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ぬけがら、お借りします
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公園の南の角に立つ、ひときわ大きな木。
枝ぶりが立派で、しかもまっすぐ上に伸びているので、とても目立ちます。
おや。その木の幹の、大人の背の高さくらいのところに何か付いています。これは、セミのぬけがらです。
実はついさっきまで、この中でセミの幼虫がひっそり暮らしていました。でも、大きな声で鳴きたくてたまらなくなったので、固いカラからはい出して、もっとうんと高い所まで登って行ったのです。
空では太陽が全身を現し、公園のすみずみまで明るく照らします。
最初にそのぬけがらに気が付いたのはバッタでした。
自分よりひと回り大きい、幹をがっちりつかんだ手足が、とても強そうに見えます。
バッタはそっと中に入り込んでみました。少しだけひんやりとしたぬけがらから、バッタは外を見てみました。
そこからは、あまり木の根元は見えなくて、なんだか宙に浮いているようです。見えるのは、青い空と、空に向かってどんどん伸びている木の先端でした。
いつもとはちがう景色が見られたことで、バッタは満足してぬけがらから出ました。そして、いつもより少し高くジャンプしてから、そこをはなれました。
太陽は空の真上から、じりじりと照りつけています。
次にぬけがらに目をとめたのはカブトムシです。カブトムシは外に出られる姿に変わるまで、長い間、土の中でじっと待っていました。そしてようやく地上に出て来たばかりです。
日光はまぶしいし、自分のまわりに土がないのも心もとなくて、少し休けいしたいと思っていたところでした。
カブトムシはぬけがらの小さな日かげにからだを押し込んで、自分がいた土のあたりを見下ろしました。
地面はだいぶ下のほうにあって、カブトムシはいつの間にか自分がこんな高い所まで来ていたことに驚くとともに、こわがらずに進んで来たことに満足しました。
カブトムシはいっそう上に行くために、ぬけがらの日かげから一歩、踏み出しました。
夏の日差しはどんどん強くなります。
しばらくすると、白い羽根のちょうちょがひらりと飛んできました。
ちょうちょは、ぬけがらのどこにつかまっていいものか考えていましたが、ぬけがらの背中のあたりが広くて安定しているのがわかって、そこで少し休むことにしました。
自分の細い脚で、風にゆらゆら動く木の葉に止まっているときは、いつも不安でびくびくしていたのですが、ぬけがらの上はふしぎに気持ちが落ち着き、今なら敵に出会っても立ち向かっていける、そんな気持ちがします。
ちょうちょは自分の中に勇気があることに満足して、またひらりと飛んでいきました。
夏の太陽が少しずつ西の方角に傾いていきます。
暑い日差しをさけようと、ムクドリが一羽、その木にやってきました。
ムクドリは暑さでいらいらしてやたらと羽ばたきましたので、セミのぬけがらに羽根の先が当たったことなど、気にも留めませんでした。
ぬけがらはその姿のまま、地面に落ちました。
ムクドリはキーキーと高い声で鳴いていましたが、やがて仲間のいる木の方へ飛び去りました。
地面に落ちたぬけがらはさかさまになり、空を見上げているようです。
あっちこっちと寄り道しながらやってきたのはダンゴムシです。
たくさんの脚をいっぺんに動かして歩くので、ぜんぶの脚にいっせいに号令をかけないと、右に、左にと、傾いてしまいます。たいていはめんどうなので、それぞれの脚の好きなようにやらせています。
ダンゴムシはぬけがらの前までやってくると、まわりを一周し、上に登ったり、中にひそんでみたりしました。
だんだん熱中してくると、脚をいっせいに動かすこともよくできて、ひとり遊びはとてもうまくいきました。ダンゴムシは満足して、新しい探検に向かいました。
太陽はだいぶ低くなり、木の根元はすっかり日かげになりました。
アリたちは働き者で名高いのですが、暑いよりは涼しいほうが仕事がはかどるので、ようやくぞろぞろと食料を探しに出て来ました。
手分けして探しているうちに、セミのぬけがらを発見したアリがいます。これが食料になるのかどうか、ほかのアリを呼び寄せます。見た目だけではわからないので、アリたちは中に入って調べることにしました。
ぬけがらの中は広いところや、細くて、アリたちでさえ通るのがたいへんな道があったりしました。
時間をかけて探しましたが残念ながら食料は見つかりませんでした。でも困難な仕事をみんなでなしとげたことに満足したので、らくたんはしませんでした。食料は他の場所で探すことにして、アリたちはぬけがらから出て行きました。
太陽はすっかり沈んで、夜になりました。
木の上でじじっと音がして、何かがぬけがらの上に落ちました。
セミです。このセミはここで何日間も大きな声で鳴き続けました。雨の日も、時には暗くなってからも、せいいっぱい鳴き続けました。
それが自分のやりたいことだし、やれることだからです。
でも、もう力は残っていません。最後にもうひと鳴きしたかったのですが、じじっとしか鳴けず、木に止まっていることもできなくなって地面に落ちました。
セミは自分の下に何かあることに気が付きました。そしてそれが仲間のだれかのぬけがらだとわかりました。
セミは、自分もかつてこの中にいたことや、時間をかけて少しずつ外に体を出し、曲がった羽根が伸びていくのを待っていたことを思い出すと、ぬけがらをそっと抱くように寄り添って、静かにその一生を終えました。
