裸足のシンデレラ

綾月百花   

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第十四章

3   暑い夏の夜

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 夏の親睦会がやって来た。

 わたくしは、産後4ヶ月だ。

 母乳は出ない。

 体型も戻した。

 エステに通い、荒れた肌の手入れもしている。

 わたくしは21歳に見えるだろうか?

 卵巣には、成熟した卵子が排卵を迎えようとしている。

 予定通り明日、排卵する。

 雅人は有喜の母に預けてきた。

 有喜は渋ったが、粉ミルクで育っているので、わたくしの手はそれほどいらない。

 遊んでくれる人が多い方が、雅人も喜ぶ。

 生後4ヶ月なので、まだ母追いはしない。

 わたくしの代わりに抱いてくれるので、それで雅人も満足しているようだ。


「今年はお酒を飲んでもいいですよ」

「有喜も飲み比べに出ればいいわ。わたくしも久しぶりにお友達と過ごしたいし、楽しみね」

「そうですね」


 有喜は、いつまで経ってもわたくしに敬語で話す。

 一時期はわたくしに冷たくしていた頃は、わたくしを呼び捨てにしたり、貶んだ言葉を投げかけていたりしていたけれど、雅人が生まれてからは、昔の有喜に戻った。

 わたくしに敬語で話し、敬い優しくしてくれる。

 わたくし達の部屋はスイートルームだった。ダブルベッドが二つ並んでいる。部屋に温泉があるのは嬉しい。

 ゆっくり温泉に浸かってゆったりするのも久しぶりだ。

 有喜も雅人の夜泣きで疲れているのか、部屋に入ると眠ってしまった。

 親睦会の1日目は、光輝のスピーチがあり、食事会だ。

 2日目はダンスパーティーだ。

 3日目が花火大会だ。

 4日目もダンスパーティーで5日目から自由になる。帰宅する者も出てくる。

 ホテルの貸し出しは6日目の14時までにチェクアウトになる。

 その後ホテルは、一斉に清掃に入り、翌日から平常業務になる。

 なかなかハードだから、持ち回りになっているのだけれど、光輝の所の赤ちゃんが小さいので、近場に設定されている。


 できれば来年もここがいい。

 海辺に出てまだ浜辺に小屋があることを確認した。

 夕方になり有喜を起こした。

 パーティーの支度をしなくてはならない。

 男性はタキシードを着るだけなので、楽だと思うけれど、汗もかいているようなので、パーティーの前にシャワーくらいは浴びたいだろうと思った。


「有喜、そろそろ準備をなさった方がいいと思うけれど」


 ユサユサと体を揺すると、有喜はぼんやりと目を開けた。


「桜子さん、雅人が泣いてるの?」


 どうやら寝ぼけているようだ。

 キョロキョロと雅人を探している。


「ここは、ホテルよ。雅人はお留守番でしょ?」

「そうでした」


 髪を掻き上げて、汗をかいているのに気付いたようだ。


「シャワーを浴びた方がいいかと思って起こしたのよ。行っていらして」

「ありがとう。桜子さん」


 有喜は起き上がると、シャワーを浴びに行った。

 わたくしは有喜の下着を出して、浴室の篭の中に入れておいた。

 それから、自分の支度を始めた。

 久しぶりにドレスを着る。

 シルバーの輝くドレスを着た。

 スタイルが良くなくては着られない物だ。

 産後に着られる物ではない。けれど、わたくしは完全に体型を戻した。

 メイクも念入りにして、シャワーから出てきた有喜が、わたくしに見とれている。


「桜子さん、とても美しいです」

「あなたの妻よ。自慢なさいな」

「そうですね」


 有喜は久しぶりにわたくしを抱きしめた。

 この計画を成功させるためには、有喜とも抱き合わなくてはならない。

 産後、一度も抱き合っていないので、今夜か明後日に抱き合わなくてはならない。

 わたくしは、明日のダンスパーティーの後は、友人と過ごすと予め話してある。

 泊まってくるかもしれないと言っておいたので、朝帰りをしても文句は言われないだろうし、探されることもないだろう。

 準備ができたので、パーティー会場に向かった。

 いつもと代わり映えのない会場内で、総帥の席にまだ光輝の姿はない。

 わたくしの席は、有喜の友人がいる席の近くだ。有喜の友人は、もう子供が多くて、家族で座っている。

 相席になるのは、有喜の会社に勤める若手になる。

