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18   大地君のお兄さん

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 わたしの体調は、今回は順調に回復していった。
 お腹の痛みも軽く、出血も止まってきた。
 週末が来る頃には、歩き回れるほどになってきた。
 貧血の薬と大地君の料理で、わたしの心も体も癒やされていった。

「明日、兄貴が来てくれるって」
「なにかお茶菓子とかいるかな?」
「花菜は療養中だ。兄貴も分かってて来るから、気を遣わなくていい」
「でも、緊張するわ。まだご両親にも会ってないのに、先にお兄さんに会ってしまっていいのかしら?」
「今回は仕事の依頼だ。兄だけど、仕事モードの兄ちゃんの迫力はすごいよ」
「怖いの?」
「いや、すごく優しい。普段の時は俺のこと蹴っ飛ばすけど、仕事相手にはめちゃくちゃ優しくて有名らしい」

 わたしは微笑んだ。
 大地君が蹴飛ばされている姿を想像すると、兄弟っていいなと思う。

「仲がいいのね」
「まあね。俺は兄貴達の玩具みたいな感じ?末っ子だから、仕方がないな」
「お兄さんとは、幾つ、歳が離れているの?」

 大地君は、わたしの体調が落ちつくまでお酒を飲まないと言って、夜のビールは止めている。麦茶を飲んで、居間のテーブルにグラスを置いた。

「1番上の兄貴とは10歳離れている。2番目の兄貴とは8歳離れている。二人とも、もう結婚しているから家から出ているよ。上の兄貴はわりと近くに住んでいる。2番目の兄貴は千葉に住んでいる」

 わたしは頷いた。都心で事務所を構えるのは大変だろう。



 土曜日の午後1時にチャイムが鳴った。
 約束の時間、ぴったりだ。
 大地君は、玄関に走っていった。
 わたしは普段着に薄化粧をして、居間で待っていた。

「すまないな、兄ちゃん」
「いや、いいよ。大地が言っていた、気になる女の子だろう。ようやく手に入れたんだ。手放すなよ」
「それは勿論」

 大地君のお兄さんは、優しそうな顔立ちをしていた。背も高く大地君とどこか雰囲気が似ている。

「初めまして、花菜と申します。今日は来ていただきましてありがとうございます」
「大地の兄の翔大です。顔を上げてください。体の調子はどうですか?」

 大地君はわたしの隣に座ると、頭を下げているわたしの背中を撫でて、「畏まらなくていいから」と耳打ちした。
 わたしは頭を上げると、大地君のお兄さん、翔大さんは、わたしの前に座っていた。

「ずいぶん良くなってきました」
「大地から、経過は聞いています。酷い目に遭いましたね」
「わたしが世間知らずだったから・・・・・・」

 すっと名刺をテーブルに置かれた。
 わたしはその名刺を受け取り、しっかり目を通していく。
 若瀬法律事務所 弁護士若瀬翔大と書かれている。

「医師法違反に母子保健法違反、病院と花菜さんを騙していた河村武史を訴えますか?」
「はい。わたしは妊娠したと分かった途端に、河村先輩に病院に連れられ、なんの説明も受けずに、堕胎されました。手術の後、赤ちゃんの週数を知らされ、自宅に戻ってから自分でネット検索して、不正な手術方法だと知りました。安定期に入りかけた赤ちゃんを殺されて、わたしは同意書に署名したことを後悔しました。同意書は診察を受ける前に書かされました。1週間後、診察されたとき、出血もお腹の痛さも普通だと言われましたが、わたしは不安で、セカンドオピニオンを大きな病院でしました。大地君が無知なわたしに、助言してくれたんです。診察したら、即入院になりました。再手術を受けました。
「ボイスレコーダーは聞かせてもらったよ」
「はい、ありがとうございます」
「花菜ちゃん、河村の事も話して」

