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29 頭の傷
しおりを挟む宮殿に戻り、わたしは皇帝陛下に謁見を申し出た。
クラクシオン様はわたしを部屋に送ると、皇帝陛下の謁見のお願いに出掛けるという。
その代わりに、メイドが部屋に入る。
わたしを一人に絶対にさせない配慮がされているようだ。
この部屋にペリオドス様がいらっしゃると怖いので、とても助かります。
「ゆっくりしていなさい」
「はい」
優しいお言葉を残して、クラクシオン様は部屋を出て行かれた。
わたしは窓辺のカウチに座った。
窓辺の出窓には、アネモネの花が飾られている。
毎朝、クラクシオン様が新しいお花を摘んできてくださいます。毎朝、一本ずつ。萎れてきた花と入れ替えていきます。なので、いつも綺麗なアネモネが生けられています。
メイドが冷やした果実水をグラスに注いでくれた。
「外は暑かったでしょう。水分はしっかり取ってくださいね」
「ありがとう」
とても口当たりのいい飲み物だ。
冷たいのも口当たりがいいので、おかわりももらった。
この部屋には、冷蔵庫があるようだ。
ドゥオーモ王国で執務をしているときに、カタログで見たことがある。
キッチンのシェフが、食中毒の予防のために、大型の冷蔵庫が欲しいと要望を出してきたことがあった。
確かに夏などは特に、食べ物を購入しても、保存ができずに困っていたようだった。帝国に修行に出ていたシェフが、帝国では一般的に使われている物だからと申し出があったのだ。
帝国からカタログを取り寄せて、予算を組んだ事がある。
部屋に置くための小さな物もカタログに載っていたが、ドゥオーモ王国はそれほど裕福な国ではなかった。
大きな企業があるわけでもなく、農地が殆どだ。
コメや小麦を主に作り、それを輸出していた。
国益の殆どは、農産物だった。
国家予算でキッチンに冷蔵庫を入れることにしてもらい、残りの予算でいろいろ振り分けた時期もあった。
冷蔵庫を個人の部屋に置けるだけの予算があるのは、さすがに素晴らしいと思う。
ドゥオーモ王国ももっと産業を増やすべきだった。
わたしが国務を行い始めたのは、11歳の頃からだった。
田畑に水が湧き、その水源を元に川を作り、池も作った。元々、川魚の養殖場を作る予定だったので、その池を養殖場にした。
田圃に水を与えやすいように、川から小川を作り、水田も作れるようになった。
毎年、洪水が起こり、田畑が流され、民の家も同じように流されることが多かった。
そこで考えたのが、ダムと堤防を作ることだ。
わたしは他国の事例を参考にして、設計図を作成した。
そして、約2年かかって完成した。
洪水予防のダムと堤防を作ったのは、田畑を守ることが第一であった。
次は林業も始めて、木材加工をする予定であった。
少しずつドゥオーモ王国は発展し始めてきていた。その国をわたしは捨てたのだ。
もう王太子妃ではなくなった。
そうして、わたしは独身になったが、クラクシオン様と婚約をしようと思う。
わたしを愛してくれるクラクシオン様を信じて、わたしも心のままにクラクシオン様を愛したい。そう思えるようになった。
記憶を無くして覚えていない頃の事は、クラクシオン様が教えてくださると言ってくださいました。
わたしの記憶は、きっと戻らないと思うのです。
記憶を無くしてから、もう11年です。
命は母様がわたしを抱えて守ってくださいました。
母様も酷い怪我をして、命を落としてしまったのに。
わたしの怪我がどのようだったのかも知る者は、おそらくドゥオーモ王国の国王陛下だけです。あと、わたしを保護していたノンブル侯爵でしょうか?
何日で意識が戻ったのか。
どれほどの傷だったのか?