 去年まで独り身だったのに、今年は彼女を連れて来ている。

 お見合いをしたらしい。

 現在交際中のようで、初々しい。

 わたくしのように、交際時期が長くなると、色々とこじらせてしまう。

 さっさと結婚した方が、きっと上手くいくと思う。

 わたくしの席は、雅人と雅人の世話役の席も用意されていたので、只今、熱々恋愛中の部下と4人で座ることになった。

 光輝が美緒と会場に入ってきた。

 相変わらず、美緒は痩せているけれど、スタイルも良く美人だ。

 黒服が二人傍にいる。

 護衛が付いているのだろう。

 パーティーが始まって、光輝のスピーチの後、乾杯があった。

 その後、好きな料理を取りに行く。

 食事を取りに行く前に、わたくし達は総帥の席に寄った。

 まだ面談の列もできてはなかったので、先に挨拶はしておきたかった。


「総帥、雅人が生まれた時はお祝いをありがとうございました」


 有喜が深く頭を下げたので、わたくしも一緒に頭を下げる。

 光輝と美緒が、有喜を見た後に、わたくしをじっと見た。


「出産して、もう体型が戻ったのか?桜子、以前より美しくなったな」

「ありがとう。光輝に褒められたのは、はじめてかしら?」

「それで、子供はどうした?」

「うちの母が預かってくれると言うのでお願いしてきました」


 有喜はテレながら、ポケットからスマホを出すと、雅人の写真を光輝と美緒に見せた。


「可愛いじゃないか?桜子似か?」

「男の子ですけれど、桜子さんにそっくりで、可愛くて仕方がありません」


 相変わらず、有喜は惚気ている。


「やっと桜子も落ち着いて、有喜も安心しただろう?」

「ええ、それはもう。やっと夫婦になれた感じがします。先ほども……」


 話、長過ぎでしょう?

 起こされたのが、そんなに嬉しかったの?

 汗をかいているから、シャワーを浴びてきたらと言われたこともまで話している。

 光輝と美緒は、微笑みながら頷いている。


「美緒の子は?置いて来たの?」

「連れてきているけれど、部屋で留守番をしているの」


 美緒は以前より美しく総帥の妻らしく堂々とした話し方で返事をした。

 出会った頃よりも、大学の学年が上がるように、美緒も成長していって、弁護士事務所に勤めるようになってからは、言葉に力を持つように変わっていった。

 仕事を辞めても、身につけたスキルは生かされている。

 お洒落もお化粧も上達して、ヘアーアレンジも教えた以上に上手になっている。

 少し腹立たしさも感じるが、もう光輝に関わらないと決めたので、美緒とも最低限の付き合いしかしてやらない。


「それでは」

「総帥、それでは失礼いたします」


 1日目はバイキングで、あちこちでお肉が焼かれて、お客をもてなしている。

 振る舞われるお酒も美味しい物が揃えられている。

 わたくしは、お酒は飲まなかった。


「有喜は飲みなさいな」

「桜子さんも飲んで構わないですよ」

「あまり飲みたいと思わなくて」


 料理を取って無糖炭酸水をもらうと、テーブル席で食事をする。

 今日も美味しいお肉を使っている。

 1日目の夕食バイキングは、毎年、お肉が一番美味しい。

 高級肉のステーキをふんだんに振る舞われる。

 人気メニューの一つだ。



「有喜、お肉がもっと食べたいわ」

「すぐに持ってきます」


 有喜は昔と変わらず、従順だ。

 一人で並びに行ってくれた。

 お肉をたっぷり食べた後で、有喜の友人達に挨拶に行く。

 有喜はお酒を勧められて、一緒に飲んでいる。

 子供達は子供達で集まって、遊んでいる。

 ある程度成長すると手がかからなくなりそうだ。

 話を聞いていると、1歳で水泳を習わせて、2歳で英会話スクールに入れて、勉強も始めるようだ。

 もう塾に入れなければならないと話している。

 3歳に幼稚園のお受験があるそうだ。

 5歳までに、武術を習わせないと手遅れになると言われた。

 早い家は、3歳から武術を習わせるらしい。

 合気道、柔道、空手、剣道……。

 武術は最低2つも有段者にならなければならないらしい。

 男の子の育児は大変のようだ。

 円城寺家の男子は武術と水泳はできなくてはならなくて、頭も賢くなければならないらしい。

 有名私立大付属の幼稚園からエスカレーター式に上がって行くのは、一番楽だと言われたが、とても倍率が高く、小学校も中学校も高校も、もちろん大学も学力が付いていかなければ、振り落とされるらしい。

