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第1章

39 王妃の部屋へ

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 目覚めてから、やっと三週間が経った。

 レインの指示で、私は王妃の部屋に移ることになった。

 医師の診察は、毎日ある。

 その診察の仕方を見ていると、私は背中を斬られただけでなく、脳出血を起こしていたような感じだ。

 手の握力が以前より落ちているが、歩みは遅いが自分の足で歩ける。

 私の手を引きながら、レインは嬉しそうだ。


「目眩はしないか?」


「なんともないわ」


 言葉も普通に話せることに、安心した。

 脳出血は出血した部位にもよるが、安静にしていれば出血した血液が吸収されて元通りになる場合もあるが、一刻を争う場合もある。訪れるのは死だ。

 私は運がよかったのね。

 ベッドに寝たきりにもならず、きちんと歩ける。

 手や足に痺れや麻痺の後遺症もない。

 意識を失っていた時間が長いので、私の体力も筋力も落ちてしまったのだ。

 それを元通りにしなくてはならないと医師に言われたが、それも慌てる必要もないという。

 脳出血は興奮や、激しい運動で繰り返す可能性があるので、何でもほどほどから始めるようにと注意を受けた。

 レインが私を抱かない理由が、この全てだったと知った。


 今日のメリッサさんは、王妃の部屋を掃除に行ってくれている。

 最初のようには汚れてはいないと思うが、それでもこの部屋より広いので、一人で掃除をするのは大変だと思う。

 レインは医師の診察の後、仕事に戻って行った。

 私は自分の持ち物を片付けている。

 持ち込んだ物は、殆どない。

 元々、旅行鞄一つで来たのだから。

 出て行こうと揃えたままの旅行鞄に私の持ち物の全てが入っている。

 クロークルームに入り、下着やネグリジェを箱に入れる。

 ドレスは、ハンガーに掛かった物を持っていけばいい。

 宝石は綺麗に宝石箱に入っている。

 お風呂場に入ろうとした所で、メリッサさんが戻って来た。


「王妃様、ソファーでお休みください」

 私の事を王妃様と呼んでくれるのはメリッサさんとキッチンのシェフ達だけだ。後は、アルク様とレインの護衛騎士ね。

 他の人は認めてはいないようです。


「片付けは、後はお風呂場だけですわ。私物の石鹸等を集めようかと思っていたの」

「それなら、それは私がしますので、お茶を飲んでお待ちください」

「それなら、お願いします」


 私はカップを二つ出して、お茶を淹れる。

 よい香りが立つ。

 メリッサさんが、荷物を纏めて出てきたら、丁度お茶も入りました。


「メリッサさん、お疲れ様でした。お茶を淹れたので休みませんか?」

「王妃様、私のような農民に、高級なお茶をくださるなど、勿体ない事です」

「いいえ、こちらにおかけになってください。私も少々、疲れてしまったのです」


 メリッサさんは、紅茶の置かれた場所に座った。

 そこは、レインが座る場所であるが、他に椅子はない。

 遠慮気味にティーカップを持って口に付けると、メリッサさんの表情が明るくなる。


「なんと香り高いお茶でしょう」

「とても美味しいわね。首都の茶葉店の中でも、このお茶は高価な物だと思うわ。きっとレインがわざわざ用意してくれたのだと思う。あの方は、口に出して言わないけれど、とっても気を遣ってくださっているのよ」

「王妃様は愛されておいでなのですね?」

「そうね、あの方の愛情表現は難しい事が多いけれど、改めて周りを見ると、私は恵まれていると感じますの」


 紅茶の茶葉は、一流の物だと分かる。

 ティーカップも貴族の間では、大切なお客様にしか出さないような品のよいお洒落なカップが幾つか準備されている。

 これを普段用に使うなど、王宮の王や王妃様の様です。

 メリッサさんは、目を細めて、その香りやお茶の味を味わっていらっしゃる。

 喜んでもらえてよかった。

 いつも手伝ってもらうばかりで、何かお返しをしたかったの。


「ご馳走様でした」

「お粗末様です」


 私はテーブルに置かれたカップを持つと、洗ってしまう。


「私が致します」

「大丈夫よ。お茶は私が飲みたかったのよ。それに、もう済んでしまったわ


 メリッサさんは、軽く頭を下げた。


「あちらのお部屋は、一度、大掃除をしたのだけれど、汚れていましたか?」

「綺麗なままでしたわ。一応、拭き掃除をしておきました。後は荷物を運ぶだけですわ」


 私は時計を見た。

 お昼までまだあるが、終わるまでにお昼は過ぎてしまいそうで迷う。

「今から始めたら、お昼を過ぎてしまいませんか?」

「気を遣ってくださりありがとうございます。キッチンで仕事をしていた時は、皆様のお食事が終わり、食器を片付けるまでが私の仕事でしたので、こちらの仕事に変わってからは仕事が早く終わるようになったのですわ。子供達のお昼ご飯は作ってきていますから、ご安心ください」

