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アブノーマル少年と太陽少女

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 僕の名前は野江良太郎。地味で、大人しくて、メガネで、細身で、ナヨナヨしている。とにかく僕は“男らしくない”。そんなの誰よりも僕が一番知っている。だって僕は……
 女の子に憧れているから

 僕は昔から、可愛いものが好きだった。ぬいぐるみ、お洋服、魔法少女、アイドル。
 みんなみんな、大好きだった。ふわふわとしていて、それなのにキラキラしていて、子供ながらに感動していた。でも、そのことをみんなに話したのがいけなかった。
『おい、コイツ男のくせにおままごとしてるぜ?』
『うわー、恥ずかしくないのかよ』
 幼稚園の友達に馬鹿にされた。でも、それでも僕は好きで居続けようとした。本気で好きだって思い続ければ、いつか誰かが認めてくれる。そう、信じて。だけど、そんな人は現れなかった。
 卒園して、ランドセルを選びにいった時のこと。目の前には、それはもうキラキラした色のランドセルが並んでいた。赤、水色、ピンク、黄色。色とりどりで、お花みたいだったのを今も思い出す。だけどこの思い出はトラウマでもある。
 だってその時、ピンクを選んだら……
『良ちゃん、それは女の子の色でしょう? 男の子は、こっちでしょ?』
『でも、僕はこれが――』
『だーめ。そんなの、普通じゃないわ』
 お母さんに、初めてそう言われた。信じていたものに、裏切られた。普通じゃない。その一言に、僕は思い知った。
 男の子が“可愛い”を求めるのは普通じゃない。おままごとをするのは、おかしいこと。女の子に憧れるのは、異常。それが、世界の“普通”なんだ。そして僕は、変な子。そう思っていた。ずっと、ずっと……。

 それから時が流れて二〇一五年の春。努力が身を結び、第一志望の鶯谷学園に合格した。昔の顔馴染みと距離を置きたかったから、わざわざ遠くの学校を選んだ。だって、もし僕がまだ“可愛い”を求めているなんて知られたら、きっとまた、馬鹿にされる。
 知らない人ばかりなら、僕がどういう人間なのかは誰も知らない。だから僕は、こっそりメイクをした。とは言ってもまだ初心者だから、動画をもとに美白をやってみただけ。だから自信はあまりない。ただ変に見られてないことを祈るばかりだ。
 だけど、それだけで頭がいっぱいになっていて、とても重要なことを忘れていた。
「ねえ君、名前は?」
「えっ……えっと……ぼ、僕ですか……?」
「君以外に、いる?」
 僕は人見知りだったことをど忘れしていた。
 目の前には女の子。それも、芸能人かと思うくらい美麗な子。栗色のロングヘアにセーラー服という組み合わせは、まさに恋愛ドラマの主人公のようだった。僕より前に会話をしたであろう男子も、頬を赤らめて彼女を見ていた。
 何か喋らなきゃ、無視されたと思われる。そうなったら嫌われる。そんな思いが頭の中でグルグルして、言葉が出てこない。考えすぎなのも、重々理解している。けれど、もし本当に内心イライラしていたら……。
 あああああ、どうしたらいいんだよぉぉぉ!
「あー。大丈夫? 私、近づきすぎたかな……?」
「えっ、ああいえ、大丈夫ですッ!」
 しまった。焦ったあまり、声が大きくなった。視線が集中する。恥ずかしい。
「ぼ、僕、野江良太郎って、言います」
「へえ、じゃあノエちゃん、だね」
 の、ノエ……ちゃん? 良ちゃんならまだわかるけど、ノエちゃん?
 僕の頭は、破裂寸前だった。こんな美人の女の子に、初対面であだ名を付けられるなんて思わなかったから。それに、なんか可愛い。ああダメダメ、にやけちゃダメだ。気持ち悪がられちゃう。
「あ、ごめんごめん。私は、西森景。気軽に、ケイって呼んでね。ノエちゃん」
「えっ、は、はいッ!」
 自己紹介を終えると、西森さんは風のように去っていった。ふわふわと、長い髪が揺れる。僕も、なれるものなら彼女みたいになりたいな。
 ――キーンコーンカーンコーン!
 なんて見惚れているうちに、HR前のチャイムが鳴った。いけないいけない、入学初日から遅刻なんて、洒落にならない。僕は急いで自分の教室に向かった。

