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4   兄から離れる覚悟

4   誘拐されました

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 年の瀬が近づき、家族で外食に出かけた。
 友麻が運転手だ。
 助手席に母が座り、後部座席に亜里砂と父が座った。
 亜里砂は父親に凭れて眠っている。
「落ち着いてきたから、明日の診察で薬を軽くしてもらおうか」
「そうね。夜も魘されることがなくなってきたわね」
 亜里砂の手には、まだ包帯が巻かれている。
「早く、あいつが逮捕されると安心できるんだが」
「そうね。亜里砂も安心して学校にも通えないわね」
 ホテルの駐車場に入って車が静かに止まった。
「友麻、ありがとう」
「これくらいしかできないし」
「拗ねないの。今日は家族の忘年会よ」
「ああ」
 後部座席で、亜里砂が起こされている。
「まだ眠い」
 ふわっとあくびをして、まだぼんやりしている。
「外は寒いわよ。コートを着てね」
「うん」
 亜里砂は母の手作りの洋服を着ている。
 アンジュの新作だ。まだ世間に出回っていない。
 広告で出ただけだ。
 白いコートを着て、扉を開ける。
 亜里砂の髪は、長くなり、椅子に座って眠っていた亜里砂の髪を、母が編み込んでアンジュのバレッタで留めた。
「うー、寒い」
 扉が開いて、亜里砂は震えて目を覚ました。
「さあ、行きましょう」
「待って、お母さん」
「亜里砂をモデルにしてるから、亜里砂にとても似合うわ。お母さん、亜里砂にアンジュのイメージモデルをして欲しいの。私が作った服は、亜里砂が一番似合うもの」
「私にモデルはできないよ」
「そんなことはないわ」
 ホテルの通路にある鏡に、亜里砂を映す。
「ねえ、綺麗でしょう」
「あれ、いつの間に、頭を結ったの?」
「亜里砂が眠っている間よ。考えておいて」
「無理だってば」
 二人は、本当の親子に見えるほど仲がいい。
 出会った頃のよそよそしい感じは、微塵も残っていない。
「亜里砂、やってみたらどうだ?」
「お父さんまで、無理だってば」
 エレベーターを待っていたら、蘭々が俊と歩いてきた。
 ばったり出会って、気まずい。
「お久しぶりね、蘭々ちゃん」
「お久しぶりです、おばさん」
「彼氏とデート?」
「そうです」
「うちの亜里砂がいつもお世話になってるみたいで。あまり虐めないでね」
 蘭々の顔が引きつる。
「お母さん、その話はいいから」
「いいえ、せっかくうちの商品を身につけてくれているんですもの。買ってくださってありがとうございます。アンジュは天使から採った名前なのよ。天使のように美しい心の子に着て欲しいの」
「まるで蘭々が醜いみたいな言い方」
「俊!」
 俊は声を上げて笑っている。
「亜里砂のカチューシャ欲しがって、川に落として取りに行かせたり、パーティーで人前で散々詰ったくせに、突き返したバックを後から欲しがってみたり。新作のワンピースを強請ってみたり、亜里砂が持てるものほしがって、断られたら、防犯カメラ消して、クラス中で亜里砂を虐めさせてみたり。確かにアンジュの名前に相応しくないよな」
「俊、どっちの味方なの?」
「俺はご馳走してくれるから、付き合ってるだけ。蘭々に興味はないよ。一度だって好きだと言ったことはないよ。むしろ虐められてもめげない亜里砂の方が、いじらしくて可愛いと思える」
「酷いわ、俊!どれだけ私に貢がせたと思っているの?」
「蘭々みたいに、欲しいと強請っただけだよ。断り続けた亜里砂の方が正しいんじゃない?俺は買ってもらって助かったけど」
「もう絶交よ」
「いいよ。もう欲しい物もないし。今日も面倒だったんだ。絶交ありがたい。でもさ、蘭々。俺と付き合う前まで、亜里砂と親友だっただろう。ずっと長い間、仲が良くて、見ていて微笑ましかったよ。蘭々は俺と付き合い始めて、だんだん醜くなっていったよ。きっかけを作ったのは俺だけど、女の友情って簡単に壊れるんだな。そばで見ていてゲンナリするほど」
「なによそれ」
「男に貢ぐことに必死になって、一番大切なものなくしたんだろう?」
「大切なものなんて」
「蘭々に残ったものは、なにもないだろう。級友はみんな奴隷。その奴隷に蘭々が一番守らなきゃいけなかった親友をボロボロになるまで虐めさせている。裸の王様だ。ああ、王女様か」
「それじゃね」と言いながら、俊は去って行った。
 蘭々は、俊を追い越すように出口へと向かって走って行った。
「あははは、裸の王女様だって」
「お母さん、笑い事じゃないでしょ?」
「志緒理さんなりの復讐だろう」
「自分の母親だけど、怖い」
 エレベーターが来て、四人で乗る。
「蘭々、一人になったんだね」
 彼氏は彼氏ではなかった。
 好きだと言っていたのに。
 クラスメートに権力で命令して従わせてきた蘭々には友達はいない。
「元親友がかわいそうとか言うなよ」
「お兄ちゃん」
「会話録音したから、虐めの解決だ」
「蘭々を訴えたりしない」
「録音は預かっておく」
 友麻はスーツのポケットに手を突っ込んだ。


