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8   柔軟剤

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 お揃いのお弁当の入った弁当箱を鞄に入れて、お茶も水筒に入れてきた。
 まるで高校生時代に戻ったようだ。弁当は高校の3年間だけ、持っていっていた。
 母が毎朝、朝食のおかずをそのまま入れた、簡単な弁当だった。
 仕事が忙しい母の愚痴の一つだった。
 食堂のある学校を選ぶべきだったと、何度も聞いた。それでも、その高校に入れと言ったのは、母だから母は3年間だけ弁当を作ってくれた。仕事の繁盛記はコンビニでおにぎりを買って過ごした。
 母子家庭で人気作画家の母の弁当を食べたがった者は多かったが、わたしは母が作った物は、誰にもあげなかった。貴重な時間を割いて、作ってくれる弁当には、たくさんの愛情がこもっていることを知っていたから。
 今朝、大地君が作ってくれた弁当にも、大地君の愛情が込められている。弁当箱の形が違うから、パッと見て、同じ物だとは分からないだろうけれど、食べるときは気をつけようと思った。
 大地君と同居しているのは内緒だからだ。
 今日も満員電車の中で、大地君はわたしを端に寄せて、潰されないように守ってくれる。

「ありがとう」

 小さな声でお礼を言うと、大地君はニッと笑う。
 目的駅に到着すると、人が流れるように出て行く。
 この駅の周りは大きな会社が集まっている。
 地下鉄も在来線もあるから、人は分散されているのだろうけれど、毎日の通勤は大変だ。
 会社までは、徒歩で10分くらいだ。走れば、もうちょっと早くなるかもしれないが、わたしは歩いて行く。
 今日はお弁当を持っているからか、歩くのも楽しい。
 早く、お昼にならないかな?



 お昼休み、殆どの社員は社員食堂に向かう。わたしも今まで社員食堂を使っていたが、今日からはお弁当だ。
 フロアーにはお弁当組が、結構いた。
 大地君の机の周りには、女の子たちが集まりわいわいしている。

「大地君のお弁当、美味しそうね?自分で作っているんでしょう?」
「そうだよ」
「一つ交換しない?」
「しない」
「なんで?私も手作りよ」
「俺の弁当はカロリー計算して作っているんだ。悪いね」

 そうなの?
 わたしはお弁当を開けて、首を傾けた。
 カロリー計算って、何カロリーだろう?
 今夜、聞いてみよう。
 綺麗な卵焼きが美味しそう。レタスの上には生姜焼きのお肉が入っている。ポテトサラダにトマト。確かに健康的だ。2段目のお弁当には、半分にご飯が詰められ、ゆかりがかけてある。小食のわたし用なのだろ。ご飯の横には、オレンジが切って並んでいる。
 わたしは嬉しくて、お弁当を食べ始めた。

「よう!弁当を作るようになったのか?」
「村上先輩!」
「俺も弁当組なんだ。河村には弁当は作ってやらなかったのに、蒼井は料理できたんだな?」
「・・・・・・え?」
「手作り弁当も作ってくれない奴だって、いつも愚痴っていたからな」
「もう終わったことです」
「そうだな、すまない。蒼井が弁当なんて珍しく似合わない物を食べてるからさ、邪魔したな」

 村上先輩も弁当なのか、自分のデスクに着いて弁当を広げだした。
 一人かと思ったら、隣の席の新入社員の女の子、遠藤有紀が一緒に弁当を広げていた。
 仲がいいんだ、この二人。知らなかった。
 わたしは目をそらして、その弁当の中を覗こうとはしなかった。
 やはり料理ができない奴だと愚痴られていたのか・・・・・・。
 この歳で料理ができないなんて致命的なのだろう。
 仕事の事がなくても、きっとフラれていたのだろう。仕事のことは、一つのきっかけだったのかもしれない。
 料理の練習をしよう・・・・・・。
 大地君の弁当は、とても美味しかった。デザートのオレンジが、口をさっぱりさせてくれる。
 弁当箱を片付けて、水筒のお茶を飲む。冷たくて美味しい。
 歯磨きとメイク直しをするために、ポーチを持って歩いて行く。