 一年B組。教室に入ると、そこには僕以外のクラスメイトが既に集まっていた。初日だというのに男子は机に座り、制服を着崩してバカ騒ぎしている。その隅では、雑談に花を咲かせる女子に、一人黙々と読書をする背の低い男子。まさに、普通の教室があった。
「あっ、ノエちゃーん! こっちこっち!」
「あ、あれ? 西森、さん?」
「ケイでいいよ。それよりほら、そろそろ時間だよ?」
 西森さんは、そう言って僕の席をぽんと叩く。すると、近くの女子が「あー!」と言い出した。
「もしかして、もう彼氏捕まえたの? なーんか頼りなさそう」
「そんなことないわよ。ね、ノエちゃん」
「で、でも僕、ホントその通りだし……」
「アンタ、なんか男らしくないね」
 彼女の友達に言われたその瞬間、雷に打たれた。男らしくない、男らしくない、その台詞が脳内でリピート再生される。僕はショックのあまり立っていられず、フラフラと自分の席に座り込んだ。燃え尽きたよ、真っ白に。
 そうしている間に、先生がやってきた。だけど、全然話が頭に入ってこない。
「……ねえ、ねえってば」
 隣から声をかけられる。西森さんだ。前の人にうまく身を隠して、小声で何か言っている。
 しかし不思議なことに、彼女の声だけは、ちゃんと頭に入ってきた。先生より小さい声なのに、今だけは、こっちの方がよく聞こえた。
「なんですか? あのことなら、気にしてませんよ?」
 嘘だった。だけど、気にしてないことにしないと、心が砕けそうだから。すると、少し間を開けて、彼女は笑った。
 ちょいちょい、と小さく手招きする。僕はそれに誘われて、顔を近づける。すると、彼女は髪を耳にかけ、僕の耳元で囁いた。
「放課後、暇?」
 彼女の問いに、僕は首を縦に振る。いきなりのお誘いで驚いたけど、関係を掴むチャンスでもあったから。
 すると、彼女は嬉しそうに笑い、「じゃあ決まりだね」と言った。
「放課後、南原で待ち合わせね」
 そう言って、西森さんは先生の方を向いた。南原、確かこの街のデパートだ。
 でも、一体何故僕なんかを、それも初日に? 僕よりも良い人なんていっぱいいるのに。訊きたかったけど、彼女は待ち合わせの約束を最後に、目を合わせることはなかった。

