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第二章

3   お母様

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「シュワルツ、慧眼をするわ。苦しんでも、起こさないで」

「ああ、分かった」


 意識を集中していく。

 緋色のブレスレットの中の魔力が練られていく。

……
…………

「あなた、最近、お帰りが遅いのね?領地で何か問題でも起きたの?」

「いや、領民が税金が高いと代表を何人か連れて、面談にやってきているんだ。こちらとしても、できるだけ領民に苦労をかけないように気を配っているのだが、道路の整備や土砂崩れの予防などしなくてはならない。領民の意見だけを聞くのも限界があると思わないか?」

「ええ、そうね。でもね、あなた、こう何日も泊まりでお仕事をしていたら、体に悪いわ。フラウムも寂しがっているわ」


 懐かしい母の声は優しく、父の健康を心から案じている。


「仕事なのだから仕方がないだろう」


 母の手が、そっと父の手に触れた。その手を父は撥ね除けて、苛々と応接間を歩いている。


「苛立つ事が多いのね。精神が落ち着くお茶でも淹れましょう」


 母は応接室から出て行った。


「全く茶を飲んだくらいで精神が落ち着くとでも思っておるのか?気楽な女だ。魔術は俺より上だし、緋色の魔術師と言われた魔女だ。人を癒やし、貴族からの謝礼金も弾んでいたが、結婚してからというもの。魔術もほとんど使いやしないから謝礼金も入りゃしない。お茶代も出ないじゃないか。娘も金ももらわず皇帝の元にやりやがって。何が約束だ。俺に似もせず、誰の子かも分からん。そんな娘に愛情など湧くはずがないだろうに。騙されたとも知らずに、馬鹿な女だ」


 父は窓辺で月を見ながら、小さな声で母を侮辱していた。

 俯瞰しているフラウムの胸はチクンと痛みを残す。

 これが、自分の父の姿だ。


「おとうさま」


 ノックの音がして、入ってきたのは幼いわたし。

 あれは、6歳か7歳か、それくらいの時期かしら?


「フラウム、皇妃様とは上手くやっているのか?」

「うまくですか?皇妃様はおかあさまのようにお優しいですわ。今日は一緒にお茶を淹れる練習をしましたの。おとうさまにもお茶を淹れて差し上げますわ」

「さしあげますわ……か、上品に話したって、まだ子供だ。俺の子だから嘘つきかもしれないな?」

「わたくしはうそつきではありませんわ」

「わたくしだと?フラウム、上品に話したところで、緋色の血は、穢れたのだぞ。今は望まれているが、年頃になれば、その血の穢れが魔力の弱いいらない子になるに決まっている。アミを誘惑し、緋色の魔術師と言われた血を穢すのが俺の役目。どうだ、成功しただろう?アミは皇帝とは結婚しなかった。この国を更に強固にする血は、少しでも減らせとの隣国サルサミア王国、キリマクルス・サルサミア国王の指示だ」

「おとうさま?」

「アミよりもフラウムの方が魔術は弱いだろう?それでいいんだ。皇太子とも結婚しなくてもいい。よわーい、帝国を作れとのお達しだ」


 髪を突然掴まれ、振り回される。


(お父様は諜者(ちょうじゃ)なの?隣国サルサミア王国、キリマクルス・サルサミア国王が指示をだしているのね?)


「いたいわ、おとうさま、やめて」


 フラウムは振り回されて、突然、髪を離されて、小さな体が勢いよく飛ばされていく。

 ガツンと顔がテーブルに当たって、フラウムは床に倒れた。


「うわーん」

「お嬢様!」


 侍女のミリアンが抱きしめるのと同時に、息をのんだ母が部屋に飛び込んできた。


「フラウム、どうしたの?怪我をしているじゃないの。ミリアン、フラウムを動かないように押さえていて」


 母はハンカチで血を拭うと、フラウムの顔に手をかざす。


「おとうさまが……」

「今は黙っていらっしゃい、フラウム。傷が残るわ」

「……はい」


(あの時、わたしは顔に怪我をしたんだったわ。それをお母様が治してくださった)


「もう、いいわよ。お部屋で暴れたらいけません」

「暴れていません。おとうさまが」

「ボタンに髪が引っかかって、少しビックリしただけだな?なあ、ミリアン」

「はい、そうでございます」


(ミリアン?誰だっけ?そんな侍女いたかしら?ミリアンもお父様と同じ諜者なの?)