 レストランの入り口でコートを預けて、毎年恒例の家族の忘年会だ。
 両親はワインで乾杯している。
 友麻は運転手なので、ノンアルコールのカクテルだ。
 亜里砂はオレンジジュース。
 毎年変わらない。
 食事はフランス料理のフルコースだ。
 初めての忘年会で、亜里砂は初めて見る豪華で美しい食事に目を奪われて、フォークやナイフの使い方がわからず、友麻に教えてもらった。
 友麻とは二人でいるときは、話していない。
 話しかけないでとお願いしてから、友麻は亜里砂に話しかけなくなった。
 家族でいるときは、普通に話しかけてくる。
 寂しいが、これでいいと思っている。
 普通の家族に見える。
 両親がいて、兄がいる。それで十分だ。


「お母さん、トイレ行ってくる」
「俺、ついて行こうか?」
 亜里砂は首を振った。
 バックを持ってレストランから出て行った。
 友麻は、こっそり後をつけた。
 亜里砂は笑顔を取り戻してきたが、それでも一人にしたくない。
 亜里砂はトイレに入っていった。柱の陰で出てくるのを待つ。
 清掃員がトイレから出てきても、亜里砂は出てこない。
 時計を見ると15分は過ぎている。
 友麻は席に戻ると、母親の腕を引いた。
「亜里砂が出てこないんだ。見てきて」
「友麻も心配性ね」
「いいから、早く」
 母親を連れて、トイレに連れて行く。
「亜里砂ちゃん。あら、誰もいないわ」
「亜里砂、いないの?」
「別のトイレかしら?」
「ここに入るのを見たんだ」
「友麻、亜里砂をつけてたの?」
 母が睨む。
「そんなこといいから、亜里砂を探さないと」
「亜里砂がトイレに入って、誰か出てきたの?」
「清掃員が出てきただけ。まさか清掃員に連れ出されたとか?」
「どうしたんだ?」
「祐輔さん、亜里砂ちゃんがいなくなったの」
「トイレじゃないのか?」
「誰もいないのよ。友麻の話では、清掃員が一人出てきたらしくて」
「紅葉様、どうかなさいましたか?」
 ホテルの従業員が声をかけてくる。
「この時間には、清掃員は来ません」
「娘が誘拐されたかもしれない」
「すぐに支配人に連絡を取ります」
 ホテルの従業員は席を外した。
「俺、駐車場を見てくるから。スマホ手に持ってて。何かわかった連絡して」
 しっかりしているようで、どこか抜けている母に言い聞かせる。
「わかったわ」
 友麻は清掃員が歩いて行った方に走って行った。
 廊下の先のエレベーターで地下まで行くと、掃除用のワゴンが置かれていた。
 亜里砂が頭につけていた、バレッタが落ちていた。
 すぐに母に連絡して、駐車場を走って行く。
 急発進をした車が、目の前を通り過ぎて行く。咄嗟にスマホのカメラで撮った。
 撮った画像をよく見ると、亜里砂が乗っていた。
 警察に電話して、画像に残っていたナンバーを伝える。
「友麻、亜里砂が誘拐されたのね」
 画像を見せる。
 最新型のスマホは目で見るより、鮮明に写る。
 すぐに警察が来て、防犯カメラや清掃道具を入れるワゴンを調べていった。
 両親は亜里砂の生みの母の事や出所後の事件のことを話している。
 検問に引っかかってくれればいいが、すでに逃げた後かもしれない。
「母さん、亜里砂を探してくる」
 友麻は車に走る。
「どこを探してくるのよ?」
「亜里砂の居場所」
 車に乗り込んで、スマホを操作する。
「友麻」
「亜里砂のスマホに仕掛けたんだ。居場所がわかる」
 父親の祐輔が頷いた。
「亜里砂を頼む」
 祐輔は自分のスマホを友麻にわたした。祐輔の二つ目のスマホだ。
「借りるよ」
 スマホを受け取ると、亜里砂のスマホに細工した、万が一のための居場所を知らせる地図が出る。
 友麻はアクセルを踏み込んだ。