「カリタ」
「はい」
わたしはメイドの名前を呼んだ。
「どうされましたか?」
「少し、聞きたいことがあって」
「何でしょうか?」
「カリタは、わたしの頭を洗ってくださいましたね?」
「はい」
「わたしの頭に大きな傷跡はありませんでしたか?」
「恐れながら、お嬢様の頭に、大きな傷跡はあります。この間の傷ではなく、過去の傷跡だと思われます」
「どの辺りですか?」
「触れても、宜しいでしょうか?」
「はい、教えてください」
「髪が長いので、見た目には分かりませんが、頭を洗うときに、見えますので」
カリタは、指で、わたしの頭を撫でていきます。
「けっこう大きな傷なのね」
「はい、初めて拝見したときは、驚きました。頭痛などはございませんか?」
「頭痛はないです。その傷が幼い頃の事故の傷なのね」
カリタが指でなぞった傷跡は、頭を半分にするほどだった。
生きていた事が奇跡なのだろうか?
わたしにはメイドがいなかった。唯一、王妃様の手下のコレルも、わたしの頭を洗った事はなかった。
わたしは5歳の頃から、自分の事は自分でしてきた。
それは誰かに、その傷を見せない為だったのかもしれないと思った。
王妃様の意地悪だと思っていたが、隠すためだとしたら、それを指示したのは、おそらく国王陛下だ。
わたしが帝国の皇帝の姪だと知っていたから。
人質にしたければ、隠した可能性が高い。
信じていただけに、国王陛下の裏切りは、やはり辛い。
儚くなった母の遺体は、帝国に戻された。その時に、わたしも引き渡していたら、父様はわたしを探すために時間を使うことはなかった。
一番の極悪人は、国王陛下になる。
王妃様は、その事を知っていたのだろうか?
人質だと分かっていれば、ペリオドス様と結婚させて、白い結婚ではなく、本当の夫婦にさせてしまえば、無理矢理にでも帝国と姻戚になれたはずだ。
ならば、知らなかったのだろうか?
ひょっとしたら、国王陛下の子供だと思っていた可能性もある。
そこにあるのは、嫉妬。
国王陛下は王妃様を愛してはいらっしゃらなかった。
仲良くしていらっしゃる姿は、公務の時以外はなかった。
公務の時は、繕っていた可能性が高い。
わたしは第二夫人とは会ったことはない。
その子供達とも会ったことはない。
名前すら知らない。
同じ王宮内にいても、彼女たちは離宮に住み、本邸には来なかった。
わたしは本邸の部屋から出てはいけないと言われていた。
素直に言うことを聞いていたから、罰は受けなかったが、ペリオドス様のように落ち着きのない子だったら、もしかしたら、塔の上に幽閉されていた可能性もある。
今さながらに、怖くなってくる。
もう、戻る事はないと分かっていても、震えてくる。
ふと、体が揺れる。
目の前が暗くなる。
貧血かしら?
「お嬢様、お顔の色がよくないですわ。ベッドに横になりましょう」
「大丈夫よ」
「アロージョ医師からの指示なので、お願いします」
カリタは強引だった。
わたしを抱き上げて、ベッドに運んでしまう。
カリタはわたしよりも少し背が高いくらいなのに、簡単に抱き上げてしまうなんて、わたしはそんなに軽いのかしら?
そうとは思わないけれど。
「カリタ、重いでしょう?わたし、ちゃんと歩けますわ」
「お嬢様は軽すぎです。もっと食事をしっかり食べて、よく寝なくてはいけませんよ」
「わたし、この後、皇帝陛下に謁見をお願いしておりますのよ」
「それなら、それまでお休みください」
「分かったわ。でも、クラクシオン様がいらしたら起こしてくださいね」
「分かりました」
仕方なく、ベッドから下りることは断念した。
目眩がしていたのは、確かだ。
まだ疲れが取れていないのだろうか?
ドゥオーモ王国での暮らしは、命を削るような生活だったことは分かっている。
まさか、まだ目の下に隈があるのかしら。
だとしたら、早く、体の疲れを取らなくては、あの顔はさすがにみっともないわ。
わたしは、カリタの気配を感じながら、うつらうつらと眠りに落ちていった。
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