 美緒が通っていた大学やT大に入れるレベルがなくては、円城寺家では笑いものにされるらしい。

 幼稚園に入る前から大学受験の心配をしなければならないらしい。


「有喜、家庭教師をお願いするわ」


 有名お嬢様学校に幼稚園の頃から入っていたわたくしには、できないだろう。

 わたくしの大学の学部は家政科だ。

 家政科の専攻でも、わたくしはビュティー科を選んだので、お化粧やネイルの勉強しかしてこなかった。

 たいした試験もなかったので、美緒が一生懸命に勉強をしている姿を見て、バカみたいとと思っていたのだ。



「すぐに探しますね」


 そういう有喜は、そう言えば、T大出身だったなと思い出した。

 有喜は、その晩、友人達とお酒を飲みに出かけた。

 翌日、昼帰りをした有喜は、眠ってしまった。

 わたくしは、朝食も昼食も一人で食事に行った。

 友達と会って話す内容も、子育ての話だった。


「男の子の子育ては大変なのよ。でも男子を望まれるのよ」と、同じ大学に通っていた友人は愚痴をこぼしていた。

 彼女の家庭も、赤ん坊の頃から家庭教師を付けていたらしい。

 現在はめでたく有名私立幼稚園に合格して、塾に通わすのが大変なので、小学校に上がれるように、家庭教師を付けているらしい。

 武術は3歳から始めたと言っていた。

 武術は送迎をして、やる気を出させるために付きっきりで励ますのだという。

 遊んでいられる時間は、あまりなさそうだ。

 やはり年子で三人産んでしまった方が楽かもしれない。

 彼女は男の子が二人いて、女の子を望まれているらしい。


「男の子を産めと、ずっと言われてきたのに、今度は女の子がいないって、私は子供製造機じゃないって、この間、旦那と喧嘩したのよ」


 わたくしは大きく頷いた。

 同感だ。

 子供製造機じゃない!

 不妊症だった時は、早く赤ちゃんを望まれて、子供の人数まで決められて、子育ては武術と水泳は必修で学校も有名大学を望まれる。

 すごいストレスだ。

 次の赤ちゃんは女の子だと楽かもしれないけれど、女の子を産んだら、今度は男の子を望まれるかもしれない。

 円城寺家って、とっても面倒だわ。

 小野田家も同じだけれど、自分が親の立場になって、初めて知る名家のしきたりの厳しさに、逃げ出したくなる。

 母の気の強さは、子育てから変わったのかもしれないと思った。

 母も純金と言われる幼稚園から大学まで有名私立お嬢様学校を出ている。

『ごきげんよう』なんて挨拶をしていた頃が懐かしい。



「ようやく、桜子もお受験と習い事の大変さを知るのね。ネイルなんてしている時間はなくなるわよ」


 彼女はわたくしの指先に触れた。

 今日は真っ赤なベースに金色で桜の花を描いてもらった。

 桜子の桜だ。


「ママ、夕ご飯の時間だよ」

「そうね」

「遅くまで、ごめんね。また教えてね」

「またね、桜子」


 わたしはいったん部屋に戻った。

 有喜は起きているだろうか?

 部屋に行くと、有喜はまだ寝ていた。

 体を揺すって、起こした。

 1日中放っておかれても怒りはしないけれど、食事くらいは一緒にした方がいいかもしれないと思った。

 一人で食べている人は独身以外にはいない。

 わたくしは、今日、とても目立っていた。

 後で、変な噂をされるのは、面倒だ。


「有喜、夕ご飯くらい一緒に食べない?」

「桜子さん、おはようございます」


 まだ寝ぼけているようだ。


「もう夜よ。ダンスパーティーに行かない?」

「あわわ、すみません。すぐに顔を洗ってきます」


 有喜はずっと寝ていたことに気付いて、慌てて顔を洗いに行った。

 バタバタと慌ただしく準備をして、有喜はジャケットを着た。


「桜子さん、一緒に行きましょう。今日は本当にすみません」

「いいわよ。最近、夜泣きで眠れてなかったのでしょう?たまにはお酒を飲んで発散して、ゆっくり寝たらいいわ」

「桜子さん、ありがとうございます」

「今夜も、飲み会に行っていらして。今夜は女子会をするのよ」

「そうでしたね。では、お言葉に甘えて、夜遊びに行ってきます」


 顔はゆるゆるだ。

 夜遊びはそんなに楽しいのだろうか?