 大地君が、わたしの手を握った。

「河村先輩とは歓迎会の夜に、お酒を飲まされて、家に送ると言われて送ってもらいました。わたしは泥酔していて、よく覚えていないのですが、朝、目覚めたら河村先輩が隣に眠っていました。わたしは裸でベッドが血で汚れていました。その日から、ずっと河村先輩はわたしのマンションに泊まっていました。仕事の資料を一緒に作ったりして。仕事場でも私生活でも、仕事を教えあげるからと言って、わたしの家に帰るのがあたりまえになっていったんです。毎日、居酒屋に行ってご飯を食べていました。わたしはお酒が苦手でしたから、お水を飲んで、河村先輩の頼んだ物を少しずつ小皿に分けてもらって食べていました。わたしの父はわたしが幼いときに亡くなっていて、わたしは男の人がどんな人なのか知らずに育ちました。男性とお付き合いもしたことがなくて、河村先輩みたいな人が男の人だと思っていました。だから、テレビやゲームが欲しいと言われたら、買って部屋に置きました。ご飯を食べさせてもらっているから、お礼のつもりだったのです。大地君からわたしを好きなら、わたしが嫌いなお酒を毎日飲みには行かないだろうって言われて、目が覚めました。家賃もわたしが全部払っていました。仕事先で。担当をわたしにして欲しいと言われた日に、河村先輩にわたしは捨てられました。その日、河村先輩は新人の女の子を連れてお酒を飲みに行っていました。わたしは捨てられるのが嫌でつけていたんですけど、結果的にその晩、河村先輩はわたしのマンションから、自分のスーツと着替えだけを持って出ていきました。別れたんですけど、新人の子のミスでわたしが作った書類が水浸しになって。朝一番に伺う予定で、前日の深夜、終電の出る寸前にできあがった書類でした。わたしは終電に乗り遅れそうだったので、保存もせずに帰ってしまいました。その日、わたしは一緒に謝罪すると言った河村先輩と一緒に、相手先の会社に向かいました。その日はとても体調が悪くて、吐き気がして、食べた物をすぐに吐いてしまうほどでした。相手先の会社から戻る途中に、また気分が悪くなって、コンビニ寄ってもらったんです。そうしたら、河村先輩は、わたしをドラックストアーに連れて行き、妊娠検査薬を今すぐに試して欲しいと言われました。妊娠検査薬では妊娠を示す二本線が出ました。河村先輩は堕ろしてくれと言いました。わたしも一人で育てる自信がなかったんです。だから承諾しました。会社に戻って、部長に書類を提出して、お昼休みに入るように言われた時に、すぐに堕ろしてくれる病院があるからと、食事は食べるなと言われて連れて行かれました。わたしには考える時間は与えてもらえませんでした。堕胎手術が終わって、自宅に戻って、やっとわたしは色々考える事ができたのです。河村先輩に認知してもらい養育費をもらえば、一人でも育てることは可能だったのだと気付いたときには、もう赤ちゃんはいませんでした」
「辛かったですね?」
「はい。気がつけば、泣いていました。大地君が支えてくれなければ、わたしの精神は壊れていたと思います」
「大地から河村が大学時代から女遊びが絶えなかった事も聞いています」

 翔大さんはわたしの話をすべて聞いてくれた。

「二度目の手術の事も大地から聞いています。二人を訴えますか?」
「はい。お願いします」

 わたしは深く頭を下げた。

「ここからは、大地の兄として、花菜さんに窺います」
「はい」
「大地の事を愛していますか?」
「兄ちゃん」
「大地は黙っていなさい」

 わたしは座布団から降りて、後ろに下がり、畳に頭が付くほど深く頭を下げた。

「初めてドキドキしました。初めて愛おしく感じました。初めて嬉しさを知りました。初めて安らぎをもらっています。わたしは今、初めてを大地君にたくさんもらっています。手術のための入籍で大地君のご家族には、不安しか与えないと思います。けれど見守っていただきたいと思います」
「兄ちゃん、前にも話したけど、俺は4年前の入社式で、花菜ちゃんに一目惚れしたんだ。4年間見守り続けてきた。河村にぼろぼろにされて弱っている花菜ちゃんに、猛烈なアタックをして、ようやく花菜ちゃんと一緒にいられるんだ。先に入籍したけど、俺たちは今、やっと恋愛を始めたばかりなんだ。見守っていてほしい」

 大地君は土下座をしているわたしの腕を引っ張り起こそうとするけど、わたしは頭を下げたまま、お兄さんの言葉を待った。

「大地の初恋の女の子だ。魚以外に興味がなかった大地が好きなった子は、どんな子かと思って来てみたけど、礼儀の正しい可愛い女の子だった。花菜さん、頭を上げなさい。騙された女の子は被害者だ。自分をこれ以上責めないようにしなさい。僕は応援してあげよう」

 わたしはやっと頭をあげた。

「ありがとうございます」
「兄ちゃん、ありがとう」
「父さん達には、この裁判の依頼内容は話さないよ。弁護士には守秘義務があるからね」
「ご迷惑をおかけします」

 またわたしは頭を下げた。

「花菜ちゃん、体に悪いから、座布団の上に戻って。足も崩していいから。兄ちゃんも花菜ちゃんは、まだ安静期間中なんだ、あまりストレスを与えるなよ」
「花菜さんの体調が良くなったら、親父達に紹介しておけよ。僕は入籍したことは話していないけど、黙っていたら心証が悪くなる。万が一気付かれたら、親父達の事だから、ここに乗り込んでくるぞ」
「わかった」
「うちにも遊びに来るといい。家内にも紹介しよう。女同士、相談したいことも出てくるだろう。せっかく家も近くだ。花菜さんの力にもなれるだろう」
「心遣い、ありがとうございます」

 わたしは、また頭を下げた。

「4年前、河村より先に、花菜さんを射止めておけば、花菜さんは泣かずに済んだはずだ。男は出遅れるなよ。守りたいと思った女は、しっかり守れ。いいか?大地」
「分かってるよ。出遅れた俺も悪かったんだ。でも、未練たらしく花菜ちゃんを追いかけていて良かったよ」
「大地君」

 大地君の手がわたしの手を握る。

「絶対に手を放さないから」
「大地君、ありがとう」

 わたしの涙腺は、赤ちゃんを亡くしてからずっと緩まっている。
 涙を拭いていると、大地君がわたしを抱きしめてくれた。

「邪魔そうだから、僕は帰るよ。書類を作成して始めて行く。示談にするか、叩きのめすかは追々相談しよう」

 わたしは頷いた。

「兄ちゃん、頼む」
「見送りしなくていいから、花菜さんを大事にしてやれ」
「そのつもりだ」
「じゃあな」

 そう言うと、お兄さんは帰っていった。
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