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第八章

5   ここは?

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 心電図モニターの音が鳴り響く。

 誰かが俺の胸を激しく強く押している。

「下がって」

 ドンと電撃が走って、体が浮き上がる。

「心拍戻って来ました」

「いいぞ、そのまましっかり生きるんだ」

 力強い誰かの声がした。

 俺の意識はまた遠くなってきた。

 次に目を覚ました時、俺は白い天井を見た。

 左に視線を向けると、点滴が見えた。細いチューブを追っていくと、俺の手に針が刺さっていた。

 起き上がろうとしたら、胸が痛くて動けない。

「オブリガシオン様、どこに行ってしまったの?」

 俺は白い病室を見回した。

「やだ、いやだ。ここは違う」

 ここは異世界じゃない。

 どうして、俺は現代に戻っているんだ?

 結婚式を挙げたばかりだったのに、どうして?

 俺はベールがあるはずの頭を抱えた。

 病室に看護師が駆け込んでくる。

「大丈夫です。落ちついてください」

「いやだ、いやだ、ここじゃないんだ」

「すぐに眠くなりますからね」

 俺を押さえつける看護師が言った。

 すぐに、俺は吸い込まれるように眠りに落ちた。

 けれど、そこはただの暗闇だったような気がする。

 大好きなオブリガシオン様の姿は見えない。

 次に目を覚ました時は、オカマバーの店長が側に座っていた。

「ハル、やっと目覚めたね。大騒動だったが、犯人は捕まった。もう安心しても大丈夫だ」

 俺は頷いた。

「怪我をゆっくり治しな。心臓が何度も止まったそうだよ。生きているのは奇跡だってさ」

「死んでしまえばよかったのに」

「なんて事を言うんだ。ハルを生かすために、医者も看護師も必死に頑張ってくれたんだ。しっかり生きなさい」

 俺は仕方なく頷いた。

 オカマバーの店長さん、青山さんは曲がった事が嫌いな人だ。

 身寄りのない俺の親同然に、男に捨てられたばかりの俺を拾ってくれた恩人だった。

「スマホを持って来た。連絡したい相手がいるんだろう?」

「ありがとうございます」

 俺の手の上にスマホを置いて、充電器も挿していってくれた。

「私は店があるから戻るけど、また明日、覗きに来るよ」

「うん」

「しっかりしなさい」

 俺の頭をくしゃくしゃとしてから、青山さんは病室から出て行った。

 俺はスマホを開いたけれど、恋人に連絡をする気になれなかった。

 その代わりに、『俺天』のゲームを起ち上げた。

 オブリガシオン様に出会うまで、4人のキャラを攻略しなくては会えない。

 まず、アスビラシオン王子のルートを始めた。

 アスビラシオン様の相手はチェリーモーニアという名前だった。

 名前を変える事もできるが、元々の名前がある。

 俺はアスビラシオン王子の弟だった。

 まだ鮮明に覚えているその姿や王宮の様子。チェリーモーニアの姿。

 第二王子の顔はやはり描かれていない。

 ふと思って、俺は睾丸の後ろに触れた。そこには割れ目はない。

 夢だったのだろうか?

 あんなに鮮明に思い出せるのに、本当に夢だったのだろうか? 

 俺を異質な体に作り替えたオブリガシオン様、辛かった幽閉時代、俺を犯した男達。

 まだ生々しく思い出せるのに、あれも夢だったのか?

 辛い旅でも、優しい人たちもいた。

 宿屋でメイドをしていたのも夢なのか?

 オブリガシオン様の妻になったのも?

 全て夢だったのだろうか?

 俺はアスビラシオン様のストーリーを進めながら、泣いていた。

 涙を拭いてくれる人は、もうここにはいないと思うと寂しくて、どうしようもなく涙が流れてくる。

 食事もせずにずっとゲームをしている俺から、看護師がスマホを取り上げてくる。

「ちゃんと食べるから、取らないで」

 ゲームの時間も決められて、俺は傷が治るように治療を受けた。

 退院間近には、ラウ・クローラーのイベントをしていた。

 モモモーニアと、やたらと長い名前だが、ストーリーの中ではモモと呼ばれている。

 だったら、最初からモモでいいと思うが……。

 チェリーモーニアもチェリーと呼ばれていた。

 この名前も最初からチェリーでいいじゃないか?

 ラウ様のストーリーの中に、アスビラシオン様のストーリーも混ざる。

 結婚式では、チェリーはママになっている。モモとチェリーは双子の姉弟だ。

 見た目は同じだ。異性なら二卵性のはずなのに、一卵性のようにそっくりの顔で描かれている。

 手抜きか?

 それともラウ様はアスビラシオン様の従者だから、身代わりかと勘ぐってしまう。

 でも、ちょっと違和感を覚えてしまう。

 アスビラシオン様のお相手は、チェリーモーニアという名前ではなかったと思う。双子の設定はあったが、モモモーニアの双子の弟、チェリーモーニアは顔もないモブだった。双子が入れ替わるイベントもなかった。アスビラシオン様のお相手がモモモーニアだったような気がする。ゲームは面白かったからいいけれど、俺の勘違いなのか?

