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番外編   Another

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 白い部屋の中には、ベッドがあり、そこで寝ている。

 腕には針が刺され、天井付近に吊された液体が、ポトポトと落ちている。

 暴れたので、私の体は固定されて動けない。

 簡素な寝間着を着せられ、私の胸は真っ平らで、まるで罰を与えられたように、胸にはまだ新しい傷が残っていた。

 その傷は、まだ痛みに疼く。

 私はどうやら男に生まれ変わったようだ。それも成人しているように見える。

 名前は思い出せない。

 ここは病院だと教えてもらった。

 治療をしてもらい栄養のある食事をいただいて、やっと動けるようになると、私を見つけた人が私を迎えに来た。

 身元引受人になってくれたようだった。

 私には記憶喪失という病名が付けられて、名前をもらった。

 季節が春だったから、ハルと言う名だそうだ。海辺にいたから、海野ハルと言う名なった。

 私は海野ハルとして生きて行くことになった。

 鏡の前で見ると、私はそれほど魅力的な体はしていなかった。

 男なのに、長めの髪をしていて、声も低くなく、まるで女のように見える。

 指も細く、色白で、体には筋肉のような物は目立たない。

 性器を見ると男だと分かるが、見た目は女性のように見える。

 変な体だ。

 身元引受人になってくれた人は、夏彦と言うらしい。篠島夏彦、これが彼の本名だと言った。

 生まれが夏だからだと笑って教えてくれた。

 春とか夏とか言われても、私は分からなかった。それは季節で四季があるのだと教わっても、理解できなかった。

 救急車や車も初めて見る物だった。景色や建物も見たことがない。

「うちは喫茶店をしているんだ。働いていたらいろんな事を思い出せるかもしれないだろう?」

 夏彦という男性は、優しかった。私は夏彦さんと呼ぶようになった。彼がそう呼んで欲しいと言ったから。

「お願いします」

 彼の家族は、年の離れた妹がいる。両親は他界しているそうだ。妹の名前は冬美。冬に生まれたからだと言っていた。

 小学6年生の冬美ちゃんは、布製のぬいぐるみをいつも抱いている。

 それほど、可愛いとは思えない人形だけれど、母親が作った物らしい。

 どこか懐かしさを感じてしまう。

 冬美ちゃんに借りて、人形を抱くと、胸が一杯になって涙がこぼれた。

 夏彦さんは、そんな私に人形をプレゼントしてくれた。

 布製のぬいぐるみで、耳が長く手足も長い。不思議な形だけど、抱きしめると安心できた。

「好きな名前を付けるといい」

「それなら、この子はモルにするね」

「可愛い、名前だ」

 私はモルを抱いて寝るようになった。

「ハル、掃除をしてきてくれるか?」

「はい」

 喫茶店の周りの掃除をして、花に水をあげる。

 やり方を知らないと思ったけれど、体がそれを知っていた。

 喫茶店の仕事も、分からないと思ったけれど、体が知っていた。

 お客に水を出すこともできたし、オーダーも聞けた。

「ハルは喫茶店で働いていたかもしれないね?」

 夏彦さんは、そう言って私に仕事を与えてくれる。

 お兄さんのような夏彦さんは、私を大切にしてくれる。

 その優しさは、まるで兄弟のようで、恋人のようでもあった。私は徐々に夏彦さんに惹かれていった。

 養ってもらっているのに、アルバイト料ももらえるなんて、なんだか申し訳ない。

「記憶が戻ったら、帰るときに賃金になるだろう?」

 夏彦さんは、そう言って笑った。

 けれど、私は記憶が戻らなくてもいいと思っていた。

 小さな港町で美しい景色が見える。この喫茶店で過ごすのもいいと思っている。

 波の音は心地よく、夏彦さんの優しさも嬉しかった。

 心が愛される事を望んでいる。

 夏彦さんが男だろうと関係なかった。

 冬美ちゃんも素直な優しい子だった。しっかりとした子で、お店のお手伝いもできたし、家のお手伝いもできる子で、私は冬美ちゃんも好きになった。けれど、冬美ちゃんが夏彦さんに甘えている姿を見ると、すごく嫉妬してしまう。