 猿ぐつわを取られて、やっと亜里砂は言葉を言える。
「私に何の用なの?」
「お金が足りないの」
「この間、50万近く私から盗ったばかりでしょ?」
「偽造パスポートを作るために使ったらなくなったのよ」
「どこかの国に行くつもりなの?」
「密輸船に乗るお金と生活費が欲しいのよ」
 生みの母は、清掃員の服から派手なスーツに着替えた。
「その服、アンジュの服ね。脱いで。換金するわ」
「いや」
「脱ぎなさい。脱がないと殺すよ」
 生みの母親はナイフを取り出し、亜里砂の頬をナイフの背で撫でた。
「血がついたら換金できないでしょ?縛ってある手を解いてよ」
ツーピースのブラウスと同色のスカートを脱いだ。
タンクトップとインナースカートになると、「全部脱いで」と命令してきた。
下着姿にさせて、洋服にアンジュのタグがついているか確認していく。
「バックにはタグはついてないから値段はつかないよ」
「安物か」
「お財布持ってないから」
「カードは?」
「カードは作ってない」
 鞄の中には、ハンカチとティッシュとスマホが入っているだけだ。
「携帯電話は金になるな」
「私の携帯電話は、機種が古いからゴミにしかならないよ」
(スマホを知らないんだ?)
「あんた本当に、あの家族の子供になったのか?また虐められているんじゃないのか?」
「私の家族は優しいよ。私が欲しがらないだけ」
「バカだね、あんたは。贅沢させてくれるって言うなら、好きなだけ贅沢すればいいのに」
 生みの母は、鞄にスマホを戻した。
 鞄もタグがついてないから、ゴミにしか見えないらしい。
 みんなタグしか見てない。価値はタグなのだろうか?
 真冬に下着姿はさすがに寒い。
 ガタガタと体が震える。
 洋服を畳むと、満足したようだ。
「もう帰ってもいい?」
「おまえを売るんだ」
「どこに売るの?」
「昔、お母さんが務めていたソープ。男に抱かれな」
「いや」
 亜里砂は逃げだそうとして、踵を返すが、すぐに腕を掴まれた。
「痛い」
 わざわざ包帯の巻かれた傷の上を掴んで、亜里砂の動きを止めた。
「手を離して」
「離したら逃げるだろう」
 生みの母は煙草を吸っていた。先端が赤くなる度に、体が寒さとは違う震えが走る。
「これが怖いんだろう?」
 わざわざ煙草を亜里砂の目の前に近づける。
「どこを焼いて欲しい?」
「どこも触らないで」
「商品だから、顔はまずいな」
 目の前にある肩に押しつけられた。
「いやああああ!」
 肩に押しつけられて、体が後ろに下がるが、すぐに車にぶつかり動けなくなる、
「おとなしくしてれば、何もしない」
「もうしてるじゃない」
 消えた煙草が地面に落とされる。
「約束の時間に来るはずなんだ。もう少し待ってろ」
「寒いわ。その清掃員の服なら着てもいいでしょ?」
「これは金にならないから着ればいい」
 亜里砂は急いで脱ぎ捨てられた清掃員の服を着た。
 これで体を焼かれることはないだろう。
 体が覆われ、少しだけ寒さも落ち着く。
 焼かれた肩は、あまり痛くない。痛くない方が酷い火傷だと医師に教えられたばかりだ。
 また痕が残る。それを思うと気が重くなるが、今は火傷よりも逃げ出す方法を考えなくてはいけない。
 迎えが来なくて、生みの母は苛々している。
「裏切られたか」
 大声を出して、亜里砂を蹴る。
「やめてよ。黙っているでしょ」
