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17   母に紹介

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 わたしは家に着くと、まずシャワーを浴びた。
 病院では、継続点滴をしていたから入浴はできなかった。体は清拭してもらえたけれど、髪は洗えていない。温度が一定の室内にいても、毎日洗っていた髪を洗えないのは、かなりのストレスだった。髪を乾かし寝間着にもなる部屋着のワンピースに着替えて、やっと落ち着けた。
 大地君がご飯を作ってくれている。
 ラーメンに手作りのチャーシューをたくさん入れてくれた。卵は半熟だ。もやしもシャキシャキとして美味しい。

「久しぶりに美味しいご飯よ」

 わたしは、もう大地君のご飯に魅せられている。大地君のご飯じゃないと、美味しく思えない。

「ただのラーメンだ」
「そんなことない。このチャーシュー、すごく美味しいよ。もやしも卵も絶妙」

 大地君が笑っている。

「病院食、そんなに美味しくなかった?」
「薄味で、お魚が多くて、そのお魚が硬くて。ご飯ばかりが多かったわ。刻み野菜なんて、味もなくてウサギの餌かと思えたわ」
「へえ。貧血があるから肉とか出てくるかと思った」
「貧血の治療は薬だったから別物じゃないかな?妊婦さんはおやつがあったのよ」
「へえ、特別待遇?」

 わたしは頷いた。

「フルーツポンチとかプリンとか」
「食べたかったんだな?」

 大地君がまた笑った。

「うん。美味しそうに見えた」
「個室だったのに、別の部屋の事が分かったのか?」
「うん。お茶をもらいに部屋から出たら、おやつの時間だったの。配られているのを見て、欲しいなって思ってた」
「言ってくれたら、買っていったのに」
「人の物を欲しがったらいけませんって、母によく言われていたから。我が儘だと思ったの」

 ラーメンを食べ干すと、大地君が冷蔵庫からプリンを出してきた。

「退院祝い」

 ふたつのプリンをわたしの前に置いた。

「食べられなかった分と、今日の分」
「大地君も一緒に食べよう」

 わたしは1コを大地君の前に置いた。

「一緒に食べた方が、きっと美味しいよ」
「んじゃ、一緒に食べよう」

 わたしは大地君と一緒にプリンを食べた。
 ああ、美味しい。

「これからの食費の事だけど、もう家賃は払わなくていいから、一つ通帳を作って、そこに生活費を決まった額入れていこうよ」
「俺、花菜ちゃんを養うつもりでいたけど」
「わたしも働いているもの」
「花菜ちゃんの給料は、将来、子供が生まれて専業主婦になったときの、小遣いにすればいい」
「わたしが専業主婦?」
「仕事続けるつもりでいた?」
「うん」
「子育ては大変だと思うよ。まあ、子供が生まれるまでは、働いたらいいよ。順番に考えていこう」
「でも、営業部の給料、そんなに高くないよ。わたしを養えるほどもらってないと思うけど」

 わたしは自分の給料で計算してみる。子供を望むなら共働きだし、子育てをするなら、やはり足りなくなりそうな気がした。

「営業部のエースより、俺の方が基本給いいと思うぜ。俺、研究部の給料で雇われているんだ。お試しで営業部にいるけど、本当の籍は研究部なんだ。週の半分は研究部にいるよ」
「そうなの?」
「気付いていなかったんだな?」
「うん。いつも営業部にいるような気がしていた」
「しょっちゅう呼び出されていたから、毎日、営業部には顔を出していたけどね。そろそろ本業に専念させてもらおうかと思っているんだ。営業部との兼業は効率が悪くてね。営業部には花菜ちゃんの顔を見に行っていただけだからね。だから俺の営業部の成績はいつも底辺だっただろう?底辺にいても部長は、俺を叱れないんだ。社長の息のかかった特別な社員だから」
「よく分からないけど、大地君は社長の命令で営業部を手伝っていただけ?」
「命令じゃなくて、お願いだね」

 大地君がニッと笑った。

「大地君と社長は釣り仲間だけど、それ以外に何か付き合いがあるの?」
「社長が会社の株をかけて、小学生の俺と勝負をしたんだ。社長が持っている株式の殆どを、俺は社長から奪ったのさ」
「え?」

 大地君が思い出し笑いをしだした。

「小学生にまさか負けると思っていなかったんだろうな。勝ったら会社をやろうって誘われたんだ。社長には子供がいなくて、俺を養子に欲しいと俺の父親に頼んでいたけど、毎回断られていたな。そこで社長は無謀な賭けをしてきたんだ。1日で鰺を何匹釣れるか勝負だ!って。俺は若いから体力が有り余っているけど、社長はもう歳だ。どんなに頑張っても小学生の高学年の体力には勝てない。俺は圧勝した。釣り仲間はみんな証人だ。会社の株券の殆どを俺が持っている。社長を代われと言えば、社長はすぐに引退するだろう。ただ俺は面倒だし、遊びだったから株券は返すつもりだったけど、社長が大学院に進んだ俺を後継者として引き抜いた。研究部に籍を置いて、営業部にも出入りさせているのは、会社の仕組みを学ばせるためなんだ。社長は本気で俺に、ここを継がせるつもりでいる」
「大地君、社長になるの?」
「まだ先の話だけど、そろそろ社長の仕事も覚えろと言われそうな気もする。結婚の報告もしたしね」