 わたくしも今夜は、とても楽しみだ。

 花火をしていてくれるといいけれど……。

 これは賭けだ。

 今夜もし抱き合える事ができたら、来年の約束をしておこう。

 一緒に有喜と食事をして、部屋に戻って来て、わたしは綺麗にお化粧をして、パーティードレスを着る。

 髪は結い上げて、生花で飾った。


 年齢より若く見える事を確認する。


「桜子さん、美しいです」


 今夜は結婚式のような白いドレスを選んだ。

 わたしはお腹を撫でた。

 排卵チェッカーで排卵は確認済みだ。

 精子をちょうだい。

 わたくしは、一曲、有喜とダンスを踊った。

 後は、ゆっくりする。

 有喜は、またお酒を勧められて、けっこう飲んでいる。

 今夜の約束もしていた。

 わたくしは、高校3年の男の子達を探した。

 今夜も暇そうにしている。

 どうやら今年も彼女はいなさそうだ。

 3人でカードゲームをしている。とても退屈そうだ。

 わたくしは一度部屋に戻ると、それと分からないように袋を持ち出した。

 そうして、ホテルの従業員に渡して欲しいと頼んだ。

 遠目から、その様子を見ていた。

 大きな袋の中には、花火が入っている。そうして、小さなカードが一枚。


『一緒に花火をしてくださいますか? 去年のお姉さんより』


 三人は興奮している。

 今年は受験生だから、ひょっとしたら部屋に戻って勉強会でも始めるかもしれないと思った。

 だから、花火は用意しておいた。見た目はただの白い袋だ。巾着型なので、紐を引っ張れば、中身は見えない。

 わたしは部屋に戻って、ドレスを脱ぐと、温泉に入って、体を綺麗に洗った。

 今日の為に準備したワンピースを着た。

 膝丈スカートの21歳の子が着そうなワンピースだ。

 下着も新調した。

 それから化粧をして、髪を下ろした。

 甘い香水をつけた。

 わたくしは、サンダルを履くと、海岸に下りていった。

 砂浜に座って、彼らが来るのを待った。

 それほど待たずに、彼らはやって来た。


「お姉さん、花火、ありがとう」

「俺等も持ってきたんだ」

「今年も一緒に遊んでくれるの?」

「楽しみにしていたの」


 彼らは嬉しそうに笑った。

 わたしも笑顔で、一緒に花火をした。

 全ての花火を終えると、一緒に小屋の中に忍び込んだ。

 男の子がバスタオルを床に敷いてくれた。


「ありがとう」

「ゴム持ってきてないけど」

「大丈夫よ。ピル飲んでるから」


 男の子達は嬉しそうにしている。

 わたしは三人と順番に抱き合った。

 若い精子がわたしの卵子目指してくれていると思うと嬉しくて仕方が無い。

 わたし達は明け方近くまで抱き合った。今夜は彼らは眠らなかった。


「とても楽しかった。ありがとう」

「お礼を言うのは俺たちだよ」

「そうだよ。ありがとう」

「また会える?」

「来年のダンスパーティーの後に海辺で待っているね」


 わたくしは彼らと指切りをした。


「明るくなる前に帰らなくちゃ」


 わたしは洋服を着ると、彼らに手を振った。


「またね」

「「「またね」」」


 わたくしは短いスカートを翻して、小屋から出た。

 それから、ゆっくりホテルに戻って行った。

 部屋に入ると、有喜はいなかった。

 わたくしはシャワーを浴びると、ベッドの上で少しでもたくさん精子が子宮に入るように横になって、下半身を上げた。

 有喜は昼過ぎに酔って帰ってきた。

 ベッドに倒れ込んだ有喜が、わたくしを求めてきた。

 好都合だった。

 わたくしは泥酔した有喜と結ばれた。

 わたくしから求めなくても、済んで良かった。

 有喜は行為の途中で寝落ちた。

 最後までされなくても、その事実があればいい。

 有喜はタキシードを脱いで、下半身を出したまま寝ている。

 わたくしはバスタオルを下半身にかけて、シャワーを浴びた。

 用は済んだ。

 わたくしは一人で食事に行くと、部屋に戻ってソファーに横になった。

 精子が子宮に入るところをイメージする。

 有喜が起きたら帰ろう。

 わたくしは基礎体温を管理しているアプリを開いて、今日の印を付けた。次の月経予定日が楽しみだ。

 妊娠しますようにと、お腹を撫でる。

 取り敢えず性別はどちらでもいい。3人の子供が必要なのだ。
 




 …………………………*…………………………





 予定通り生理は遅れている。

 2週間待って、検査をしてみた。

 やった!