「蒼井さんもお弁当組ですか?良かったら、明日からご一緒しますか?」

 大地君の取り巻きが声をかけてきた。

「お邪魔したら悪いから」
「あら、蒼井さんと岩瀬君、なんだか同じにおいしない?」
「柔軟剤の香りじゃないかしら?」
「たまたま偶然、同じ柔軟剤なんだろう?」

 大地君が、言葉の出ないわたし代わって、当たり障りのない返答をした。

「どこのメーカーのどんな香りですか?」
「覚えてねえよ」
「蒼井さんは?」
「安かった物を買ったから、覚えてないわ」
「蒼井さんなら値段なんか考えずに、好きな香りを選ぶと思っていたのに、バーゲン品を買ったりするんですか?」
 今までは、好きな香りで買っていたけれど・・・・・・。
 他人のわたしの評価は、どんな贅沢な生活をしていると思われているのだろう?

「蒼井さんって、いつも綺麗だし、洋服もセンス良くって、素敵な恋人がいるんだと思っていたんですけど、どんな彼氏ですか?」
「彼氏はいないわ。それでは」

 わたしは頭を下げると、急いでトイレに逃げ込んだ。
 ここも時間になると混み出す。
 先に歯磨きと化粧直しをして、個室に入る。

「蒼井さん、河村さんとお付き合いをしているって、ずっと噂になっているのを知らないのかしら?」
「いないなんて言ったって、みんな知ってるわよね」
「美人だからって、図々しいのよ」
「誘ってみたけど、本気でお弁当を一緒に食べるつもりなんてないわよ」
「若瀬君に毒牙を向けられたら大変ですもの」
「若瀬君は、私達が守るわ」

 話していた二人が個室に入ったので、わたしは急いで個室から出て、トイレから走って逃げた。
 わたしって、悪女だと思われているの?
 武史と付き合っていたことも、みんな知っているのね・・・・・・。
 大地君は知っていたのかしら?
 午後からの仕事は集中できずに、ミスが続いた。

「蒼井君、計算ミスだ。今日はどこか悪いのか?こんな単純なミスをしたまま提出するな」
「すみません」

 部長に叱られて、デスクに戻ってもわたしをフォローしてくれる人はいない。
 柔軟剤、別の物に替えた方がいいのかな?
 でも、洗濯を2回することになって、水道代がかかってくるよね。
 大地君なら無駄だって言うよね?
 どうしよう。
 その日、わたしは仕事が終わらなくて、新人指導の後に残って午後からの資料作りをした。できあがったのは、終電間際だった。
 静かに家に入っていったら、居間に大地君がいた。

「こんな時間まで何してたんだよ?」
「仕事が終わらなくて、新人指導の後に残って片付けてきたの」
「1班は誰も手伝ってくれないのかよ?」
「河村先輩から、わたしが仕事を奪ったって思われているの。河村先輩が見捨てたわたしを、手伝ってくれる人はいないわ」

 わたしは鞄を置きに部屋に向かう。

「ご飯、温めて置くからすぐに来いよ」
「ありがとう」

 わたしは鞄を置くと、上着を脱いでスーツのまま洗面所で手を洗い、うがいをするとテーブルの上に載っているご飯を食べた。

「片付けておくから先に寝ていていいよ」
「柔軟剤のこと、気にするな。今まで通りでいいからな。間違っても二度も洗濯するなよ」
「うん」

 そう言うと、大地君は部屋に行った。
 食事を終えると、部屋に置いた鞄から弁当箱と水筒を持ってきて、食器と一緒に洗った。
 シャワーを浴びて、洗濯をしたら3時だった。
 心が重くて、その晩は眠れなかった。
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