「フラウム、よかったな。顔に傷が残らなくて。傷物になったら、次期皇妃にはなれないからな」

「そうよ。フラウムは私達の子供だけれど、この帝国の子と同じなの。きちんと自覚しなさい」

「はい、おかあさま」

「ミリアン、フラウムを寝かせてちょうだい。明日もお妃教育があるわ」

「かしこまりました」

「フラウム、おやすみなさい」

「おかあさま、おやすみなさい」

「お父様には言わないの?」

「おとうさまは、きらいです」

「フラウム、お父様は、お仕事がお忙しいのよ。せっかく帰ってきてくださったのだから、きちんとご挨拶なさい」

「……おとうさま、おやすみなさい」

「おやすみ、フラウム」

……
…………

 ふらりふらりと意識がさまよう。


(お父様とミリアンを探るのよ)


 魔術を高める。

 指先が水晶玉に触れている。

 緋色の水晶玉は、既に2つ空になっている。

……
…………

 濡れた音がする。

 クチュクチュヌチャクチュ……

 なんの音だろう?

 部屋の中は暗い。


「ああん、旦那様」


 フラウムは目をこらした。

 暗闇の中で、男と女が睦み合っていた。

 フラウムはまだ性的な事は何も習っていなかった。

 それが何か分からず、暗闇の中を近づいていく。

 父が裸のミリアンと抱き合っている。

 抱きしめているだけではなくて、父がミリアンに腰を激しくぶつけている。

 胸を揉み、激しく接吻している。

 もしかしたら、子を成す行為なのかもしれないと思った。

 父は不貞をしていた。

 これは不倫だ。

 部屋の中をよく見ると、我が家であった。

 客間の一室だ。

 お母様はどうなさっているの?

 フラウムは母を探して、家の中を彷徨った。

 母は自室で刺繍をしていた。

 けれど、その目元は涙で濡れていた。

 母は父が不倫をしていることに気づいていたのね。


(お母様、どうしてお父様をお叱りにならないの?お母様はそれで幸せなの?)


 フラウムは母の横に座って、母の横顔を視ていた。

 慧眼の中で慧眼を使った。


『あの侍女は辞めさせましょう。ミリアンは、エリックを誘惑するわ。こんな早い時間から客間で抱き合うなんて、わたくしの事を蔑ろにして酷い。実家に相談しようかしら?けれど、あんなに恋愛結婚だといって結婚したのに、きっと笑われるわね。それに、フラウムが結婚するときは、片親じゃ肩身が狭いわよね』


(わたしのために、我慢していたの?)


 母の声を聞いて、触れることができない母を抱きしめた。

 扉がノックされた。


「どうぞ」

「奥様、お嬢様が泣き出しまして」

「あら、フラウム、どうしたの?」

「お母様、怖い夢を見ました」


 9歳か10歳のフラウムが母に抱きついていった。


「まだまだ子供ね」


 優しい手が、髪を梳く。


「お母様と一緒にお部屋に行きましょう」

「手を繋いでいて欲しいの」

「いいわよ」


 小さなフラウムは部屋から出る前に、慧眼しているフラウムを視ていた。

 もしかして、気配に気づいて見に来た可能性もあるわね。

 フラウムは昔から気配に敏感だった。


(後は、何が必要?毒を塗った女よ)


 今度はお茶会の前に飛んだ。

 家のメイドが慌ただしく、お茶会の準備をしている。キッチンの方に歩いて行くと、亡くなったシェフがケーキを作っていた。

 フラウムはメイドの顔をじっと見て歩いた。紅茶のカップに毒を塗っていた女を捜す。


(見覚えのない顔の女だったわ。あ、いたわ)


 女に近づき、再度、『慧眼』を行う。


『毒は塗ったわ、大丈夫、上手くいくわ』


「エミリア、そろそろお迎えだ」

「ええ」


(エミリア?お父様の再婚の女の名前だわ)