 レユール・シメトリーナのストーリーは兄妹愛だ。妹のビオニエーレは病弱で一度死んでしまうが、神の間違いで、ロウソクの部屋に辿り着いて、寿命を貰うことから、恋愛が発展する。俺は自分が結ばれる選択は選ばなかった。この兄妹は二人が結ばれる方を選択した方が、優しい気持ちになれる事を知っていたから……。

 二人で見た夕焼けの風景は美しい。

 つい魅入ってしまう。

 バックに流れる音楽も、その景色に良く合っていて、次の画面に替えるのが惜しくなるほどだった。

 コンスタ・コーリオンのイベントに出てきたメアリーは、ラウ様の妹で、ラウ様のイベントとコンスタのイベントで悪役令状になるはずだと思ったが、俺が眠っている間に作り替えられたのか、親友に変わって、主人公になっていた。

 俺の勘違いだったのか?

 俺の記憶は曖昧だから、自分の記憶に自信が持てない。

 俺はやっと退院できる事になった。

 俺の元には、俺が連絡しなくても恋人の祐司さんが来てくれた。

「水くさい」と叱られた。

 ネットニュースで俺の事件を知って、俺が勤めているオカマバーの店長を訪ねたそうだ。

 入院中も何度もお見舞いに来てくれたし、退院の日には、俺を迎えに来てくれた。

 それでも、俺は昔ほど祐司さんの事を好きだと思えない。

 今日も奥さんに内緒で会社を休んだそうだ。

 付き添ってくれたが、俺が黙っているので、祐司さんが一人で話している。

「おまえ、死にかけて別人になったんじゃないのか?」

 なんて事を、何度も言われた。

 俺はずっと祐司さんに依存していたから、そう言われてもおかしくはない。

 どうしても、俺はオブリガシオン様の事を思いだしてしまう。

 心を占めているのは、オブリガシオン様なのだ。

 俺の部屋に入ると、少しかび臭く感じる。

 ずっと誰も立ち入らなかった場所だから、仕方が無い。

 入院期間は2ヶ月。

 あちらの世界では、2年旅をして、何ヶ月もオブリガシオン様の側にいたのに、こちらの世界では、たった2ヶ月だ。

 どう考えても、俺は夢の中を旅していたようだ。

 この部屋が、俺の希望を打ち消した。

 祐司さんは部屋に入ると、窓を開けて換気を始めた。

「布団に横になれよ?」

「うん」

 畳んである布団を伸ばして、フローリングに敷いてくれた。

 俺の部屋は6畳のワンルームだ。

 物は少ない。テレビもない。

 ある物は布団と少しの着替えと二人分のカップだけだ。ここで食事を作ることはない。この部屋には眠るために帰って来るだけだから、布団があれば、それで十分だ。

 祐司さんが泊まりに来たときも、コンビニで朝食を調達するから、食器も要らない。

 俺はパジャマに着替えて、今着てきた物をハンガーにかけた。

 俺の胸には赤い傷跡がくっきりと残っている。

「冷蔵庫がないから、買い物しても仕方が無いな」

「大丈夫だよ。近くにコンビニあるし」

「その体で歩いて行けるのか?」

「なんとかするよ」

「なんとかってなぁ」

 祐司さんは、俺を見て困っている。

「冷蔵庫を買ってくるか?」

「無くても平気。今まで無くても困らなかった。それに部屋が狭くなる」

「俺は毎日来てやれないぞ」

「分かってる。もう帰ってもいいよ」

「おまえな、俺は心配しているんだぞ」

 横になっている俺の髪に触れる。

 クチャクチャと頭を撫でる。

 祐司さんは、俺の少し長めな髪が好きなんだ。

 だから、よく俺の髪に触れる。

 俺の横に座った祐司さんは、体を屈めて俺にキスしようとしてきた。

 俺は、咄嗟に祐司さんの肩を押した。

 キスはしたくなかった。

「どうした?」

「そういう気分になれない」

「まあ、そうだな?まだ胸が痛いだろうし、死にかけたんだ。気にするな」

「ごめん」

「いいから、今日の分と明日の朝の食事をなんか買ってくるよ」

「ありがとう」

「いいって」

 祐司さんは立ち上がると、部屋を出て行った。

 合鍵で鍵までかけてくれた。

 俺はスマホを取り出した。

 すぐに『俺天』を起ち上げる。

 今日からはやっとオブリガシオン様のルートが始まる。

 インストールに時間がかかる。

 メンテナンスは終わったばかりだろう。

 シャルロット王女の選択を間違えないようにしなくては、オブリガシオン様とは結ばれない。

 何度もしてきたゲームだから、ゲームを始めて選択ミスはしていない。オブリガシオン様のルートも間違えないようにしないと……。

 俺は音が漏れないようにイヤホンをつけた。

 音楽が流れる。

『イベント オブリガシオンルートに進みますか?』

『YES』『NO』

「YES」

『ミューネ、帰って来い』

『YES』『NO』

「え?」

 ミューネ帰って来い?って、オブリガシオン様からのメッセージだろうか?

 俺は迷わず『YES』を選択した。

 その瞬間、俺の体が輝いた。

「ハル、そう言えば、パンかご飯かどっちがいい?あれ?ハル、どこに行ったんだ?」

 布団にはスマホとイヤホンが落ちていた。





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