 妊娠していた。

 わたくしは有喜に言った。


「へ?」


 有喜はわたくしとした事を覚えていないのだ。


「わたくしを襲った事を覚えていないなんて、失礼しちゃうわ。泥酔している方ができやすいのかしら?」


 タキシードを脱ぎ散らかして、下半身丸出しで寝ていた事は覚えているので、自分が何をしたのかは分かっているようだ。


「アアア、何て事だ!桜子さんの一夜を忘れた事は一度もなかったのに、子供が授かった一夜だけすっぽり記憶がないなんて!」

「珍しく激しくって、何度も襲ってきたくせに」

「ごめんなさい」

「でも、良かったじゃない。子供が授かったんですもの」


 わたしはニヤッと笑った。

 有喜の精子は混ざってない。

 何度も求められてもいない。

 けれど、わたくしは有喜の遺伝子なんていらない。


「病院に行きましょう。直ぐにでも」

「わたくしだけで行ってくるからいいのよ」

「しかし!」

「今日から出張でしょう?ラインで結果は送るから、しっかり仕事していらしてね」


 わたくしは、有喜を送り出した。

 彼は1週間、中国に出張になる。

 スーツケースを引きながら、何度も振り返っている。と思ったら、戻って来た。

 スーツケースを外に置いたまま部屋に入って来て、家政婦を呼んだ。


「桜子さんが妊娠したので、雅人の世話は桜子さんにさせないように、お願いします。今は大切な時期ですので」

「畏まりました」


 家政婦と保母は、深く頭を下げた。


「母にも連絡しておくから」

「それは確実に分かってからでいいから」

「そうか?」

「大丈夫だから、行ってらっしゃいな」

「はい、行ってきます。連絡を待っています」


 今度こそ、有喜は出かけていった。

 病院では医師が、「予定日は来年の5月4日です」と言った。

 わたしくは予定通りの妊娠に、にっこり微笑んで「ありがとうございます」と頭を下げた。



「この日に何か特別な思い入れがあるのですか?」

「はい」


 わたくしは正直に返事をした。

 できれば来年も同じ日に妊娠したいと思っている。

 言葉に出さずに、心の中で宣言した。



「それでしたら、年数を置いた方が安全ですよ」

「はい」

「心拍はまだ見えないので、来週に来院してください」

「はい」


 わたしはお辞儀をして、診察室から出た。

 それから有喜にラインを入れた。

 既読にならないので、移動中か会議中だろう。

 わたくしは自宅に戻って、家政婦と保母に伝えて、雅人の世話を頼んで自室で横になって安静にしていた。

 心拍が確認できるまでは油断はできない。





 …………………………*…………………………





 次の診察で心拍が確認できて、妊娠は順調に進んで行った。

 有喜の実家と同居の話が出て、わたくしはさめざめ泣いた。

 同居なんてしたら、わたくしに自由な時間がなくなってしまう。

 それなら、同じ敷地に家を建てると言い出した。

 マンションには、コックはいない。

 家政婦さんが家庭的な料理をつくってくれるけれど、実家にいた時のような美味しい物は食べられない。

 多少不満に思っていたけれど、自由と比較したら自由の方が魅力的だった。


「雅人の習い事に母が付き添ってくれるそうです」

「本当に?」

「武術と水泳は必須です。水泳はベビースイミングがあるんです。俺はベビースイミングから水泳を始めたそうです。合気道と英会話は3歳で始めました。柔道は5歳で始めました。俺の父はT大出だったので、私学には通わなかったのです。その代わり偏差値の高い高校を目指して、小学生の頃から家庭教師が付いていました。俺の子供達は私学でも構わないが、勉強をしなくては、どちらにしても円城寺の嫡男として認められないのです。雅人もお腹の子も円城寺の子であるなら、努力をしなければならないのです。桜子さんに全てを押しつけるのは、忍びないと思っているんです。両親に手助けをしてもらってもいいかと思っているんです。どうでしょうか?」


 有喜は珍しく、わたくしに分かるように話してくれた。


「わかったわよ」

「桜子さんに窮屈な思いはさせませんから、安心してください」

「それならいいわ」


 わたくしは了承した。

 わたくしに育児はできない。


「赤ちゃんが生まれるまでに、敷地内に家を建てますので、ゆっくり休んでください」

「ありがとう」

「いいえ、赤ちゃんを産むのは命がけですから、無理はしないでください。まだ雅人は生まれたばかりなのに、避妊もせずに、本当にごめんなさい」

「謝らないでよ。この子が愛おしいのよ」

「そうでしたね」


 どんな家が建つのだろう?

 新築の家は嬉しいな。

 今度は少しつわりがあった。

 ご飯もあまり食べられない。

 妊娠は一人ずつ違うのが分かった。

 今回は貧血の薬が必要になった。

 赤ちゃんを産むのは大変なんだと、二人目の妊娠で知った。

 けれど、あと一人は産まなくちゃ。

 来年の夏……。

 また熱い夜を過ごしたい。



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