『これで結婚できるわ、エリック』


「皆さん、今日は粗相のないように、お願いしますね」


(お母様)


 お母様と目が合った。

 まるでこちらにいらっしゃいというように、お母様が空き部屋に入っていった。

 フラウムはその後を追う。


「幾つのフラウムかしら?この間も来ていたわね」

「お母様、わたしの姿が見えるのですか?」

「ええ、それは慧眼ですね」

「お願いがあるの。今日、紅茶は飲まないで。殺されてしまうの。エミリアがカップに毒を塗ったの。死んでしまうの。お願い。お母様」

「指示をしているのは、エリックね」

「そうよ、お父様なの。今、証拠集めをしているの」

「幾つのフラウムなの?」

「16歳よ」

「お父様とは仲良くしているの?」

「13歳で家を出たわ。お父様は女を連れてきて、わたしの居場所はなくなったの。女はエミリアよ。わたしより、一つ年下の娘がいるわ」

「そんなに大きな娘が?」

「だから、運命を変えましょう。紅茶を飲まないで」

「今日、殺されるのね?」

「お願い、紅茶を飲まないで。わたしを遺して死なないで」

「これは運命なのでしょう?」


「飲まなければ、運命だって変えられるわ」

「ここでお茶を飲まなければ、シュワルツ皇子と会えないわよ」


 お母様は微笑んだ。


「お母様、慧眼を?」

「フラウムにできることは、私にもできるわ」

「それでも、生きて欲しい。そうよ、おじいさまに助けを求めましょう」

「無理よ。今のフラウムを消してしまうわ」

「そんなの、どうでもいいの。お母様、お願いします。紅茶を飲まないで」

「フラウム、愛しているわ。幸せになって」


 母の手がフラウムを抱きしめた。

 実態がないはずなのに、暖かな体温を感じる。

 視界が暗くなって、体が重くなる。


「魔力切れだ」

 聞き覚えのある男性の声が聞こえる。

 抱きしめていたのは、シュワルツだった。

 フラウムは、声を噛みしめて泣く。


「お母様とお話ができたの。お茶を飲まないでってお願いしたのに、飲んでしまったのね」

「今は少し眠りなさい」


 フラウムのブレスレットの水晶玉は、全て透明になっている。

 泣いていたフラウムは、気絶するように眠りに落ちた。

 涙で濡れた顔を乾いたタオルで拭くと、そっと唇を合わせた。

 シュワルツの魔力をフラウムに送っているのだが、僅かにしか送れない。

 魔力切れを起こしても死ぬことはないが、体が疲労で重くなる。

 希に発熱を起こすことがあるので、薬もあるが、今は休んだ方がいい。

 慧眼は、ただでさえ魔力を使う。

 普通は、一度の場所、事を調べるために短時間だけ使うが、フラウムは1時間近く慧眼を使っていた。一カ所ではなく、何度も時間を渡っていたのだと想像が付く。

 母と会話ができたのならば、相当の力を使っていたのだろう。

 シュワルツにはできない魔術だ。皇帝一家では、唯一、母が使い手だが、一カ所に渡り、一つのことを調べるだけで寝込む。それほど難しい魔術なのだ。

 シュワルツは従者を呼んだ。


「皇子、どうかされましたか?」

「皇帝に手紙を書くときは、フラウムの事は内密にと書き添えて欲しい。フラウムは実の父に命を狙われておる。帝国を揺るがす秘密を抱えておる。暗殺されては困る」

「どのような秘密でしょうか?」

「詳しくは、訊いてはおらんが、実家に知られないように連れ帰りたい」

「かしこまりました。早速、早駆けを送ります」


 従者は、深く頭を下げた。

 シュワルツはフラウムを腕に抱いたまま、寝台に横になった。

 フラウムが時々、口にした単語を組み合わせたら、想像以上に帝国を揺るがす言葉になる。

 訊いたら、話してくれるだろうか?

 こぼれた涙を、手で拭うと布団をしっかり掛けて、一緒に眠った。


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