「それなら、荷物を運んでくださいますか?私の私物は鞄の中の物だけですわ。後は、部屋に置かれていた物ですわ」

「まあ、レイン辺境伯は王妃様がこちらに来るのを楽しみにしていらしたのですね」


 メリッサさんは、優しげに微笑んだ。


「では、私は荷物を運びますので、王妃様は休まれてください」

「お願いします」

 メリッサさんは、素早く歩き、この部屋にある物を運んでしまう。

 ティーカップも運んでくださり、この部屋には本当に何もなくなった。

 この部屋も気に入っていたのだけれど、私が王妃で本当にいいのかしら?


「ニナ、部屋の荷物は運んだと報せが来た。さあ、新しい部屋に行こう」


 明け放れた扉の中に入って来たのは、レインだった。


「レイン、仕事中ではなかったの?」

「仕事はまた後でする。新しい部屋には、俺が連れて行きたかったのだ」

「甘やかすのが上手ね」


 私が立とうとすると、掬い上げるように横抱きにされた。

 怪我のある部分に触れないところが、完璧だ。


「レイン、歩けるわ」

「疲れてはいないか?本当はもっと回復してから引っ越しをするつもりであったのだ」

「そんなに疲れてはいないわ。メリッサさんがしてくださいましたから」

 小さな窓がある廊下を歩く。

 階段もあり、意外と遠い。

 掃除をしていたときは、気に留めなかったが、抱き上げられて、ゆっくり歩いて行くとずいぶん遠くに部屋があるようだ。

「遠いわね、寝室は三階でしたか?」

「ああ、三階の奥になるな」

「私、一度、宮殿の中を大掃除したのに、あまり覚えていないわ。綺麗にすることに夢中になっていたからかしら?」

「俺の仕事部屋が綺麗になっていたな。引き出しの錆まで磨かれて、新品の机のように感じるぞ」

 私は微笑んだ。

 だって、綺麗にしたんですもの。

 喜んでもらえて嬉しいわ。

 騎士が立つ執務室の前を通ると、扉が開けられている部屋にレインは入って行った。

「まあ」

 以前はなかったお洒落な飾り棚が置かれていて、古びた家具から新しい家具に変わっていた。

「以前の家具はどうなさったの?」

「この部屋は、もうずいぶん使われていない部屋だった。ニナを迎える前に家具は揃えたが、部屋が汚れすぎていて、置くに置けなかったのだ。ニナが掃除をしてくれたのだったな。そのお陰で、新しい家具を置くことができたのだ」

「いつから使われていなかったのですか」

「五代前の辺境伯が奥方を連れてきていたと聞いたが、それ以上の事は聞いてはいない」

「そんな昔からこの地は戦場でしたのね」

「戦争はもう起きない。次に気をつけなければならないのは盗賊だな。自衛団もできた。夜間の巡回も順番にしていくそうだ。ニナには痛く辛い思いをさせたが、ニナが襲われたことで、民が自ら、家族を守るために動き出している」