 心に潜むそんな賤しい気持ちは、日増しに増えていく。

 夏彦さんと二人きりなら良かったのに……。

 頼まれた買い物に出かけたとき、ちょうど冬美ちゃんの下校の時間と重なった。

「冬美ちゃん、おかえり」

「ハルちゃん、ただいま」

 二人で海辺の歩道を歩いているとき、冬美ちゃんは防波堤に上って、そこを歩き始めた。

「冬美ちゃん、危ないよ」

「大丈夫よ。毎日、歩いているもの。それに景色がすごく綺麗なのよ」

 赤いランドセルを背負った冬美ちゃんは、楽しそうに遠くの景色を見ている。

「ハルちゃんも上っておいでよ。地平線が見えるのよ」

「地平線って何だろ?」

 私は冬美ちゃんの隣に行こうとして、狭い階段を駆け上がった。

「わー、すごく広いのね」

「だって、ここは海だもの」

 海と空の境目が見えない。

 遠くに船が見える。

 すぐ下を見ると、断崖になっていた。海は深いように見えた。

 ここは危険だと思った。

 背筋が震えて、怖く思えた。

「冬美ちゃん、ここは危ないよ。降りようよ」

「うん、分かった」

 私が先に降りると、冬美ちゃんも降りてきた。

 一緒に並んで歩いて行く。

「ハルちゃん、ずっとうちにいてね。お兄ちゃんが最近、すごく楽しそうなの」

「夏彦さんが?」

「ハルちゃんが可愛いだって?可愛い妹がいるのに、ほんと酷いわ」

 冬美ちゃんは、少し拗ねていた。

 可愛い頬を膨らませて、私を睨むの。

 睨んだ後に、ケラケラと声を上げて笑った。

「冬美ちゃん?」

「ハルちゃんは、お姉さんみたいで、私も大好きよ。家族が増えて本当は嬉しいの」

 冬美ちゃんの小さな手が、私の手を繋いだ。

 ゆらゆらと手が揺れる。

「私の事も好きでいてくれているの?」

「勿論よ」

 この優しい冬美ちゃんがいなくなればいいのに、と思った事が、とても悪いことのように思えた。

 こんな感情は抱いてはいけないと自分を戒めた。

「お兄ちゃん、ただいま」

「なんだ、二人で帰ってきたのか?お帰り二人とも」

「ただいま」

 私も夏彦さんに挨拶をした。

 買い物袋を受け取ってくれる。

 あらかじめ予約をしていた物を買いに行っただけなので、買い物も難しくはない。

「夏彦さん、お金をここに置きますね」

「ああ、ありがとう」

 私はオレンジ色の財布をカウンターに置いた。

 なんと私はこの世界のお金の勘定ができたことに驚いた。

 紙幣もコインも理解できる。文字も読めるし、書くこともできた。けれど、本名は思い出せない。

「おやつにパフェを作っておいたんだ。食べるか?」

「食べる!」

 冬美ちゃんは大喜びで、お店の中で飛び跳ねている。

「冬美、ランドセルを置いて来なさい。手も洗って来るんだよ?」

「分かったわ」

 冬美ちゃんはお店から家の方に上がって、階段を駆け上がっていった。

 とても元気だ。

「ハルも手を洗って、少し休憩にしよう」

「私にもあるの?」

「当然だろう。さあ、手を洗いなさい」

「はい」

 私は喫茶店の調理場の水道で手を洗った。

「暑かっただろう?」

「そうだね。汗をかいたかな?」

「カウンターの前に座って、すぐに冷たい物を出してあげる」

「うん」

 私がカウンターの前に座ると、その隣に冬美ちゃんが、ちょこんと座った。

「ちゃんと手を洗ってきたな?」

「洗ったよ」

 夏彦さんは私達の前に、縦長のグラスに美しく飾られた物を出してくれた。

「やったー、パフェ大好き」

 見たことがあるようで、初めてのような気がする。

 とても冷たくて、とても綺麗だ。上に綺麗に飾られた物は何だろう?

 思い出せそうで思い出せない。

「ハルちゃん、リンゴやオレンジ、メロンよ。赤いのはイチゴだよ」

 冬美ちゃんが指を差して教えてくれる。

 けれど、それの名前を聞いたら、なんだか知っているような気がする。総じてフルーツだと思った。

「早く食べないと溶けちゃうよ」

「うん」

 私は冬美ちゃんの真似をしながら、それを食べた。

「冷たい」

 綺麗で冷たくて美味しい。

 まずフルーツを食べて、アイスクリームや生クリームも食べて、私はこの甘い味を知っているような気がする。

 アイスクリームの間にゼリーもムースも挟まっている。

 重なる味が新鮮だ。

 パフェというのは、とても贅沢な一品だと思った。

「ハル、美味しいか?」

「うん、なんだか懐かしい味がする」

「そうか?」

 夏彦さんは、いろんな食べ物を食べさせてくれる。

 私の記憶が戻るかもしれないと思って、いろいろな味を私の舌に味わわせてくれる。

 夏彦さんは紅茶を淹れている。その香りはとても懐かしい香りがした。

「お茶も欲しい」

「何か思い出したのか?」

「分からないけれど、懐かしいの」

 カップも素敵な絵柄だ。カップを持って香りをかぐと、カップの絵柄も見ていく。

「……綺麗」

 夏彦さんは優しく私を見ている。






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