「身代金を要求してやる。おまえの携帯電話を寄越せ」
「今、家には誰もいないよ。みんなで食事にでかけていたんだから。それにお父さん、私の火傷の痕を治すためにお金を使って貯金もそんなに持ってないよ」
「アンジュの社長なら持っているだろう?」
「知らないわよ」
「母親に電話しろ」
 亜里砂は言われるまま、母親のスマホに連絡を入れた。
 会話をスピーカー通話に変えた。
 短絡的な誘拐だ。隠れる場所も仲間もいない。どうにかなるかもしれないと思った。
『亜里砂なのね。どこにいるの?』
「お母さん」
 生みの母がスマホを奪うように手に持つ。
「一億円だ。すぐに持ってこい」
『どこに持っていけばいいの?』
 生みの母は辺りを見回す。
「亜里砂、ここはどこだ?」
「海浜公園の駐車場でしょ?」
 亜里砂は辺りを見回して、鉄塔を指さした。
「西に点滅する鉄塔の見える駐車場だから、第一駐車場だと思う。駐車場番号は33番」
 子供の頃によく遊びに連れてきてもらった場所だ。ホテルからも近いので、何度も来たことがあった。地面に書かれた文字も言葉に出した。
 きっと聞こえるはずだ。
「海浜公園の第一駐車場だ。30分以内に持ってこい」
『家の金庫から持って来るわ。でも30分じゃ無理よ。1時間にしてくれれば、2億円持っていくわ』
「1時間以内に2億円だ。早く持って来い」
『亜里砂に危害を与えたら、目の前で燃やしてやるわ』
 母親らしい言い方だ。
「危害は与えない」
 母親は電話の切り方がわからず、亜里砂にスマホをわたした。
 亜里砂は、通話をスピーカー通話から普通通話に変えて、鞄にしまった。
 繋がっていると思うと心が楽になる。
 生みの母親は寒そうに煙草を吸っている。
 亜里砂は鞄を持ち生みの母親から距離を取って、道路に面した場所に立った。
「あまり離れるな」
「こんな時間に誰も来ないよ。逃げ場所もないでしょ?」
 じっとしていると寒いので、向かいの駐車場の方まで歩いて行く。
「離れるなって言ってるだろう」
「じっとしてると寒いの」
 亜里砂は母親を刺激しない程度の距離を歩き回る。
 ヘッドライトの消えた車がすっと目の前に止まった。窓は開いていた。
「亜里砂」
「お兄ちゃん」
 亜里砂は急いで扉を開けて車に乗り込んだ。
 車はすぐに走り出して、公園を出て行った。
 パトカーが公園の駐車場に入っていく。


「お兄ちゃんありがとう」
「怪我はしてないか?」
「肩を焼かれた。病院に連れて行って」
「すぐに連れていくから」
『亜里砂、無事なのね?』
 亜里砂は急いで鞄からスマホを取り出す。
「お母さん、ありがとう。お母さんが二億円焼くって言ったから、手を出されなくなった」
『よかったわ。早く病院に連れて行ってもらいなさい。お母さんたちも向かうから』
「うん」
 やっと通話を切ることができた。
「亜里砂、服は?」
「服を売るために脱がされたの」
 亜里砂は肩を押さえる。
 車の中が暖かくなると、焼かれるような痛みが肩全体に広がる。
「痛いのか?」
「うん」
「氷がなくてすまない」
 亜里砂は首を振る。
「助けに来てくれありがとう」
 肩を押さえたまま扉に凭れて、亜里砂は目を閉じた。


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