angel

綾月百花   

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Side愛梨

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 本番の第一曲はピアノの旋律から始まる。
 キーボードに指を降ろして最初の旋律を勢いよく弾いた時、指に痛みが走り、だんだん痛みが増してきた。
 指先に視線を落としたら、鍵盤が真っ赤に染まっていた。
 指先からポトポトと血が滴っている。
 ピアノは弾けなくなった。
 デュエットだけでも合わせようとしたがプツリと皮膚を破り、痛くて鍵盤を押すことができなかった。
 ピアノの音が聞こえなくなって、楸がすぐに気付いて愛梨の側にやって来た。
 メンバーの視線が愛梨に注がれている。
 このままじゃ駄目だ。
 愛梨は大きな声で、「もう一度初めからお願いします」と頭を下げた。
「愛梨、指見せて」
 愛梨は首を左右に振った。
「その血はどうしてだよ?」
 楸が両手を握ってきた。流れ出る血を止めるために止血している。
「鍵盤にカミソリの刃って、誰だよ。こんな嫌がらせするのは」
 亮が怒鳴った。
「みんな落ち着いて。メニューを変えよう。私がいなくてもできる曲はたくさんあるよ。それを演奏して、楸は歌って」
 愛梨は両手を開いた。
 両手の指先が幾筋にも切れて、血が溢れている。
「このチャンスを逃さないで」
 涙の雫のように、血がポトポトと流れて落ちている。
「私は見てるから」
 みんなはハンカチを取り出して、愛梨の指に巻き付けた。
「私のために歌って」
 その日から、応援団に変わった。
 angelは選ばれた。
 彼らは愛梨なしではangelじゃないと言ったが、プロデューサーは「女の子が入るより、イケメンの男三人の方が映えて売れるだろう。女の子はいらない」と言った。
 愛梨は身を引いた。
「女の子はいらない」と言われた言葉が、心を切り裂いた。
 指の痛みも辛かったが、自分を否定されたようで、心が悲鳴を上げていた。
 指の怪我は思った以上に酷くて、治るのにも時間を要した。
 楸に食事も作れなくなった。
 楸と一緒にいる理由がなくなってしまった。
 だから、楸にはどこかで食べてきて欲しいとお願いしたが、楸は食事を調達して愛梨に食べさせてくれた。
 楸が手首にビニールを巻いてくれたけれど、シャワーを浴びることもできないほど、指は痛んだ。お湯を浴びても、体が拭けない。だから、翌日はお風呂に入ることを断った。
 一緒にいる理由もなくなったのに、今までと同じ距離でそばにいてくれた。
 母も祖母を預けて、駆けつけてくれた。
 母が来てくれて、やっと体を洗ってもらえた。
 体も洗えない愛梨を洗って、母は寝込んでいるおばあちゃんと同じねと笑った。
 長くなった髪を切るか?と言われたが、それは拒絶した。
 やっと長くなった髪が短くなるのは、悲しかった。
 好きで怪我をしたんじゃない。
 どうしてキーボードの間にカミソリの刃が仕込まれていたのか。
 そんなに嫌われていたのかと思うと、ショックだった。
 母は愛梨の手の抜糸が終わると、祖母のところに戻って行った。
 小学校に入学して依頼、ずっと皆勤賞を取ってきたのに、愛梨は今回の怪我で休みを取った。1日休んだら次の日も行きたくない。抜糸がすんでも、愛梨は学校を休んだ。
 表面の皮膚がついただけで、指の中の傷は、まだ癒えてないのか、指を動かすと指が痛んだ。抜糸しても包帯は取れてはいない。
 ベッドに横になり、窓の外を眺める。
 合鍵を持っている楸が食事を調達してくれる。
「愛梨、ご飯。スーパーのお弁当だけど」
「ごめんね、楸」
「愛梨、笑って」
「無理だよ」
 楸も皆勤賞だったのに、愛梨が怪我をしてから、ずっと学校を休んでいる。
「卒業式は出るよね」
「うん」
「あと少ししか一緒にいられない」
「楸は歌を歌うんでしょ?」
「僕は愛梨と大学に通いたい」
「バンドはどうするの?」
「うん」
 楸は迷っているようだった。
 進路を決めるのは自分でなければ、いずれ後悔する。
 愛梨は何も言わなかった。
 卒業式が終わっても指先の傷は治らず、治らないまま楸と別れた。
 楸はバンドを選んだ。
 心が優しい楸は、断ることができなかったのかもしれないけれど。
 愛梨は楸と薫と入るはずだった、都内の国立大学に入学した。
 彼らはそのまま芸能界入りした。
 最初から、楸がボーカルでギターとドラムがいればいいと思っていた。
 目的は果たされた。
 ライブハウスで観客として見て、家ではテレビで彼らの活躍を見ていた。


 目的は果たされたのに、愛梨の心は寂しかった。
 いつもいた楸がいない。
 部屋はがらんと広く。話しかけても誰も返事はくれない。
 毎日あんなに楽しかったのに、心は躍らない。
 楸に会いたくて、テレビを見ていると悲しくて涙が流れて止まらない。
 だから、テレビはあまり見なくなった。
 彼らから連絡が来たが、すぐに返事を返せなくなり、学校が忙しいのと理由をつけた。
 ライブも見に行くのが辛くなって、招待された時以外は観に行かなくなった。

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