(おしまい)
枝ぶりが立派で、しかもまっすぐ上に伸びているので、とても目立ちます。
おや。その木の幹の、大人の背の高さくらいのところに何か付いています。これは、セミのぬけがらです。
実はついさっきまで、この中でセミの幼虫がひっそり暮らしていました。でも、大きな声で鳴きたくてたまらなくなったので、固いカラからはい出して、もっとうんと高い所まで登って行ったのです。
空では太陽が全身を現し、公園のすみずみまで明るく照らします。
最初にそのぬけがらに気が付いたのはバッタでした。
自分よりひと回り大きい、幹をがっちりつかんだ手足が、とても強そうに見えます。
バッタはそっと中に入り込んでみました。少しだけひんやりとしたぬけがらから、バッタは外を見てみました。
そこからは、あまり木の根元は見えなくて、なんだか宙に浮いているようです。見えるのは、青い空と、空に向かってどんどん伸びている木の先端でした。
いつもとはちがう景色が見られたことで、バッタは満足してぬけがらから出ました。そして、いつもより少し高くジャンプしてから、そこをはなれました。
太陽は空の真上から、じりじりと照りつけています。
次にぬけがらに目をとめたのはカブトムシです。カブトムシは外に出られる姿に変わるまで、長い間、土の中でじっと待っていました。そしてようやく地上に出て来たばかりです。
日光はまぶしいし、自分のまわりに土がないのも心もとなくて、少し休けいしたいと思っていたところでした。
カブトムシはぬけがらの小さな日かげにからだを押し込んで、自分がいた土のあたりを見下ろしました。
地面はだいぶ下のほうにあって、カブトムシはいつの間にか自分がこんな高い所まで来ていたことに驚くとともに、こわがらずに進んで来たことに満足しました。
カブトムシはいっそう上に行くために、ぬけがらの日かげから一歩、踏み出しました。
夏の日差しはどんどん強くなります。
しばらくすると、白い羽根のちょうちょがひらりと飛んできました。
ちょうちょは、ぬけがらのどこにつかまっていいものか考えていましたが、ぬけがらの背中のあたりが広くて安定しているのがわかって、そこで少し休むことにしました。
自分の細い脚で、風にゆらゆら動く木の葉に止まっているときは、いつも不安でびくびくしていたのですが、ぬけがらの上はふしぎに気持ちが落ち着き、今なら敵に出会っても立ち向かっていける、そんな気持ちがします。
ちょうちょは自分の中に勇気があることに満足して、またひらりと飛んでいきました。
夏の太陽が少しずつ西の方角に傾いていきます。
暑い日差しをさけようと、ムクドリが一羽、その木にやってきました。
ムクドリは暑さでいらいらしてやたらと羽ばたきましたので、セミのぬけがらに羽根の先が当たったことなど、気にも留めませんでした。
ぬけがらはその姿のまま、地面に落ちました。
ムクドリはキーキーと高い声で鳴いていましたが、やがて仲間のいる木の方へ飛び去りました。
地面に落ちたぬけがらはさかさまになり、空を見上げているようです。
あっちこっちと寄り道しながらやってきたのはダンゴムシです。
たくさんの脚をいっぺんに動かして歩くので、ぜんぶの脚にいっせいに号令をかけないと、右に、左にと、傾いてしまいます。たいていはめんどうなので、それぞれの脚の好きなようにやらせています。
ダンゴムシはぬけがらの前までやってくると、まわりを一周し、上に登ったり、中にひそんでみたりしました。
だんだん熱中してくると、脚をいっせいに動かすこともよくできて、ひとり遊びはとてもうまくいきました。ダンゴムシは満足して、新しい探検に向かいました。
太陽はだいぶ低くなり、木の根元はすっかり日かげになりました。
アリたちは働き者で名高いのですが、暑いよりは涼しいほうが仕事がはかどるので、ようやくぞろぞろと食料を探しに出て来ました。
手分けして探しているうちに、セミのぬけがらを発見したアリがいます。これが食料になるのかどうか、ほかのアリを呼び寄せます。見た目だけではわからないので、アリたちは中に入って調べることにしました。
ぬけがらの中は広いところや、細くて、アリたちでさえ通るのがたいへんな道があったりしました。
時間をかけて探しましたが残念ながら食料は見つかりませんでした。でも困難な仕事をみんなでなしとげたことに満足したので、らくたんはしませんでした。食料は他の場所で探すことにして、アリたちはぬけがらから出て行きました。
太陽はすっかり沈んで、夜になりました。
木の上でじじっと音がして、何かがぬけがらの上に落ちました。
セミです。このセミはここで何日間も大きな声で鳴き続けました。雨の日も、時には暗くなってからも、せいいっぱい鳴き続けました。
それが自分のやりたいことだし、やれることだからです。
でも、もう力は残っていません。最後にもうひと鳴きしたかったのですが、じじっとしか鳴けず、木に止まっていることもできなくなって地面に落ちました。
セミは自分の下に何かあることに気が付きました。そしてそれが仲間のだれかのぬけがらだとわかりました。
セミは、自分もかつてこの中にいたことや、時間をかけて少しずつ外に体を出し、曲がった羽根が伸びていくのを待っていたことを思い出すと、ぬけがらをそっと抱くように寄り添って、静かにその一生を終えました。
(おしまい)
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