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番外編   メアリー・カスカータ侯爵令嬢  地獄日々

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「この邸の当主は、ダイモン・トイフェル子爵様です。奥様は、デモネ奥様と言います」

「はい」

「お子様は、18歳のオグル坊ちゃんと16歳のアンヘルお嬢様がおります。貴方にはアンヘルお嬢様の侍女を申しつけます」

「はい」


 家令は、ゆっくり言葉を話してくれる。

 語学が苦手だった私は、一生懸命に聞き取りをしますが、よく分かりません。

 ただ、私がお世話をするのは、アンヘルお嬢様のようです。

 私のように、性格が歪んでいないことを、今はひたすら願っています。


「お言葉は、理解できましたか?」


 家令は、私の顔をじっと見ます。


「私はアンヘルお嬢様の侍女なります」


 そう答えたら、家令は一つ頷いた。


「では、お嬢様の元に案内します」

「お願いします」

「発音は悪いですが、聞き取れないわけではないので……ペルル様の紹介状がありますので、仕方がありませんね。早く、この国の言葉に慣れてください」

「……はい」


 早口の言葉は、壊滅的だわ。

 返事をしたけれど、理解はできていない。

 家令は、私を見て、溜息を零し、それから、歩いて行きます。

 その後を追うように私も歩いて行きます。

 洗濯場を教わり、リネン庫を教わり、キッチンを教わり、その度に紹介されて、「よろしくお願いします」と頭を下げる。

 頭を下げるたびに、私の中の自尊心が徐々に砕けていきます。

 もう、侯爵令嬢ではないと思うのです。

 二階に上がり、家令は扉をノックします。

 部屋の中から、メイド服を着た女性が扉を開けました。

 広いお部屋の中は、板張りですが、木製の調度品が並び、鏡台もベッドも机もあります。

 その部屋の中には、侍女が3人居ます。


「失礼いたします。新しいメイドを案内しております。今日から、アンヘルお嬢様の侍女をすることになったメアリーという娘です。異国の生まれで、言葉は苦手のようです。ゆっくりお話してくださると、伝わるしれません」

「そんな不自由な侍女など要りませんわ」

「ダイモン様から、そうするようにと承りました」

「お父様の指示なら、仕方がないわね」


 アンヘルお嬢様は、オレンジの髪と瞳をしていた。美人かどうかというと、どちらかというと、そうではない方であった。目はつり目で、お顔にはそばかすがたくさんある。お化粧をしていてもそばかすが目立つ。身につけているドレスは、一般的な物だ。私が身につけていた物より品質は悪いだろう。

 私はこの令嬢に仕えなければならないのだ。


「異国のメイドだって?」


 部屋の中に入ってきたのは、背の高い男性だ。


「オグル坊ちゃん」

「坊ちゃんは、もうよせ。幾つだと思っているんだ?」

「すみません。オグル様」

「それでいい」


 オグル様というのは、この邸の坊ちゃんだ。

 手が伸びてきて、私の顎を掴んだ。


「アンヘルより美人だな。肌も白くて、そばかすもない」


 不快に思っても、その手を振り払うことはできない。


「あら、お兄様、そのメイドが気に入ったのなら、差し上げても宜しいわよ。お言葉が不自由なんですって」

「全く分からないのか?」

「いいえ」と私は答えました。


 なんとなく言っていることは理解できました。


「言葉が通じるなら、問題はないだろう?名前は何という?」

「メアリーと申します」


 早く、その手を離しなさいよ。

 首が疲れてきたわ。


「メアリーね」


 オグル様は、やっと手を離してくれた。

 首が痛いわ。

 けれど、きっと、今動くのは不敬になるのよね?

 もし、私が反対の立場なら、間違いなく文句をつける場所だわ。

 もう、間違わないようにしなくては……。

 私には行く場所も後もない。


「では、お嬢様、お願いします」


 家令は、部屋から出て行った。


「では、メアリー。爪を磨いてみなさい」

「畏まりました」


 私はアンヘルお嬢様の前に行き、「失礼いたします」と声をかけて、ドレッサーに置かれた爪磨きのタオルを手に取る。

 荒く織った布が、爪を磨くのだ。


「お手を失礼いたします」


 私の侍女が言葉にしていた言葉を口にする。

 お嬢様は私の前に指を出した。

 その指は、節くれ立って決して美しい指ではなかった。

 爪の形もよくない。

 指の形が悪いので、どんなに綺麗に切っても、綺麗にならないのだろう。

 それでも、美しくなりたいと思うのは乙女心だ。

 私は一つずつ丁寧に爪を磨いていく。

 私自身の指の爪は、美しく輝いているけれど、アンヘルお嬢様の指はいくら磨いても、美しい艶が出てこない。

 爪に筋が入っているのだ。

 形もよくないので、私の爪のように綺麗にならない。


「あなた、綺麗な爪をしているのね?」

「いいえ」

「不快だわ」


 お嬢様は手を振り払って、拒絶なさった。


「お兄様、この侍女の爪を剥いでくださる?」

「おお。アンヘル、そんなことをしたら、父上に叱られるぞ」

「気にくわないのよ」

「ペンチは貸してやるが、剥ぐなら自分でやれ」


 早口の言葉に、私は言葉が分からずに、ただ立って、爪磨きの布を畳む。

 部屋の外にオルグ様が出ていき、直ぐに戻ってきた。

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