけ、目にこの男が初めて見せるような強い光が宿った。

「分かった。約束しよう」

 勇人は無言で頭を下げた。
 盛光もそれ以上は何も言わず、立ち上がり、馬に乗ると去って行く。
 しばらくその場にしゃがみこみ、土をさわっていると、人の気配が近付いてきた。
 盛光とは別の気配だった。徒歩で、三人。
 正面から、来ていた。立ち上がり、そちらを見る。刀を差し、少し粗末と思える着物に身を包んだまだ若い男達が歩いてくる。勇人は、ゆっくりと立ち上がった。

「おい、今の男と、何を話していた」

 一人が、威圧的に声を掛けてきた。
 強いとは、思えない。

「畑の話を」

「何?」

「夏頃まで、ここで畑を耕していたんですよ、僕は。だから、この土地でどんな野菜が出来たのか、そんな話を」

「おい、ふざけるなよ。そんな話をするために、伊賀盛光がわざわざ一人でここに出向く訳が無いだろう」

「そう言われても。他に大切そうな話など、何もしませんでしたよ」

 答えながら、勇人は本当にそんな気持ちになって来ていた。盛光とは、何も重要な話などしていない。ただ自分と、小夜と、盛光の間だけで意味があったかもしれない話だったのだ。
 そしてそんな話をした時間の余韻を、何も分からない人間に無粋に壊されたくない、と言う気持ちも襲って来ていた。自分でも驚くほどの、激しい苛立ちを含んだ気持ちだ。
 男の内の一人が、刀を抜いた。脅しか、あるいは本当に斬りかかるつもりか、微妙な気配の構えだった。本人も決めかねていて、ただ抜いてみた、と言うだけの印象だ。

「帰れよ。ここを、血で汚したくはない」

 その言葉を挑発と受け取ったのか、剣を抜いた男が斬りかかって来た。しかし、勢いに欠ける。殺す気ではなく、まずは生かしたまま捕らえるつもりの斬撃だろう。残りの二人も、取り敢えず、と言うような鋭さに欠ける動作で刀を抜く。
 躊躇しなかった。刀を抜き、横に振るう。勇人が相手より後で抜いた刀は、しかし相手の刀より早く届いていた。その勢いのまま横に体をかわし、すれ違う。背後で人が倒れる気配がした。
 振り向き、二呼吸の間。
 それで後の二人も、地面に臥していた。勇人は大きく息を吐き、肩で呼吸をする。全身から、汗が流れ出していた。一瞬膝を突きそうになったが、どうにか耐える。

「驚いたな」

 左近が、顔を出していた。構えていた鎖鎌を、しまう動作をしている。

「いたんなら助けてくれよ、左近」

「互いに刀を抜いた時点で、鎖分銅を投げようと思っていた。まさか一瞬で斬り合いが始まって終わるとは、思ってなかったよ」

 そう言いながら左近は、倒れた三人の顔や持ち物を検めて行っている。

「息は?」

「まだある奴もいるけど、もう助からないと思う」

「そっか。そいつらがさっき言っていた例の盛光殿の周りのおかしな気配、かな?」

「多分そうだね。佐竹家の連中だな。盛光殿をあっちに引き込もうとしながら、見張ってもいたんだろう」

「斬ってしまっても良かったのかな」

「まあ、仕方ないんじゃないか。三人全員斬る必要も無かったかもしれないけど」

 最初の一人を斬り倒した後、残った二人はまだ向かおうとしてきたのか、それとも逃げようとしていたのか、憶えていなかった。そんな事を考えている余裕はなかったのだ。
 人を斬った瞬間、自分の心の中に何があったのかも、憶えていない。

「むしろ一人ぐらいは生かして逃がしておいた方が、佐竹を疑心暗鬼に出来たかもな」

 左近はそう言ったが、勇人にはあまり意味がある事だとは思えなかった。多分、盛光の要らない苦労が増えるだけだろう。

「死体、どうする?」

「深く穴を掘ってここに埋めておけばいいんじゃないか?こなれれば畑の肥やしにもなる」

「おい、ちょっと。人の口に入る物を作るかもしれないんだぞ」

「元々、畑には糞尿を撒いてるじゃないか。人の体の中で一番汚い物を撒いてるんだから、いまさら他の部分を足して撒いても別にいいだろ」

「凄い理屈だな」

「それが気になるんなら近くの村の人間に銭でも渡して葬らせればいいと思う」

 少し笑って左近が言った。

「人を殺しておいて、そんな事を気にするのはおかしいかな?」

「別にいいんじゃないか。人を殺す事と、口に入る物を気にするのは全然別の事だと思う」

「それは、そうだけど」

 当たり前だ、と言う調子で言う左近に、勇人も少し笑い声を出してしまった。

「しかし、驚くほど強くなったもんだな。武士三人を相手に、一方的に」

「不意を突いただけだよ。一年やそこらで、そこまで強くなれる訳がない」

「才能があれば、人は半年や一年でも驚くほどに強くなれる。その差は、才能の無い人間が十年鍛えても埋められない。ちあめで、俺はそれを思い知ったよ」

「まあ、中にはそう言う人間もいるのかもしれないけど」

 自分が強いのかどうかが、それほど重要だとは勇人は思っていなかった。どれだけ強くなっても、一人で軍勢が相手に出来る訳でもない。
 ただ戦場では、本当に強いかどうかが、ぎりぎりの所で死線を分ける事もあるだろう。

「引き上げようか。死体の始末は、俺が頼んでおくよ」

「帰りに少し寄りたい所もあるんだけど、いいかな」

「構わないけど、どこに行くんだ」

「最初に君と会った、あの村。様子を、見ておきたい」

「今見に行くのは、辛いと思うが。冬の前だと言うのに、遠征のために兵糧を摘発されてる」

「だから行くのさ」

 勇人の言葉に、左近は納得したのか呆れたのか、首を一つ横に振ってから、頷いた。

「そう言えば次の戦、君も征西軍に加わるのか?勇人」

「そのつもりだよ。何が出来るか分からないけど」

「そっか。俺もこの仕事が終われば西に向かうと思う。大きい戦になるだろうし、お互い無事に済めばいいな」

「ちあめも一緒に行くのかい?」

「ああ」

「なら少なくとも君は大丈夫じゃないか、左近。あの子が側にいる内は、君は死なないだろ」

「おい」

 左近が拳をぶつけてきたが、勇人はそれを掌で受け止めた。無論、左近も本気ではない。

「変わったな、勇人」

 拳をぶつけたまま、左近が言った。

「皆がそう言うな。けど、大して変わってないさ。自分の命なんて本当の所はどうでもいいと思ってるのは、やっぱり、変わらない。ただ、命を捨てる事じゃなくて使う事を考え出しただけさ」

「以前の君なら、俺の命だってどうでもいい、と思ってただろうさ。その辺りは、変わった」

「そうかもな」

 苦笑して、勇人は頷いた。
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