 わたしはあまりに大きな話に、ポカンとして話を聞いていた。

「だから、専業主婦でいいんだよ。今の給料は貯金しておけ」
「でも、大地君、すごく節約していたから、お金に困っているのかと思っていたの」
「家を建てたかったんだ。家族で住める一軒家が欲しかったんだ。だから節約していた」

 わたしは頷いた。

「どこに建てるの?」
「まだ考えてない」
「お爺ちゃんなら、ここに建てろと言いそうだけど」
「ここは小次郎爺ちゃんの家だ。でも、花菜ちゃんと結婚したと知ったら、小次郎爺ちゃんなら言いそうな気もする」

 遺産分与で、わたしはこの土地をもらう権利が出てくる。

「ま、そういうことだから、花菜ちゃんは俺のお嫁さんをしてくれたらいいよ。ご飯は俺が作るし、洗濯物は花菜ちゃんがしてくれたらいい。今まで通りと変わらないよ」
「ご飯はわたしが作ったら駄目なの?」
「駄目ではないけど、練習したい?」
「うん」

 大地君が嬉しそうに笑った。

「それなら、体調が良くなったら、少しずつ教えるね」
「ありがとう」

 家のチャイムが鳴った。

「あ、俺が出るよ」

 わたしは食べ終わった食器を台所に運んで、さっと洗う。



「はじめまして、父に聞いて来ました。不在中に父がお世話になりました」

 なかなか家の中に入ってこない大地君を、追いかけるように玄関に行くと母がいた。

「お母さん、お帰り。家に入ってお話したらいいのに」
「それもそうね」

 母は、玄関を上がって、まずは仏間に入りお参りをする。
 その後、居間のテーブルの前に座った。
 わたしは冷蔵庫の中からお茶を出して、グラスに注ぐ。お盆に載せて、居間のテーブルに置いた。

「ありがとう、花菜」
「暑かったでしょう?」
「そうね」
「お仕事は順調に終わったの?」
「お正月に放映される新作のアニメ制作の打ち合わせよ。思ったより時間がかかって迷惑をかけたわ」
「大地君が、すごく手伝ってくれたの」
「お父さんから聞いているわ。ここに部屋を貸しているって。花菜の事も頼んでいるって言っていたわ。風邪は治ったの?」
「うん。お爺ちゃんに移すといけないと思って、大地君にお任せしたの」
「若瀬さん、本当にお世話になりました」
「いいえ、小次郎爺ちゃんは僕の釣り仲間で、子供の頃から世話になって来ましたから」

 大地君は頭を下げる母に、お爺ちゃんと特別な仲間だと告げた。

「あの、お母さん。話があるの」

 わたしは結婚をしたことを話そうとした。
 その前に、大地君の手がわたしに触れて、離れていった。

「ご挨拶もしてないのに、僕は花菜さんと籍を入れました」
「は?」

 お母さんの表情が、硬直した。

「大地君とは、職場が同じで、4年前からの知り合いだったの」
「職場結婚ってことかしら?」
「ここに尋ねてきたとき、大地君がいて驚いたんだけど、一緒に住んでいるうちに、結婚してもいいかなって思えるようになったの」
「花菜さんを一生大切にします」

 お母さんは、わたしの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

「花菜がいいと思う人と結婚してもいいけれど、少し早くないかしら?」
「4年前から、花菜さんを想っていました」
「花菜は?」
「わたしも優しい人だと思っていたの」
「家からこの家に連れて来たのはお母さんだから、文句は言えないわ。お互いに想い合っているなら許します。若瀬さんのご両親には、挨拶をしたの?」
「まだです」
「順番が逆になってすみませんとお詫びもするのよ」
「はい」

 お母さんはお茶を飲んで、「帰るわ」と立ち上がった。

「お母さん、黙って入籍してごめんなさい」
「怒ってはいないわ。いい子ちゃんの花菜が、珍しく私の許可なく入籍したことに驚いただけよ。28歳ですからね。もう立派な大人になったのね」
「ありがとう」
「若瀬さん、花菜をよろしくお願いします」

 お母さんは、大地君に頭を下げた。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 大地君も礼儀正しくお辞儀をした。
 お母さんは微笑んで帰って行った。
 空は青かった。梅雨前なのに、夏のような暑さだ。
 背後から大地君がわたしを包みこんだ。

「花菜、少し休もう。倒れたら大変だから」
「誤魔化してくれてありがとう」
「一生、話さないよ。花菜のお母さんにとって、花菜はきっと宝物だ。今回のことを知れば悲しむと思う」
「一生の秘密にしてほしい」
「最善を尽くすよ」
「ありがとう」
「小次郎爺ちゃんは、日曜日に花菜の調子が良ければ報告しよう」
「うん」

 わたしは自分の部屋に布団を敷かれた。

「夜ご飯には起こすよ」
「うん。少し寝るね」
「おやすみ」
「おやすみ」

 額にキスされて、わたしは微笑んだ。
 照れくさくて、恥ずかしい。
 大地君は掛布のタオルケットを捲った。
 布団に横になると、タオルケットを掛けてくれる。

「気分が悪くなるといけないから、スマホを置いておくよ」
「うん」

 わたしのバックからスマホを取り出して、枕元に置いた。

「ありがとう」
「また後で」
「うん」

 大地君は、わたしを寝かせると、部屋から出て行った。
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