「えーっと、確かここ、だよね」
 放課後。僕は地図を頼りに約束の南原に来た。初めて来たはずなのに、何となく懐かしさ漂うレトロなデパートだった。そこには、ちょっと大人っぽい服装の西森さんがいた。彼女は僕に気付くと、元気に手を振った。可愛いだけじゃなく、カッコイイともなると、余計に輝いて見える。
「に、西森さん? どこに?」
「着くまでの秘密。ほら、ついてきて」
 西森さんは言うと、僕の手を引いて目的の場所へと向かった。地元の人ともなると、ここには行き尽くしているのか、彼女は迷うことなく奥へと進んだ。
 そして、行き着いた先は……
「ここって、コスメショップですよね?」
 驚いた。まさか、コスメショップに行くとは、夢にも思っていなかったから。
 芸能人が印刷されたポスターに、色とりどりのアイシャドウ。チークにファンデ。どれも若い子向けなのかキラキラしていた。お母さんの使っているものとは、全然違う。
「どう、凄いでしょ? ここ私の行きつけなんだ」
「でもどうして、僕を?」
「だってノエちゃん、こういうの好きでしょ?」
 心臓が止まるかと思った。ここにきた時、薄々そんな気はしていた。だけど、いざ僕の心を見抜いたように連れてこられると、どうしたらいいかわからなくなる。
 自分の中の天使と悪魔が喧嘩している。心臓も、動き出したかと思えばドクドクと鼓動が激しくなっている。
「す、好きじゃないです」
「え?」
「だって僕、男じゃないですか。なのにメイクなんて、変ですよ」
 つい、心にもないことを言ってしまった。動揺していた僕には、もう人を傷つけない言葉選びをする余裕もなかった。でも、言った後に気付いた。彼女は、下を向いていた。
 余計に頭が混乱して、消えたいって感情が頭を出し始める。
「嘘つき」
「嘘……つき……?」
 すると彼女は、僕の頬を両手で挟み込んだでニッコリと笑った。そして、頬の感触を楽しむように揉み、「もちもち」と言った。
「ファンデしてるくせに、そんなこと言っても説得力ないぞー」
 図星で、声も出なかった。本当は気付いて欲しかったけど、いざ気付かれると、余計に恥ずかしさが込み上げてくる。
 すると彼女は僕の顔を見て、また笑った。
「大丈夫。私の付き合いって程だったら、不思議じゃないでしょ?」
 彼女は僕の右手を握った。すると、重かった足が軽くなり、気付けば僕はコーナーの中に入っていた。入り口という概念はない。だけど、その先は、特別な空間だった。
 右には可愛さ重視のコスメ、左にはかっこよさ重視のコスメ。そして、どちらも共通して、いい匂いがした。
「あ、これとかノエちゃんに似合うんじゃない?」
 西森さんが手にとったのは、暖色が32色詰まったアイシャドウパレット。その中でも彼女はピンクを推した。続けてファンデにチーク、マスカラと手にとっては、僕の顔の前に持ってくる。
 それはもう、楽しかった。だけど、僕のトラウマが邪魔をしてくる。男らしくない、気持ち悪い、普通じゃない。他のお客さんがそう言っているような気がして、落ち着かなかった。
「に、西森さん。僕、もう帰ります」
「どうしたの? 具合悪くなっちゃった?」
「いえ。でも、僕がメイクしても、可愛くなんて、なれっこないですし。それに――」
 すると彼女は、僕のメガネを外した。急に目の前がぼやけて、僕は一瞬変な声を出す。それを彼女は笑う。更に僕の手を引いて歩くと、鏡に無理やり顔を傾けさせた。
 ぼやけていたが段々ピントが合ってきて、鏡の中の僕が見えた。その中の僕は、なんだか可愛く見えた。
「メガネのノエちゃんもいいけど、やっぱりこっちの方が可愛い」
 赤くなった頬、照れて震える唇、垂れた目。自己愛的だけど、心の底から可愛いと思えた。
「でも……」
「でもはダメ。折角可愛いのに、そう言って下げるのは勿体無いよ」
 そう言って、西森さんは後ろから抱きついた。
 恥ずかしかった。皆に見られている気がして、気が気じゃなかった。
「大丈夫。ノエちゃんが何を心配してるのかわからないけど、私がちゃんとマスターするまで教えてあげる」
 彼女の言葉にお世辞なんてなかった。純粋に、僕のことを褒めてくれた。嬉しかった。ついに、僕をわかってくれる人を見つけられて。僕はつい涙を流してしまった。
「もうやだ、泣くことないじゃない。よしよし」
 彼女は言って、僕の頭を撫でた。
 僕の凍った心は優しさという太陽によって、溶かされた。蛹が蝶になるように、僕もまた、可愛さを求める第一歩を踏み出せた。餞別の、メイク道具が入った袋を手に持って。
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