「そう、皆が協力してこの土地を安全な所にしようとしてくれるなら、私の怪我も無駄ではなかったのね。よかったわ」


 私がそう言うと、レインは私をしっかり抱いた。

 背中の痛む場所をずらして抱いてくれる優しさも嬉しいけれど、レインの温もりは、私の心に安心をくれる。


「俺はニナを傷つけたくはなかった。近くで守れなかった事が悔やまれて、エリザベス王女にいいように振り回されていた無駄な時間が悔やまれて仕方がないのだ」

「そんなに自分を責めないで、無駄だと思える時間でも、きっと和平のためには必要な時間だったんだ。

 私はレインの胸に身体を寄せて、私なりに甘える。

「あまりまだ動くな」というと、私をソファーに下ろした。

 メリッサさんは、私のドレスを運んできて、クロークルームに片付けていく。

 レインは運ばれてきたティーカップを飾り棚に片付けていく。

 やはり高価な物なのね。

 丁寧に片付けると、茶葉も並べておいてくれた。

 茶葉の入れ物も特別製なのか、薔薇の絵が描かれている。

 一品物のように見えるそれを美しく飾って、お菓子を飾るお皿も絵画のように並べて、最後に籠に入れられたティースプーンやフォーク、ナイフなどを下の段に置いた。

 この飾り棚は、ティーセットの為に用意された棚のようだ。

 とても高価そうで、見ているだけで、その美しさに目を奪われる。


「どうだ?美しいだろう?」

「使うのが惜しくなりますわ」

「いい物だが、所詮は道具に過ぎない。使ってやらねばこのティーカップもゴミになってしまう」

「いい物をありがとうございます」

「母上が集めていたアンティック物らしい。ずっと倉庫の中に片付けられていた物を持ってきた。使ってやってほしい」

「お母様の形見ではありませんか?」

「使う者がいなければ、ゴミになってしまうと言ったであろう。ニナが使ってくれたら、母上も喜ぶと思うぞ。万が一、割れてしまっても、俺は怒ったりしない。寿命がきたと思えば、それまでだ」

「大切に使わせていただきます」


 レインは微笑んだ。


「今度、茶を淹れてくれれば、それでいい」

「はい」

 メリッサさんは、行ったり来たりして、私の荷物を運び入れてくれている。


「どうだ?まだかかりそうか?」

「いいえ、お風呂に石鹸を入れたら終わりです」

 素早く、浴室に入っていく。


「それが終わったら、食事をしてから帰って行きなさい」

「レイン辺境伯、感謝いたします」

 メリッサさんは、丁寧にお辞儀をした。


「王妃様、荷物は似たような場所に置いてあります。こちらの部屋の方が広いので、分かりやすいと思います」

「ありがとう」


 メリッサさんは、私達の前に来ると「終わりました」と言って、お辞儀をした。


「ついでに、ダイニングに行ったら、この部屋に二人分の食事を運んでくれるように伝えてくれ」

「承知しました」

 メリッサさんは、お辞儀をすると部屋から出て行った。

 扉は閉められて、二人っきりになった。


「部屋を見せていただこうかしら」

 私は立ち上がると、クロークルームに入っていく。

「まあ、とても広いクロークルームね。ドレッサーまで置かれているなんて、この部屋だけでも住めそうだわ」

「欲しい物があれば言ってくれ」

「私には十分よ」

「次はお披露目会だな。ニナの実家に手紙を書かなくてはならないな」

「中央都市まで遠いもの。招待したら、迷惑を掛けてしまいそうよ」

「そうかもしれないが、来るか来ないはあちらの都合で、断られればそれまでだろう。無視をするわけにはいかない」

「それもそうね」


 お母様は、来たいというかもしれないけれど、お父様は面倒だと言いそうね。

 お兄様とお義姉様も私に感心を持っていないわ。きっと来ないわ。

 リリーは来て欲しくはないわね。


「疲れてはいないか?」

「私、今日は何もしていないのよ」


 今日は普段着のドレスを着ている。

 さすがにネグリジェ姿では人の目がある。


「昼からは少し眠るのだぞ」

「もう大丈夫なのに」

「駄目だ。まだ医師から許可が出ていない」


 本当に、真面目な人だ。

 レインは私の髪を撫でた。

 最近は下ろしてばかりいるから、長い髪が床を擦りそうだ。

 今日は天気がいい。

 窓は開けられているが、外の空気も暑くなってきた。

 いつの間にか初夏だ。

 メリッサさんは、衣替えもついでにしてくれたようだ。

 夏物のネグリジェが出ている。

 繊細なレースのガウンがあった。


「これは、素敵ね。レースの手編みかしら?作るのにも時間がかかりそうね。とても高そうだわ」

「ああ、それは俺の乳母が趣味で作っていた物だ。他にも種類があると思うよ」

「趣味で作っていたの?お店を出せば、かなりの高額の値段が付くわ」

「乳母は、将来の俺の妻に着てもらうために作っていたのだ。たくさんあるから、着てやってほしい」

「全部、私の為に?」

「ああ、もう乳母も亡くなったが、草葉の陰から見ているだろう」

「レインは愛されていたのね」

「ああ、恵まれていた」

「だから、優しいのね」

 レインは誇らしげに微笑んだ。その影で、私は自分の過去を思い出して寂しくなった。
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